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2014年9月21日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その110)上伊那郡箕輪町松島コミュニティセンター

■今日の日曜日は、午前10時から箕輪町松島コミュニティセンターで伊那のパパズ。

箕輪町は、町を挙げて子供への絵本読み聞かせ啓蒙活動に力を入れていて、8月2日には、文化センターで大地康雄が主演した映画『じんじん』の上映会をやったり、その前の7月13日には、絵本作家サトシンさんの絵本ライブを開催している。そういえば長谷川義史さんも、毎年のように呼んでるなぁ。すごいぞ。

だからなのか? とにかくお父さんの参加率が異常に高い。今日も15,6人は来てたな。偉いなぁ。

      <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『まるまるまるのほん』エルヴェ・テュレ作、谷川俊太郎訳(ポプラ社)→北原

3)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄・作絵(福音館書店)→坂本

4)『おめんです』いしかわこうじ(ビッグブック/偕成社)→坂本

201409211

5)『かごからとびだした』(アリス館)

6)『バナナじけん』高畠那生・作絵(BL出版)→宮脇

7)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)

201409212

8)『ヤカンのおかんとフトンのおとん』サトシン作、赤川明・絵(佼成出版社)→倉科

9)『ふうせん』(アリス館)

10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2014年9月14日 (日)

「演劇の時間」 太田省吾『舞台の水』(五柳書院)より

■錦織のUSオープン決勝戦が見たくて、ネットで WOWOW視聴契約をした。2日前だったが、すぐに見ることが出来た。決勝戦は残念だったけれど、準決勝のジョコビッチ戦も録画できてよかった。

それにしても、WOWOWは3チャンネルもあって、そのコンテンツの充実ぶりには驚くばかりだ。10月には、先達て PARCO劇場で観てきたばかりの芝居『母を欲す』の舞台中継を放送するらしい。さらに、同じ時に渋谷シアターコクーンで上演していた『太陽2068』も放送するそうだ。早いな。

■ただ、テレビで見る「舞台中継」ほどつまらないものはない。DVDでも同じだ。何故なんだろう?

そこに映っているものが、実際に劇場へ足を運んで、ナマで体験した舞台とは似ても似つかぬ代物になってしまっているからだ。テレビや映画のようなカメラワーク(役者のアップや、スピーディなカット割り)が過剰でおせっかいなことが原因なのか? とも思っていたのだが、正面から引きの固定画像がほとんどの「落語のDVD」も、CDで聴くのと違って、案外ちっとも面白くないから、もっと根本的な問題があるのだろう。

「臨場感」:演者と同じ場所、空間に観客として「いま・ここ」でいっしょに参加している、同じ「場」の空気を皆で同時に吸ったり吐いたりしている(同じ場面で笑うためには、その前に息を吸っておかないといけない)感覚。テレビでは「それ」が味わえないからなのではないか。

                     ○

むかし買った演劇関係の本を納戸で探したがあまり残ってなくて、転形劇場主宰・太田省吾の本が3冊と、『別冊太陽 現代演劇60's〜90's』(平凡社)が見つかっただけだ。もっと小劇場関係の本もあったように思ったのだが、みんな処分してしまったのか。

この「別冊太陽」の47ページに、「演劇の時間」と題された太田省吾氏の印象的な文章が載っていた。ネットで調べたら『舞台の水』太田省吾(五柳書院)p29〜p31 に収録されている。この本は持ってなかったので、ネットで古書を探して早速手に入れた。便利な時代になったものだ。

そこには、とても大切なことが書かれていたのだ。

                     ○

          「演劇の時間」   太田省吾

(前略)劇場に人々がやってくる。そして幕が開き、芝居が演じられ、幕が下がり、人々が散っていく。---- あれは一体なんだったのだろう。演劇にはそう思わせるものがある。舞台をつくる者と観客、その数百人の人々が劇場という一定の場所に集まり、一定の時間を共有する。これは何ごとかである。しかし、あとに残るものはなにもない。終わると同時にあとかたもなくなる。

