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2014年3月

2014年3月30日 (日)

復活「今月のこの1曲」 『Ballad of the Sad Young Men』

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■しばらく忘れていた「今月のこの1曲」を、ふと復活させようと思ったのだ。

「この曲」を初めて聴いたのは、「こちらのブログ」の筆者と同じく、コンテンポラリー・レーベルから出た、アート・ペッパーの復帰後3枚目のLP『ノー・リミット』でだった。最もハードでフリーキーなアート・ペッパーの演奏を記録したこのレコードの、A面2曲目に収録されていたのが「 Ballad Of The Sad Young Men」だ。

さんざん聴いたなぁ。この曲。

1950年代の軽やかで艶のある演奏と違って、ちょっとブッキラボウに、とつとつと途切れ途切れにフレーズを奏でるペッパーのバラード演奏は、ほんとうに沁み入った。アルトの音色が切なかった。

なんなんだろうなぁ、若い頃はブイブイ言わせて大活躍していたのに、麻薬禍から1960年代後半には知らないうちにジャズ界から消え去っていた。そんな彼が50歳をとうに過ぎて奇跡的に復活し、アルト・サックスで吹く「 Ballad Of The Sad Young Men」のメロディには、その一音一音に彼の特別な想いが込められているような気がしてならない。もう若くはない「いま」だからこそ、ようやく吹けるようになったのだ。

ちょうど、ビリー・ホリデイ『レディ・イン・サテン』の「I'm a Fool to Want You」を聴いた時と同じ印象。彼の(彼女の)人生(生きざま)が、そのままダイレクトに演奏に反映されていた。


YouTube: Art Pepper Quartet - Ballad of the Sad Young Men



■先達て松本へ行った際、久しぶりに「アガタ書房」へ寄って中古盤の2枚組『オール・オブ・ユー』キース・ジャレット・トリオ(ECM / HMCD)を入手した。2枚目のほうに、僕の大好きな曲が2曲も収録されていたからだ。

その2曲とは、「All The Things You Are」と「Ballad Of The Sad Young Men」。

このCDの原題は『Tribute』で、リー・コニッツ、ジム・ホール、ビル・エバンス、チャーリー・パーカー、ロリンズ、マイルス、そしてコルトレーンにそれぞれ曲が捧げられている。

で、ジャズ・ヴォーカリストのアニタ・オデイに捧げられていたのが「この曲」だった。僕は彼女が歌った「この曲」を聴いたことがなかったので、早速検察してみると、彼女が1961年にゲイリー・マクファーランド・オーケストラと録音した『All The Sad Young Men』の5曲目に収録されていることが判った。

さらにググると、ボズ・スキャッグスやリッキー・リー・ジョーンズ、それに、ロバータ・フラックも「この曲」を歌っているらしい。

YouTube には、ロバータ・フラックのヴァージョンがあった。それがコレだ。

Roberta Flack - Ballad of the Sad Young Men
YouTube: Roberta Flack - Ballad of the Sad Young Men


ロバータ・フラックがピアノの弾き語りで歌っている。冒頭の印象的なベースの弓引きは、ロン・カーター。アート・ペッパーの演奏は、このロバータ・フラックのアレンジを「そのまま」いただいていたんだね。そっくり同じだ。

こうして、初期のロバータ・フラックを聴いてみて感じるのは、同じピアノの弾き語りをしている「ニーナ・シモン」のことを、すっごく意識していることだ。ソウルフルでありながら、シンガー・ソング・ライターの楽曲をいっぱい取り入れている点。ジャニス・イアンとか、レナード・コーエンとかの曲をね。彼女のこのデビュー盤、なかなかいいじゃないか。

■さらに先週、東京に行って、新宿のディスクユニオンで「アニタ・オデイ盤」を中古で入手した。でも、凝ったアレンジがかえって邪魔してしまい、この曲のシンプルな切ない味わいが損なわれてしまっていて残念だったな。

