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2012年12月

2012年12月31日 (月)

破滅型の天才白人ジャズマン、ビックス・バイダーベック

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『ジャズ・アネクドーツ』ビル・クロウ著、村上春樹・訳(新潮文庫)を読んでいる。ジャズマンのいろんな逸話を集めた小話集なのだが、前半は期待したほど、とんでもない「おバカ野郎」があまり登場せず、案外みんなマジメなんだなぁって、ちょと残念に思った。

そしたら、やっぱりいたんだ! 愛すべきおバカ野郎が。


彼の名は、ビックス・バイダーベック。


 ビックス・バイダーベックはコルネットを美しく生気溢れる音で演奏した。エディ・コンドンはそれを「イエス、と言っている娘みたいな」音だと表現している。ビックスはレコードにあわせて吹くことによってその楽器を習得した。そしてトーンとフレージングのまったく独自なコンセプトを発展させていった。

ほかのジャズ・ミュージシャンのほぼ全員がルイ・アームストロングの呪縛下にあったその時代にである。ビックスはシカゴに住んでいて、その当時アームストロングもまたシカゴで演奏していた。彼はルイの演奏を耳にして、心を引かれた。しかしそれにもかかわらず独自のスタイルで演奏を続け、多くの追従者たちを生み出した。(『ジャズ・アネクドーツ』p247 〜 p261)


■ビックスは、子供の頃から上の前歯が「差し歯」だった。でも、歯医者に行くのが嫌でずっとそのままだったから、成人してからしょっちゅう「差し歯」が抜け落ちた。咳をしたり、頭をさっと振ったりしただけで、すぽっと外れてしまうようになった。前歯がないとラッパは吹けない。


差し歯なしには彼はただの一音も吹けなかった。どこで仕事をしていても、バンドの連中が床にしゃがみこんでビックスの差し歯を探し回るというのは毎度の光景だった。

あるとき、シンシナティーで明け方の五時、雪の積もった道路を1922年型のエセックスで進んでいるときに、ビックスが「車を停めろ!」と叫んだ。ワイルド・ビル・デイヴィソンとカール・クローヴが一緒だった。まわりを見てももぐり酒場はない。「どうしたんだよ?」とデイヴィソンが訊いた。「歯をなくしちまった」ビックスが言った。

彼らは車を降りて、積もったばかりの雪の中をしらみつぶしに探した。ずいぶん長く探し回ったあとで、デイヴィンソンが雪の上の小さな穴を目にした。歯はその穴の中にみつかった。それは静かに道路に向かって沈んでいく途中だった。

ビックスはそれを口の中にはめ込み、みんなは「ホール・イン・ザ・ウォール」に向かった。彼らはそこでポークチョップ・サンドイッチとジンのために毎朝演奏をしていたのだ。ビックスがその歯を固定してしまわないのは、とくに驚くべきことではなかった。彼は歯医者になんか行くような人間ではなかったのだ。(中略)

バイダーベックの心を引きつけていたのは音楽とアルコールで、それ以外のことはほとんど眼中になかった。身なりにもまったく関心がなく、きちんとした服装を要求される仕事が入ったときには、しばしば問題が生じた。



ビックス・バイダーベックが活躍したのは、1920年代のこと。アメリカの禁酒法時代。いわゆる、華麗なるギャツビーの「ジャズ・エイジ」だ。
そんな時代だったのに、ビックスは酒好きで、しかもとんでもなく大酒飲みだった。

1929年。大恐慌がやって来る。ビックスがポール・ホワイトマン楽団の地方巡業で稼いで銀行に貯め込んだ貯金も、すべて水の泡となった。

あとは、破滅型ジャズマンおなじみの転落の道まっしぐら。アルコール中毒が進行し、まともにラッパも吹けなくなってしまって、ニューヨークの友人のアパートメントに転がり込んだバイダーベックは、弱り切った身体を肺炎にやられ、あっけなく死んだ。享年28。


■ビックス・バイダーベックのことは、村上春樹が『ポートレイト・イン・ジャズ』和田誠・村上春樹(新潮文庫)の中でこう書いている。
 
 ビックスの音楽の素晴らしさは、同時代性にある。もちろん音楽スタイルは古い。でも彼の紡ぎ出す、真にオリジナルなサウンドとフレージングは、古びることがない。その音楽がたたえる喜びや哀しみは見事にありありとしていて、こんこんと湧き出る泉のような潤いは、今ここにいる僕らの心の中に、躊躇なく、何のてらいもなく沁み込んでくる。それは懐古趣味とは無縁なものだ。
 
 ビックスの音楽を耳にした人がおそらく最初に感じるのは、「この音楽は誰にも媚びていない」ということだろう。コルネットの響きは奇妙なくらい自立的で、省察的でさえある。ビックスがじっと見つめているのは、楽譜でも聴衆でもなく、生の深淵の中にひそむ密やかな音楽の芯のようなものだ。そのような誠実さに、時代の違いはない。

