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2012年2月

2012年2月28日 (火)

体調不良から回復しつつある日々

■久し振りの体調不良に参っている。


それは日曜日の未明だった。突然、突き上げるような吐気と、キリで突き刺したかのような腹痛に見舞われ目が醒めた。枕元の目覚まし時計を見ると午前3時半。全身ぐっしょりと嫌な汗をかいている。


これはヤバイぞとベッドから這い出し、そろりそろりと階段を降り何とか1階のトイレに駆け込んでそのまま便座にうずくまった。額からは冷や汗が流れ、ぞくぞく寒気がした。吐きたいのに吐けない。これは辛い。吐きさえすれば楽になれるのに。そんなかんなで、15分くらいじっとしていただろうか、急に便意を催して排便したら(まだ下痢ではなかった)不思議と吐気と腹痛が遠のいて、そのまま炬燵に潜り込んで腹を抱えて朝まで寝た。


日曜日は、午後になったらずいぶんと回復したので、ちょいと無理してテルメに行って走ったのがいけなかったのだな。夜になって再び寒気がして熱が出た。腹痛は続いたが下痢はなく、夜は夕食の「ほうとう」は食べれたのだが……。


夜中に何度も目が醒めて、嫌な汗をかいたが、月曜日の朝には解熱していた。インフルエンザかも? と、NHKBSで『カーネーション』が終わったあと、妻にたのんで綿棒を僕の鼻の奥まで突っ込んでもらい、インフルエンザの迅速検査をした。このところ、毎日毎日厭きもせず何十人もの患者さんの鼻の穴に綿棒を突っ込む日々が続いていたのだが、まさか自分が「される側」になるとは思わなかった。正直に言うと、「される」のは初めてなのだ。確かにこれは辛い検査だなぁ。


結果は陰性。そうかフルではないんだ。となると、ノロウイルスか?

■じつは嫌な記憶が甦っていたのだ。


あれは今から30数年前のこと。当時ぼくは茨城県筑波郡谷田部町春日3丁目にあった木造2階建アパート「学都里荘(かとり荘)」の 201号室に住んでいた。たしか土曜日の夜だった。103号室に住んでいた佐久間と、松見公園前の飲食店街に入っていた「290円屋」という名の炉端焼きの店で2人呑んだのだ。


小さな黒板に、<本日のおすすめ>が何品か載っていて、その中に「酢牡蠣」があった。もちろん、290円だ。「なぁ、カキ食おうぜ!」そう言って注文したかどうかは忘れてしまったが、「もみじおろし」がちょこんと載った3個の小さな牡蠣を確かに食った。この日はしたたか酔っ払ったように思う。二人して千鳥足で歩いて学都里荘に帰り着き、「じゃあな、おやすみ」と言って別れて2階に上がり、そのまま万年ぶとんに潜り込んだ。


そしたら日曜日の未明午前3時半だ。
ぼくは突然の吐き気と突き刺すような腹痛に襲われた。脇の下に嫌な冷や汗をかいていた。

必死の思いで部屋を出て、ほとんど這うようにして、斉藤保が住んでいた 205号室の前にある2階の共同便所に入り、便器をかかえるようにして吐き続けた。何度も何度も。30分くらいそうしていたかなぁ。ようやく落ち着いて、再び這うようにして自分の部屋に戻ったかと思ったら、今度はぐるぐるぴーの水様下痢が始まった。


そんなかんなで、日曜日は一日中2階の共同便所と201号室を這って行き来することの繰り返しだったのだ。あれは、いま思い返してみても、ほんと辛かったなぁ。


そうして明けて月曜日の朝。げっそりとした顔でアパート1階に降りて行って、103号室の佐久間を訪ねたら、僕よりゲッソリとやせ細って青白い顔をした佐久間がふとんに伏せっていた。訊けば、彼も1階の共同便所と自分の部屋とをただただ繰り返し這って行き来しながら吐いて下痢し続けていたのだという。