曲のタイトルと、CDのタイトルが微妙に異なっているのには訳がある。

『All The Sad Young Men』というのは、『華麗なるギャツビー』の作者フィッツジェラルドの小説のタイトルなんだそうだ。なるほどね。

Radka Toneff - Ballad of the Sad Young Men (live, 1977)
YouTube: Radka Toneff - Ballad of the Sad Young Men (live, 1977)


あと、さらに検索を続けたら、ノルウェーの歌姫ラドカ・トネフのヴァージョンが見つかった。これもいいな。今までぜんぜん知らなかった人だ。CDも持ってない。北欧系の女性ジャズ・ヴォーカルは、このところけっこうフォローしてきたのにね。

調べてみると、30歳で自ら命を絶って、いまはもういない人だった。

2014年3月28日 (金)

遊園地再生事業団プロデュース『ヒネミの商人』作・演出、宮沢章夫

■隣人に少しだけ遠慮しながら、役者さんちょっと変なセリフに思わず笑って観ていたら、ふと足下をすくわれたようになって、何とも居心地が悪くなり訳が判らなくなってしまった芝居『ヒネミ商人』。

以下、感想ツイートを少し改変してまとめました。

■夜中に連続ツイートしたので、ちょっとアレなんですが、失礼ごめんなさい。

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■先達ての日曜日(3月23日)日帰りで東京に行って来た。天気予報では暖かい春の日和だって言うから、ジャケットにワイシャツだけで特急あずさに乗ったのだが、新宿に着いたら皆冬の格好で焦った。確かに寒いぞ。最初に行ったのは「ビックロ」。朝から人でいっぱいだ。

「ビックロ」へ行ったのは、息子へのお土産に「SHURE」のイヤホンを買うためだ。でも売り場へ行ってみたら、DENON のワイヤレス・イヤホンが安くなってたので、結局こっちにした。DENON インナーイヤーヘッドホン AH-W150

■その後は、ディスクユニオン「新宿ジャズ館」へ行き、欲しかったCDの中古盤をゲット。アニタ・オデイ『オール・ザ・サッド・ヤング・メン』、『VOLUNTEERED SLAVERY』ローランド・カーク、『アット・ザ・ファイヴ・スポット vol.2』エリック・ドルフィー(SHM−CD)。

ディスクユニオン近くの天婦羅屋で天丼を食い、一路高円寺へ。午後2時から「座・高円寺」で芝居を観るのだ。遊園地再生事業団プロデュース『ヒネミの商人』。実は、ぼくが大好きな劇作家なのに、その演劇を生で一度も観たことがなかった宮沢章夫さんの初期の代表作が再演されると知ったからね。

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■「座・高円寺」という小屋は、なかなかに良いんじゃないか。ちょうど、松本市民芸術館「小ホール」の雰囲気によく似ている。キャパは300人くらいか?

始まった芝居『ヒネミの商人』に登場した宮川賢、ろくちゃん。彼を見ていて、誰かに似てるなあって、ずっと考えていたんだ。そしたら、ラストで流れたBGMを聴いて判った。小津安二郎『お早よう』みたいな音楽。あ、北竜二か。そうそう、あのいい加減さは、そうに違いない。

芝居『ヒネミの商人』は再演だ。もしかして、宮沢章夫演出の芝居が再演されたのは、今回が初めてなのかも。僕は初演を観ていない。でも、なんとなく判るよ。「劇的」であることを否定した芝居。時同じくして、平田オリザ氏も同じ地平を見ていた。でも、小津安二郎という方法論は同じでも全然違う。

ポイントは何なんだろう? 地図か? 貨幣か? 今は亡き街の記憶なのか? 確かに存在するはずの物語が、実は存在しない。ガラガラと崩れてゆく現実。その端緒は、銀行員「渡辺」の靴が片方だけ無くなったことから始まる。ところで、「ウルトラ」って何なんだ! 訳わかんないぞ!「ウルトラ」

