« 2013年9月 | メイン | 2013年11月 »

2013年10月

2013年10月27日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その101)箕輪町おごち保育園

■今日の日曜日は、上伊那郡箕輪町「おごち保育園」で『パパズ絵本ライヴ』。

 

ところが、音楽監督でギター伴奏&MC担当の倉科パパが都合で欠席なのだ。宮脇パパも仕事で不在。ということは、伊東・北原・坂本の3人だけで頑張らねばならないのだった。

今までも「3人のみ」で乗り切ったことは何度もあった。でも、この3人の組み合わせは初めてなのだ。

 

■ギター伴奏:北原。 MC担当:伊東

1310271

 

    <本日のメニュー>

 

 1)『はじめまして』新沢たつひこ(ひさかたチャイルド)

 2)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社) →伊東

 3)『うんこしりとり』tupera tupera (白泉社)→北原

 

伊東パパが「お寿司、好きな人?」って訊いたら、みんな「はーい!」って手を挙げたので、ぼくは自信をもって「うんこ好きな人?」って訊いたら、ドン引きだった。

しかも、歌い出しのピッチを間違えて、音程が高くなってしまい、高音が出なかった。やれやれ。

ただ、こどもたちも、お父さんおかあさん方も、このかつてない絵本は衝撃的だったようだ。「え〜ぇ! ありえない」って場内は騒然となった。しめしめ。歌がイマイチ上手くいかなかったので「グーグルで『うんこしりとり』って入れると、YouTube でホンモノの歌が聴けますよ!」って教えてあげた。

 

tupera tupera「うんこしりとり」のうた
YouTube: tupera tupera「うんこしりとり」のうた

 

 

 4)『はいチーズ』長谷川義史(絵本館)

 

1310272_2



 5)『かごからとびだした』(アリス館)

 6)『くだものだもの』よしだかつ(福音館書店) →伊東

 7)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東

   こどもたちに大受け! いい写真が撮れたよ。(写真をクリックすると大きくなります)

 

1310273

 

 8)『ぺんぎんたいそう』齋藤槙さく(こどものとも 0.1.2. 福音館書店)→北原(これは歌わず)

 9)『パパのしごとはわるものです』坂橋雅弘さく(岩崎書店) →坂本

 10)『ふうせん』(アリス館)

 11)『世界じゅうのこどもたちが』

 

■やっぱり、倉科さんがいないと「伊那のパパズ」は成り立たない。

それでも、伊東・北原・坂本でベストを出し切っての「おごち保育園」であった。

特に、MC伊東の活躍が大きかった。臨機応変自由自在。流石だ。 

 

そうとはいえ、ギターの練習不足は如実だったな。Fとか普段から押さえていないと、急にはちゃんと鳴らないんだ、ギターが。伴奏者としては今日はダメダメ。反省だな。

 

2013年10月24日 (木)

ユリイカ11月臨時増刊号『総特集 小津安二郎 生誕110年/没後50年』

131024

 

■『ユリイカ 総特集:小津安二郎』が面白い。1800円税別は確かに高いが、買って後悔はない。もう語ることなどないのかと思われていた小津だが、いやいやまだ新たな切り口はあるのだな。斉藤環の子供論、宮本明子のおじさん論、四方田犬彦の反小津論。それにやはり吉田喜重が何よりも読ませる。(昨日のツイートから)

 

■まず読んで面白いのは、何と言っても「梱包と野放し」と題された、蓮實重彦 × 青山真治 対談なのだが、蓮實氏が期待どおりの暴走と過激な発言を連発することで、昔からのファンが溜飲を下げるといった内輪受け狙いの内容に過ぎなかった。「デンマークの白熊」のことを知らなかった田中眞澄氏の挙げ足取りをして、嬉々として勝ち誇る蓮實氏の老化ぶりに、僕は正直落胆した。

 

