体調不良から回復しつつある日々
■久し振りの体調不良に参っている。
それは日曜日の未明だった。突然、突き上げるような吐気と、キリで突き刺したかのような腹痛に見舞われ目が醒めた。枕元の目覚まし時計を見ると午前3時半。全身ぐっしょりと嫌な汗をかいている。
これはヤバイぞとベッドから這い出し、そろりそろりと階段を降り何とか1階のトイレに駆け込んでそのまま便座にうずくまった。額からは冷や汗が流れ、ぞくぞく寒気がした。吐きたいのに吐けない。これは辛い。吐きさえすれば楽になれるのに。そんなかんなで、15分くらいじっとしていただろうか、急に便意を催して排便したら(まだ下痢ではなかった)不思議と吐気と腹痛が遠のいて、そのまま炬燵に潜り込んで腹を抱えて朝まで寝た。
日曜日は、午後になったらずいぶんと回復したので、ちょいと無理してテルメに行って走ったのがいけなかったのだな。夜になって再び寒気がして熱が出た。腹痛は続いたが下痢はなく、夜は夕食の「ほうとう」は食べれたのだが……。
夜中に何度も目が醒めて、嫌な汗をかいたが、月曜日の朝には解熱していた。インフルエンザかも? と、NHKBSで『カーネーション』が終わったあと、妻にたのんで綿棒を僕の鼻の奥まで突っ込んでもらい、インフルエンザの迅速検査をした。このところ、毎日毎日厭きもせず何十人もの患者さんの鼻の穴に綿棒を突っ込む日々が続いていたのだが、まさか自分が「される側」になるとは思わなかった。正直に言うと、「される」のは初めてなのだ。確かにこれは辛い検査だなぁ。
結果は陰性。そうかフルではないんだ。となると、ノロウイルスか?
■じつは嫌な記憶が甦っていたのだ。
あれは今から30数年前のこと。当時ぼくは茨城県筑波郡谷田部町春日3丁目にあった木造2階建アパート「学都里荘(かとり荘)」の 201号室に住んでいた。たしか土曜日の夜だった。103号室に住んでいた佐久間と、松見公園前の飲食店街に入っていた「290円屋」という名の炉端焼きの店で2人呑んだのだ。
小さな黒板に、<本日のおすすめ>が何品か載っていて、その中に「酢牡蠣」があった。もちろん、290円だ。「なぁ、カキ食おうぜ!」そう言って注文したかどうかは忘れてしまったが、「もみじおろし」がちょこんと載った3個の小さな牡蠣を確かに食った。この日はしたたか酔っ払ったように思う。二人して千鳥足で歩いて学都里荘に帰り着き、「じゃあな、おやすみ」と言って別れて2階に上がり、そのまま万年ぶとんに潜り込んだ。
そしたら日曜日の未明午前3時半だ。
ぼくは突然の吐き気と突き刺すような腹痛に襲われた。脇の下に嫌な冷や汗をかいていた。
必死の思いで部屋を出て、ほとんど這うようにして、斉藤保が住んでいた 205号室の前にある2階の共同便所に入り、便器をかかえるようにして吐き続けた。何度も何度も。30分くらいそうしていたかなぁ。ようやく落ち着いて、再び這うようにして自分の部屋に戻ったかと思ったら、今度はぐるぐるぴーの水様下痢が始まった。
そんなかんなで、日曜日は一日中2階の共同便所と201号室を這って行き来することの繰り返しだったのだ。あれは、いま思い返してみても、ほんと辛かったなぁ。
そうして明けて月曜日の朝。げっそりとした顔でアパート1階に降りて行って、103号室の佐久間を訪ねたら、僕よりゲッソリとやせ細って青白い顔をした佐久間がふとんに伏せっていた。訊けば、彼も1階の共同便所と自分の部屋とをただただ繰り返し這って行き来しながら吐いて下痢し続けていたのだという。
それを聞いて、ぼくは何だかすっごく救われた気がした。そうして、思わず笑ってしまったのだった。あはは! ってね。
■で、今回の状況は「あの時」とほとんど同じだったのです。なんと、土曜日の夜の飲み会で、実は大きな「酢牡蠣」がでて、新鮮そうだったから僕は2個ぺろりとたいらげ、汁まで飲み干したのだった。
だから、やられたなぁ、と即座に思ったワケです。
ところがだ。月曜日の夜、土曜日の夜の会に同席した2人の人に会って「大丈夫でしたかぁ?」って訊いたら、二人とも何ともなかったんだって。じゃぁ、原因は別のところにあるのかなぁ。何となく納得がいかないなぁ。「あの苦しみ」を、是非とも共有したかったのに……。
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