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オリジナルは、シェークスピアの『ヴェニスの商人』だ。それは判った。だから、ユダヤ人の金貸しシャイロックは銀行員「渡辺」なのだな。ビット・コインみたいに、この世に存在しているようでいて、どこにもない貨幣の価値。それを代償する土地という神話。でも、連帯保証人の印鑑をひとたび押してしまったならば、先祖代々護り次いで来た「土地」を、いとも簡単に銀行は差し押さえに来るのだ。バブルが弾けた後とは、銀行が「そんな不良債権」をいっぱい抱えて四苦八苦していた時期だった。

そんな1990年代前半。そこに登場したのが『ヒネミの商人』(物語自体は1970年代の話だが)という芝居だったのだな。

■正直言って、芝居が唐突に終わってしまい、僕は途方に暮れた。何だったんだ? わからない。あの偽札の意味は? いつまで経っても目的地「サルタ石」にたどり着けない旅行者の彼女の苦悩。わからない。その彼女を目的地に導こうと努力する加藤の無駄な努力。わからない。ぜんぜんわからないぞ!

この「現実崩壊感」こそ、じつは大切なんじゃないかと思う。いままで信じて生きて来た、その確信が、あっという間に崩れ落ちてしまう瞬間を、たぶん僕らは「この芝居」を観ることで、再確認するのだ。

で、結局この芝居を観て最も印象に残った役者さんはというと、中村ゆうじ氏ではない。残念ながらね。じゃあ、誰? それはね、佐々木幸子さんさ。彼女の存在感はハンパなかった。凄いな!

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■「ヒネミの商人」。あとからジワジワとボディ・ブロウのように効いてきて、ずっと後を引く芝居だった。「面白かった!」と、単純に呟いていいのか戸惑うほど、個人的にものすごく衝撃的だったことは間違いない。それから、変なところが気になった。「全館禁煙」のはずの劇場で、主演の中村ゆうじ氏はステージ上で煙草をくわえ、当たり前に平然と火をつける。深く息を吸い込み、煙を吐き出す。ちょっと過剰すぎる煙が劇場内にたなびく。

でも、劇場の火災報知器は「その煙」を感知しない。不思議だ。(追記:演出上必要なシーンならば、役者が煙草ををふかすのは芝居では当たり前だったのですね。無知でした。すみません)

ぼくは禁煙して22年になるけれど、なんか久々にタバコを吸ってみたい誘惑に駆られたシーンでした。あーいう「タバコの吸い方」を、そういえば昔、ずいぶんとしていて、すっごく懐かしかったから。たぶん、宮沢章夫さんも現在は「禁煙」されているはずで、あの煙草に「郷愁」を込めたかったんじゃないだろうか?

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■2014年の3月末に観て、これだけショックだったのだから、1993年の初演時にはどれほど衝撃的だったことだろう。だって、主演女優2人が客席に「お尻」を向けて、バック・ステージの方向に平然と「セリフ」を喋るんだよ。

ただ、小津の映画ではそれは「当たり前」のことだ。映画『麦秋』では、原節子と三宅邦子の2人の女優が、その豊かな「お尻」を惜しげもなく正面から、スクリーンを見つめる観客に対して曝しているのだ。『東京物語』でもそう。宮沢章夫氏の演出では、確信的に「それ」を模倣する。

小津演出との類似は、たぶん「模倣」なのではなくて、結果的に「そうなってしまった」んだと思う。小津は、役者の「劇的な演技」を極端に嫌った。『秋刀魚の味』に出演した岩下志麻は、100回以上も繰り返し同じ演技をさせられたという。

ぼくは『ヒネミの商人』の芝居が始まって、役者さんがセリフをやり取りするのを聞き、すっごく心地よい感じがした。なんか、懐かしかったのだ。そう、小津安二郎の映画を観ているみたいでね。特に、ラーメンのくだり。人の会話って、唐突に関係ない方向に行ってしまったかと思うと、また戻ってくるのだ。

