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2012年3月

2012年3月23日 (金)

一年ぶりの『上伊那医師会報・巻頭言』

■「上伊那医師会報 2012年/ 3月号」の「巻頭言」を書く当番がまた廻ってきた。医師会事務局の稲垣さんから「北原先生、次号の巻頭言、3月16日が締切ですから宜しくお願いします」というメールがきたのだ。あれは、2月24日のこと。


医師会報の「巻頭言」は、上伊那医師会の理事が持ち回りで書くことになっている。前回ぼくが書いたのは、ちょうど1年前の「3月号」だった。それが、「この文章」だ。


タイムリーな話題であったこともあり、この文章は『長野医報』に転載され、さらには『千葉県医師会雑誌』にも載せていただいた。たいへん光栄なことであった。そこで、2匹目のドジョウではないが、今回も「ツイッター」のはなしで行くことに決めた。タイトルは、「当事者の時代」だ。


何故かというと、前回の文章の中で佐々木俊尚氏の『キュレーションの時代』(ちくま新書)を取りあげていたので、今回も、佐々木氏の1年ぶりの新刊『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社新書)から「いただく」ことにしたのだ。勝手に盗用ごめんなさい。


ただ一番の問題は、この巻頭言の締切が『「当事者」の時代』佐々木俊尚・著の発売日である 3月16日(金)であったことだ。タイトルを戴くことは決めていたものの、さすがに本文も読まずに使ったのでは気が引ける。で、当日の夜に「いなっせ」西澤書店で「この新書」を見つけて買って帰った。ところが、ぺらぺら捲ってみたら、ぼくが予想した内容の本とはどうもちょっと違う本であるらしい。困ったぞ。


というワケで、「この本」からは単にタイトルだけを戴いて、内容は以下の本、ネット上の文章、などを参考にして書き上げました。ですので、どこかで読んだことあるような主張だなぁ、と思われてもしかたありません。ぼくオリジナルの考えではないのですから。それから、以下の文章は上伊那医師会報に投稿したものを、さらに改稿増補したものです。


<参考文献>

『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志・対談集(金曜日)
『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』辺見庸(NHK出版新書)

・ほぼ日「しがらみを科学してみた」
・ほぼ日「メディアと私 糸井重里 × 佐々木俊尚」

・小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」 より「メディア陰謀論を共有する人たち」
・小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」 より「レッテルとしてのフクシマ」


          当事者の時代           北原文徳

 ちょうど1年前に「Twitter」のはなしを書かせていただいたのだが、今回もその続きです。ネットを見ていたら「やるだけ損? 芸能人のTwitter利用の是非」という記事があった。雨上がり決死隊の宮迫博之の呟きがもとで炎上状態になったとのこと。で、実際のツイートを読みに行ったら、過大広告も甚だしい、たわいのない内容のボヤでお終いじゃないか。なんだ、つまらない。


 ところで、宮迫のフォロワーの数は618,409人、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の北村役でブレイクした「ほっしゃん。」が130,535人、それから、文化人だと糸井重里氏のフォロワーは479,748人もいる。ちなみに僕のフォロワーは231で、そのうちの2/3は営業アカウントだから読者じゃない。つまり、Twitterというツールは、あくまで有名人の個人ラジオのリスナーとして一般人の多くが参加するプラットホームなのだ。そういう意味ではフォロワーの少ない無名人が情報発信するツールではない。


 ところが、Twitterの面白いところは「メンション(言及)」を飛ばすと言って、@アカウントで直接その有名人に関して誰でも呟けるので、運良く彼(彼女)がそのツイートを目にして気に入り「リツイート」すれば、彼のフォロワー数十万人が瞬時に自分の発言を読むことになるのだ。


しかも、あからさまなヨイショ発言よりも攻撃的で批判的な発言のほうが感情的になった有名人は「晒し」の意味合いを込めてリツイートすることが多い。そうまでして有名になりたい悪意に満ちたバカな輩がネット上には多いからほんとウンザリしてしまうし、そういう事態すら予測できずに、ただ単に有名人の悪口を気軽な気持ちで呟いただけなのに、いきなし「その有名人」のファンから猛烈な非難の攻撃を受けてしどろもどろになり、「有名人が僕のような無名人を晒してイジメるのは卑怯だ」みたいな最後っ屁を残して自分のアカウントを削除するアホがいっぱいいることがほんと情けない。


