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2015年7月

2015年7月31日 (金)

今月のこの3曲。 細野晴臣『三時の子守歌』と『熱帯夜』


YouTube: Ronny Jordan -Off the record -"Keep your head up"

・あっという間に7月が終わってしまう。おっと、そういえば「今月のこの1曲」がまだだったのだ。当初、ミシェル・ルグラン『ロシュフォールの恋人たち』のサウンドトラック盤を入手したので、今月は「You Must Believe In Spring」Bill Evans Trio にしようって、決めていたのだけれど、連日体温なみ(36.0℃)の猛暑が続く中で、春の哀しい曲の話はないよな。

でも、8月になっちゃうし、コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」では、ありきたりだし。そう悩みながら、テルメに行って iPod のイヤホンを付けたら、最初に流れてきた曲が、ロニー・ジョーダンの『Keep Your Head Up 』だったのだ。橋本徹監修の「ULTIMATE Free Soul / Blue Note 」の「CD3」6曲目に収録されている。

橋本氏の解説を読むと、こう書かれていた。

ロニー・ジョーダンは、90年代初頭のアシッド・ジャズ期にマイルス・デイヴィスの「So What」やタニア・マリアの「Come With Me」のカヴァーをクラブ・ヒットさせ、コートニー・パインらとともに、レア・グルーヴ〜クラブ・ミュージック世代のジャズ・アーティストとして人気を集めたギタリスト。ヴォーカルにフェイ・シンプソンを迎えたブラックネス薫るこのR&Bナンバーは、2001年の『Off The Record』に収録。

プロデュースはジェイムス・ボイザー&ヴィクター・デュプレ。ジェイムス・ボイザーは J・ディラやクエストラヴらとプロデュース・チーム、ソウルクリエイリアンズを結成した人物で、ブラック・ミュージック史に残るディアンジェロ2000年の金字塔『Voodoo』も彼らが手がけている。ビート・メイキングや空間構築のセンスやメロウネスは、彼とネオ・ソウル〜ネオ・フィリーの雄であるヴィクター・デュプレのセンスによるところが大きいだろう。

ロニーは残念ながら、2014年1月にこの世を去っている。

ロニー・ジョーダンのことは正直知らなかったのだ。案外聴きやすい「懐かしい」ギター・サウンドだな。そう、ウエス・モンゴメリーみたいな感じなのだ。

ウエスが CTI レーベルで出した『夢のカリフォルニア』を、1990年代〜2000年代でやったら「こうなる!」的な、ギター演奏なのだ。そこがいい。めちゃくちゃいい。どうにも面倒臭そうでアンニュイなヴォーカルのバックで、リフを繰り返すロニー・ジョーダン。その演奏のB級加減がたまらない。

ここで「この曲」を何度も聴いていたら、すっかり気に入ってしまい、結局アマゾンで中古盤を購入することになってしまった。近々届く予定です。

■ただ、ここ連日の猛暑を乗り切るべく、先だって伊那の平安堂で入手した『トロピカル・ダンディ』細野晴臣を日中はリピートしてずっと聴いてトロピカル気分に浸っている。ブルー・スペック盤は、確かに音がいい! しかも、ティン・パン・アレイ名義のレコードから細野さんの曲が4曲、ボーナス・トラックとして追加収録されているのだ。「北京ダック」とか大好きな曲がいっぱいあるけど、以前からよく知っていた「お気に入り」の曲が、『三時の子守歌』なのだ。

ぼくが最初に聴いたのは、アン・サリー。だから、オリジナルよりも「こっち」のほうが好き!


YouTube: 「三時の子守唄」聴き比べ♪ 細野晴臣~アン・サリー~西岡恭蔵

それから、やっぱりコレでしょう。「熱帯夜」


YouTube: Haruomi Hosono - Nettaiya (Tropical Night)


2015年7月27日 (月)

細野晴臣『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その3)

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このところ続けて「音楽本」を読んでいる。その音楽分野に関して既によく知っていればいいのだが、知らないミュージシャン、聴いたことのない楽曲が出てくると、読書を中断して YouTbe で検索し実際に聴いてみることになる。

ただ、これからは電子書籍で実際の楽曲とリンクさせたり、あるいは「紙の本」でも、著者が「Apple Music」に「プレイリスト」を作っておいて、読者は本を読みながらアクセスし、ストリーミングで「その曲」を聴くことができるようになって行くのだろうなぁ。特に、いろんな音楽ジャンルのガイドブックの立ち位置が激変する予感がする。

田中康夫『たまらなく、アーベイン』(河出書房新社)も、再刊にあたっては取り上げたレコードのジャケット写真くらいは新に載せて(もちろんカラーでね)、最後のインデックスも、今現在「その音源」を入手アクセスできる形で丁寧に作り直してくれてあれば、もっと売れたんじゃないか? 著者があくまでも「完全復刻版」にこだわった意味はなに?