それを聞いて、ぼくは何だかすっごく救われた気がした。そうして、思わず笑ってしまったのだった。あはは! ってね。


■で、今回の状況は「あの時」とほとんど同じだったのです。なんと、土曜日の夜の飲み会で、実は大きな「酢牡蠣」がでて、新鮮そうだったから僕は2個ぺろりとたいらげ、汁まで飲み干したのだった。


だから、やられたなぁ、と即座に思ったワケです。


ところがだ。月曜日の夜、土曜日の夜の会に同席した2人の人に会って「大丈夫でしたかぁ?」って訊いたら、二人とも何ともなかったんだって。じゃぁ、原因は別のところにあるのかなぁ。何となく納得がいかないなぁ。「あの苦しみ」を、是非とも共有したかったのに……。

2012年2月24日 (金)

椎名誠『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)読了

■椎名誠氏が書く「私小説」が好きだ。

特に好きなのが、集英社から出ている『岳物語』『続岳物語』。
最近のものでは、椎名氏にしては妙に暗い印象の『かえっていく場所』が、すっごくよかった。


でも、何と言っても一番いいのは『パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り』(集英社文庫)だ。本来は、南極と南米最南端、地の果ての町、プンタアレナスを挟むドレイク海峡(一年中荒れ狂う恐怖の海)に浮かぶ小っちゃな島「ディエゴ・ラミレス」に向かうチリ軍艦に同乗した「最果て紀行的冒険記本」なのだが、椎名氏の古くからの友人で「本の雑誌」をいっしょに立ち上げた目黒考二(北上次郎)氏はこう言った。「これは、椎名誠の私小説として傑作である!」と。


これは世間一般的評価としてよいと思うのだが、椎名誠氏の代表作を挙げよと言ったら、まず筆頭に上がるのが『哀愁の町に霧が降るのだ 上・中・下』(情報センター出版局刊)と『岳物語』。それからこの『パタゴニア』だと思う。ただ、ぼく個人的には、椎名氏のSF作品が大好きなので、『アド・バード』『水域』『武装島田倉庫』の三部作が最高傑作であると今も信じている。


で、この最新作『そらをみてます ないてます』(なんてキャッチーなタイトルなんだ!)は、傑作『哀愁の町に霧が降るのだ』と『パタゴニア』を、現在の椎名誠氏の立場でフォーカスを絞って新に書き直した小説なのであった。だからたぶん、相当に作者の力が入った作品であることは読む前から判っていたし、実際、読了したいま、すっごく満足している。あぁ、いい小説を読んだなぁ。それにしても、何と言ってもやはり「事実は小説よりも奇なり」だ。ほんと面白かった。


いや、「私小説」とはいえ、しょせん小説とうたっているのだから、どこまでが事実かそれは作者にしか判らない。実際、この小説と『哀愁の町に霧が降るのだ』には「同じ場面」が何度も登場するのだが、設定が微妙に変えられている。どちらが事実に近いかと言ったら、『哀愁…』のほうであろう、たぶん。椎名誠氏の奥さん、渡辺一枝さんは、克美荘の同居人であった木村晋介氏の高校の同級生であったというのが真実らしいのだが、『哀愁の町に霧が降るのだ』では「羽生理恵子」、この本『そらをみてます ないてます』では「原田海」とされている渡辺一枝さんとのエピソードは、どのあたりが創作で、どのあたりが真実なのかが妙に気になってしまう。それにしても、「ダッタン人ふうの別れの挨拶」はよかったなぁ。


さらに気がかりなことは、著者が東京新聞のインタビューに答えて「こう言っている」ことだ。


そうか。椎名氏は、いままで封印していた女性「イスズミ」のことを、この小説で初めて「正直」にセキララに書いたのか。


■健全なアウトドア系作家として、大人になっても男仲間とワイワイガヤガヤ、焚火とキャンプの日々のイメージが定着した椎名氏ではあったが、そうしたイメージ先行の虚像と椎名氏自身の実像とが、どんどんかけ離れてゆくことを、椎名氏自身はたぶん半面楽しみつつ上手に利用し、その反面ギャップに次第に苦しめられていったのではないか。