蓮實:(前略)妙な理解はやめよう。とにかく小津を梱包しないこと、野放しにしなければいけないのです。その野放し状態の小津と、どう向き合えばよいのか。ヘルムート・ファルバーにはちゃんと向かい合い方を心得ていたのです。「変」なものを「変」だと指摘したまま、いわば放置しているからです。(p82)

 

そんなこと今さら言われたってねぇ、雑誌『リュミエール』や『監督小津安二郎』を読んで多大な影響を受けてしまったかつてのフォローワーは、困ってしまうではないですか。

 

ただ、『蓼科日記』に言及した部分で、小津が画用紙を切って作った「カード」を並べ替えながら、映画のシーンを組み建てていった事実に興味を持った。あれ? 似たような話を最近読んだばかりだぞ。そう思ったのだ。

思い出した。『演劇 vs. 映画』想田和弘(岩波書店)だ。ドキュメンタリー映画作家である想田和弘氏の映画編集の方法が「まさにそれ」だったのだ。面白いなあ。

 

■「総特集 小津安二郎」と掲げるからには、蓮實氏と対極にあった田中眞澄氏の業績にも触れなければなるまい。で、それはちゃんと載っていた。244ページだ。偉いぞ。

  「反語的振舞としての『小津安二郎全発言』」 浅利浩之

これは読み応えがあったな。

2013年10月22日 (火)

アキ・カウリスマキ と 小津安二郎の「赤いヤカン」(つづき)

■実を言うと、フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの作品を、ぼくは今まで1本も観たことがなかったのだ。

『浮雲』とか『マッチ工場の少女』とか『過去をなくした男』とか、その作品名だけは知っていた。それに、彼の映画はまるで「OZU」の映画みたいだっていう噂も。しかし、彼の映画は伊那では見ることができなかった。TSUTAYAにもなかった。見れば好きになるに違いないということは判っていたんだ。ぼくの大好きなホオ・シャオシェン(侯孝賢)の映画『恋恋風塵』や『往年童子』みたいに。

 

映画『ル・アーヴルの靴みがき』のファースト・シーン。駅の構内か? 主人公の靴みがきと、ベトナム難民だった同僚が並んで同じ方向を見ている。あっ! 小津だ。そう思った。で、一気にこの映画に引き込まれていった。

 

1310241

Images

 

Images1

それから、画面のどこかに、必ず「朱色(赤色)」のものが存在している。

花瓶、ソファー、妻の洋服。それに、黒人の少年が着るウインドブレイカー。

1310243_2

1310242

 

それが決して突出した不自然さにはならずに、スクリーンがごく自然に「ぽっ」と暖かく灯るのだ。この監督は明らかに「朱色」にこだわっている。小津安二郎が初めてカラーで撮った映画『彼岸花』の時みたいに。

そしたら、アキ・カウリスマキ監督がヘルシンキの街で探して見つけた「赤いポット」を持参して応じたインタビュー画像があったのだ。それがこれ。

 

Aki Kaurismaki on Ozu
YouTube: Aki Kaurismaki on Ozu

映像には、たしかに『彼岸花』の画面に不自然に置かれた「赤いヤカン」が映っている。

 

■で、先日買ってきた『ユリイカ 11月臨時増刊号:総特集 小津安二郎』を読んでたら、p228 にこんな記載があってビックリした。

 

外は劫火で、小さな空間に隠れているイメージは、そのまま道成寺につながるが、最初はセリフ、あとはラジオという音声だけの世界。これを具体的な形にすると、小津監督がデンマークで買ったという「赤いヤカン」になる、(「2013年初夏」山本一郎 『ユリイカ 総特集 小津安二郎』p228)

 

あの「赤いヤカン」は、日本製じゃなくて、北欧デザインだったんだ!

フィンランドのアキ・カウリスマキ監督は、身近な日用品が数千キロも離れた極東の地で50年も昔の映画の中で映っていることに驚いて魅せられてしまったんじゃないか?

