【2月2日】
伊藤比呂美著『犬心』(文藝春秋)を読んでいる。14歳の老犬介護の話だ。『良いおっぱい・悪いおっぱい』『伊藤ふきげん製作所』に登場した娘さんたちも出てくる。椎名誠さんが『岳物語』を書き継いでいるのと同じで、しみじみと家族の在り方を感じる。http://pet.benesse.ne.jp/antiaging/shibainu_vol7.html?p=1 …
続き)伊藤比呂美『犬心』を読んでいて面白いのは、「犬あるある」だ。犬種は違っても、その習性はほとんど同じなんだな。犬はくさい「すかしっ屁」をすることも確認できた。わが家の犬も「おなら」をする。人のオナラも好きだ。僕や息子がブッとすると、すぐさま寄ってきて股間に鼻をすりつけ盛んにクンクンする。
■伊藤比呂美さんの本を初めて読んだのは、『良いおっぱい、悪いおっぱい』だった。冬樹社から出たのが 1985年11月とあるから、小児科医になって数年してからのことか。彼女の「この本」を読んで、小児科医としてずいぶんと勉強させていただいた。「母親」という未知なる生態を、具体的に直感的に刹那的に、自筆のイラストまで添えてあらわに文章にしてくれていたからだ。ほんと、ありがたかったな。
その後も『おなか、ほっぺ、おしり』『伊藤ふきげん製作所』を読み継いできたが、それきりだった。彼女の本業である「詩」も、結局は一つも読まずじまい。
■少し前、詩人の小池昌代さんが編纂した『やさしい現代詩』(三省堂)を読んだ。17人の現存する詩人が自作を朗読したCDが付いていた。これが思いのほか良かったのだ。ねじめ正一「かあさんになったあーちゃん」を自分も真似して読んでみたくて、何度も聴いた。iPod にも入れて、今でも聴いている。今日もジムで走りながら聴いた。吉田文憲『祈り』、林 浩平『光の揺れる庭で』の2篇。シャッフルされているから、どの詩が聴けるかは分からない。
伊藤比呂美も自作を朗読している。『ナシテ、モーネン』という不思議なタイトルの詩。ラフカディオ・ハーンの妻が、彼が発した言葉を帳面に書き留めた文字。
YouTube: 伊藤比呂美「午後のリサイタル」 2 青森県近代文学館
CDで聴くと、もっとずっといいのだが。
『犬心』を読んでいて感じたことは、あ、「ナシテ、モーネン」で聴いた彼女の声とテンポと息継ぎのタイミングが、そのまま文章化されているエッセイなんだ、ということ。以下は、ツイッターに書いたもの。
一見淡々とした記述が続くだけのこの本は、何故だか読んでいてとても心地よい。伊藤比呂美さんの文章のリズムとテンポが、不思議と気持ちいいのだ。決して流れるような文章ではない。突然の句読点でいきなし断絶されたりするし、せっかちで性急なんだ。少なくとも、僕の文章のリズムとは異なる。
でも、次のような文章は、悔しいけれど僕には絶対に書けない。
「朝早く、目が覚めるとすぐに、ルイを連れて外に出る。朝食のあとにまた出る。昼も何度となく出る。そして夕方、また長い散歩に出る。寝る前にもまた出る。
うちの前に道がある。それを渡ると土手になる。のぼる。ルイは草の中を泳ぐようにしてのぼっていく。上に出ると、坪井川の遊水池が見渡せる。いちめんに草が繁っている。小道がぐるりと遊水池を囲んでいる。両脇からセイバンモロコシやクズが覆いかぶさってくる通である」
この性急なリズムとテンポは、彼女独特のものだ。詩人として、日本語を知り尽くしているからこその、自由度に他なるまい。
■『犬心』の内容にも触れないとね。
表紙の装丁がいいんだ。MAYA MAXXさん(見た目、豊崎由美さんとそっくり!)の「犬の絵」は、いま犬を飼っている人が見たら絶対に手に取る本。完璧な仕上がり。MAYA MAXX さんは、イヌとかラッコとか、福音館の絵本でも描いているけれど、ほんと可愛い!
老犬でも、人間の自分の親でも、介護の世界では誰も言わないけれど、日々繰り返し介護者を悩ませている問題が「垂れ流されるウンコ」の厄介さ加減だ。特に、下痢して所構わず排泄された時。フローリングの床なら問題ない。朝起きて来て、リビングに置いてある布製の輸入物のソファーの上に愛犬の下痢便を発見した時のショックは、僕もつい先達て経験したばかりだから、泣くに泣けない。
わが家に犬がやって来て、もうすぐ1年8ヶ月になる。シーズーの毋と、トイプードルの父親との間に生まれたミックス犬で、4月末が来れば満2歳になるオス犬だ。彼は「群れ」の順位をどのように理解しているのか? よく分かるよ。
リーダー=妻。2位=長男、3位=イヌ、4位=ぼく、5位=次男
ま、そんな感じだ。イヌのしっぽの振り方で判るな。
■ぼくは毎朝6時半に起きて、イヌを散歩に連れて行く。水曜日や今日のような休みの日には、夕方も散歩に出る。餌もやる。でも、「彼」の順位では、そんなものか。何故だろう?
ずっと疑問に思ってきた。理不尽じゃないかと。で、『犬心』を読んで判ったのだ。犬と飼い主の「性差」のこと。
伊藤比呂美さんがカリフォルニアで飼っている、ジャーマン・シェパードの「タケ」は雌犬だ。だから、タケは「人間のオス」に何故か惚れてしまう。「いい男」に対して、飼い主の伊藤比呂美が嫉妬するくらいデレデレとなる。訓練とか、全く関係ない。なるほどね! そういうことか。
わが家の犬は、「おかあさん」に群がるオスが自分を含めて4人いる、俺はその中でナンバー2だと認識しているのだろうな。日々の日常を観察していて、少なくとも、妻の寵愛を一番受けているのは「おとうさんじゃなくて俺だ!」そう確信しているのだろうなあ。間違いなく。
■それから、「虹の橋」のこと。
これは以前に書いた。でも、伊藤比呂美さんが『今日』(福音館書店)を出した時にはまだ、自分の犬は元気だった。それが『犬心』のラストで、再び登場してくる。今度はその当事者自身として。
これは泣けたなあ。
■あと、殺処分や安楽死の問題。伊藤比呂美さんは、アメリカの隣人や友人たちから「どうして犬を安楽死させないのか?」と何度も訊かれる。でも、彼女と彼女の娘たちは、その度に拒絶してきた。最後まで面倒をみる。それは、結構ドライなアメリカ人には理解できない日本人的心境だったのかもしれない。
いま読んでいる『犬は「しつけ」でバカになる』堀明(光文社新書)によると、2008年に全国の保健所で殺処分されたイヌの数は、82,464頭とのこと。しかし、アメリカでは年間300万〜400万頭のイヌが殺処分されているのだという。また、アメリカには「イヌを安楽死させてくれ」と飼い主が獣医師に依頼するという習慣が定着しているのだそうだ。
■さらには、伊藤比呂美さんが、アメリカと日本と遠く離れて暮らす実父母の介護を、思うようにできなかったことの悔いがどこかあって、その「代理」として老犬タケを介護することで、穴埋めしていたのかもしれない。
さて、わが家のイヌはあと何年生きることができるのであろうか?
母親の介護をぜんぜんやらなかったぼくは、少し反省して、愛犬の介護と看取りは、責任をもってちゃんと成し遂げたいと思っているのであった。
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