破滅型の天才白人ジャズマン、ビックス・バイダーベック
■『ジャズ・アネクドーツ』ビル・クロウ著、村上春樹・訳(新潮文庫)を読んでいる。ジャズマンのいろんな逸話を集めた小話集なのだが、前半は期待したほど、とんでもない「おバカ野郎」があまり登場せず、案外みんなマジメなんだなぁって、ちょと残念に思った。
そしたら、やっぱりいたんだ! 愛すべきおバカ野郎が。
彼の名は、ビックス・バイダーベック。
ビックス・バイダーベックはコルネットを美しく生気溢れる音で演奏した。エディ・コンドンはそれを「イエス、と言っている娘みたいな」音だと表現している。ビックスはレコードにあわせて吹くことによってその楽器を習得した。そしてトーンとフレージングのまったく独自なコンセプトを発展させていった。
ほかのジャズ・ミュージシャンのほぼ全員がルイ・アームストロングの呪縛下にあったその時代にである。ビックスはシカゴに住んでいて、その当時アームストロングもまたシカゴで演奏していた。彼はルイの演奏を耳にして、心を引かれた。しかしそれにもかかわらず独自のスタイルで演奏を続け、多くの追従者たちを生み出した。(『ジャズ・アネクドーツ』p247 〜 p261)
差し歯なしには彼はただの一音も吹けなかった。どこで仕事をしていても、バンドの連中が床にしゃがみこんでビックスの差し歯を探し回るというのは毎度の光景だった。
あるとき、シンシナティーで明け方の五時、雪の積もった道路を1922年型のエセックスで進んでいるときに、ビックスが「車を停めろ!」と叫んだ。ワイルド・ビル・デイヴィソンとカール・クローヴが一緒だった。まわりを見てももぐり酒場はない。「どうしたんだよ?」とデイヴィソンが訊いた。「歯をなくしちまった」ビックスが言った。
彼らは車を降りて、積もったばかりの雪の中をしらみつぶしに探した。ずいぶん長く探し回ったあとで、デイヴィンソンが雪の上の小さな穴を目にした。歯はその穴の中にみつかった。それは静かに道路に向かって沈んでいく途中だった。
ビックスはそれを口の中にはめ込み、みんなは「ホール・イン・ザ・ウォール」に向かった。彼らはそこでポークチョップ・サンドイッチとジンのために毎朝演奏をしていたのだ。ビックスがその歯を固定してしまわないのは、とくに驚くべきことではなかった。彼は歯医者になんか行くような人間ではなかったのだ。(中略)バイダーベックの心を引きつけていたのは音楽とアルコールで、それ以外のことはほとんど眼中になかった。身なりにもまったく関心がなく、きちんとした服装を要求される仕事が入ったときには、しばしば問題が生じた。
ビックスの音楽の素晴らしさは、同時代性にある。もちろん音楽スタイルは古い。でも彼の紡ぎ出す、真にオリジナルなサウンドとフレージングは、古びることがない。その音楽がたたえる喜びや哀しみは見事にありありとしていて、こんこんと湧き出る泉のような潤いは、今ここにいる僕らの心の中に、躊躇なく、何のてらいもなく沁み込んでくる。それは懐古趣味とは無縁なものだ。
ビックスの音楽を耳にした人がおそらく最初に感じるのは、「この音楽は誰にも媚びていない」ということだろう。コルネットの響きは奇妙なくらい自立的で、省察的でさえある。ビックスがじっと見つめているのは、楽譜でも聴衆でもなく、生の深淵の中にひそむ密やかな音楽の芯のようなものだ。そのような誠実さに、時代の違いはない。
ビックスの偉大な才能を知るには、たった二曲を聴くだけで十分だ。
"Singin' the Blues" と "I'm Comin' Viginia" 。素敵な演奏はほかにもいっぱいある。しかし異能のサックス奏者フランキー・トランバウアーと組んだこの二曲を越える演奏は、どこにもない。それは死や税金や潮の満干と同じくらい明瞭で動かしがたい真実である。たった三分間の演奏の中に、宇宙がある。(『ポートレイト・イン・ジャズ』p78 〜 p83)
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