 ほんと、面白いなあ。

 

■フィンランドという国は、ヨーロッパの国でありながら不思議と東洋的な雰囲気が漂う。東から「フン族」が攻めてきて出来た国だからね。だから妙に親近感がわくのだ。

フィンランドのヘルシンキでオールロケされた日本映画『かもめ食堂』に、なんの違和感も感じなかったのは、実はそういうことだったのかもしれない。実際、あの映画で主演した小林聡美を、すごく老けさせて、髪の毛を金髪に染めたなら、主人公が通うカフェ(酒場)のマダムそのままじゃないか!

 

『ル・アーヴルの靴みがき』の登場人物たちはみな、寡黙だ。

でも、みな無表情なのにすごく個性的な「実にいい顔」をしている。そこが見ていて堪らなく愛しい。

先ほどの酒場の女主人。主人公の妻が不治の病(たぶん末期癌)で入院した病院の医者。内田裕也もマッ青の年老いたロックンローラーじじい。それから、ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするアフリカの少年の澄んだ目。あと、独特の存在感を示す異国出身の妻。そして従順な飼い犬。

おっと、ル・アーブル警察署の警視も、実に良い味だしていたなぁ。

結局この映画は『あまちゃん』と同じで、悪人が一人も登場しないのだ。いや? 一人だけいたか。密告するオールバックのオヤジ。

 

とにかく、犬がいい。名演じゃないか?

訊いたら、監督の飼い犬とのこと。驚いたな。

 

で、伊那の TSUTAYA で探したら、アキ・カウリスマキ監督の映画が「もう一本」だけあった。

『過去をなくした男』だ。

 

早速借りてきて、先日の日曜日に見たのだが、いやはや、これまた傑作だった。

面白かったなぁ。

 

主人公は、まるでがたいのよい蟹江敬三(『あまちゃん』のじっちゃ)じゃないか。(つづく)



 

 

 

 

 

2013年10月20日 (日)

アキ・カウリスマキ と 小津安二郎『青春放課後』

■先日の「蓼科高原映画祭」で、NHKアナウンサーの渡辺俊雄さんが言ってたのだが、NHKの過去に放送された番組を保存する「アーカイブス・センター」が埼玉の川口市にあって、ただ、1960年代前半に制作された番組の多くは保存されていないのだという。当時ビデオテープはものすごく高価だったから、ビデオのまま保存することは不可能だったのだ。

 

香川京子さんが出演した、NHK大河ドラマ第一作「花の生涯」(1963)も、その第1話だけが残っているのみ。しかも、フイルムに落としての保存。

だから、渡辺俊雄さんはダメもとで「アーカイブス・センター」に訊いてみたんですって。小津安二郎が死ぬ前の最後に脚本を執筆した、NHKドラマ『青春放課後』(1963)が保管されてないか? ってね。

 

そしたら何と! 奇蹟的にテープ(フィルム?)が残っていた。で、デジタル・リファインして今回約50年ぶりで放送となったのだそうです。(10月14日の午前9時〜10時半。BSプレミアムにて放送。)

 

いやぁ。見ましたよ。面白かった。ドラマの設定、台詞まわし、それに音楽が小津映画そのもの。

映像はね、ぜんぜん期待してなかった。でも、ニコニコ笑う宮口精二がタバコを吹かしながら動いているだけで感動してしまったぞ。あと、佐田啓二ね。いいなぁ。

ドラマは思いのほか大胆な展開で正直驚いた。設定は『秋日和』といっしょ。大学時代の死んだ親友の未亡人と一人娘を、おじさんたちがあれこれ心配するっていう話だ。

 

ただ、その娘役の小林千登勢が、えっ!? って言うくらいぶっ飛んでいる。

『彼岸花』の山本富士子とも『秋日和』の司葉子とも『秋刀魚の味』の岩下志麻ともぜんぜん違う。

婚期を逃した20代後半の独身女性とはいえ、バーのカウンターで佐田啓二と賭けダイスをして飲み比べ、酔っ払って六本木界隈へ誘惑し、しまいには佐田啓二の手を引っ張って、赤坂の旅館へと自ら率先してしけ込むのだ。NHKで「この設定」許されたのか?

