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2014年2月

2014年2月22日 (土)

エリック・ドルフィーを聴いている

■ときどき、無性に「ドルフィー」が聴きたくなるのだ。

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エリック・ドルフィー『ベルリン・コンサート』より1曲目「Hot House」を聴いている。やっぱり、ドルフィーはチャーリー・パーカーが大好きなんだろうなあ。だからこそ彼は、パーカーのソロと同じフレーズを絶対になぞらないように、周到に注意深く演奏している。まるでデレク・ベイリーみたいじゃないか!(2014/02/19)

このところずっと、エリック・ドルフィーについて考えているのだけれど、きっと彼の脳味噌はブラック・ボックスだったんだろうな。インプットとアウトプットの差が尋常でなくかけ離れている。彼の脳の高性能なアンプリファイアーの不思議を思う。(2014/02/19)

それにしても、あの有名な「おでこのコブ」をドルフィーはずっと気にしていて、手術で切除してしまっていたとは、ぜんぜん知らなかったぞ。

『エリック・ドルフィーの瘤』(菊地成孔「粋な夜電波」第55回より)

『続・ドルフィーの瘤』(菊地成孔「粋な夜電波」第59回より)

Dolphy bass clarinet
YouTube: Dolphy bass clarinet


『JAZZ 100の扉』村井康司(アステルパブリッシング)を買って読んでいるのだが、エリック・ドルフィー『アウト・トゥ・ランチ』の解説(79ページ)にこんなことが書いてあった。

「そして何より恐ろしいのは、彼の演奏が『何を言っているかはわからないが、そこには確固としたセオリーが確実に存在していて、音楽総体が発する意味は確実にこちらに伝わってくる』ということにあるのだ」(中略)

「しかしそこにドルフィーのアルトやバス・クラリネットのよじれたフレーズが乗ると、世界は『正確無比に狂った時計』のような様相を示し始めるのだ。」 なんてスルドイ分析なのだろう。


YouTube: Charles Mingus Sextet in Europe, 1964

ただ、ドルフィーに関する考察で、「あっ!」と思ったのは、何と言ってもSF作家・田中啓文氏の文章。

「エリック・ドルフィー(1)」(田中啓文 ビッグバンド漫談より)

「エリック・ドルフィー(2)」(田中啓文 ビッグバンド漫談より)

「エリック・ドルフィー(3)」(田中啓文 ビッグバンド漫談より)

■それから、バリトン・サックス奏者で、フリージャズ関係に詳しい、吉田隆一氏の分析が、もっともっと聴きたいと思うのは、僕だけではあるまい。

 

2014年2月16日 (日)

渡辺貞夫カルテット 14' が、箕輪町にやって来た!

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■2月13日(木)の「渡辺貞夫カルテット'14」箕輪町文化センターホール。行ってよかったなあ。ナマで聴くのは、実は初めてなのだ。

この2月1日で、81歳になったというのが信じられないくらいめちゃくちゃパワフルで、エモーショナルなアルト・ソロにほんと感動した。「アーリー・スプリング」とか「マイ・フーリッシュ・ハート」とかのバラードや「ボサノバ」がこれまたしみじみ沁みたが、やっぱ、ナベサダは「サンバ」だ。燃えたぜ!

■ナベサダのライヴの残響が、まだずっと耳の奥に残っている。ほんと凄かったな。何なんだ!あの若々しさは。昔と変わらぬ、冴え渡るアドリブ・ソロ。

実物を見るまでは正直期待してなかった。もうヨレヨレで、出がらしの番茶みたいな演奏かもしれないと覚悟して行ったんだ。ほんと、ごめんなさい。感服いたしました。

しかも、めずらしく風邪をひいてしまったと、オープニングの2曲が終わったあとでの挨拶で、調子悪そうに「かすれた声」でボソボソと語り出した時には、不安は的中かと思ってしまったのだった。

さらに、信州の田舎町の公民館でのコンサートでしょ。300人以上集まった聴衆を眺めると、みな50歳~60歳代の老男女ばかり(若者は見かけなかったな)僕を含めて聴衆の多くは、1970年代末の20代に熱中して何度も聴いた『マイ・ディア・ライフ』とか『カリフォルニア・シャワー』『モーニング・アイランド』などのヒット曲を演奏してくれると思ってた。ところが、

続き)ナベサダは、そういう「聴衆に媚びる」もしくは、田舎の観客を適当にあしらう(お笑い芸人をみていると、地方の営業ではあからさまにそういう雰囲気がある)ミュージシャンではなかった。常にアグレッシブに「今のジャズ」を全力疾走で追求する姿勢を貫いたのだ。だから、当日彼が演奏した曲目で僕が知っている曲はほとんどなかったのだ。アンコールまで含めてもね。潔いぞ!