 台本は残る。あるいは、ビデオや写真をつかって記録を残すことはできる。それらによって、作品としての構成やその性質を記録することはできる。しかし、どうしてもその記録では記録できないものがある。いわば、あれは一体なんだったのだろうと思わせるところが記録できない。終わると同時にあとかたもなくなるところがビデオには写らない。(中略)

 フィルムやビデオテープに写らないもの、それを自意識の再認識の発端とすると、演劇はその写らないところ、<今ここで>を生きる場にするものだということになる。

<今ここで>とは、生(なま)の時間ということだ。要約できないし、記録できないもののことだ。私は、演劇とはこういう時間に触れようとする望みのものだと思っている。(中略)

 しかし、表現が生(なま)の時間に触れるのは難しい。一切の要約、一切の概念化なしの表現など不可能だからだ。わたしたちの目は、あらゆるものごとをまず概念化する目だ。あるものに目をやる時、わたしたちはそれの名や意味を見、それでそのものを見たことにしている。バラを見る。ああバラだ、きれいだ、でバラを見たことにしている。

 わたしたちの生活は、だいたいこの目で生きていける。だが、それでは見たことにならないものごとにぶつかる時がある。その時、わたしたちはその前で立ち止まらなければならない。

 立ち止まり、それに近づき、時間をかける。その時、わたしたちは概念化の目によって名や意味に要約できないものと出会う。こういった時ではないだろうか、わたしたちが生(なま)の時間、<今ここで>という時間をもつことができるのは。(中略)

 概念化され、要約して生きるわたしたちは、しかし概念化し概念化され、要約し要約されることを拒みたいのだ。言いかえれば、わたしたちは時間に触れたい、時間を見てみたい。殊に、時間の最も時間たる時間、現在という生の時間、<今ここ>が欲しい。それはわたしたちが死ぬ者だからだというのは話のとばしすぎだろうか。

 生まれ、生きることは何ごとかだが、死と同時にあとかたもなくなる。あとかたもなくなるところがわたしたちの生(なま)の生だ。そのわたしたちの生を肯定したい。概念化や要約を拒まなくてはならないのは、その肯定にとって死活問題と言ってよい。演劇は、案外遠くなく、わたしたちのそんなところと血脈を通じているのかもしれない。

  『別冊太陽 現代演劇60's〜90's』p47(平凡社)1991年3月

                    ○

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■劇作家の宮沢章夫氏は、ブログ「富士日記2.1」2010/07/26 の中で、太田省吾『舞台の水』の中から上記「演劇の時間」と「演劇は本当にライブか」(p32) に言及している。あと、『あるとき太田さんが「演劇は詩に近い」という意味のことを話していた。』と書いてあるのは、「演劇とイベント」(p76) の内容と呼応している。さらに、「この本」の帯にはこう書かれているのだった。

 痛み、怖れ、ためらい、はじらい、おののきから

 演劇は生まれる。 

 喜怒哀楽は表現ではない

2014年8月12日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その108)下伊那郡喬木村「椋鳩十記念図書館」

■8月10日(日)午前10:30 より、下伊那郡喬木村「椋鳩十記念図書館」で絵本を読んできた。この日は、喬木村「こども夏まつり・全村読書の日」ということで、図書館周辺では多くの催し物が行われたのだ。

台風が刻々と近づく中だというのに、思いのほかたくさんの親子連れが見に来てくれてうれしかったな。ただ、伊東パパと宮脇パパは欠席で、北原、倉科、坂本の3人だけで頑張ったのでした。カメラを忘れたので写真はなしです。スミマセン。

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          <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『はなびがあがりますよ』のむらさやか・文、折茂恭子・絵(こどものとも年少版/2014/8月号)→北原

3)『ねこガム』きむらよしお(福音館書店) →坂本

4)『うちのおばけ』谷口國博・文、村上康成・絵(世界文化社) →全員

5)『うみじじい』菅瞭三・作(こどものとも/1999/8月号) →倉科

6)『かごからとびだした』(アリス館)