体育会系で、マッチョで、日々スクワッドと腹筋と腕立て伏せを欠かさない椎名氏は、無駄な贅肉が全くない。そんな「いい男」を女どもがほっておくワケがないし、女房ひとすじというストイックさは無理というもだよなぁ、そうだよなあ、と思った。いいよ、それで。肉食系男子は。


■それはともかく、椎名誠氏の生きてきた道を愛読者として併走してみて思うことは、つくづく予測不可能な「人生の不思議さ」ってものが実際にあるのだなぁ、ということだ。それは、テレビで「タモリ」を見ていても(希望や野望を持たない人である点はぜんぜん違うが)同じように思う。

渡辺一枝さんは、もう何十回もチベットに行っている。カイラス山へも行った。彼女も、長年の夢を叶えたのだ。最近では、南相馬市にボランティアで出向いているらしい(『青春と読書』集英社での連載による)

椎名氏が小学性のころから抱いていた夢。探検家ヘディンがたどり着いた楼蘭とロプノール。それから、ジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』の島へ行くこと。「夢をあきらめないで」っていうのは、何かの歌詞の一部だったか。でも、ほんとうにそうなんだなぁ、ってことがあるし、本当に好きな人を見つけて、決してあきらめないことも、同じくらい大切なのだなぁと、しみじみ思った次第です。


■<以下、先日のぼくのツイートから>

・私小説という分野がどうもよく判らない。西村賢太氏はリアルに赤裸々に書いている気がするが、それでも「小説」なので事実ではないのだろうなと納得して読んでいる。で、いま『そらをみてますないてます』椎名誠(文藝春秋)後半を読んでいるのだが、『哀愁の町に霧が降るのだ』との異同に悩んでしまう。


・小説だからね、シンプルに構成し直したのだろうなとは思った。例えば、楼蘭到達の話も、極寒のシベリア行の話も、椎名誠氏の別の本で何度も取りあげているので、事実との違いが「私小説」には「あり」ということは納得している。でも、「考える人・メルマガ」を読むと、何か違うんじゃないかと思ってしまうのだ。


・椎名誠『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)を、高遠町福祉センター「やますそ」1Fのペレット・ストーブの前で、長男が通うアンドレア先生の英語教室が終わるのを待ちながら今晩読了。これは「いい小説」だなぁ。しみじみいい。私小説でありながら、小説としての結構とカタルシスが、綿密に計算されている。


・(続き)本の装丁がいいのだ。表紙は東京オリンピックを目前にした、1964年夏の東京の夕焼け。左側に出来たばかりの首都高速、正面には 1958年に完成した東京タワーが描かれている。そして裏表紙は、1988年タクラマカン砂漠を横断して遂に楼蘭のストゥーパに一番乗りした椎名氏ら3人が描かれている。


・(続き)そうして、絵本の読み聞かせをしていてよくやる動作なのだが、その絵本を読み終わったあとに、子供たちに向けて、背表紙を真ん中に「表表紙」と「裏表紙」を180度広げて、パノラマみたいに見せるのだ。『そらをみてますないてます』を「そうやる」と「そら」でつながっているんだな、これが。


2012年2月22日 (水)

『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(その2)

■本当は、オイラみたいなすれっからしのジャズファンが「この本」のことをどんなに誉めてみたところで、実はあまり意味はないんじゃないかと思ってしまうのだ。


だから、まったくのジャズ素人なのに「ジャズ入門」のタイトルに騙されて、間違って「この本」を買ってしまい、なんか面白そうじゃん! とさらに勘違いして、amazonで、ブロッツマンとか、ファラオ・サンダースとか、ローランド・カークとかの「著者オススメCD」を思わずポチッてしまい、送られてきたCDを何とはなしに聴いてみたら「案外いいじゃん!」と、その後どんどんフリー・ジャズの世界にのめり込んでしまいました!