■上記の文章は、ツイッターで書いたものを再編集したものです。

それにしても、ツイッターで検索してみたら、箕輪町でのナベサダのコンサートをツイートしているのは僕だけだった。300人以上の人が会場にいたはずなのに、おじさん、おばさんたちは、誰もツイッターをやってないのか!? これはちょっとショックだったな。


2014年2月 9日 (日)

『犬心(いぬごころ)』伊藤比呂美(文藝春秋)読了

【2月2日

伊藤比呂美著『犬心』(文藝春秋)を読んでいる。14歳の老犬介護の話だ。『良いおっぱい・悪いおっぱい』『伊藤ふきげん製作所』に登場した娘さんたちも出てくる。椎名誠さんが『岳物語』を書き継いでいるのと同じで、しみじみと家族の在り方を感じる。http://pet.benesse.ne.jp/antiaging/shibainu_vol7.html?p=1 …

続き)伊藤比呂美『犬心』を読んでいて面白いのは、「犬あるある」だ。犬種は違っても、その習性はほとんど同じなんだな。犬はくさい「すかしっ屁」をすることも確認できた。わが家の犬も「おなら」をする。人のオナラも好きだ。僕や息子がブッとすると、すぐさま寄ってきて股間に鼻をすりつけ盛んにクンクンする。

■伊藤比呂美さんの本を初めて読んだのは、『良いおっぱい、悪いおっぱい』だった。冬樹社から出たのが 1985年11月とあるから、小児科医になって数年してからのことか。彼女の「この本」を読んで、小児科医としてずいぶんと勉強させていただいた。「母親」という未知なる生態を、具体的に直感的に刹那的に、自筆のイラストまで添えてあらわに文章にしてくれていたからだ。ほんと、ありがたかったな。

その後も『おなか、ほっぺ、おしり』『伊藤ふきげん製作所』を読み継いできたが、それきりだった。彼女の本業である「詩」も、結局は一つも読まずじまい。

■少し前、詩人の小池昌代さんが編纂した『やさしい現代詩』(三省堂)を読んだ。17人の現存する詩人が自作を朗読したCDが付いていた。これが思いのほか良かったのだ。ねじめ正一「かあさんになったあーちゃん」を自分も真似して読んでみたくて、何度も聴いた。iPod にも入れて、今でも聴いている。今日もジムで走りながら聴いた。吉田文憲『祈り』、林 浩平『光の揺れる庭で』の2篇。シャッフルされているから、どの詩が聴けるかは分からない。

伊藤比呂美も自作を朗読している。『ナシテ、モーネン』という不思議なタイトルの詩。ラフカディオ・ハーンの妻が、彼が発した言葉を帳面に書き留めた文字。

伊藤比呂美「午後のリサイタル」 2 青森県近代文学館
YouTube: 伊藤比呂美「午後のリサイタル」 2 青森県近代文学館

CDで聴くと、もっとずっといいのだが。

『犬心』を読んでいて感じたことは、あ、「ナシテ、モーネン」で聴いた彼女の声とテンポと息継ぎのタイミングが、そのまま文章化されているエッセイなんだ、ということ。以下は、ツイッターに書いたもの。

一見淡々とした記述が続くだけのこの本は、何故だか読んでいてとても心地よい。伊藤比呂美さんの文章のリズムとテンポが、不思議と気持ちいいのだ。決して流れるような文章ではない。突然の句読点でいきなし断絶されたりするし、せっかちで性急なんだ。少なくとも、僕の文章のリズムとは異なる。

でも、次のような文章は、悔しいけれど僕には絶対に書けない。

「朝早く、目が覚めるとすぐに、ルイを連れて外に出る。朝食のあとにまた出る。昼も何度となく出る。そして夕方、また長い散歩に出る。寝る前にもまた出る。

うちの前に道がある。それを渡ると土手になる。のぼる。ルイは草の中を泳ぐようにしてのぼっていく。上に出ると、坪井川の遊水池が見渡せる。いちめんに草が繁っている。小道がぐるりと遊水池を囲んでいる。両脇からセイバンモロコシやクズが覆いかぶさってくる通である」

この性急なリズムとテンポは、彼女独特のものだ。詩人として、日本語を知り尽くしているからこその、自由度に他なるまい。

■『犬心』の内容にも触れないとね。

表紙の装丁がいいんだ。MAYA MAXXさん(見た目、豊崎由美さんとそっくり!)の「犬の絵」は、いま犬を飼っている人が見たら絶対に手に取る本。完璧な仕上がり。MAYA MAXX さんは、イヌとかラッコとか、福音館の絵本でも描いているけれど、ほんと可愛い!