さらに驚くのは、当時京都の芸子だった小林千登勢の母親と、北竜二も宮口精二も関係があった。ということは、小林千登勢の本当の父親は誰? っていう話なのだ。いいのか? こんな話。NHKで、1963年に放送して。ビックリだな。

 

 

■あの時、茅野市民館で観た、立川志らく「シネマ落語」。『素晴らしき哉、人生!』を、実は恥ずかしながら映画で見たことがなかった。だから、あわてて伊那の「TSUTAYA」へ走って借りてきたのだ。誕生日月だったので、50円だった。ついでに、たまたま目にとまったアキカウリスマキ監督作品『ル・アーヴルの靴みがき』も借りてきた。

 

『素晴らしき哉、人生!』は、かのフランク・キャプラ監督作品だったのか! 『スミス都へ行く』はDVDで持ってるぞ。

それにしても、この映画ではなかなかカットがかからない。思いの外「長回し」なのだ。だから、主演のジェイムス・スチュワートが、まるで「リーガルハイ」の「こみかど弁護士」みたいに、長いセリフを噛まずにまくし立てている。ここは見どころか。

後半で初めて姿を見せる「天使」が、全く天使っぽくない出で立ちで笑ってしまった。クリスマス・イヴの晩、絶望して自殺しようとする主人公に、彼は「主人公が存在しなかった世界」を見せる。ここからラストまでの畳みかけるような展開が実に素晴らしい。感動した。

全篇130分に及ぶ長い映画を、立川志らく師は映画のエッセンスをぎゅっと濃縮して見事な「シネマ落語」に仕上げていることを、実際の映画を見終わってから思い知らされた。志らく師、凄いな。

 

■で、続けて『ル・アーヴルの靴みがき』を見たのだが、これがまたよかった!

見終わってみれば、『素晴らしき哉 人生』と同じテイストの映画ではないか。

虐げられた、でも日々の暮らしを大切にしている貧民街の市居の人々が主な登場人物だ。あと、犬と。

Aki Kaurismaki on Ozu
YouTube: Aki Kaurismaki on Ozu

2013年10月 6日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その100)南箕輪小学校

今日は、南箕輪小学校PTA父親母親部会主催の「パパズ」。

台風一過、晴天の日曜日にもかかわらず、会場には100人を超える親子が集まってくれた。うれしいじゃぁないか。ほんと、ありがとうございました。

 

写真は、開演最初の絵本。『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

1310062

   <本日のメニュー>

1)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・みねおみつ(福音館書店)→伊東

2)『あかにんじゃ』穂村弘・作、木内達朗・絵(岩崎書店)→北原

3)『パパのしごとはわるものです』板橋雅弘・作、吉田尚令・絵(岩崎書店)→坂本

4)『かごからとびだした』(アリス館) →全員

5)『どうぶつぴったんことば』林木林・作、西村俊雄・絵(くもん出版)→宮脇

6)『とんぼとりの日々』長谷川集平 →倉科

7)『ふうせん』(アリス館)

8)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

 

1310061

 

■いつものように、無事つつがなく終了。よかったよかった。

ふと思ったのだが、われわれって、能年玲奈の『あまちゃん』といっしょだ。いつまで経っても進歩がない。10年前の始めた頃からぜんぜん変わらないのだ。

僕らは決して「プロ」にはなれない。いや、プロにはなりたくないのだ!