7)『へいわってすてきだね』安里有生・詩、長谷川義史・絵(ブロンズ新社)→北原

8)『さんまいのおふだ』水沢謙一・文、梶山俊夫・絵(福音館書店)→坂本

9)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)

10)『おとん』『おかん』平田昌広・文、平田景・絵(大日本図書)→倉科

11)『ふうせん』(アリス館)

12)『世界中のこどもたちが』新沢としひこ(ポプラ社)

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■この日はめずらしく、読もうと思って持ってきた絵本が坂本さんとバッティングしてしまった。『はなびがあがりますよ』だ。そしたら、倉科さんも「おなじ絵本」をバッグから出したのでビックリ!

坂本さん曰く。「この絵本、評判がいいんですよ!」 ですって。

 

2014年7月 6日 (日)

『クラバート』プロイスラー作、中村浩三・訳(偕成社)

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■『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋)を読んでいて思い出したのは、2つのマンガだった。『羊の木』と、それから『光る風』山上たつひこ(週刊少年マガジン連載 1970年4月26日〜11月15日)だ。奇遇にもどちらも作者は「山上たつひこ」だった。

『光る風』の表紙をめくってすぐの扉に書かれている言葉

過去、現在、未来 ------

この言葉はおもしろい

どのように並べかえても

その意味合いは

少しもかわることがないのだ

ほんとうにそのとおりだ。小学6年生のぼくは、この漫画が連載中の少年マガジンをリアルタイムで読んでいる。あれから44年も経って、この漫画がリアルすぎるくらい現実味を帯びてくるとは、思いも寄らなかった。

あと、気になったこの記事。「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 やっぱり「この映画」も見ないとダメだ。

それにしても、今すぐ読め!の「旬の小説」だよなぁ。『ボラード病』。

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■伊那のブックオフで 105円だった『クラバート』プロイスラー(偕成社)、入手後長らく積ん読状態だったのだが、少しずつ読み進んで一昨日読了した。いやぁ、これは深い本だな。読み終わってしばらく経った今も、ずっとこの本に囚われたままだ。いろいろと考えさせられる。

宮崎駿監督のお気に入り児童文学で『千と千尋の神隠し』にも取り入れられているという。なるほど、「湯婆婆」のモデルが「荒地の水車場」の親方だったのか。

14歳の主人公クラバートは、夢のお告げに導かれて荒野(あれの)の果ての人里離れた湿地帯のほとりに建つ一軒家の水車場(すいしゃば)の職人見習いになる。そこでは、片眼の親方と11人の先輩職人たちが働いていた。

ぼくが入手した旧版の表紙には、この荒地の水車場と12羽のカラスが描かれている。物語全体を覆う、このじめっとした暗さが何とも不気味で、親方や先輩職人たちの謎に満ちた行動も読んでいて意味が分からずただただ不安はつのるばかり。それが『一年目』(119ページまで)

そして物語は「二年目」「三年目」と同じ季節、同じ年間行事が「3回」繰り返される。これは「昔話」によくある物語構造で、『三匹のこぶた』『やまなしもぎ』『三びきのやぎのがらがらどん』と同じだ。これら絵本では3人は兄弟で別人なのだが、昔話の本来的な意義で考えると、クラバートのように同一人物が「3回繰り返す」ことによって、徐々に成長し最後の3回目には見事目的を達成する、というふうに出来ているのだ。

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■この水車場では、自由に魔法を操れる親方が絶対的権力を握っていて、職人たちはこの職場から逃げ出すことはできない。逃亡を試みても必ず失敗する。その代わり、腹一杯の食事と毎週金曜日の夜に親方から魔法を教わる講義がある。もちろん、簡単に憶えられる呪文はない。弟子それぞれの努力と力量にかかっている。