 ビックスの偉大な才能を知るには、たった二曲を聴くだけで十分だ。

"Singin' the Blues" と "I'm Comin' Viginia" 。素敵な演奏はほかにもいっぱいある。しかし異能のサックス奏者フランキー・トランバウアーと組んだこの二曲を越える演奏は、どこにもない。それは死や税金や潮の満干と同じくらい明瞭で動かしがたい真実である。たった三分間の演奏の中に、宇宙がある。(『ポートレイト・イン・ジャズ』p78 〜 p83)



■『ジャズ・アネクドーツ』(新潮文庫)には、ビックスが酒を飲み過ぎた時の話、密造酒を取りに行って列車にひかれそうになった話、電車を乗り間違えて仕事に間に合わなくなった時の話、死期が近い頃の心温まる話、死後55年経ってからの話など、それはそれは面白い。


読むと彼のラッパの音がどうしても聴いてみたくなる。

でも、ぼくは今まで「この人」全くのノーチェックで、CDもレコードも持ってないし、ちゃんと聴いたこともなかった。いや恥ずかしい。

1920年代〜1930年代の古い演奏を集めた『ジャズ・クラッシックス・マスターピース』(Emarcy / CD4枚組)は持っていたので、もしかして収録されているのでは? と、出してきてみたら、あったあった、2枚目にフランキー・トランバウアーとの"Singin' the Blues" 、3枚目にホワイトマン楽団での "San"がそれ。

2012年12月30日 (日)

『物語論 17人の創作者が語る物語が紡がれていく過程』木村俊介(講談社現代新書)に載っていた「是枝裕和」インタビュー

■先だって、買ってきたまま「積ん読」だった『この本』が僕を呼んだのだ。たぶん、そうに違いない。廊下に積み上げられた本の山の底のあたりで、ちょっとだけ背表紙が飛び出して自己主張していたんだ。

ん? と「本の山」が崩れないように、そうっと抜き取って見たら、緑色の帯に「是枝裕和」の文字を発見。おぉっ!

著者の木村俊介氏は、あの名著、斉須政雄『調理場という戦場』を聞き書きした、新進気鋭の若手インタビュアー。彼が「週刊文春」「小説現代」「小説トリッパー」「週刊モーニング」のために取材した、現在注目される17人のクリエーターへのインタビューをまとめたものだ。

面白いのは、漫画家のパート(荒木飛呂彦、うえやまとち、弘兼憲史、かわぐちかいじ)と、作家のパート(村上春樹、橋本治、伊坂幸太郎、島田雅彦、桜庭一樹、重松清、平野啓一郎)なのだが、そんな中に、映画監督「是枝裕和」氏のパートが入っていたのだ。


<以下、勝手に抜粋>

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「映画にしなきゃ、というのはやめようと思いました」是枝裕和/映画監督
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 映画監督の是枝裕和氏(1962年生まれ)は、『幻の光』『ワンダフルライフ』『ディスタンス』『誰も知らない』などで、ドキュメンタリーのように映画を製作する手法を開拓してきた。取材日は 2008年の5月8日。初出は「週刊文春」(文藝春秋)2008年6月5日号だった。


 大学生時代に、有楽町にあった映像カルチャーホールで、NHKの演出家をしていた佐々木昭一郎さんの作品を『四季・ユートピアノ』『川の流れはバイオリンの音』などいくつか観たんです。

 登場人物が語る言葉のひとつひとつがまるで詩のように美しくて、作品全体もドラマにもドキュメンタリーにもジャンル分けできないような映像で、衝撃的でした。こんなにも説明的ではないものがテレビとして成立しているんだ、と当時の日本映画よりも圧倒的に憧れたんです。

 それでテレビマンユニオンというテレビ製作会社に入ったけれど、当時の1980年代後半のテレビの周辺というのは表現の衰退と荒廃を感じることばかりで、正直しんどかったですね。現実の仕事で関わだるを得ないテレビと、自分が理想とするテレビとのギャップがかなり大きく、もがいていました。(中略)


 でも、ディレクターの仕事をやるようになったら、おもしろくなってきました。ディレクターとしての初仕事は高級官僚の夫を亡くした奥さんに取材したものでした。番組を作って、のちにそれを本にまとめる過程で、野田正彰さんの『喪の途上にて』(岩波書店)を読んだのがとても大きかった。
飛行機事故の遺族がどう癒されたり癒されなかったりするのかについてが、精神科医として付き添う視点から書かれ、喪の途上でも人は創造的であり得るし、喪の途上の姿というのは美しいと書いてあった。

「残された奥さんに話を聞かせてもらった時に僕が感じていたのは、たぶんこういうことだったんだ」と思いました。最初の取材でそうして人の陰影に美しさを感じたことは、その後の僕に影響を与えてはいるのでしょう。


 僕はよく「死を描く」と言われるけれど、実際には残された人のことを描き続けているんじゃないかと思うんです。いい本に出会って、そんなことを考えていた時期に、『もう一つの教育』というドキュメンタリーのために長野県の伊那小学校で子どもを取材していました。