いつまでも「アマチュア」のままでいたいのだ。

 

そんなことを考えながら、控え室に戻ってくつろいでいると、

突然、「100回、おめでとう!」

と大きな声で、伊東パパの愛娘「琴音ちゃん」と奥さまが入ってきた。

 

「えっ!?」「なに??」

 

皆があっけにとられていると、

次々に「パパズ、100回、おめでとう!」

と言いながら、倉科さんの奥さん、宮脇さんの奥さん、それに僕の妻が入ってくる。

 

まったく予想だにしなかった「サプライズ」だった。

ほんと、たまげたなぁ。

妻たちの内助の功あっての、われわれの活動だったのだよなぁ。しみじみ。

 

活動を始めたころは、人が集まらないので自分らの妻子を「さくら」にして会場を盛り上げてもらったものだ。終わったあと、家に帰ってから「歌い方」や「絵本の読み方」に関していろいろと厳しいチェックが入ったりしたが。 ほんと、おかげだったよなぁ。

 

まだ子供らも小さかったから、遠征の際にはそれぞれ家族全員引き連れて泊まりで行ったことも2〜3度あったっけ。飯山市立図書館の時には、木島平スキー場近くのペンションにみんなで泊まった。ちょっとした合同の家族旅行だった。馬曲温泉に入って、きのこ狩りもした。楽しかったなあ。

 

あの頃、幼稚園児と小学1年生だった我が家の子供らが、今じゃ中学3年生と高校2年生だもんなぁ。10年ひとむかしとはよく言ったものだ。

 

ほんと、ありがとね! 感謝、感謝。

Photo

■それぞれの妻の手には、ラッピングされた「日本酒のボトル」があった。

祝・百回! の文字と、パパズ・メンバーの似顔絵が描かれた「オリジナル・ラベル」が貼られた、中川村「米澤酒造」製造の特別純米生酒「たま子」だったのだ。(米澤酒造は、倉科さん家の親戚なのだ)

 

オリジナル・ラベルのイラストは、宮脇さんの奥さま作。さすがに上手い。

 

ほんとうに、ビックリしました。

ありがとうね! 奥さまがた。

2013年10月 5日 (土)

蓼科高原映画祭、香川京子さん登場!

■ブラッシュアップされた『東京物語』は、確かに素晴らしかった。

 

麻織り生地をバックに「終」の字がでたスクリーンに向かって、客席からごく自然に拍手が起こった。そしたら、ステージに登場した「NHK衛星映画劇場支配人」渡辺俊雄さんが開口一番こう言ったのだ。

「今どき珍しいですねぇ、映画の終了時に拍手が聞かれるなんて。」

 

確かになあ。日本映画の黄金時代の1950年代くらい昔でなくても、そうだな、ぼくが大学生だった70年代後半でも、池袋文芸座での土曜日夜のオールナイトとか行くと、エンドロールで主演の高倉健の字が出たり、最後の、監督:寺山修司 とか、大島渚 とか出て画面が暗転する前に映画館場内に盛大な拍手が湧き上がったものだ。

 

それから渡辺俊雄さんは、突然TBSのドラマ『半沢直樹』の最終回の話をし始めた。ええっ? と思ったら、あ、そうか! そうだった。

「大和田常務がリビングの電気を消して一人テレビで『東京物語』を見ているシーンがありましたよね!」

あったあった。そうそう。香川照之が一心に画面を見つめていたっけ。

 

 

■一方、舞台上手から登場した香川京子さんは、たしか御年80うん歳を迎えたはずなのに、背筋がピンと伸び実にしゃんとしいて、ぜんぜん「おばあちゃん」ぽくないないのだ。そのスタイル、立ち姿は、先ほどスクリーンで見た「では、行って参ります」と小学校へ出勤する、二十歳そこそこの香川京子さんと、驚くべきくらい寸分と違わない。こういう人のことを、本当の「凛とした佇まい」っていうんだろうな。

 

『東京物語』の撮影に入る前に『ひめゆりの塔』を撮り終えたばかりの香川京子さんは、社会に積極的にコミットしてゆく決意でいたのに、小津安二郎監督は香川さんに向かってこう言ったのだという。