っていうような感想を、著者の田中啓文氏は読みたかったんじゃないかな。
ただ、なかなかそれは難しいことだとは思うのだけれども、「へぇ〜、こんなのもジャズなんだ!」って興味を持ってくれる人は「この本」のおかげでずいぶん増えるんじゃないか。

■何なんだろうなぁ。とにかく、ぼくは田中啓文氏が書く小説が好きなのだ。


『落下する緑―永見緋太郎の事件簿』シリーズも、『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズも、ハードカバーで買って読んでいる。著者は、基本超マジメなのに、変に無理してサービス精神が旺盛すぎるのだ。


だから「この本」でも、変に読者に受けを狙いにいったミュージシャンの項目(ファラオ・サンダースとか、ジュゼッピ・ローガン、アーチ・シェップなど、ぼくも大笑いしたが……)よりも、真摯に真面目に書いている項目のほうが読み応えがある。例えば「アルバート・アイラー」の文章。


なんといっても、あの「音」である。朗々と鳴り響く、管楽器を吹く原始的な喜びにあふれた野太い、輝きに満ちた音。あれを聴くだけでも、彼の音楽の根源にあるものが何かわかるではないか。それ以外にも「ガーッ!」という割れた音、口のなかの容積を変化させることで得られる歪んだ音、しゃくりあげるように裏返っていくフラジオ、グロウルによるダーティーな音などを効果的に使っているアイラーは、サックスから獣の大腿骨を楽器がわりに吹いていた頃のような原初の音を引きずり出す。(p48)


これほど、アイラーの音色の本質に迫った文章を、ぼくは今まで読んだことがなかった。すごいぞ。


あとはそうだなぁ、エヴァン・パーカーの項。


 パーカーは、「こういう音が出したい」「こういう演奏がしたい」というところからはじめて、自分の楽器をじっくり見つめ、そしてこうした技法にたどり着いたにちがいない。(中略)なにしろ、サックスで世界で初めてこんなことを成し遂げたひとなのである。歴史の教科書に載ってもいいぐらいの偉人である。(中略)

 パーカーのソロにはある時期救われたことがある。会社務めが合わなかった私は、昼休みは食事もせずにCDウォークマンでずってこのアルバムを聴いていた。鬱陶しい現実の世界から浮遊できるひとときを、彼のソロは毎日あっという間に作り出してくれた。(p81)


この傾向は、日本人ミュージシャンの項目で顕著となる。


富樫雅彦、坂田明、阿部薫、林栄一、梅津和時、高柳昌行、大友良英、明田川荘之、片山広明などのパートを読むと、著者の真面目さが際立っているように思うぞ。


ぼくが特に注目したのが「阿部薫」だ。


 阿部薫のように「情念」に任せた即興は、空虚でひとりよがりなものになりがちだが、彼の演奏はそうではない。その理由は「間」と「音」にあると思う。阿部のソロは「間」が多い。ひとりで吹いているのだから当然、と思うかもしれないが、プレイヤーは無音状態を嫌うもので、それを埋めたくなる。エヴァン・パーカー、カン・テーファン、ミッシェル・ドネダなどが循環呼吸とハーモニクスによって途切れなく、空間を音で埋め尽くしているのに比べ、

阿部のソロは、静寂が延々と続き、これで終わり?と思った頃に、ぺ……と音が鳴ったりする。常人なら耐え難い長尺の静寂をあえて選択し、無音と無音を組み合わせて、あいだに音を挟んでいく。ここまで大胆に静寂を押し出した即興演奏家はいなかった。(p142)


ぼくも阿部薫の『なしくずしの死』が大好きなのだが、彼の「無音の魅力」には気が付かなかったな、まったく。さすがだ。

田中氏が書いた文章は、どれもこれも「そのミュージシャン」に対する「ひたむきで敬虔な愛とリスペクト」に満ちている。それが、読んでいて実にすがすがしいのだ。


だから逆に、田中氏以外の人が書いた文章が妙に浮いてしまっている。これらはいらなかったんじゃないか? 田中氏だけの文章で埋め尽くせばよかったのに、何故だ? たぶん、自信がなかったのだろう。だからあのまどろっこしい、言い訳がましい「はじめに」と「おわりに」になってしまったのではないか。


そんなこと言わなくてもいいのになぁ。


後半に載っている、カヒール・エルサバー、ハミッド・ドレイク、ポール・ニルセン・ラヴ、芳垣安洋、大原裕とかは、ぼくも「この本」で初めて知った。どんな音を出すのか、ぜひ聴いてみたいぞ。