米歌手ホイットニー・ヒューストンさんの娘ボビー・クリスティナ・ブラウンさんが26日に亡くなりました。22歳でした。今年1月末に自宅の浴槽で意識不明でいるところを発見されて以来、意識が回復しない状態が続いていました(英語記事) 

つい先程の、ぼくのツイート

ちょうど『松尾潔のメロウな季節』松尾潔(SPACE SHOWER BOOK)を読み始めたところで、いま47ページ。ボビー・ブラウンの項のラスト。ホイットニー・ヒューストンが愛娘ボビー・クリスティーナを抱っこして出てきた場面。次のページの追記も読んだ。なんということだ。享年22。

 

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■ さて、細野さんの本『とまっていた時計がうごきはじめた』(平凡社)の続きです。

 

たぶん我慢してるわけじゃないんだよ。堪え忍んでいるという感じもぼくにはぜんぜんない。きっと忘れてるだけだよ(笑)。日本人は本当に忘れっぽいんだと思うな。

---- 単に、忘れっぽい?

ぼくもそうだけど、どんなにイヤなことがあってもすぐ忘れちゃうから。

---- それってある種、日本人の才能なんでしょうか?

そう、才能かもしれない。それでも忘れちゃいけないことはあるんじゃないかとは思うよ。特にこの一年くらいの間の出来事は、まさか忘れることはないだろうとは思うけど、忘れようとしてる空気は感じるね。(24〜25ページ / 2012/7/11 白金のスタジオにて)

SP盤は聴くよ。だけど、普通のレコードを聴けるプレーヤーはどっかにしまっちゃったから。

---- 蓄音機だけがある?

 地震のときに倒れちゃって、脚が折れたのね。それで横倒しのまま。直さなきゃ。あれは停電のときのために取ってあるようなもんだね。蓄音機は電気を使わないから。(75ページ)

 こないだまたキャラメル・ママが集まって、なおかつユーミンも来てね、大貫妙子トリビュートをやったんだよ。前に集まったときもそうだったんだけど、みんななにも変わってないなと思った。若いなと思ったの。みんな還暦だけど、いろいろなことが巡って、最近またキャラメル・ママのみんなとつながってる感じがしてるんだ。

---- いいですね。やっぱり、大きくひと巡りしたんですね。

 そうかもね。そういえば震災後2年以上経つけど、あれから最近まで自分のなかの時計がとまっていたことがこの前はっきりしたんだ。

---- 細野さんのなかの時計がとまっていた?

 うん。震災から放置していた部屋の荷物を整理しはじめたのがきっかけなんだけど。自分の声が聞こえたの、天の声みたいに。「いま片付けないと寿命が縮むぞ」って言われたんで、もう少し生きたいから部屋を片付けたんだ(笑)

 (中略)

 それで十月に入ってやっと取りかかったんだけど、地震で倒れたままだったゼンマイの蓄音機を起こして、脚が折れていたのを直したんだ。なかにホーギー・カーマイケルの「香港ブルース」のSP盤が入ってたんだよ。それでゼンマイを巻いてかけてみたら、ちゃんと音が出た。そこから時計がまたうごきはじめて、いろんなことが起こりはじめた。(中略)

福島に行くとみんなそうなんだよ。みんな時計がとまってるって言うんだ。ぼくもそこは共有してた。(283〜285ページ)

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■「香港ブルース」は、『泰安洋行』の2曲目で、細野さん自身がカヴァーしている。

ホーギー・カーマイケルと言えば、ジャズ・スタンダード「スターダスト」の作者として有名だが、まだ学生時代に、薄倖の天才白人トランペッター、ビックス・バイダーベックに見出され、彼のバンドでピアノを弾いていた。

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---- そういえば最近、大瀧さんと連絡を取られたって聞きましたけれど。

 うん。そう。人づてにメッセージを伝えてもらったんだよ。

---- なんてお伝えしたんですか?

 作品をつくる気になったらいつでも手伝うよ、ってなことを伝えたんだけどね。

---- 返事は来ましたか?

 来た来た。「それは細野流の挨拶だ」って(笑)。(中略)

そういえば、昔、はっぴいえんどがやくざにからまれた話ってしたっけ?

