« 『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(その2) | メイン | 体調不良から回復しつつある日々 »

2012年2月24日 (金)

椎名誠『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)読了

■椎名誠氏が書く「私小説」が好きだ。

特に好きなのが、集英社から出ている『岳物語』『続岳物語』。
最近のものでは、椎名氏にしては妙に暗い印象の『かえっていく場所』が、すっごくよかった。


でも、何と言っても一番いいのは『パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り』(集英社文庫)だ。本来は、南極と南米最南端、地の果ての町、プンタアレナスを挟むドレイク海峡(一年中荒れ狂う恐怖の海)に浮かぶ小っちゃな島「ディエゴ・ラミレス」に向かうチリ軍艦に同乗した「最果て紀行的冒険記本」なのだが、椎名氏の古くからの友人で「本の雑誌」をいっしょに立ち上げた目黒考二(北上次郎)氏はこう言った。「これは、椎名誠の私小説として傑作である!」と。


これは世間一般的評価としてよいと思うのだが、椎名誠氏の代表作を挙げよと言ったら、まず筆頭に上がるのが『哀愁の町に霧が降るのだ 上・中・下』(情報センター出版局刊)と『岳物語』。それからこの『パタゴニア』だと思う。ただ、ぼく個人的には、椎名氏のSF作品が大好きなので、『アド・バード』『水域』『武装島田倉庫』の三部作が最高傑作であると今も信じている。


で、この最新作『そらをみてます ないてます』(なんてキャッチーなタイトルなんだ!)は、傑作『哀愁の町に霧が降るのだ』と『パタゴニア』を、現在の椎名誠氏の立場でフォーカスを絞って新に書き直した小説なのであった。だからたぶん、相当に作者の力が入った作品であることは読む前から判っていたし、実際、読了したいま、すっごく満足している。あぁ、いい小説を読んだなぁ。それにしても、何と言ってもやはり「事実は小説よりも奇なり」だ。ほんと面白かった。


いや、「私小説」とはいえ、しょせん小説とうたっているのだから、どこまでが事実かそれは作者にしか判らない。実際、この小説と『哀愁の町に霧が降るのだ』には「同じ場面」が何度も登場するのだが、設定が微妙に変えられている。どちらが事実に近いかと言ったら、『哀愁…』のほうであろう、たぶん。椎名誠氏の奥さん、渡辺一枝さんは、克美荘の同居人であった木村晋介氏の高校の同級生であったというのが真実らしいのだが、『哀愁の町に霧が降るのだ』では「羽生理恵子」、この本『そらをみてます ないてます』では「原田海」とされている渡辺一枝さんとのエピソードは、どのあたりが創作で、どのあたりが真実なのかが妙に気になってしまう。それにしても、「ダッタン人ふうの別れの挨拶」はよかったなぁ。


さらに気がかりなことは、著者が東京新聞のインタビューに答えて「こう言っている」ことだ。


そうか。椎名氏は、いままで封印していた女性「イスズミ」のことを、この小説で初めて「正直」にセキララに書いたのか。


■健全なアウトドア系作家として、大人になっても男仲間とワイワイガヤガヤ、焚火とキャンプの日々のイメージが定着した椎名氏ではあったが、そうしたイメージ先行の虚像と椎名氏自身の実像とが、どんどんかけ離れてゆくことを、椎名氏自身はたぶん半面楽しみつつ上手に利用し、その反面ギャップに次第に苦しめられていったのではないか。


体育会系で、マッチョで、日々スクワッドと腹筋と腕立て伏せを欠かさない椎名氏は、無駄な贅肉が全くない。そんな「いい男」を女どもがほっておくワケがないし、女房ひとすじというストイックさは無理というもだよなぁ、そうだよなあ、と思った。いいよ、それで。肉食系男子は。


■それはともかく、椎名誠氏の生きてきた道を愛読者として併走してみて思うことは、つくづく予測不可能な「人生の不思議さ」ってものが実際にあるのだなぁ、ということだ。それは、テレビで「タモリ」を見ていても(希望や野望を持たない人である点はぜんぜん違うが)同じように思う。

渡辺一枝さんは、もう何十回もチベットに行っている。カイラス山へも行った。彼女も、長年の夢を叶えたのだ。最近では、南相馬市にボランティアで出向いているらしい(『青春と読書』集英社での連載による)

椎名氏が小学性のころから抱いていた夢。探検家ヘディンがたどり着いた楼蘭とロプノール。それから、ジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』の島へ行くこと。「夢をあきらめないで」っていうのは、何かの歌詞の一部だったか。でも、ほんとうにそうなんだなぁ、ってことがあるし、本当に好きな人を見つけて、決してあきらめないことも、同じくらい大切なのだなぁと、しみじみ思った次第です。


■<以下、先日のぼくのツイートから>

・私小説という分野がどうもよく判らない。西村賢太氏はリアルに赤裸々に書いている気がするが、それでも「小説」なので事実ではないのだろうなと納得して読んでいる。で、いま『そらをみてますないてます』椎名誠(文藝春秋)後半を読んでいるのだが、『哀愁の町に霧が降るのだ』との異同に悩んでしまう。


・小説だからね、シンプルに構成し直したのだろうなとは思った。例えば、楼蘭到達の話も、極寒のシベリア行の話も、椎名誠氏の別の本で何度も取りあげているので、事実との違いが「私小説」には「あり」ということは納得している。でも、「考える人・メルマガ」を読むと、何か違うんじゃないかと思ってしまうのだ。


・椎名誠『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)を、高遠町福祉センター「やますそ」1Fのペレット・ストーブの前で、長男が通うアンドレア先生の英語教室が終わるのを待ちながら今晩読了。これは「いい小説」だなぁ。しみじみいい。私小説でありながら、小説としての結構とカタルシスが、綿密に計算されている。


・(続き)本の装丁がいいのだ。表紙は東京オリンピックを目前にした、1964年夏の東京の夕焼け。左側に出来たばかりの首都高速、正面には 1958年に完成した東京タワーが描かれている。そして裏表紙は、1988年タクラマカン砂漠を横断して遂に楼蘭のストゥーパに一番乗りした椎名氏ら3人が描かれている。


・(続き)そうして、絵本の読み聞かせをしていてよくやる動作なのだが、その絵本を読み終わったあとに、子供たちに向けて、背表紙を真ん中に「表表紙」と「裏表紙」を180度広げて、パノラマみたいに見せるのだ。『そらをみてますないてます』を「そうやる」と「そら」でつながっているんだな、これが。


トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.dcnblog.jp/t/trackback/463039/27992595

椎名誠『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)読了を参照しているブログ:

コメント

そらをみてますないてます よかったです。
私も ずっと 椎名さんを読んでます。
黄金時代 も "いつも途方に暮れていた”の帯にあるような 切ない・・心の奥にあるうずきのような 哀愁いっぱいの本だったけど。
そら・・は これまでの いろいろが全部つながって 私自身の人生まで 考えてしましました。
黄金時代を読んだ後 椎名さんにお手紙を書いたら お返事もくださったことも思い出しました。
白くま先生の書かれているように けんかとか 探検とか 冒険とかで女性がなかったのに いきなり 黄金時代に 男の刹那・・じゃないけど・・そういうのが書かれていて どきっとしたことを 覚えています。
その続編・・すごく楽しみに読み始めました。
いい~作品ですね。
感動ってことばも ちがうようだけれど 胸がいっぱいになりました。
・・で コメント書きたくなりました。


コメントを投稿

Powered by Six Apart

最近のトラックバック