老犬でも、人間の自分の親でも、介護の世界では誰も言わないけれど、日々繰り返し介護者を悩ませている問題が「垂れ流されるウンコ」の厄介さ加減だ。特に、下痢して所構わず排泄された時。フローリングの床なら問題ない。朝起きて来て、リビングに置いてある布製の輸入物のソファーの上に愛犬の下痢便を発見した時のショックは、僕もつい先達て経験したばかりだから、泣くに泣けない。

わが家に犬がやって来て、もうすぐ1年8ヶ月になる。シーズーの毋と、トイプードルの父親との間に生まれたミックス犬で、4月末が来れば満2歳になるオス犬だ。彼は「群れ」の順位をどのように理解しているのか? よく分かるよ。

リーダー=妻。2位=長男、3位=イヌ、4位=ぼく、5位=次男

ま、そんな感じだ。イヌのしっぽの振り方で判るな。

■ぼくは毎朝6時半に起きて、イヌを散歩に連れて行く。水曜日や今日のような休みの日には、夕方も散歩に出る。餌もやる。でも、「彼」の順位では、そんなものか。何故だろう?

ずっと疑問に思ってきた。理不尽じゃないかと。で、『犬心』を読んで判ったのだ。犬と飼い主の「性差」のこと。

伊藤比呂美さんがカリフォルニアで飼っている、ジャーマン・シェパードの「タケ」は雌犬だ。だから、タケは「人間のオス」に何故か惚れてしまう。「いい男」に対して、飼い主の伊藤比呂美が嫉妬するくらいデレデレとなる。訓練とか、全く関係ない。なるほどね! そういうことか。

わが家の犬は、「おかあさん」に群がるオスが自分を含めて4人いる、俺はその中でナンバー2だと認識しているのだろうな。日々の日常を観察していて、少なくとも、妻の寵愛を一番受けているのは「おとうさんじゃなくて俺だ!」そう確信しているのだろうなあ。間違いなく。

■それから、「虹の橋」のこと。

これは以前に書いた。でも、伊藤比呂美さんが『今日』(福音館書店)を出した時にはまだ、自分の犬は元気だった。それが『犬心』のラストで、再び登場してくる。今度はその当事者自身として。

これは泣けたなあ。

■あと、殺処分や安楽死の問題。伊藤比呂美さんは、アメリカの隣人や友人たちから「どうして犬を安楽死させないのか?」と何度も訊かれる。でも、彼女と彼女の娘たちは、その度に拒絶してきた。最後まで面倒をみる。それは、結構ドライなアメリカ人には理解できない日本人的心境だったのかもしれない。

いま読んでいる『犬は「しつけ」でバカになる』堀明(光文社新書)によると、2008年に全国の保健所で殺処分されたイヌの数は、82,464頭とのこと。しかし、アメリカでは年間300万〜400万頭のイヌが殺処分されているのだという。また、アメリカには「イヌを安楽死させてくれ」と飼い主が獣医師に依頼するという習慣が定着しているのだそうだ。

■さらには、伊藤比呂美さんが、アメリカと日本と遠く離れて暮らす実父母の介護を、思うようにできなかったことの悔いがどこかあって、その「代理」として老犬タケを介護することで、穴埋めしていたのかもしれない。

さて、わが家のイヌはあと何年生きることができるのであろうか?