 さらに厄介なのは、悪意のかけらもなく自らは善意と正義の使者の如き輩がネット上を徘徊しながら、まるで旧東ドイツの秘密警察気取りで、他人の発言の揚げ足取りや吊し上げに躍起になっている無名人がいることだ。彼らは、あの 3.11 後に一気に勢力を拡大した。被災した人々に対して不謹慎な発言だというのが彼らの論理だったが、さらに問題を複雑にしてしまったのが福島第一原発による放射能被害だ。


 彼らは「弱者」を勝手に代弁する人々だ。自らは安全地帯に身を置きながら、東京電力や原子力ムラを絶対的な悪として徹底的にバッシングした。これは一面正しい。僕も基本「脱原発」だから。


ただ問題は「私は加害者とは何にも関係ありません」という正義の味方的な態度にある。じゃぁ、あんたは福島第一原発が放射能を撒き散らす前から「原発反対」の旗頭を上げていたのか? 当たり前のように福島第一原発で作られた「電気」を利用していたのではないか? となれば、あんただって「加害者」という「当事者」なのではないか?


そのあたりの傍ら痛い感覚を、下諏訪町在住の樽川通子さんは信濃毎日新聞「私の声」に投書したのだ。


だから、彼らの東電バッシングは、反面多大な危険性を秘めることとなる。われわれ日本医師会を含め過去の既得権にしがみつく者たちを悪の根源として徹底的に批判してきたのが自民党小泉政権であり、いまの橋下大阪市長なのだ。敵を断定し、ズバッと切ってくれる政治家を今の大衆は渇望している。そこには微かにファシズムの足音が忍び寄っているのではないか?


 『瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ』辺見庸(NHK出版新書)のあとがきを読むと、この本のテーマは「言葉と言葉の間に屍がある」がひとつ。もうひとつは「人間存在というものの根源的な無責任さ」である。と書いてあった。この言葉は重い。当事者のみが語ることができるということは、3.11 一番の当事者は、2万人にもおよぶ死者たちなのだから。     


2012年3月19日 (月)

伊那東部中学校卒業式での、3年生「フィンランディア」

■先週の金曜日、3月16日は、伊那東部中の卒業式だった。 わが家の長男も、無事卒業することができた。ほんとよかった。 以前にも書いたが、ぼく自身のダメダメな中学校時代と違って、わが長男の中学校生活は、陸上部の部活動に完全燃焼したまさに由緒正しき「古典的正統派中学生」だったと思うのだが、彼に訊いてみると必ずしも順風満帆ではなかったようだ。彼なりに小さな挫折と失敗、苦難と反抗を繰り返してきたのだという。そうかそうか、ほんとよくがんばったな。 卒業おめでとう!  


YouTube: 2012年3月16日 伊那市立東部中学校卒業歌 フィンランディア

■卒業式当日は、診療があったので参加できなかったし、中継録画した伊那ケーブルTVの番組を契約切れで見れなかったので、妻の話だけから想像するしかなかった、伊那東部中の卒業式だったが、ラッキーなことに、当日3年生294人が歌った卒業歌「フィンランディア」が YouTube にアップされていた。これが、圧倒的迫力の混声合唱でほんと素晴らしい!! 指揮をした唐沢流美子先生は、伊那東部中「合唱部」顧問として長年指導し、伊那東部中を全国大会でも常勝の合唱部に育て上げた凄い先生。でも、今年度を限りに引退することが決まったのだった。

2012年3月14日 (水)

男性ジャズ歌手が歌う歌詞は「男言葉」なのか?(その2)

■じつは、アンドレア先生(オーストラリア出身)が、トニー・ベネットの『Duets II』を貸してくれる前に、いま一番の「お気に入りCD」を貸してくれたのだ。それが、