 三年間、仕事の合間に東京から通って子どもたちを撮影していたんですが、学校で牛を育てて種付けをして乳搾りをしようというところで母牛が死産してしまったんです。

 みんなでワンワン泣いて、葬式もして。でも、乳牛って死産でも乳が出るんですね。その時書いた子どもたちの詩や作文を読ませてもらうと「悲しいけれど乳しぼる」とか、「悲しいけれど、牛乳は美味しい」とか、悲しみを経験したあとの文章には、明らかに以前とちがう複雑な屈折がありました。


 結果的にですが、僕はそういう脱皮の過程と言うか、喪を媒介にして人間が輝く姿に引き寄せられたのだろうと思います。

 映画を撮るきっかけは「宮本輝さんの『幻の光』を映画化するという話がある。あなたが官僚の自殺を追ったドキュメンタリーに通じるものがあるから、監督をやってみないか」と誘ってもらったからですね。

 さいわい評価もいただけて、予想外のいい着地ができたのですが、反省点はいくつかありました。当時単館映画は 7000万円から 8000万円ぐらいで作らなければ資金を回収することはむずかしいのに、何もわからないまま製作費を一億円使ってしまいましたし。

 それから、演出面では『非情城市』などの映画を撮ったホウ・シャオシェン(候孝賢)監督から「構図を事前に決めているだろう。役者の芝居を見る前に、なぜどこから撮るか決められるんだ? ドキュメンタリー出身なんだからわかるだろう」と鋭く指摘されたのが決定的でした。

 自身がなかったので、事前の設計図をなぞるような形で撮影に臨んでしまったことにあとになって気が付きました。ですから、再び映画監督をやれるという機会をいただいた時には、まず「映画にしなくちゃと思うのはもうやめよう」「自分はテレビの人間なのだから、テレビディレクターとしておもしろいものを撮影しよう」と思いました。

『物語論』木村俊介(講談社現代文庫)p65〜68。

2012年12月26日 (水)

『クイック・ジャパン』vol.105(最新号)太田出版 より、是枝裕和インタビュー

■ゴールデンボンバー特集の『クイック・ジャパン』最新号に、是枝裕和監督初の連続テレビドラマ『ゴーイングマイホーム』に関するインタビュー記事が載っていると、ツイッターで知って、早速「いなっせ」1F「BOOKS ニシザワ」に行って立ち読みしてきた。いや、ももクロには興味があるけど、ゴールデンボンバーはね、ちょっと。だからごめん、立ち読みで済ませたんだ。(追記:でも正確を期すべく、結局もう一度行って買ってきたのだ)


◆『ゴーイング マイ ホーム』最終回直前 是枝裕和(監督・脚本)インタビュー <テレビを支配する「わかりやすさ」への回答>


面白かったのは、このドラマに関する批判として「テレビドラマに映画的手法を持ち込んだ勘違い」という、ほんとよくある切り口を、「うん、そう言ってる人は映画のこともテレビのこともよくわかっていないと思いますけど(笑)。」と、あっさり一蹴していることだ。爽快ですらある。

カンヌ映画祭で賞を取った日本の有名映画監督が、ちょっとテレビで「連続ドラマ」撮ってみたけれどみごと惨敗。的レベルでの批判は、ほんと底が浅い。

そういうことを言う人たちは、是枝さんのことをほとんど全くなんにも理解していないんだと思った。是枝さんは元々が「テレビの人」で、映画を撮るようになったのは後の話だ。

■なんて偉そうなこと言ったぼくも、実は『幻の光』も『歩いても歩いても』も『空気少女』も見ていないのだが。


【ポイント】は……


1)企画、脚本、演出、編集をすべて是枝監督一人でやったこと。


ふつう、テレビの連ドラは脚本家は一人だが、演出家は別に複数いて、例えば、NHK朝の連続テレビ小説の場合、週ごとに変わる。是枝監督は言う。

「今の連ドラってシステムとしては完全に確立されちゃってるじゃないですか。もちろん中には面白い作品もありますけど、『これが連ドラだよ』っていうものの捉え方が、作ってる側も観てる側も固まっていて、とても窮屈になってるように見える。

だから、こうやって脚本と演出を一人が兼ねて全話やるというかたちでも連ドラが成立するんだって思ってもらえたら。テレビの捉え方が広がるんじゃないかなって。それは、テレビドラマで育ってきた自分にとって、チャレンジし甲斐があることだと思ったんですよね。」


2)テレビの分かりやすさについての疑問


「そういうことはドラマに関わらず、テレビでドキュメンタリーを作っていた25年前から、ずっと言われ続けてきたことなんですよ。『どうせテレビなんてみんなちゃんと観てないんだから、集中して観てなくてもわかるように作らなきゃダメだ』とか『番組の中で同じことを三回言え』とか。局のプロデューサーの中には、本当に平気で『視聴者はバカだから』って言う人がいるから。


どうして自分の関わっているメディアなのに、そのお客さんを軽蔑しながら作るんだろうと、そこにはずっと違和感があった。


今回、なるべくセリフの主語や固有名詞を省いていて、『あれ』や『これ』で済ませているんです。日常生活では、『お砂糖取って』じゃなくて『それ取って』っていうでしょ。そういう演出がもし暴力的に映るとしたら、それはむしろ、もう一方の『わかりやすくわかりやすく』っていうテレビの暴力性こそむしろ浮き彫りにしているだけだと思います。」