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■「劇的」という言葉は「西洋の演劇」と置き換えてもいいかもしれない。そこから最も遠い地平。それは「東洋」の代表的な演劇「能」だ。小津は「能」を映画に撮った『晩春』だ。劇作家、太田省吾は「転形劇場」で小町風伝を演出した。劇的を排した自然の演技を目指す究極は、能の様式美だ。

小津の映画は、そのローアングルで固定されたカメラからきっちりと幾何学的に構図された画面に役者を配置する。決して役者の勝手な演技は許さない。小津が自分で信じる「形式美・様式美」に反するからだ。

そういえば、『ヒネミの商人』の舞台装置も、実にシンプルで様式美を意識していたと思う。舞台後ろに「ふすま」の桟みたいな柱が並んでいて、印刷屋の中と外の道を隔てていた。外を歩く人はみな、転形劇場『水の駅』みたいなスローモーションの歩みをしていて可笑しかったな。

ふと思ったのだが、宮沢章夫氏は「歌舞伎」を演出するんじゃなくって、本来は「能」を演出するべき、なんじゃないかと。

「能」で重要なことは、「死者」が主人公となることだ。平家の幽霊とかね。存在しないはずの人が一人称で語りだす。ここが重要なのかもしれない。

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2014年3月18日 (火)

『昭和・東京・ジャズ喫茶』シュート・アロー著(DU BOOKS)

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■『昭和・東京・ジャズ喫茶』シュート・アロー読了。なんか、おいらのために書かれたんじゃないかと錯覚してしまうくらい、ピンポイントでツボにはまったストライク本。面白かった。今度の日曜日、宮沢章夫氏の芝居『ヒネミの商人』を観に久々に上京するので、歌舞伎町の『ナルシス』には行ってみたい。

確か、以前に一度行ったことがあるような気がした店『ナルシス』だが、僕の記憶では1階にあった。じゃあ違う店だったのか? でも、行って『モノケロス』エヴァン・パーカーA面をリクエストしてみたいぞ!

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■それにしても、なんなんだろうなあ、著者の尋常でない「場末感」へのこだわり。『東京ジャズメモリー』でも最初に紹介されていたのは、渋谷道玄坂百軒店の奥の小路にあったジャズ喫茶「ブレイキー」だったしね。

ただし、前著と一番異なる点は、今回紹介されている「ジャズ喫茶」がすべて、今現在も現役で営業中であるということだ。ここ重要!

この本の巻頭に載ってる店は、神楽坂「コーナーポケット」(僕は行ったことがない)で、2軒目に登場するのが、たぶん誰も知らない、大井町の「超場末」飲み屋街の端っこにひっそりと営業している「Impro.」という名のジャズバー。ここは凄いな! 載ってる写真からして凄すぎる。めちゃくちゃディープだ。よくこんな店見つけてきたよなあ。ぜひ行ってみたいぞ!。

映画『時代屋の女房』で、夏目雅子が降りてきた「歩道橋」も見てみたいし。

それから、シュート・アロー氏にはぜひ、次回作で「日本全国各地でいまも営業を続けている、地方の場末のジャズ喫茶」を行脚した本を出して欲しいぞ。古本屋に関しては『古本屋ツアー・イン・ジャパン』という本が最近出版されている。

当地「伊那市」にも、宇佐見マスターが経営する『Kanoya』があるし、箕輪町には『JAZZ&ART CAFE  PLAT』があるよ。

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でも、ほんと面白かった。
この本に紹介されている「ジャズ喫茶」。ぼくが行ったことがあったのは、渋谷「デュエット」と新宿「DUG」、そして、陸前高田「ジョニー」の旧店舗だけです。歌舞伎町「ナルシス」は一度行った記憶があったのだが、どうも自信ない。
そして、今回も感心したのは、ネット上によくある「単なる店紹介」で終わるのではなく、著者は各章で「その街・その店」に関わる、極めてパーソナルなオリジナリティにこだわった「物語」を紡ぐことに尽力していることだ。村上春樹の『ノルウェーの森』は、確かぼくも出てすぐ読んだはずんなんだけど、ストーリーをぜんぜん憶えていないことに、新宿「DUG」の章を読んでいてショックを受けてしまった。
とにかく「その街」の雰囲気がリアルに味わえる文章が、ほんと、いいと思った。大井町、蒲田、新宿歌舞伎町、そして渋谷。ぜったい行ってみたくなるもの。