2012年2月20日 (月)

『聴いたら危険! ジャズ入門』田中啓文(アスキー新書)

■ Twitterに、ペーター・ブロッツマンのLPを10枚は持っていると書いてしまったから、出してきたのだ。


なぜこんなに「ブロッツマン」のレコードを持っているのかというと、ある時期すっごく好きだったのだ、ブロッツマンのサックス。特に、ブロッツマン、ヴァン・ホーヴ、ハン・ベニンク、アルバート・マンゲルスドルフのベルリンでのライヴ盤(1971/08/27/28)録音の「3枚組」のうちの黒色ジャケット「エレメンツ」は、今でもときどき無性に聴きたくなる。


いま思うと、ブロッツマンって、案外聴きやすいのだね。だからこそ、「この本」ではいの一番に取りあげられているワケなんだな。なるほど。

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■今から30数年前だったかなぁ。東北旅行をした時だった。ブロッツマンを聴け! エヴァン・パーカーを聴け! デレク・ベイリーを聴け! って、仙台市一番町のビルの3階?にあったジャズ喫茶「Jazz& Now」で、マスターの中村さんににそう言われたのだ。それまで、ぜんぜん聞いたこともないミュージシャンの名前だった。


「じゃぁ、マスターが『これを聴け!』っていうレコードを一生懸命聴きますから、毎月おすすめレコードを送って下さい。通販で買います」ぼくはそう言った。だから、それから1年間だったか2年に及んだか、毎月毎月仙台から「ヨーロッパのフリー・インプロビゼーションのレコード」が届いた。中でも、一番多かったレコードがブロッツマンだったのだ。そういうワケなのです。



2012年2月15日 (水)

『えをかく』谷川俊太郎、長新太 +湯浅学

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■『音楽が降りてくる』湯浅学(河出書房新社)が面白い。もったいないから、少しずつ少しずつ読んでいる。ちょうど、小西康陽のコラム本を読むような感じでね。で、先日ふと 177ページを開いて「かこうと思えば 長新太」を読んでみたのだ。いや、たまげた。音楽評論家の手による「絵本評論」というものを生まれて初めて読んだのだが、鋭すぎるぞ! 絵本関係者による「長新太論」はずいぶん読んできたけれど、こんな切り口、文章の組立方があったとは。ほんと驚きましたよ。(以下抜粋)


 毎晩寝るときに娘に本を読んで聞かせていた。娘が生まれるずっと前、所帯を持つ前から俺の本棚には長さんの本がたくさんあった。

今でもたくさんあり、その数は増え続けている。長女は長さんの本が好きである。『ゴムあたまポンたろう』は連続20夜読んだ後、二日おいてさらに10夜、その後も断続的に何回も何回もリクエストされた。

『つきよのかいじゅう』で長女は三歳のとき、シンクロナイズド・スイミングを知った。本の背がはがれてからも「ボコボコボコボコ ボコボコボン」と読まされた。

『おばけのいちにち』も『ちへいせんのみえるところ』も『わたし』も『おなら』も『やぶかのはなし』も読んだ。四年間、長さんの本を読まない日はなかった。

その中に『えをかく』があった。



娘は谷川俊太郎も好きだ。『これはあっこちゃん』を読んで俺がクタクタになる様を見て大よろこびし、「じゃあ次、『えをかく』」というオーダーは、音読という修行であった。本を開いて、

「まずはじめに、じめんをかく」

 と声に出してみると、いつでも、ねっころがって読んでいるにもかかわらず、背筋がしゃんと伸びた。読み進みながら、音読の速度は増した。リズムがいいとか、のりが快調とか、そういうのとはちょっとちがった。音楽でいうグルーヴというものではなく、言葉と絵に、自分で発している音が加わって、ぐにゃぐにゃどたどたすいすいと動き出して止まらなくなってしまう。目の前に風景が広がるのではなく、次々に登場するものが日によってまったく異なった動きで重なり合ったり、ポコッポコッと浮かび上がってはあたりに漂っていったりする