ただ、その絶対的「親方」にも実は「大親方」がいて、毎月新月の夜に馬車で乗り付け、親方を他の職人と同じにこき使うのだ。親方とて、その「闇のシステム」の中では歯車の一つに過ぎず、さらに圧倒的な巨大なものに支配されているのだった。

職人たちの中には、仲間を絶えず監視していて、怪しい行動をとると直ちに親方に告げ口する奴もいる。もちろん、後輩をかばって何かとクラバートの面倒をみてくれる先輩トンダのような信頼すべき奴も登場する。

こうした水車場での描写は、村上春樹氏のエルサレム講演「壁と卵」に象徴される「システムと個人」の問題、もっと平たく言って、我々がいま暮らしている日本の社会、職場にそのまま当てはまることばかりではないか?

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■この本は、チェコでアニメ映画化され、ドイツでは 2008年に『クラバート 闇の魔法学校』として実写版映画化された。魔法学校なんていうと、ハリー・ポッターみたいなストーリーを思い浮かべるかもしれないが、『クラバートでは魔法のあつかい方も復讐すべき敵も、ハリー・ポッターとはぜんぜん違う。ここが重要。

『クラバート』を突き詰めると、結局ギリシャ悲劇『オイディプス王』になるのではないか?

父親を殺して母親と結婚するオイディプス王。

実際、作者のプロイスラーが少年時代に読んだ、ヴェンド人に伝わる「クラバート伝説」では、「ソロを歌う娘」の役割をクラバートの母親が担っていたという。

少年から青年へ。そして大人へと成長する過程で対決しなければならない「父親」という存在。それから、人魚姫が足を得る代わりに「大切なもの」を失ったように、また、アリステア・マクラウドの短編『すべてのものに季節がある』の主人公が、ある年のクリスマスイヴの晩、父親から一人前の大人としての扱いを受けた思いがけない喜びと裏腹に、魔法の世界で暮らしていた幸福な「子供時代」の終わりに気づかされた、喪失という深い悲しみ。大人になるということは、そういうことだ。クラバートにはその覚悟ができていたのだろうか?

50歳代のオヤジは、変なことを心配してしまうのだった。

意外とあっさりとしたラストだが、昔ばなし風の味わいと余韻があって、ぼくはかえって好きだな。

2014年5月23日 (金)

『ハリエットの道』(日本キリスト教団出版局)を読む。

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『ハリエットの道』キャロル・ボストン・ウェザーフォード文、カディール・ネルソン絵(日本キリスト教団出版局)を読む。「女モーゼ」とも呼ばれたハリエット・タブマンの生涯を、力強い迫力のタッチで描いた傑作絵本。感動した!

「ハリエット・タブマン」は、南北戦争前後のアメリカに実在した黒人女性で、日本でいうと江戸時代末期、メリーランド州の黒人奴隷だった彼女は、理不尽な仕打ちに耐えきれなくなって、ある晩、保守的な夫を残し「ご主人様」の家を脱走する。彼女は、北斗七星が指し示す「自由な北」を目指して、たった一人 145km の道のりをひたすら歩いてペンシルヴェニア州フィラデルフィアにたどり着き、とうとう自由の身になることができたのだった。

ただ、もちろん彼女一人の力では、その逃亡劇は実現不可能だった。

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当時、先進的な奴隷制廃止論者の白人や自由黒人、宗教関係者を中心とした「秘密のネットワーク」が各地にあり、彼らの組織のことを、隠語で「UnderGround RailRoad」と言った。この「自由への地下鉄道」は、実際に「地下鉄」があった訳ではなくて、支援者・協力者がいる「点」を「線」で結んで、ちょうど「駅伝」のような仕組みで、北の自由の地、遠くは「カナダ」まで黒人奴隷を逃がしてやっていたのだった。

逃亡者たちは、昼は支持者の教会や農家の納屋に隠れて過ごし、夜になって北へと移動した。

John Coltrane - Song Of The Underground Railroad
YouTube: John Coltrane - Song Of The Underground Railroad