ロッド・スチュワート『ベスト・オブ・ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』だった。


ぼくは正直、「えっ?」って思った。あの、金髪兄ちゃんが豹柄パンツの姉ちゃんを抱きながら「イェィ!」って言ってるジャケットの人でしょ。ぼくがまだ高校生の頃のことだったかなぁ、彼の「セイリング」がヒットしたのは。日本人で言えば「もんたよしのり」のような「しゃがれ声」でハイトーンを正確な音程でシャウトできる稀有な男性ヴォーカリストであったことは認めるが、いかんせん、当時の印象では女の子受けだけを狙った、軟派の兄ちゃんといった雰囲気だった。


そのロッド・スチュワートが、ずいぶんと前からジャズのスタンダード・ナンバーをCDに吹き込んでいて、それが評判を呼んで、Vol.5 まで出ていたとは、恥ずかしながら僕はぜんぜん知らなかったのだ。で、昨年春に『ベスト・オブ・ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』が出たというワケだったのだね。






YouTube: Rod Stewart & Jeff Beck - People Get Ready.mp4


YouTube: Sailing ROD STEWART (ロッドスチュワート)






YouTube: Rod Stewart - I'll Be Seeing You


で、その『ベスト盤』を半信半疑で聴いてみたら、ほんと思いがけず、すっごくいい。


驚いたね。あの、ロッド・スチュワートがジャズ唱ってるんだよ。


そんな感じで、気軽に気持ちよく聴いてたら、ふと、苦しいときも、つらいときも、何度も何度も聴いてきた曲が流れてきてビックリした。それは「アイル・ビー・シーイング・ユー」って曲。これ、大好きなんだ。ビリー・ホリデイの名唱で世の中に知れ渡った曲さ。


こうしてね、目をつぶって聴いていると、なんか、ロッド・スチュワートに、あのビリー・ホリデイが憑依したんじゃないかっていう歌いっぷりなんだよね。節回しとか、そのままだし。ヘロインでダメダメになってしまった後の『レディ・イン・サテン』の頃のビリー・ホリデイにね。


あと、そうだなぁ『言い出しかねて』も、彼はビリー・ホリデイの唄い方を踏襲しているような気がする。それから、前回の写真に載せた『vol.3』 冒頭の「エンブレイサブル・ユー」も、「アイル・ビー・シーイング・ユー」や「水辺にたたずみ」が収録されている傑作『奇妙な果実』で、ビリー・ホリデイが唱っている雰囲気を感じる。


ロッド・スチュワートは、たぶんビリー・ホリデイを相当聴き込んでいるに違いない。そう思った。

ネットで読んだら、彼はサム・クックの熱烈なファンであることを公言しているので、サム・クックのレコードに『トリビュート・トゥ・ザ・レイディ~ビリー・ホリデイに捧ぐ』というのがあるから、こちらも影響しているのかな。


■ただ、「I'll Be Seeing You」って曲は、どう考えたって女性の唄だよな。


日本語だと、一人称で明確に男か女か判るし、例えば「AKB48」や「いきものがかり」が歌う歌詞には「僕」がよく登場するが、女の子が歌っていてぜんぜん不自然ではない。逆に、福山雅治は女性の一人称で歌うし、徳永英明は女性歌手の持ち歌をそのままカバーする。わざわざ歌詞を男用に変えることはしない。


で、ふと思ったのだが、英語で歌う場合にはどうなんだろうか?

I と You だけなら、どっちが男でも女でも意味が通じるのかな?

でも、さすがに「マイ・マン」とか、「ザ・マン・アイ・ラヴ」って曲は男性ジャズ歌手には歌えまい。


■ところがだ、今回、トニー・ベネットの『デュエット II』を聴いてみたら、シェリル・クロウと歌う曲がまさにその「ザ・マン・アイ・ラヴ」なのだが、何と「ザ・ガール・アイ・ラヴ」と男用に歌詞が変えられていたのだ。なるほど、そうだったのか。


YouTube: Tony Bennett & Sheryl Crow duet- "The Girl I Love" (Great Performances: Duets II - PBS)

いずれにしても、作詞・作曲された当時のオリジナル・ミュージカルで女性が歌ったのか男が歌ったのかで決まるのかな。うーむ、まだよくわからないぞ。(3月19日 追記)

2012年3月12日 (月)

男性ジャズ歌手が歌う歌詞は「男言葉」なのか?