「俺は、世の中の流れには興味がないんだ」

彼女はすごく意外だったという。どうして監督はいまの社会問題を映画に取り上げようとしないのかと。

「でも、いまになって小津監督の言葉の意味が判るような気がします。流行り廃りに関係なく、時代を越えて民族も文化の違いも越えて、小津安二郎監督の『東京物語』は世界中の人々からいまも一番に愛されている。小津監督は、「家族とは?」という人間にとって普遍的なテーマをずっと描きたかったのですね、きっと。」

「それから、公開当時は、自分の役そのままの気持ちでこの映画を見たのですが、結婚して暫くすると今度は、杉村春子さんの立場が判るようになる。親はいても、やっぱり自分の生活が一番大切になってしまうのです。そして今は、笠智衆さんの気持ちですよね。不思議な感じです。」

 

「ほんとうはね、この映画に出させてもらえることになって何が一番うれしかったかというと、小津監督じゃなくて原節子さんと初めて共演できるからだったの。私は、原さんに憧れてこの世界に入ったんですから。狛江のご自宅にも呼んで頂いたことがあるんですけれど、実際の原さんはね、すごく気さくで明るい人なの。」

 

「溝口健二監督は、役者に全く演技指導をしない方で、何十回もただただテストを繰り返すんです。どこがいけないのかぜんぜん説明してくれない。『近松物語』の時には本当に困りました。人妻役なんて初めてだったし、着物の着こなしや京都弁。カメラの前でどう動いたらいいのか見当も付かない。

仕方ないので、共演した浪速千枝子さんに泣きついて、立ち振る舞いから歩き方、京都弁の指導と、みんな教えていただいたんです。溝口監督は、とにかくよく『反射してください!』って仰るんですね。当時はその意味がよく分からなかったのですが、要するに、相手の芝居を受けてのリアクションが大切なんだと。そういうことだったんですね。」

 

「成瀬巳喜男監督は、声が小さい方でしたね。原節子さんと共演させていただいた『驟雨』という作品が私も大好きなの。

渡辺「あれは、今で言う『成田離婚』みたいな話でしたね。それから、これは山田洋次監督にお訊きした話なんですけれど、晩年の黒澤明監督が自宅の居間で『東京物語』のビデオを何度も繰り返し見ていたんですって。ちょうど『まぁだだよ』を撮る前のことで、狭い室内でどう人間を動かしたらいいのか、小津の映画を見て研究していたということです。『まぁだだよ』には香川京子さんも出ていらっしゃいますよね。

 

香川「はい。確かに『まぁだだよ』は、ぜんぜん黒澤監督らしくない、まるで小津監督の映画みたいでしたね。黒澤監督は声の大きな方でしたが、細かい演技指導はされない監督でした。小津監督は、たぶん頭の中にスクリーン上に映る映像がすでに出来上がっていて、そのイメージ通りに役者をカメラの前に配置して、演技をさせていた。だから、役者が勝手にする余計な演技をすごく嫌ったのです。

小津組、溝口組、黒澤組、成瀬組。監督によって、現場の雰囲気はぜんぜん違いましたね。もうぜんぜん違う。」

 

■本当は、ボイスレコーダーを持ち込んで隠し撮りしたかったくらいだったのだが、さすがにそれはマズイので出来ず、いま1週間経って思い出しながら書いているので、香川京子さんが「あの時」話した内容を正確にトレースするものではありません。ぼくが勝手に構成したので、個人的な思い込み勘違いが多々あることをご容赦下さい。

 

映画『東京物語』に登場する役者さんたちの、そのほとんどが既に亡くなっている。

桜むつ子も高橋トヨも。それから、十朱久雄の妻役だった文学座の長岡輝子さんも3年前に亡くなった。子役の2人がどうしているか知らないが、確実に生きているのは、香川京子さんと原節子(90歳を越えているが)の二人だけなんじゃないか。

(おわり)

Powered by Six Apart

最近のトラックバック