「うん。だから、今回はそれを全部出そうと思った。テンポがゆったりしているとも言われるけど、全然そんなつもりはないんだよね。確かに表面だけ観ていたらストーリーは『ゆるい』かもしれないけれど、言葉にならない感情だったり表情だったりを画面からすくい取ろうとしている人にとって、この作品って相当な情報量が入ってる作品だと思うよ。


それをすくい取ろうとしている人にとっては一話があっという間に終わるし、そうじゃない人はテンポが遅く感じる。」


3)3.11. 以後のドラマ作りについて


「企画自体がスタートしたのは3年前なんですけど、明確にそういうテーマへと向かっていく話にしようと思ったのは、やっぱり震災があってからですね。放射能という『目に見えないもの』もどこかでそのテーマと繋がっていったし、自分達がこれまで送ってきた生活の方向性とは違うものを一方に置いて、それを意識し始める人達の話にしようって思いも生まれてきた。


それは、同じような経験が自分の中にも大きくあったからで、そこを前面に押し出そうとは思ってなかったけれど、今のほとんどのテレビドラマがあたかも震災などなかったかのようにドラマを作り続けている状況は、やっぱり恥ずかしいことだと僕は思うから。ドキュメンタリーであれだけやってるのに、なぜドラマだけが震災の前と後とで変わらないのかっていうのは、考えるべきことだと思うんですよ。」


4)偶然テレビを見ていて、もの凄いものを見てしまったという「出会いの経験」を視聴者にしてほしかった。


「ただ、映画と違ってテレビってシステムとして偶発性を孕んでいるじゃないですか。映画の場合、観客が劇場に観に行くのは、面白そうだと思った作品だけですけど、テレビの場合は人々の日常の中で、突然始まったり、突然終わったりするものだから。

人が意図しないで出会ってしまうというチャンスがテレビにはあるから。そこが一番面白いと思うし、そんな出会いをこのドラマでしてくれた人が、今まで自分達が観てきたものだけがドラマじゃないんだなって思ってくれて、何か違うものに手を伸ばしてもらうきっかけになればいいと思ってます。」


「自分が10代の時、NHKで佐々木昭一郎(当時NHK所属、現在テレビマンユニオン所属の演出家)さんの『四季・ユートピアノ』という作品が放映されたんですね。音楽を主題にした、一般の人が出てくるドキュメンタリーともドラマとも呼べないような作品なんですけど、それをたまたま観た時に『これはなんだ!』ってすごく衝撃を受けたんです。

映画だと日常があって、劇場という非日常があって、また日常に戻るわけですけど、テレビって日常の中で突然、そういった異なる時間、異なる体験が訪れることがある。

自分の作品を佐々木さんと比べるのはおこがましいですけど、その時、これは作り手が自分の本当に観たいものを作っているんだってことが圧倒的な説得力で伝わってきたんです。僕は、今のテレビにもそういうものがあってもいいと思うんです。」(『クイック・ジャパン vol.105』太田出版 p177〜p182 より抜粋)


2012年12月23日 (日)

『ゴーイングマイホーム』第10話(最終回)感想の追補

■ゴンチチの「サントラ」を iTunes Store で購入した。槇原敬之「四葉のクローバー」もいっしょにダウンロードして最初と最後に入れ、CDに焼いて診療中にずっと流しているのだ。聞いていて、なんとも優しい気持ちになれる。


■最終話の感想の追補

「このサイト」を見ると、最終話のロケに夏八木勲さんが参加しているのだが、実際のオンエアーでは夏八木さんは登場しない。いや、顔は映らないが、最初のほうでヤスケンが焼香する場面の向こうに横たわっている遺体を実際に演じたのだろうか?

でも、この最終回に遺体になった夏八木さんの顔を撮さないのには、意味がある。大いにある。伊丹十三『お葬式』では撮していたし、棺桶の中の遺体から見た「棺桶を覗き込む遺族」のカットまであった。


遺影を吉行和子が急に変えたいというシーンが前にあって、札幌五輪、笠谷幸生の金メダルジャンプを真似る息子の膝を、しっかりと支えた父親の手の感触がありありと甦った阿部寛が、ふと父親の遺影に視線を移す場面がある。すると、遺影の夏八木勲が笑っているのだ。ここで父と息子が繋がる。この大切なシーンのために取っておいたんだね。きっと。


・ぼくは、サントリー「金麦」のCMで檀れい演じる「夫の帰りを待つ妻」が大嫌いなんだ。あんな奥さん、世の中に絶対いないよ。いるワケないよ。それこそアナクロ男のファンタジーだ。最近同じようなCMがまた出てきて鬱陶しい。「新キャベジンコーワS」の常盤貴子。もう、やめてくれと言いたい。ぜんぜんリアリティがないじゃないか。


でも、この最終話ラストシーンでの山口智子にはリアリティがある。それは、第1話から欠かすことなくずっと見続けてきた視聴者だけに共有することが許された「妻のやさしさ」であり「めしあがれ」なんだと思う。