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 長さんの『えをかく』の絵は少しずつ、くぐもった発色になっていて、線のにじみが他の作品には見られない調子になっている。見開きごとに関連性のあるものが描かれているが、すべてがひとつの連鎖の中にある。

『えをかく』は、もともと一編の詩として、今江祥智さんの編集する<児童文学1973 / 1>に発表されました。それを絵本にしようと、いじわるなことを考えたのも今江さんですが、長さんは一言半句たがえず、詩のとおりに『えをかく』というはなれわざで、みごと難問に答えてくれました。(『えをかく』復刻版あとがき)

 と谷川俊太郎さんは記している。

 たとえば、長さんは「かぜをかく くもをかく くものかげを」かいてしまう。「かばもかく」がそのかばは薄い灰色の丸いにじみだ。このあっさりとした灰色のシミは、あまりにもあまりにもそこはかとなくかばなのだ。ああああシミジミと、かば。

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シミがシミジミしているのはあたりまえじゃないの、ばか。とおっしゃるかもしれませんが、その次の次のページを見てみなさいよ、あなた。 「めにみえない たくさんの プランクトンをかく」んですよ。かいてしまうんですよ長さんは。こんなにシミジミとしたプランクトンは、この世でもあの世でも長さんにしか、かけません。


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 ページの右の端に、薄い灰色と黄色いシミが点々とある、めにみえない、たくさんのプランクトン。その次に長さんは、ゆき、こおり、しも、ゆうだち、さみだれ、てんきあめ、ひさめ、はるさめ、おおあらし、それらをすべてかく。かいてしまっている。

 最初にこの本を読んだとき(二十七年前)は黙読だった。読んで聞かせる相手が俺にはいなかった。長さんはすごいなあ、と思った。子どもが生まれて、声に出して読みながら絵を見つめていたら

「ゆうべのゆめをかく しにかけた おとこ もぎとられた うで ながれつづける ちと くさりはじめた にくをかく つむられた めと かわいた なみだをかく」のあたりでだんだん胸がどきどきしてきて、「しわくちゃの おばあさんをかく いっぽんいっぽん しわをか」かれたおばあさんの上に四角いワクの中に「なまえ」と描いてあるのを見ながら「それから えのどこかに じぶんのなまえをかく」と読み上げるころには目が涙でいっぱいになっていた。

「そして もういちまい しろいかみを めのまえにおく」

 と最後のページを読みながら俺は泣いた。最後の最後で再び、

「まずはじめに じめんをかく」

 と読み終えて、俺は流れ落ちる鼻水を止めることができなかった。言葉と絵に乗せて俺の中の過去が渦を巻き、粒になって飛び散っていった。娘に知られぬよう素早く鼻をかみ、涙をぬぐった。


『長新太 こどものくにのあなきすと』(KAWADE道の手帖・河出書房新社)
 p152〜153「かこうと思えば」湯浅学 より抜粋。

(俺、この本持ってたのに、湯浅氏の文章を読んでなかったのだ。失敗失敗。)
『音楽が降りてくる』湯浅学・著(河出書房新社)p177〜183に再録


2012年2月12日 (日)

「ちくわぶ」のこと

■だいこんが好きだったのだ。昔から。


こんな木枯らし吹きすさぶ夜には、きまって厚切りの大根を炊いたヤツを「ハフハフ」言いながら無性に食いたくなる。ただ、気をつけないと『じごくのそうべえ』の人呑鬼か、伊丹十三『女たちよ!』(文藝春秋)p53 の「■犬の歯を抜く話」になってしまうから要注意。


美味しいダイコンは、独身者にはなかなか食えるものではない。医者になってまだ3年目の僕がそうだった。当時ぼくは、信州中野にある厚生連北信総合病院小児科の勤務医だった。あまりよく憶えてはいないのだけれど、長野「すき亭」の本店が中野「福田屋」なのだが、その近くにオバチャンが一人でやってる「一杯飲み屋」があった。そのオバチャンが炊いたダイコンが、めちゃくちゃ旨かったのだ。