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   【以下、3月2日のツイートから】

■昭和・東京・ジャズ喫茶』シュート・アロー(DU BOOKS)を読んでいる。面白い!『東京ジャズメモリー』に続いて、今度はこう来たか。この本では、エリック・ドルフィーがフィーチャーされていて嬉しいぞ。1960年前後、ニューヨークに存在した伝説のライヴハウス「ファイブ・スポット」と、新宿歌舞伎町にある不思議なジャズ喫茶「ナルシス」のこと(p213)

続き)『昭和・東京・ジャズ喫茶』シュート・アロー(DU BOOKS)の表紙の絵は、なんと和田誠なんだけれど、手に取って『週刊文春』の表紙みたいだなあって、思った。既視感があったのだ。そしたら、「みたい」じゃなくて「まさにそれ」だったんだね。原宿にあったジャズ喫茶「ボロンテール」。

と言うのも、以前、週刊文春の表紙に和田誠氏が描いた『ボロンテール』が、そのまま「この本の表紙」になっているのだな。それを見たんだ。

続き)それから、懐かしい渋谷道玄坂から東急本店通りへ抜ける小径(確か、恋文横町)の右側の地下にあった、ジャズ喫茶「ジニアス」のこと。ジャズ批評の広告に載った「ジニアスおじさん」の由来。知らなかったよ。おじさんに奥さんと息子までいたとは!

■『昭和・東京・ジャズ喫茶』というタイトルでありながら、何故か最終章で取り上げられているのは岩手県陸前高田市にある「ジャズ喫茶ジョニー」のこと。3年前のあの日。店のレコードもオーディオも椅子も机もお皿もコーヒー茶碗も建物すべて、なにもかも津波に流された。でも、どっこい生きてる

2014年3月12日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その106)駒ヶ根市立図書館

■3月9日(日)午前10時半から、駒ヶ根市立図書館の2階で「伊那のパパズ絵本ライヴ」。親子合わせて100人以上も集まってくれた。ありがたいねえ。お父さんも10人以上いたかな。

ただ今回は、伊東・宮脇の両名が年度末で多忙のため、北原・坂本・倉科の3人だけでの出陣と相成った。

   <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『こぶたの おでかけ』杉田徹(こどものとも 0.1.2.)→北原

  『こぶたのプーちゃん』本田いづみ文、さとうあや絵

  (こどものとも年少版)→北原

3)『おめんです』いしかわこうじ(偕成社)→坂本

  『ねこガム』きむらよしお(福音館書店)→坂本

4)『かごからとびだした』(アリス館)

5)『へんしんするゆび』宇田敦子・作

  (かがくのとも 2014年3月号)→倉科

6)『ちいさなまち』藤田新策・作絵(そうえん社)→北原

7)『おーいかばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド)

8)『あたまがいけ』 日野十成 再話 /斎藤隆夫・絵

  (こどものとも 2014年3月号・福音館書店)→坂本

9)『ぶきゃぶきゃぶー』内田麟太郎・作、竹内通雅・絵

  (講談社)→倉科

  

さんしろう絵本ライブ「ぶきゃぶきゃぶー」
YouTube: さんしろう絵本ライブ「ぶきゃぶきゃぶー」

10)『ふうせん』(アリス館)

11)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2014年3月 3日 (月)