母親の介護をぜんぜんやらなかったぼくは、少し反省して、愛犬の介護と看取りは、責任をもってちゃんと成し遂げたいと思っているのであった。


去年よく聴いたCD(その2)+最近よく聴くCDなど

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■前回のつづきで、最近のツイートのまとめ。その音楽関係。

【1月31日】

『Mulligan Meets Monk』(Riverside) を初めて聴いた。持ってなかったんだ。これイイじゃん!マリガンとモンクって、水と油かと思ったら、なんか凄く馴染んでる。平安堂伊那店で見つけた直輸入盤の廉価盤で、+『5 By Monk 5』+『Alone In San Francisco』の3CD組で、なんと! 1280円。

ぼくが初めてセロニアス・モンクを聴いたのが『5 By Monk 5』B面だった。1977年夏のことだ。場所は茨城県土浦市にあった「183cm」ていうジャズ喫茶。結構憶えているもんだなぁ。それから半年もしないうちに潰れてしまった。

モンクのこのLPのことは、村上春樹氏が『ポートレート・イン・ジャズ』(新潮文庫)p158 で書いている。この文章を読んで、あ、なるほどなって思った。氏が何故キース・ジャレットが嫌いで大西順子が好きなのかが。ピアノは本来、打楽器なのだよ。そうでしょ。

【1月25日】

デレク・ベイリーの本、ほしいな。いま聴いているのは『AFRO BLUE  IMPRESSIONS / JOHN COLTRANE』のリマスター盤『マイ・フェイバリット・シングス ~ライヴ・イン・ヨーロッパ 1963』。LPもCDも持っているけど、大好きなんで買い直した。SHM-CD なんで、音がいい!

【1月24日】

SAKEROCK のベスト盤『SAKEROCK の季節』が届いた。DVD付きだ。アマゾンで買うと、その方が安いからね。1曲目「慰安旅行」が、とにかくめちゃくちゃ凄い! このテイクは初めて聴いたが、いやぁ驚いたな。最初からホンモノだったんだ。彼らの確かな音楽的センスとテクニック。

サケロックって、ハマケンのトロンボーンが谷啓みたいなのが第一印象だったのだが、こうして通して聴いてみると、星野源のギターの巧さに(マリンバはもちろん)驚くと共に、ドラムスの伊籐大地がバンドの要であったことが、しみじとよく分かる。

星野源は、ほんとギターが上手い。ジャズギターの要素にボサノバも加味されて、最終的にフォークになっているから複雑なんだけれど、けっこう難しいコード・チェンジがあって曲者なんだよ。

で、今回あらたに収録された楽曲「Emerald Music」(CD1 20曲目)が、ほんと素晴らしい! このマリンバの疾走感。実に気持ちいいぞ! これ、名曲だな。PVもいいじゃないか。

 

SAKEROCK / Emerald Music [Music Video & Best Album Trailer] サケロック / エメラルドミュージック

YouTube: SAKEROCK / Emerald Music [Music Video & Best Album Trailer] サケロック / エメラルドミュージック

 

2014年2月 2日 (日)

最近読んだ本、いま読んでいる本

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■ブログ更新用にずっと使ってきた「MacBook」が突如変調を来たし、アップロードできなくなってしまった。困った。ひじょうに困った。PRAM解除とか、やってみたがダメだ。

仕方なく、診察室で使っている「MacBook Pro」で更新できるように設定し直した。なんだか上手くいかなくて、その設定に10日以上を要してしまった。なので、このブログの更新が遅れてしまったという訳です。ごめんなさい。

■ツイッター上では発言を続けてきたので、Twitter 読書感想文関係を、まとめてアップしておきます。

【2月2日

伊藤比呂美著『犬心』(文藝春秋)を読んでいる。14歳の老犬介護の話だ。『良いおっぱい・悪いおっぱい』『伊藤ふきげん製作所』に登場した娘さんたちも出てくる。椎名誠さんが『岳物語』を書き継いでいるのと同じで、しみじみと家族の在り方を感じる。http://pet.benesse.ne.jp/antiaging/shibainu_vol7.html?p=1 …

続き)伊藤比呂美『犬心』を読んでいて面白いのは、「犬あるある」だ。犬種は違っても、その習性はほとんど同じなんだな。犬はくさい「すかしっ屁」をすることも確認できた。わが家の犬も「おなら」をする。人のオナラも好きだ。僕や息子がブッとすると、すぐさま寄ってきて股間に鼻をすりつけ盛んにクンクンする。

    『皆勤の徒』

【1月27日

『皆勤の徒』酉島伝法(東京創元社)を読んでいる。いま、102ページ。もしかして「この本」大傑作かもしれない。最初の「皆勤の徒」は一度読んで、ほとんどお手上げ状態だったのだが、次の『洞の街』は比較的「視覚イメージ」が可能な話だ。ほとんど解読不能な奇妙奇天烈な漢字の羅列にも慣れたしね。

SFで最も大切なことは、その小説の根本となる世界観を、如何に読者の脳味噌にリアルなイメージを持って再現できるかにかかっていると思うのだが、『皆勤の徒』は確かに成功していると思う。ねちょねちょ、ぬめぬめの世界観。椎名誠『武装島田倉庫』を数百倍も凌駕した驚異の世界観を!