■ジョン・コルトレーンが、インパルス・レーベルで最初に出した『アフリカ/ブラス』に、当初収録されるはずだった「Song Of The Underground Railroad」は、その政治的意味合いからかレコード会社は「お蔵入り」にしてしまい、コルトレーンの死後になってようやく日の目を見た楽曲だ。力強く自信にあふれ、スピード感と勢いがある名曲だというのに。

CDのクレジットを見ると、Traditional をコルトレーンがアレンジしたとあるが、今回いろいろと YouTube で「自由への地下鉄道」関連の楽曲を調べてみたけれど「同じ曲」は見つからなかった。もしかすると、曲調からしてコルトレーンのオリジナルなのかもしれないな。

 インパルスのセッション記録を見ると、『アンダーグラウンド・レイルロード』は当初、『北斗七星をたどれ』というタイトルにする予定であった。逃亡する黒人たちは、夜陰にまぎれ、北斗七星の輝きを頼りに北へ向かった。”北斗七星をたどれ”という曲名は、そのことを暗示している。

 嗅覚に優れた犬を使う追ってを攪乱するため、逃亡奴隷は胡椒を撒き、小川やクリークの中をたどって匂いを分断した。捕らえられれば引き戻され、見せしめのリンチが待っている。運良く逃げおおせても、その首には懸賞金がかけられ、生かすも殺すも、これを捕らえた者の裁量に任された。

たどり着いたオハイオ川の北岸シンシナティ、リプリー、ポーツマスといった街には、逃れてきた黒人たちの受け入れ拠点があったが、1850年に強化された「逃亡奴隷法」以降は、さらに北のカナダへ逃れなくてはならなくなった。

南部に生まれ、北部フィラデルフィアを第二の故郷とするコルトレーンは、学校だけでなく、牧師であった祖父からも学んで、そうした奴隷の歴史、すなわち自分のルーツを熟知していた。

『コルトレーン/ジャズの殉教者』藤岡靖洋(岩波新書 1303)p116〜117

■ハリエット・タブマンの凄いところは、その後「自由への地下鉄道」の「車掌」となって、何度も南部へもどり、自分の命の危険を犯してまで、他の奴隷たちを北に逃がしたことだ。

「1860年までにハリエットは19回も南部へもどり、300人もの乗客の奴隷たちを自由の身にしました。ハリエットがかかわった奴隷は、ひとりの例外もなく全員が自由になったのです。」(『ハリエットの道』作者あとがきより)

2014年5月11日 (日)

伊那のパパズ、結成10周年記念ライヴ。本当に多数ご来場ありがとうございました!

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■いったい何人来場してもらえるのか、正直不安だった。多すぎて会場に入れない人が出ては困るし、少なすぎてガラガラでも拍子抜けだ。当日は、普段の土曜日より1時間早く店仕舞いして、午後1時に現場へ。

すでに集合していた4人のメンバーと会場設定作業に入る。いつもは「主催者」が別にいるので、じつは自分たちで会場の準備をするのは初めてなのだった。その割には手際よくテキパキと作業は進み、倉科さんの奥さんが作ってくれた、ステキな「ステージ飾り付け」を展示して準備完了!

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■午後2時半過ぎには、続々と来場者が! 最終的には「多すぎず少なすぎず」スペースちょうどの人数(120人くらいか?)が集まってくれた。知ったお母さんお父さん、子供たちの顔も多い。ほんとありがたかったなぁ。うれしかった。まさか10年も続くとは思っていなかったので、感無量でした。

長野日報さん、伊那ケーブルテレビさん、SBCラジオさん(5/13「火」の、午後 1:08〜1:15 放送予定)が取材に来てくれた。感謝です。

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        ■ <本日のメニュー> ■

1)『はじめまして』新沢としひこ・作 (ひさかたチャイルド)

2)『とてもおおきなサンマのひらき』岡田よしたか(ブロンズ新社)→伊東

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3)『おーいかばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド)

4)『おおかみだあ!』(ポプラ社)→北原

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5)『かごからとびだした』(アリス館)