あらから20数年が経つが、ダイコンを上手に炊ける女性といっしょになれたことは、ほんと、この上ない幸せなのではないかと、しみじみ思う今日この頃だったりするワケです。


彼女の料理でダイコンが登場するのは、まずは「鰤大根」。それから「おでん」ですね。


特に「おでん」は日々進化している。「牛すじ」も加わった。
重要なことは、煮詰めすぎないこと、と彼女は言う。


■先日、久々に「ちくわぶ」のことを考えて文章を書いた。facebook に載せたのだが、読者は10数人しかいないので、以下に再録させていただきます。再読の方、ごめんなさい。

「ちくわぶのこと」


食の「関東」と「関西」の境目は、ほぼ中央構造線に沿っているといわれている(ほんとか?) だから、だいたい大井川が境界線となるかな。越すに越されぬ大井川ってね。


となると、天竜川沿線(もとい、JR飯田線沿線です)の伊那は、正確には関西圏に分類されることとなる。実際ぼくは、つい最近まで「ちくわぶ」という「おでんのタネ」を知らなかった。だって、スーパーにも売ってなかったし。


開業して数年経った頃だったか、信大小児科の先輩の杉山先生が「スーパーにちくわぶが売っていないのは何故?」とMLで発言しているのを読んで、ぼくは生まれて初めて「ちくわぶ」の存在を知った。「何それ?」


さっそく妻に訊いてみた。「ちくわぶって、知ってる?」彼女も知らなかった。どうも関東だけの「おでんネタ」で、中部地方から関西方面では存在しないらしい。


ところが、それから数ヶ月したある日、ベルシャイン伊那の紀文おでんコーナーに「ちくわぶ」を発見した彼女は、嬉々として「あったわよ!ちくわぶ」と言った。見ると、ちくわとは似ても似つかぬ白いメリケン粉の固まりを星形に長く成形した、まるで脱色した「ナマコ」のような変な物体がそこにあった。


正直、こんな「うどん粉」が美味いのかよ! そう思った。ところがだ。おでんの出しが芯まで(いや、ちくわと同じく芯はないのだ、ちくわぶには。)しみ込んだ煮込んで2日目くらいの「ちくわぶ」が、この世のものとは思えないほど美味かったのだな(何をまた大げさな)


以来、わが家のおでんには「ちくわぶ」が必需品となったのでした。今や子供たちも大好きで、ちくわぶの親子争奪戦が日夜繰り広げられているのでした。(おわり)

■じつは、これとほぼ同じことを、「2009/01/14の日記」で書いている。こうして、3年前の日記を読み返してみると、いや、面白いじゃないか! 思わず読みふけってしまった。それにしても、昔のほうが今よりもずっと面白いぞ。だめじゃないか。


2012年2月10日 (金)

続「宮沢章夫のエッセイ」は、どこが面白いのか?

■今夜もしつこく「この問題」を考えてみたい。

いろいろとググって、ずいぶんと宮沢さんの『牛への道』の感想を読んでみたのだが、どれもこれも似たり寄ったりで、どうも納得がいかない。ぼくが言いたいことは、そうじゃないのだ。


ならば、自分で言えよ!ってか。でも、それができないから歯がゆいのだよ。


昨夜、西春近の「テルメリゾート」3Fのトレッドミルで8km走ってお風呂で汗を流し、夜10時半過ぎ。久々に閉店直前の「ブックオフ」へ立ち寄った。今日の狙い目は、あくまで 105円コーナーのみ。まずは、最近マイブームの高峰秀子。このところずっと探している『わたしの渡世日記 上・下』は残念ながらなかった。でも、『コットンが好き』高峰秀子(文春文庫)を見つけた。¥400だ。カラー写真満載のこの本は、たしか「さとなお」さんも褒めていたぞ。というワケで、400円出して購入。


このところ探している作家さんは、今野敏『奏者水滸伝シリーズ』、堀江敏幸の文庫本、マイクル・コナリーの講談社未読文庫本、それから、宮沢章夫のエッセイ本だ。


そしたらなんと、105円の雑学本のコーナーに、宮沢章夫の新潮文庫から出ているエッセイが(しかも美本!)2冊もあったのだ。ラッキー! これだから定期的なブックオフ巡回は欠かせないな。


で、買った本はというと、『わからなくなってきました』宮沢章夫(新潮文庫)と『よくわからないねじ』宮沢章夫(新潮文庫)。後者はね、高遠町図書館で借りた『百年目の青空』と同じ本で、すでに一度読んだことがあったのだ。って、買ってから気が付くなよな!