 

■日本ではアメリカと違って、トム・クルーズみたいな「難読症:ディスレクシア」は少ない。何故なら、英語だとアルファベットという記号の羅列でしかないワケだが、日本語は「漢字」をメインに構成されている。漢字は、その佇まいそのもので絵的イメージを醸し出す。つまり読者は「その漢字の字面」を見ただけで「その意味するところ」を瞬時に視覚的にイメージできるのだ。

『皆勤の徒』を読んでいて感じたことは「そのこと」だ。やたらと難しい漢字をわざと使っている。でもそれには深い意味があったのだ。その漢字を「当て」なければならないという作者の意志が。しかも、その裏の意味(「遮断胞人・媒収・外廻り・社長」など、ほとんどオヤジギャグの言葉遊びに過ぎないのだけれど)もあって、笑えるのだ。

【1月29日

『皆勤の徒』酉島伝法(東京創元社)より「泥海の浮き城」を読む。マット・スカダーみたいな私立探偵が主人公のハードボイルド小説でたまげた。しかも檀蜜みたいな「いい女」が登場する。昆虫なのに、妙にエロチックなんだ。外観は三角頭のカマキリみたいなんだけれどね。

【2月1日

『皆勤の徒』酉島伝法(東京創元社)より、「百々似隊商」を読む。面白い! 村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』みたいな構成だ。十代の少女「宇毬」のパートは、樋口明雄『弾頭』みたいな、大陸冒険歴史活劇で、久内のパートは北野勇作『きつねのつき』『かめくん』の世界観。

続き)でも、大森望さんの解説を読んで初めて「あ、そういう話だったのか!」て判った。いや、疑問点は尽きないぞ。土師部が神社から持ち出した黒い器に入った「神器」って何? それが「洞の街」最下層にある神社のご神体になったワケ? 土師部は再生知性のサイボーグなのか?「洞の街」で生まれた惑星の嬰児は、禦の円盤に収納されて地球に行ったの? わからん。

    『演劇最強論』

【1月22日

徳永京子「宮沢(章夫)さんと平田(オリザ)さんと岩松(了)さんは『静かな演劇』をスタートさせた三人ということで、当時から一括りにされがちでしたが、客席にいた者の実感から言うと、まさに語り口も、向いている方向も異なっている印象でした。」(『演劇最強論』p287 より)

続き)徳永「当時、私が思ったのは、ドーナツの真ん中の空洞を説明しているのが宮沢さん、ドーナツそのものを扱っているのが平田さん、ドーナツの外側を描いているのが岩松さんだと。」宮沢「それ、すごくいいたとえだね。分かったような気がするもの、まったく分からないけど(笑)。」『演劇最強論』

続き)ドーナツのはなしが好きなのは、SF作家の北野勇作さんと、村上春樹氏だけだと思ってたのだが、この「ドーナツ理論」いろんなものに応用できそうだぞ。

【1月23日

昨日から「ドーナツの穴」のことを、ずっと考えているのだ。オリジナルは、どうやら村上春樹『羊をめぐる冒険』に出てくるらしい。ただ僕が知ってるのは、村上氏が初めて「その穴」に言及したのが、スタン・ゲッツの『スヌーピーのゲッツ』だ。http://scherzo111.blog122.fc2.com/blog-entry-60.html …

【1月23日

『演劇最強論・反服とパッチワークの漂流者たち』徳永京子、藤原ちから・共著(飛鳥新社)を読んでいるのだが、この本は面白いなぁ。特に、演出家へのインタビュー記事が充実している。あと「Backyard」に載っている、演劇人40人への「好きな本、映画、音楽」というアンケート記事。

続き)彼らの「好きな映画」6選とか読むと、僕より20~30年以上後に生まれた彼らが、僕が好きだった映画と同じ映画を挙げていることに驚く。あと、松尾スズキ氏がヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を挙げていることの意味と、宮沢章夫氏が、大島渚『儀式』を挙げている意味を、ちょっと考えている。

    『殺人犯はそこにいる』

【1月20日

で、今日は『殺人犯はそこにいる』清水潔(新潮社)を読んでいる。昨日から読み始めて、もう2/3を読んだ。これまたメチャクチャ面白いし、しかも怖い。間違いなくキング以上だ。だって、ノンフィクションなのだから。この衝撃度は、あの『ヤノマミ』と同等。いや、それ以上か。凄いぞ!今すぐ読め!