感想のツイートを読んでいたら、連続ドラマじゃなくて「2時間ドラマ」くらいだったらよかったんじゃないか、という感想が散見されたが、それは違うと思う。

NHK朝ドラの傑作『ちりとてちん』『カーネーション』は最初からずっと見続けてきたけれど、放送終了後に作られた「総集編」は、なんだかぜんぜん味わいがなくてつまらなかったな。是枝監督がインタビューで言っているが、映画では不可能な「この長さ」が大事だったんだ。


■ジョン・バーミンガムの絵本に『おじいちゃん』という絵本があって、大好きなおじいちゃんがいつも座っていた椅子が、終わりのほうで空席のまま描かれているページがある。何も言わなくても、何も説明しなくても、絵本を見れば全てが理解できる。そういうものさ。


■あと、ぼくが子供だった頃の「ホームドラマ」ってさ、たいがい家族そろってごはん食べているシーンがあった。『時間ですよ』とか『寺内貫太郎一家』とか。あと、池内淳子の『女と味噌汁』とか。毎回、特にこれといった劇的展開なんてなかったなぁ。いっぱい笑って、最後に何となくしんみりする。いつもそんな感じだった。それで十分満足してたんだ。

そんなことも思い出したりした。

2012年12月20日 (木)

『ゴーイングマイホーム』第10話(最終回)

■ゴンチチの『ゴーイングマイホーム』サウンドトラックが、iTunes で発売になった。でも、2,000円かぁ。曲数は多いのだが、収録時間は短いんだよなぁ。だから、試聴だけでも大方聴けてしまったりするのだ。


う〜む、でも欲しいぞ! 聴きたいぞ! というワケで思い切って購入することに決めたのだが、なんか、パスワードが違うって言われてしまった。困ったな。


■ところで、『ゴーイングマイホーム』の最終回は実はリアルタイムで見ることができなかったのだ。火曜日の夜は、天竜町の「青龍」で「北原こどもクリニック」の忘年会だったからね。一次会だけで終わったのに、思いのほか盛り上がって家に帰ったら夜10時半をとうに過ぎていた。


で、ラストの10分間だけオンタイムで見たのだが、バーミックスを使った、カリフラワーと長ネギとジャガイモのスープ。仕上げに生クリームをかけて出来上がり。山口智子が「めしあがれ!」と言って、差し出したトレイに乗ったスープの美味しそうなことと言ったら!

一切れ浮かんだニンジンが「クーナの帽子」の形をしていて、そこに槇原敬之の『四葉のクローバー』が流れてエンド・ロールが始まったものだから、オイオイと次から次へと涙が止めどなく流れて来たのだった。
このドラマに、ずっと付き合ってこれて、ほんと、幸せだったなぁ。しみじみそう思ったよ。


■で、さっき録画を2回見終わったところなんだが、今にして思えば、この最終回が言いたいがための(1〜9話)だったんだなぁ。
第9話で、阿部寛が仕掛けたワナにかかったクーナ?を、ざるを押さえながら阿部寛が左手に触れたような感じのシーンが強調されていた。なんか、不自然だったんだ。

それから、夏八木勲が大きな口をあけて「大イビキ」で寝ているシーンも第9話にあったな。まるで、死期間近のチェイン・ストークス呼吸だった。


■そうして、阿部寛が通夜の夜にふと父親の棺を開けて、また口を開けてしまっている父親の口を閉じようと顎を「左手」で触った瞬間、すっかり忘れていた幼い頃の記憶が甦るのだ。このシーンで泣いた。阿部寛といっしょに泣いた。


是枝監督は、やっぱり小津安二郎を意識しているよね。父親の家でほとんどのシーンが撮られたこの最終話では、日本家屋の「ふすま」が実に上手く使われていたよ。あと、実家の玄関のドアが開いて閉まり、萌江ちゃんもまた、庭のフェンスの扉を開けて閉めていた。


■それから、このドラマは最初から「不可能なこと」にチャレンジしょうとしていたんじゃないかって思う。

映像では視覚しか刺激されないはずなのに、このドラマを見続けていて僕が刺激されたのは、飯島奈美が喚起した「味覚」であり「嗅覚」であり、クーナの囁きに耳をそばだてる「聴覚」だったりした、で、主人公が死んだ父親の顔のヒゲに触れた「触覚」の驚きを、視聴者も確かに感覚として追体験できた、そういう、視覚以外の人間が持つ感覚にあえて訴えようとしたんじゃないかな。


最終回のドラマは時系列にそって淡々と進む。お通夜、葬儀、火葬。東京では、まだ自宅で葬儀をするのだろうか? 伊那の田舎では、今はほとんど、平安閣か、JAのグレースに、藤沢造花など、それぞれの「葬儀社専用会場」が通夜から葬儀まで一切を仕切って、喪主とその家族はずいぶんと楽になったものだが。