■ところで、文庫『わからなくなってきました』の解説を、超ベテラン劇作家である「別役実」が書いていて、ぼくはまず「あとがき」や「解説」から本を読む癖があるから、読んでみたワケです。別役実。


そしたら、別役氏は見事に「宮沢章夫のエッセイは、どこが面白いのか?」を言語化して見せてくれたのです。なるほどなぁ、そうだったんだ。「ホップ・ステップ・ジャンプ」か! うまいこと言うなぁ。


なんか、1週間くらい便秘していたオバサンの排便後みたいな気分。 


ちょっといい加減な言い回しで、ごめんなさい。


2012年2月 5日 (日)

『牛への道』宮沢章夫(新潮文庫)の、どこが面白いのか。

■とにかく、このところのインフルエンザ大流行のせいで、物理的に自由になる時間が極端に減ったことに加え、昼休みも取れず午前からほぼ連チャンの午後の診療がようやく終わって、夜8時過ぎに遅い夕食を取れば、もうテルメに走りに行く元気もなく、血糖値が上がったところで睡魔に襲われ、午後9時半前にはベッドで朝まで寝てしまうという有様。

昨夜がまさにそんな一日であった。


だから、ブログなど更新している間がないのだ。 スミマセン。


■あと、もう一つ更新を怠った理由がじつはある。


『牛への道』宮沢章夫(新潮文庫)の、いったいどこが面白いのか、納得がいく説明ができるのかどうかずっと考えていたのだ。


■例えば、伊丹十三『女たちよ!』の場合、以前に読んだのは何十年も前なのに、それでもタイトルを見れば所々少しは記憶に留めていた。ところが『牛への道』の場合、エッセイのタイトルを見ても「どんな話」だったのか、全く記憶に残っていないのだ。あの有名な「崖下のイラン人」ですら、もう4〜5回は読んで、その度に笑っているはずなのに、いまこうして書きながらも何だったのかよく思い出せない。


伊丹十三の場合、男のダンディズムとか「こだわり」とか「うんちく」とか、こうでなければいけないという主義主張に満ちていた。それが、単なるキザとか、鼻持ちならぬ嫌らしさにならないところが伊丹十三の伊丹十三たる所以なワケで。


ところが、宮沢章夫氏はアプローチがぜんぜん違う。「だからなんだ?」という「どうでもいいこと」に一人こだわって、こだわって、考えて考えて文章にしている、その過程の文章が「そこはかとなく」面白いので、どんな話だったのかうまく要約できないのだ。だからたぶん僕の記憶に定着しないのだと思う。


逆に言うと、何度読んでもその度に初めて読んだ感覚で新鮮に大笑いすることができる、という全くもって稀有な本なワケです。こんな本ないぜ! あと、いろんな人が忠告しているけど、「この本」を通勤電車の中で読んではいけない。トイレでこそ読むのが正しいのデス。


■この本の「第三章」までは以前にも何度か読んでいたのだが、第四章「読むという病」は今回初めて読んだ。いや、面白いじゃないか!


宮沢氏が読んで面白かった本を紹介しているのだが、不思議なことに「その本」を読んでみたいとは決して思わないのだ。面白いのは「その本」に興味を持った宮沢氏の文章なのであって「その本」ではないのだな。


それと正反対なのが、『第二図書係補佐』又吉直樹(幻冬舎よしもと文庫)だ。読書好き芸人の又吉が読んで好きな本を紹介しているのだが、「その本」のことはラスト3行になってようやく言及されるだけなのに、それなのに、読んでいて「その本」がどうにも読みたくてしかたなくなっているのだった。不思議だ。

又吉は凄いぞ!


ぼくが好きなのは、古井由吉『杳子』を紹介しているページ。


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