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■中3の長男が英語を教えてもらっている、北原アンドレア先生からCDをお借りした。トニー・ベネット『Duets II』だ。超ベテラン男性ジャズ歌手が、85歳の現役歌手生活を記念して、いま一番生きがいい各方面で話題の若手歌手とデュエットした豪華企画アルバムだ。


驚いたのが1曲目。なんと彼のデュエット相手は、あのレディー・ガガ。しかも、めちゃくちゃいい! レディー・ガガって、こんなに歌が上手かったっけ? パンチの効いた歌声、抜群のリズム感。若い頃にジャズを唄った美空ひばりか、アントニオ・カルロス・ジョビンと「おいしい水」をデュエットしたエリス・レジーナみたいな感じだ。ほんと、じゃじゃ馬娘みたいで楽しそうに歌っているじゃないか。


あと、つい最近、まだ若くして薬中で急死したエイミー・ワインハウスとの「ナイト&デイ」とか、ノラ・ジョーンズとの「スピーク・ロウ」あたりが個人的好みだが、他にもシェリル・クロウ、マライア・キャリー、アレサ・フランクリン、ウィリー・ネルソン、A・ボチェッリとか、意外な組み合わせが聴かせるのだった。


こういう「大人のアルバム」がアメリカではちゃんとヒットするのだな。50代以上のオジサン、オバサン、おじいちゃん、おばあちゃんがCDを買うのだ。日本では考えられないんじゃないか?


例えて言えば、北島三郎が AKB48や、絢香、JuJu、スーパー・フライ、福山雅治とデュエットしているようなもんだからだ。


ぼくは「ジャズ・ヴォーカル」好きなのだが、男性ジャズ歌手は、正直言って興味の対象外だ。とは言え、シナトラも、ナット・キング・コールも、メル・トーメもトニー・ベネットもLP、CDで持っていはる。最近の若手歌手では、カナダ・バンクーバーで開催された冬季五輪開会式で歌った、マイケル・ブーブレのCDもある。(つづく)


2012年3月 4日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その88)下伊那郡豊丘村公民館

■ご心配をおかけいたしましたが、この金曜日くらいから、ようやく体調が戻った。


へんな寒気や嫌な怠さが消失したのだ。よかったよかった。飯も食えるようになったし、土曜日の夕方には一週間ぶりでテルメに行って走ってきた。さすがに時速11km のペースはキツかったので、10.4km に落としたら案外楽で1時間続けて走れた。トータル10kmちょっと。でも、右足の踵が痛くて辛かったな。


■さて、今日の日曜日は久々の「パパズ」だ。


下伊那郡豊丘村の公民館から呼ばれたのだ。開演は午前11時。10:30 現地集合。
僕は少し早めに家を出た。9:15。


当初、高速で南下する予定だったのだが、ナイスロード沿いのGSでガソリンを入れながらふと、ここから伊那インターまで戻るのは距離的に無駄足だよなぁって、思ってしまったのだ。で、そのまま国道を南下することにした。これが案外早かった。午前10:15 には到着してしまったのだ。まだ他のメンバーは誰も来ていなかったよ。


今回は何でも、年4回のシリーズで企画された「父と子のイクメン講座」の最終回? だったみたいなのだが、参加親子は5〜6組でトータル20人に満たない、すごくアットホームな雰囲気の会だったな。ただ、せっかく伊東パパが先鋒で「つかみは抜群!」だったのに、次鋒のぼくが外してしまい、すっかり嫌になってしまった親子連れが2組ほど途中退場した。悲しかった。ゴメンね。


<本日のメニュー>


1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東
3)『えをかく』谷川俊太郎・詩、長新太・絵(講談社)→北原
4)『トラのじゅうたんになりたかったトラ』(岩波書店)→坂本

5)『かごからとびだした』(アリス館)→全員

6)『串かつやよしこさん』長谷川義史(アリス館)→宮脇
7)『くろずみ小太郎旅日記その7秘湯、まぼろし谷の怪の巻』飯野和好(クレヨンハウス)→倉科

8)『ふうせん』(アリス館)
9)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)


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