■最近ぼくの礼服は、結婚式で着る機会が圧倒的に少ない。つい先だっても、叔父の葬儀と四十九日法要で着たばかり。ぼくも親戚もみな年をとったということか。


■一人の死者(夏八木勲)に対して、残された人々の頭の中に残る彼のイメージはそれぞれぜんぜん異なる。そういうことも、よくわかるドラマだったな。妻、息子、娘。雪だるまを作って持ってきた大地くんに、西田敏行、そして宮崎あおい。人は死んでも、後に残されたそれぞれの人々の心の中で、生き続けるのだ。

信濃境の駅に降り立ってタクシーを待つ宮崎あおいが、しみじみとした口調で西田敏行にこう言う。

「死んでもいなくなったりしないんだね」

うん、そこが一番大事だと思った。そうさ、死んでもいなくなったりしないんだよ。少なくとも「クーナ」の存在を信じることができる人には、分かってもらえると思う。


「死者」を忘れないこと。いい思い出ばかりじゃなく「後悔」だって、忘れちゃったらできないじゃないか。


「ただいま」
「おかえり」
「めしあがれ」


なんでもない日々の暮らしの中に、じつは「しあわせ」がそっと僕らに寄り添ってくれていたんだね。

2012年12月19日 (水)

上伊那医師会「亀工房」コンサート


■「上伊那医師会報」12月号に書いた原稿です。
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第14回上伊那医師会まつり

「亀工房」ハンマー・ダルシマー&アコースティック・ギター コンサート



 平成24年11月15日(木)、2年に1度の「医師会まつり」が開催されました。会場のプリエキャスレードには、170人近くもの会員およびその関係職員が参加し、広い会場に丸テーブルが18卓も並ぶ大変盛況な会になりました。

 食事会の前に、今回は地元高遠町在住のプロミュージシャン、前澤ご夫妻のユニット「亀工房」によるハンマー・ダルシマーとアコースティック・ギターの演奏をじっくりと1時間、皆で堪能いたしました。


 ゆったりとした「おじいさんの古時計」に始まって、軽快で印象的な旋律のオリジナル「ジャーニー」。3.11. の悲しみにそっと寄り添う曲「… with You」と「マーブル・ホールズ」。続いて、我々50代以上には懐かしの名曲、西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」を、テンポ良く夫婦息のあった演奏で楽しく聴かせてくれました。 

 旦那さんの前澤勝典さんは、知る人ぞ知るフィンガーピッキング・ギターの名手で、押尾コータローとは古くからの友人。さらには、日本爬虫両生類学会に所属する亀専門家でもあり、先達て亡くなった千石先生(TBS『どうぶつ奇想天外!』でエリマキトカゲを初めて紹介した人)は亀友だちで、全国各地を演奏旅行する合間に、その地域の亀の生息状況を実際に小川に入って調査したりしているそうです。もちろん高遠の自宅でも亀をたくさん飼っていて、だから「亀工房」なんですね。

 奥さんの朱美さんは、大学1年生の長女から高遠第一保育園年長組に通う次男まで「6人」の子供たちを産み育ててきました。ちょっと紀子さまに似た佇まいと話し方をする上品な雰囲気の女性で、演奏の合間の旦那さんとの掛け合いトークでも、半テンポずれた天然ボケの感じが、自然とその場の空気を微笑ましく和ましてくれるのでした。

 でも、ひとたび演奏に入ると、その集中力たるや相当なもので、あの小さな箱に弦がいっぱい張り巡らされた「ハンマー・ダルシマー」という厄介な楽器を、1音1音決してミスタッチすることなく完璧なバチさばきで演奏するのです。しかもこの楽器、小さなバチの裏表で音色がぜんぜん違ってくるし、弦の横に張られたテープによって、わざと弦が響かない設定にも出来たりと、なかなかに小技を効かせてくれるので驚きです。

 

 後半は、童謡「あんたがたどこさ 〜 小さい秋みつけた」に、アイルランド民謡を続けて3曲「バディ・オブライエンズ 〜 スカッター・ザ・マッド 〜 あと曲名不明の1曲」。そして、沖縄の童謡「じんじん」。アップテンポのマイナー調の曲で、聴いていて気分が自然と高揚してきて会場からは大きな手拍子が起こりました。その興奮も覚めやらぬ間にラストは、野口雨情の「しゃぼんだま」。わが娘を喪った時に書かれた、実際は悲しい曲なんだけれど、明日への希望を感じさせる明るい曲調に彼らは仕上げていました。



 本当はアンコールにもう2〜3曲聴きたかったのですが、時間も押していたためコンサートはこれにて終了。二人の素晴らしいライヴ演奏は、何かと慌ただしくギスギスした僕らの心を、ほっこりと優しく包んで癒してくれました。伊那の地元に、これほどの名手が在住していたことに皆が驚いた夜でした。会はこの後、伊藤隆一先生の乾杯のご発声に続いて、22時近くまで、美味しい料理にワイン(各テーブルごとに1本)に、お酒ビールと、宴は夜更けまで賑やかに盛り上がったことは言うまでもありません。

2012年12月16日 (日)

『ゴーイングマイホーム』第9話。(つづき)