NHK特集ドラマ『ラジオ』を見た

■昨日の土曜日の午後2時から、NHKBS2で、ドラマ『ラジオ』ノーカット版の再放送があった。ハードディスクに録画した地上波放送の「短縮版」もあわせると、今回で4回目の視聴になる。4度目でも、ぜんぜん飽きない。むしろ、ファーストシーンから「あのラスト」を思い浮かべてウルウルしてしまっている。

   < ドラマ「ラジオ」をご覧になった皆さんへ >

ロング・バージョンと「通常版」との違いが実はよく分からなかったのだが、今回見て「各シーン」がちょっとずつ長くなっていることと、「某ちゃん」と名付けて津波に流されて死んだ同級生の墓参りのシーンが追加されていることが分かった。

前回「通常版」を見て、ロング・バージョンよりも見ていて緊張感が維持でき、やっぱり「こっち」の方がいいかなって思ったのだが、今回「ロング・バージョン」を再度見て思ったことは、「こっち(ロング)」の方が、サイドメン(脇役)に焦点が当たっていて、彼らの気持ちに丁寧に寄り添っていることが見て判った。

例えば、某ちゃんの母親と父親。某ちゃんが自分の二本足で立って前に進もうと決意した日の港でのシーン。それから、夜の仮設住宅の前で凍えながら娘の帰りを待つ母親と、家の中で一人勝手にヨーグルトを貪り食っている父親。この場面は、89分版のほうが見ていてリアルにぐっときた。人間は、どんなに大変な状況においても、メシ食ってクソたれる日常を生きて行かねばならない、という人間の宿命。

そして、なんでもない日々の家族の営みの繰り返しが、実は掛け替えのない「幸せ」なのだということを、画面を見て瞬時に感じることができたからだ。

あと、ラジオ局のディレクター新井浩文と、安藤サクラの佇まいが、ロング版の方がずっとぐっとくるのだよ。あと、高校生DJの同僚、夏居瑠奈の心境も今回初めてよーく分かった。リリー・フランキーは、どっちのヴァージョンでも絶対的にいい! この人の存在感は半端ないね。

新井浩文は、阿部寛の『ゴーイング・マイ・ホーム』に出ていて、それから、安藤サクラといっしょに、NHKのドラマ『書店員ミチルの身の上話にも出ていた。どちらの番組も、制作は「テレビマンユニオン」これ重要。『ゴーイング・マイ・ホーム』を撮った是枝監督も、テレビマンユニオンの出身。

■「ラジオ」って媒体、いいよね。「いま・ここ」でオンエアーされた「音」が確かに伝わって、リスナーの耳に届く。その「音」は、音楽であり言葉でもある。

ところが、ブログやSNSは「文字」でしか伝わらない。そこでは、相手の体温、表情は感じられないから、いくらでも勝手に「誤読」が可能だ。(まだ続く)

(続き)

■ドラマ『ラジオ』の魅力は、実在する「某ちゃん」が実際にブログに書いた文章の切実さと、それを何度も現地(女川)に通って、地元の人たちと交流を重ねた中から脚本を書き上げた一色伸幸氏の力量、そして、某ちゃんを演じた「刈谷友衣子」の飾らないごく自然な演技の3つに集約される。

しかし、ぼくが一番に注目したのは、師匠「佐々木昭一郎」の演出とカメラが、確かに「そこ」にあったことだ。プロの役者さえも、素人が自然に振る舞っているかのごとく見せる、佐々木マジック!

「某ちゃん」のブログを現在は見ることができない。

ドラマを「ほぼ完璧に文章化したサイト」があった。ここ、読んでみてください。

■あと、忘れてならないのが「音楽」!

ドラマで流れた楽曲はすべて「某ちゃん」の選曲なのだそうだ。

しょっぱなで流れる、スターリン『負け犬』は衝撃的だった。

負け犬 / THE STALIN
YouTube: 負け犬 / THE STALIN

そして、

THEイナズマ戦隊 応援歌
YouTube: THEイナズマ戦隊 応援歌


http://ameblo.jp/pikataa3/entry-11498729596.html


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