続き)「無罪」と「無実」はぜんぜん違うということを、僕は知っている。『リーガル・ハイ』を2シーズン見てきたからね。DNA型判定という、まるで水戸黄門の紋所みたいなモノにまんまと騙されてしまったのか。刑事小説につきものの、地道な捜査によってでしか得られない貴重な証拠を捨ててまで。

【1月21日

『殺人犯はそこにいる』清水潔(新潮社)読了。凄い本を読んでしまった。読書という単なる経験ではない、たぶん初めて味わう異様な体験だった。著者のどうにもやるせない思い、憤りが、びしびしと僕の胸に突き刺さってくる。悔しい。本当に悔しい。真犯人は野放しのまま、のうのうと今日も生きている日本という国に対して。

続き)ひとつだけ、よく判らないのは、アマゾンのカスタマーレビューで、一人だけ星一つの評を書いている「名無し」さん。「飯塚事件の記述があまりにひどい」と書くその根拠を読むと、捜査関係者なのか? でも、本書を正しく読めば、著者が「飯塚事件」を決して冤罪であると決めつけていない事は判る

続き)ぼくは、ネットで知った『殺人犯はそこにいる』を是非読みたいと思い、伊那の平安堂へ行った。でも、一冊も置いてなかった。売れてしまったのか。そう思った。で、先日長野へ行った際、帰りに平安堂本店に寄って購入した。本店では平積みされた本書が数十冊はあった。平安堂伊那店よ!ダメじゃん。

・キング『11/22/63』

【12月24日

スティーヴン・キング『11/22/63上』(文藝春秋)を読み始めて1週間以上経つのに、まだ86ページ。いや、つまらないんじゃないんだ。忙し過ぎて本を読んでる時間がないのだ。キモはやはりオズワルドだな。主人公のJFKの知識が、オリバー・ストーンから仕入れたのが全てなんで、同じじゃん

【1月3日

キング『11/22/63(上)』302ページまで読んだ。よくできた話だ。うまいなあ、キングは。ただ、1958年にカーラジオから流れる曲が分からない。雰囲気だけ味わいたくて『James Taylor / COVERS』を出してきて聴いているところ。

【1月4日

スティーヴン・キング『11/22/63』に登場する、イエロー・カード・マン。小林信彦『唐獅子株式会社』のブルドッグみたいじゃん! て、思ったのは僕だけだはあるまい。たぶん、小林信彦氏も「マネしたな、キング」って思ったに違いない。

【1月14日

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』を読んで、堺雅人主演の映画も見たから、どうしてもオズワルドには悪意を感じられなかったのだが、キング『11/22/63』下巻 142ページまで読んできたが、なんて嫌な奴なんだ! リー・オズワルド。

【1月15日

キング『11/22/63』下巻。277ページまで読了。一刻も早く先を読み進みたい気持ちと、残りページが少なくなってゆく淋しさのせめぎ合いに悩む。僕は主人公といっしょになって、1958年9月から1963年8月まで生きてきたからだ。

【1月20日

昨日、スティーヴン・キング『11/22/63(下)』を読了した。ラストで泣いた。そう来たか。ほんとキングは凄いぞ。結局読み終わるのに1ヵ月もかかったのだが、著者は2009年1月2日に書き始めて2010年12月18日に書き終わっている。まる2年近くかけているんだね。

続き)2段組で上下巻合計で1000ページ以上。でも、苦もなく読めた。ものすごく面白かった。これなら、同じくらいの文字数で、しかもハード・カバーの『ザ・スタンド』上下巻。実は買ったまま未読だったのだが、そのままの勢いで読み通せるんじゃないか?

続き)おんなじ時間を何度も繰り返し生き直す話は『リプレイ』ケン・グリムウッド(新潮文庫)があった。どんな話だったかすっかり忘れてしまったが、確か面白かった。タイムトラベル小説といえば思い出すのは、広瀬正『マイナス・ゼロ』と、フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』が印象的か。

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