■特にどうってことない回なんだが、何故か気に入って録画を繰り返し見ている。深夜、みなが寝静まってからリビングの照明を落とし、ワインでもちびちびやりながら一人『ゴーイングマイホーム』第9話を見る。

最高に贅沢な時間だ。もう4回は見たな。


今回はお気に入りのシーンがいっぱいあるのだ。

1)「天竜みそ」の味噌蔵のシーン。ホンモノの店主がいい味だしてた。

2)「萬里」の店主(こちらは本物じゃなくて役者さん)が「料理の鉄人」
   の話をする場面。それにしても、山口智子が萬里に来たのか。

3)「クーナの森」の美しさ。ここはどうも富士見高原らしいな。

4)「クーナ研究家」錦織がワナを手に「骨折はするか…」という場面。

5) 山口智子と宮崎あおいが、楽しそうに見つめ合い「焼きおにぎり」
   を炭火で焼く場面での、手持ちカメラのアップ映像。

6) 堤看護師役の江口のり子さんがベニテングダケの帽子をかぶって
   微笑むシーン。彼女、第9話で初めて笑ったんじゃないか?

7) 吉行和子とYOUの母娘が、年賀状の相談をしている場面。
   異様に長廻しなのだが、ぜんぜん不自然さがないことが凄い。
   そこに横から登場するヤスケンが、これまたいい味だしてる
   んだ、これが。ドトールの持ち帰りコーヒーの一件、

   それから、欲しかった義父のゴルフセットを譲ってもらって
   車に積み込むシーンでの、YOUとの会話が可笑しい。


8) 宮崎あおいが森で「山の神さま」にお祈りするシーン。急に風が
   吹いて木葉がはらはらと舞う。その向こうに西田敏行の心配顔。

9) それからもちろん、阿部寛と阿部サダヲのやり取り。


いったいなんなんだろうなぁ。心が和むというか、見ていて、何ともあったかい優しい気持ちになれるのだ。そうして、いつまでも「このドラマの世界」にいっしょに居たいと思ってしまうんだな。だから、何度も何度も繰り返し見てしまうし、しかも飽きることがない。

その度に新たな発見もある。

そういう稀有なテレビドラマだと、ぼくは思っています。


「最初に書いた感想」でも言ったとおり、やはりこのドラマは「是枝版・東京物語」なんじゃないか。最終回の予告を見て、ますますその感を強めたのだった。

2012年12月12日 (水)

『ゴーイングマイホーム』第9話。ツイートのまとめ

■ゴンチチがマッキーのテーマ曲をインストロメンタルで弾くのは今夜が初めてなんじゃないか?『ゴーイングマイホーム』。



■「いいか、世界は目に見えるものだけで出来ているんじゃないんだ」


 でも、クーナの阿部サダヲは言う。

「悪意とか失望とか……。目に見えないものには、もっと怖いものもたくさんあると思うよ。ちゃんと怖がらないとな。」

 これは意味深な言葉だなぁ。



『「ことば」は「おかあさん」からもらいます。みなさんが、おかあさんからもらった一番大切なものは「いのち」です。これは厳然たる事実です。それと同時に「いのちの器」である「からだ」をもらいました。そして、この「いのちを支えている」のが「ことば」なのです。』松居直氏は語る --- (2002年11月、辰野町図書館での講演より)(その1)


『今の子どもたちは、常に騒音の中に曝されていて、沈黙するということができません。沈黙・静寂がないと「ことば」は貧しくなります。「ことば」を失うこと=人間性を失うこと。その結果、子どもたちは「暴力」に訴えるようになるのです。電子メディア時代における人間性の崩壊ということを、
私はとても危惧しています。』 松居直氏は語る(その2)


『しかも、「ことば」というものは本質的に「目に見えないもの」なのです。人間にとって大切なものはみな、目に見えない。これは「星の王子さま」の口癖ですね。ことば・時間・こころ・しあわせ・愛・かなしみ……みんな「目には見えない」』 松居直氏は語る(その3)



■ただ、「目に見えないもの」がみな、人間が生きてゆくのに大切なものばかりじゃないことを、ぼくはすっかり忘れていたよ。悪意、ねたみ、そねみ、憎しみ。そうして、放射能。『ゴーイングマイホーム』



■「カーディガンを着た人に悪い人間はいない」と言ったのは宮沢章夫氏だが、イギリス貴族だったカーディガン氏はとんでもない悪人だったらしい。『考える人』宮沢章夫(新潮文庫)でも、夏八木勲が着ている朱色のカーディガンはオシャレだ。『ゴーイングマイホーム』。


続き)宮沢章夫氏のカーディガンの話は、『牛への道』(新潮文庫)p132
「カーディガンを着る悪党はいない」と、『考えない人』(新潮文庫)p289「プログレッシブ人生・まる2」に載ってます。「考える人」に連載されている『考えない人』の誤りでした。ごめんなさい。



■本来「目に見えないもの」であったはずの人間の「悪意」や「ねたみ・そねみ」が、ツイッターの「つぶやき」として「目に見えるもの」となってしまったことは、ある意味ほんとうに不幸なことだと思う。『ゴーイングマイホーム』



■「ずいぶん死んだんだなぁ……。すまない!」って、西田敏行は言う。福島県出身の人だからね。竜胆って書いて「りんどう」と読む。なんか中国語みたいだよね、竜胆。クーナのお墓には、リンドウが手向けられるのだ。ダムができたために、原発ができたために、クーナは予想外に死んでしまったんだ。

2012年12月 9日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その94)南箕輪村図書館

■今朝は雪も舞って、風ビュービューで寒かったなぁ。こんな冬空に集まってくれる人なんているのかなって、ちょっと心配になった今日の「南箕輪村図書館」でのパパズ。でも、ありがたいことに会場はこどもたちでいっぱいだ。お父さんの姿もたくさん!

