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2020年12月15日 (火)

「蓼科仙境都市」の想い出 〜 『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子

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■季刊誌『MONKEY』に連載されている、岸本佐知子さんのエッセイ『死ぬまでに行きたい海』(スイッチパブリッシング)が、ついに本になった! なんと喜ばしいことか。雑誌連載中から、これは彼女の代表作になるに違いない! そう確信して、ぼくはずっと『MONKEY』を買い続けてきた。もらした号は、古書で探して入手した。だから、Vol.1 〜 Vol.22 まで全部持っている。という証拠に写真を撮ったのだが、あれ? 何故か Vol.21 だけが欠けているぞ。おかしいな?

■さらには、12月に入って、伊那平安堂に何度も見に行っているのだが、残念ながら『死ぬまでに行きたい海』は未だに入荷しない。だから、本は手元にないので読めないのだ。

■以下は、ツイッターで過去に呟いたものを検索して見つけた発言です。

柴田元幸責任編集『MONKEY vol.13』より、連載『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子を読む。今回のタイトルは「近隣」。これは身につまされて怖かった。ウルトラQの世界。日常のすぐ隣に「異界」への扉が開いている。水木しげる『丸い輪の世界』もっとメジャーなら『千と千尋の神隠し』のトンネル。
季刊誌『 monkey vol.16』が届いた。 岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読みたいがために買っていると言っても過言ではない。今回は「丹波篠山2」。父親の実家で過ごした夏休みの思いでを綴った「1」も、めちゃくちゃよかった。同誌 vol.11 に載っている。
柴田元幸責任編集『MONKEY』vol.1、vol.10 以外は取ってある。まず最初にページを開くのは、翻訳家の岸本佐知子さんの紀行写真連載「死ぬまでに行きたい海」だ。これを読むために買っているようなものかもしれない。赤坂見附の回や多摩川の回も良かったけど、最新号の「丹波篠山」。
季刊誌:柴田元幸責任編集『MONKEY』は、柴田さんには申し訳ないけど、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読むために買っている。ああ、最新号の「経堂」も安心・安定の満足した読後感に包まれる。幸せだ。
「べぼや橋」も出てきたしね。ところで、ヤマザキマリさんと岸本佐知子さんて、声が似ている。案外低い声なのだ。
柴田元幸責任編集『MONKEY vol.18 /2019』が届いた。特集は「猿の旅日記」。最初に開くページは決まって、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』だ。p140「地表上のどこか一点」。ああ、上手いな。こういう文章が書きたいものだ。ごく自宅近所の話なのに、旅した気分になった。
 
季刊誌『MONKEY vol.21』を買ってきた。あれ? いつも最初に読む連載「死ぬまでに行きたい海」岸本佐知子が載ってないぞ!連載終了か??ちょっと焦った。ほっ、最後にあった。「カノッサ」おっ件の幼稚園の話だ。『気になる部分』p110「カノッサの屈辱」を久々に読むと、巻頭がブレイディさんみたい。
 
『花の命はノー・フューチャー』ブレイディみかこ(ちくま文庫)p199「子供であるという大罪」が書かれたのは、2005/04/06。『気になる部分』岸本佐知子(白水社 Ubooks)p110「カノッサの屈辱」は『翻訳の世界』1996年8月号に載った。岸本さんの勝ち。
 
30年前の3月、出張先の佐久町から松本への帰り。通ったことのないルートを選んだ。蓼科アソシエイツスキー場を越えて行く道だ。午後まだ早い時間なのに、スキー場には誰もいないしリフトも動いていない。隣接する高級リゾートホテルや店舗、別荘も全くの無人。不気味な静けさが怖かった
人里離れた山奥の海抜2000mの高地に忽然と現れた超モダンな建築物群。でも、人っ子一人いない。小説『極北』に登場するシベリアの秘密都市みたいな感じだ。慌てて氷結する鹿曲川林道を恐る恐る下ると、冬季通行止めの道だった。
蓼科アソシエイツスキー場は、1997年まで営業していたから、僕が通った1990年にはバリバリの現役だったはずだし、会員制高級リゾートホテルやレストランも営業中だ。でも、確かに無人だった。それが今や噂の廃墟施設と化し、僕が春日温泉まで下った林道は幾多の土砂崩れで廃道になってしまった。
あれは夢かまぼろしか? 松本に帰り着いても狐につままれたような気分だった。あの時の印象があまりに強烈で、10年ほど前にネットで検索し「蓼科仙境都市」を発見したのだった。岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』発売記念企画に応募しようと思ったが、大幅に字余り。
 
<追補>
 
・飯山日赤から、松本の信州大学小児科医局に戻った年だったか、その翌年だったか。週一回の木曜日にパート勤務で佐久町(いまは八千穂村と合併して佐久穂町)にある「千曲病院」へ通って、小児科外来診療と、午後には健診や保育園に出向いてインフルエンザの集団予防接種(当時はまだ集団接種だった)をしていた。
 
給料は良かったが、とにかく遠かった。朝7時前には家を出て、三才山トンネルを抜けて丸子町に下り、それからまたもう一つ峠を越えて立科町へ。さらには望月町→浅科村(いまはみな佐久市に併合された)を抜けて佐久市へ。でも、まだ着かない。そこから南下して、佐久総合病院がある臼田町を通り過ぎ、ようやく佐久町に到着だ。毎回2時間弱の行程だった。
そうは言っても、ストレスだらけの大学を離れて気分転換ができたこのバイトは、ぼくにとって掛け替えのない時間だったように思う。天気が良ければ、北に浅間山、東には群馬県境の山々。南には八ヶ岳連峰が青空の下に輝いていた。
 
八ヶ岳の北の端には蓼科山が見える。その稜線を北に辿ると、ちょうど人の肩のように平らになった高原が続く。そこに太陽の光が反射して、明らかに人工物と思われる建物が点在しているのが遙か遠くに見えた。
 
あれは何?
 
ずっと気になっていたのだった。(さらに続く)
 
 

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