6)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏雄(福音館書店)→坂本

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7)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)

8)『ハのハの小天狗』飯野和好(ほるぷ出版)→宮脇

   「ムッ! 手裏剣がなくなった」

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9)『ねこのおいしゃさん』(そうえん社)

10)『じごくのそうべえ』田島征彦(童心社)→倉科

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11)『ふうせん』(アリス館)

12)『世界じゅうのこどもたちが』(ポプラ社)

おしまいに、5/3の午後に皆で集まって準備した、シール・風船・カードなどを袋詰めした「おみやげ」を子供たちに配って大盛況のうちに無事終了。

■われわれの10年間の活動を、初回からあたたかく見守ってくれてきた、パパズの奥様方。それから、箕輪町の白鳥さん、学校図書館司書の小松さん、当院スタッフ皆さん。本当にありがとうございました。

そして、当日ご来場くださったみなさま。結成20周年記念ライヴが出来る自信はありませんが、皆もう少しは続けて行く所存です。これからも是非、ご支援のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました!

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2014年4月 6日 (日)

「おかあさんの唄」こどものせかい5月号付録(にじのひろば)至光社

■月刊カトリック保育絵本を出している「至光社」さんから原稿の依頼があった。

「よぶ」というテーマで書いて欲しいという。

案外むずかしいテーマだ。正直困った。

四苦八苦して書き上げたのが以下の文章です。

『こどものせかい5月号:こんにちは マリアさま』牧村慶子/絵、景山あきこ/文(至光社)の折り込み付録「にじのひろば」に載せていただきました。ありがとうございました。

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『おかあさんの唄』           北原文徳(小児科医)

 アン・サリーの歌声が好きだ。ジャズのフィーリングとリズム感が抜群で、英語やポルトガル語の歌詞の発音もネイティブ並にいい。でも、聴いていて一番沁み入るのは、『星影の小径』や『満月の夜』などの日本語で唄った楽曲だ。

 最新CD『森の診療所』は、うれしいことに日本語の歌が多い。中でも映画『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌が素晴らしい。ぼくは映画館で聴いて、それまで我慢していた涙が突然止めどなく溢れ出し、照明が点くのが恥ずかしくて本当に困った。映画は、子供の自立と、親の子別れの話だった。

 昨年の夏、児童精神科医佐々木正美先生の講演を聴いた。先生は以前から同じことを繰り返し言っている。子育てで一番大切なことだからだ。

「子供が望んだことをどこまでも満たしてあげる。そうすると子供は安心して、しっかりと自立していきます。ところが、親の考えを押しつけたり、過剰干渉すると、子供はいつまでも自立できません。」

「生後9ヵ月になると、赤ちゃんは安全基地である親元を離れて探索行動の冒険に出ます。母親に見守られていることを確信しているから一人でも安心なんです。ふと振り返り、母親を呼べば、いつでも笑顔の母親と視線が合う。決して見捨てられない自信と安心を得た子供だから、ちゃんと自立できるのです。」  

 アン・サリーの歌にも「おおかみこども」が母親を呼ぶ印象的なパートが挿入されている。優しいアルトの落ち着いた歌声。彼女自身、二人の娘の母親だ。レコーディングやコンサートに、彼女は必ず娘たちを連れて行くそうだ。

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■ついでに、1年前、福音館書店のメルマガ「あのねメール通信:2013年6月19日 Vol.142」に載せていただいた、「ぐりとぐらと私」

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2014年3月12日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その106)駒ヶ根市立図書館

■3月9日(日)午前10時半から、駒ヶ根市立図書館の2階で「伊那のパパズ絵本ライヴ」。親子合わせて100人以上も集まってくれた。ありがたいねえ。お父さんも10人以上いたかな。

ただ今回は、伊東・宮脇の両名が年度末で多忙のため、北原・坂本・倉科の3人だけでの出陣と相成った。

   <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『こぶたの おでかけ』杉田徹(こどものとも 0.1.2.)→北原