ありがとうございました。


 【今日のメニュー】

 1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

 2)『いま、なんさい?』ひがし ちから(BL出版) → 伊東

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 3)『ぼうしとったら』tupera tupera・作(学研)→ 北原

 4)『かごからとびだした』(アリス館)

 5)『ねえ どっちがすき?』安江リエ、降矢なな(福音館書店)→坂本

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 7)『スモウマン』中川ひろたか、長谷川義史(講談社)→ 宮脇

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 8)『ねこのおいしゃさん』増田裕子、あべ弘士(そうえん社)

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 9)メリークリスマスおおかみさん宮西達也(女子パウロ会)→倉科


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 10)『ふうせん』(アリス館)

 11)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2012年12月 7日 (金)

是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』と『ゴーイングマイホーム』

■『ゴーイングマイホーム』(第8話)に関してのツイート。


いやぁ、号泣しながら笑ってしまったよ『ゴーイングマイホーム』。番組ラストの西田敏行と宮崎あおい父娘のやり取り。それから、常田富士男が、亡き妻の石膏で象られた上顎歯形を愛おしそうに指で優しく撫でるシーンにも泣いた。でも今回は何と言っても宮崎あおいだな。高遠町役場屋上で掌を太陽にかざす顔のアップとか。


続き)つれない元夫との別れ際に、さっと振り返って「横向きアップ」になった時の涙腺決壊寸前で魅せる眼力の強さ。しみじみすっごい女優だなぁ。

ところで、加瀬亮が働く牛舎。てっきり富士見町あたりで撮影されたとばかり思っていたのだが、なんと高遠なのか。高遠町下山田にある竹内牧場とのことです。


■ぼくが初めて見た、是枝裕和監督の映画は『ワンダフルライフ』だった。映画館で見た記憶がないから、レンタルビデオで見たのか? どうして借りて見ようって思ったのか、まったく記憶にない。


でも、圧倒されたのだ。この映画に。どこか都内の取り壊しが近い古いコンクリート造りの研究施設が舞台だった。季節は冬。ちょうど今朝のように、宮沢賢治の『永訣の朝』みたいな「みぞれ混じりの雪」が施設屋上に積もっていたように思う。


いまで言えば「北野ブルー」の冷たい冬の色調で統一された静かな画面。


たったいま死んだばかりの人たちが「この施設」に集まってくる。施設職員は、彼らから1週間かけて「生前の一番大切な思い出」を聞き出し、最終日にその場面を再現して「記念写真」を撮るのだ。



今にして思えば、是枝監督が追い求めてきたテーマは一貫しているのだね。つまりは、「死者に対する敬意」だ。だからこそ、あの 3.11. を経験して、テレビドラマ『ゴーングマイホーム』が作られたに違いない。


「クーナ」は、生者が忘れられない「愛しい死者」に引き合わせてくれる存在なのだから。



■つい最近、このTVドラマとは全く関係なく、映画『ワンダフルライフ』の1シーンが鮮明に甦った。ちょうど、本を読んでいたんだ。『なんらかの事情』岸本佐知子(筑摩書房)p42 『上映』だ。


 死ぬ間際には、それまでの人生の思い出が走馬灯のように目の前に立ち現れるとよく言われる。

 その走馬灯の準備を、そろそろしておいたほうがいいのではないかと最近思うようになった。

 死ぬ時はたぶん苦しい。どこかが痛いかもしれないし呼吸もできないかもしれない。血とか内臓とかが出ていたりするかもしれない。だったらせめて目の前で上映されるシーンくらいは、楽しいものや愉快なもの、ドラマチックなものだけで構成されていてほしい。そのほうが気がまぎれるし、いい人生だったなあと思いながら死ぬことができようというものだ。


岸本エッセイでは、いつものようにこの後どんどん脱線してゆき、とんでもない着地点に降り立つことになるのだが、それはまた別のはなし。



■その次に見た是枝作品は『誰も知らない』。これは「伊那旭座」で見た。休診にしている水曜日の午後だった(2004年12月16日、18日の日記参照)

この映画も沁みたなぁ。育児放棄の YOUに無性に腹が立ち、長男として必死に妹弟たちを守ろうとする設楽君に涙した。



「伊那旭座」といえば、つい最近、あの「スキマスイッチ」が新曲のPVを伊那で撮っていて、旭座、錦町新地、西箕輪公民館でロケされたらしい。

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