  『こぶたのプーちゃん』本田いづみ文、さとうあや絵

  (こどものとも年少版)→北原

3)『おめんです』いしかわこうじ(偕成社)→坂本

  『ねこガム』きむらよしお(福音館書店)→坂本

4)『かごからとびだした』(アリス館)

5)『へんしんするゆび』宇田敦子・作

  (かがくのとも 2014年3月号)→倉科

6)『ちいさなまち』藤田新策・作絵(そうえん社)→北原

7)『おーいかばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド)

8)『あたまがいけ』 日野十成 再話 /斎藤隆夫・絵

  (こどものとも 2014年3月号・福音館書店)→坂本

9)『ぶきゃぶきゃぶー』内田麟太郎・作、竹内通雅・絵

  (講談社)→倉科

  

さんしろう絵本ライブ「ぶきゃぶきゃぶー」
YouTube: さんしろう絵本ライブ「ぶきゃぶきゃぶー」

10)『ふうせん』(アリス館)

11)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2014年1月21日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その105)長野市医師会「こどもとメディア講演会」

■ 2014年1月18日(土)の昼過ぎ、われわれは車2台に分乗して(午前中の診療が終わらず、僕だけ遅れて出発したのだ)長野へ向かった。センター試験初日の土曜日だ。例年、たいてい雪になるのだが、幸い晴天だ。長野に入っても雪は降っていなかった。

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■会場となった長野市勤労者女性会館「しなのき」のホール。 う〜む。こどもが少ない。でも、長野市医師会主催「こどもとメディア講演会」食育の講演会のあとの、(第2部)だから仕方ないのだな。

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■<本日のメニュー>

 1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

 2)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社) →伊東

 3)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東

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 4)『いろいろバス』tupera tupera (大日本図書)→北原

 5)『かごからとびだした』(アリス館)

 6)『かえるをのんだととさん』(福音館書店)→坂本

 7)『おーいかばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド)

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 8)『うんこしりとり』tupera tupera(白泉社)うた →全員

 9)「鉄拳」風オリジナル『こんな「うんこしりとり」は嫌だ!』 →北原

 10)『串かつやよしこさん』長谷川義史(アリス館) →倉科

 11)『ふうせん』中川ひろたか(アリス館)

 12)『世界じゅうのこどもたちが』新沢としひこ(ポプラ社) 

長野市医師会「こどもとメディア検討委員会」委員長 原山修先生、長野市医師会長、宮澤政彦先生、それから、長野市医師会事務局のみなさま。僕らを呼んで下さって、ほんとうにありがとうございました。

2013年12月23日 (月)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その102)山梨県笛吹市石和町:石和英和幼稚園

■ぼくは参加できなかったので、アップしてなかったのだが、先月の 11月23日に「伊那のパパズ」は久々の県外遠征を行った。山梨県笛吹市にある「石和英和幼稚園」から再び(前回は、2009年2月11日に訪問)お呼びがかかったのだ。当日ぼくは、松本の陸上競技場で次男が出場する「中学駅伝北信越大会」の方へ行っていた。以下は、伊東先生からのメールと、FBにアップされた写真を勝手に転載ごめんなさい。

伊東です。 週末は、何とかやってのけました(笑)
倉科さんが「前回とできるだけちがうものを!」と大きなテーマをかかげ(笑)

ぼうしやさん と うまいもんのうた をやりました。 

練習をしっかりやろうとしたら、「礼拝が早く終わったので、すぐライブ初めてくださ~い」とお願いされ、びびりました。

 

Ito


1 はじめまして
2 このすしなあに・でんしゃはうたう
3 ねぎぼうす(其の壱) 坂本さん
4 かごから
5 しろくまのパンツ 宮脇さん
6 すてきなぼうしやさん
7 まめうしあいうえお 倉科さん
8 ふうせん
9 世界中のこどもたちが
(質疑応答)
10 大阪うまいもんのうた・なんでやねん

 おみやげ、用意してあります。届きましたでしょうか?

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