---- なんですかそれ?(笑)

 昔、霞町のあたりに新しいうどん屋ができたって言うんで、みんなで食べに行ったんだよ。そしたら、ぼくらが食べてる向こうに、着流しを着たやくざと弟分がいてね。

---- 着流しですか?

 そう。あのころはまだいたんだよ。で、大瀧くんがあの目つきでしょ。「なにガンくれてんだ」ってその着流しの五分刈りにからまれてね。「表に出ろ」って言われて、仕方なく出て行ったわけ。で、舗道に並ばされて、五分刈りが「懐には匕首(あいくち)がある」って脅かすんだ。

---- で、どうしたんですか?

 まず大瀧くんの謝罪からはじまった。この流れじゃとりあえずそうするしかない。悔しかっただろうな。で、そのあと順番にメンバーの腹を殴っていくわけだよ。まず、鈴木の腹をどん。で、茂が「うっ」ってうずくまる。次に、松本がどん。で、「うっ」って。

---- で、いよいよ。

 そう。自分の番になって、どん、ってどつかれるんだけど、なんと驚いたことに寸止めなんだよ。

---- え? どういうことですか?

 あてないの。寸止めで殴ってるフリをしてるわけ。

---- 細野さんどうしたんですか?

 こっちも殴られたフリをするわけだよ。「うっ」って(笑)。

---- どういうことなんですか?

 つまりね、その着流しは、連れの舎弟に向けて自分の強さを見せつけてるわけだよ。

---- 一種のプレイなんですね。

 そうそう。あれはなかなかの職人技だったよ。

---- ある意味、洒落てますね。

 そうとも言えるね。ダンディズムというか。昔はそういうのがいたんだね。霞町のあたりって、あのころはちょっと怖い人もいたんだ。

---- へえ。初めて聞く話ですね。

 内緒にしといてね(笑)。

(288〜291ページ / 対話8 / 2013/10/29 神保町カフェ・デ・プリマベーラにて)

 

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■この(対話8)が収録された2ヵ月後に、大瀧さんは帰らぬ人となってしまった。

次の(対話9)は、7ヵ月後の2014年6月17日に細野さん家の白金のスタジオで行われている。もちろん、大瀧さんの話から始まるわけだが、詳細は「原著」をあたってください。

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  いや、その(大瀧さんの追悼曲を書くこと)前にやることがあるんだよ。

---- そうなんですか?

 大瀧くんとの出会いは、はっぴいえんどからはじまってるわけだけど、そのころのいろんなことを最近よく思い出すんだよ。ぼくは最近カバーをやることが多いじゃない? バッファロー・スプリングフィールドなんかも、ついこの前は「ブルーバード」をやりはじめたんだよ。レコーディングでね。

---- 元に戻っちゃったんですね。

 そうそう(笑)。だから、はっぴえんどを自分のなかで再確認したいというかね。順番としてはそっちのほうが先なんだよ。「Daisy Holiday!」というラジオ番組で大瀧くんの特集をしたときも、大瀧くん本人の曲はかけなかった。ぼくにとって重要なのはバックボーンだから。

そういうことを、もう一度会って話したかったし、確認したかった。どういう時代に生まれて、どういう音楽を聴いてきたのかということはすごく大事なことだから、それをもう一度確認し直すということが、いまやっている仕事の目的。それが、カバーをやってるということの意味なんだ。(318〜319ページ)

---- 世の中のことは考えてます? 新聞のクリッピングはいまでもやってますか?

 やってるよ。新聞じゃなくてネットのあらゆるソースだけど。(中略)

 パソコンに「アカンやろ」っていうフォルダがあるんだけどさ、そのニュースは「アカンやろ」行きだね。

---- 「アカンやろ」? なんで関西弁なんですか?

 わかんない(笑)。(329〜331ページ)

 打ち上げでアッコちゃんと話したよ。アッコちゃんのレパートリーの曲でね、ニューオーリンズ的なリズムの、アラン・トゥーサンっぽい曲があるんだよ。それをティンパンでやると、なんの説明もなくても、すぐにそのノリになる。一拍子みたいな感じにね。

アッコちゃんはそれを意識しているみたいで、このノリが出せるのはあなたたちしかいないから長生きしてねって言われたよ(笑)。

---- 本当ですよ。もはや国宝級。

アッコちゃんはいつもアメリカでレコーディングするでしょ。ミュージシャンたちに毎回「Roochoo Gumbo」を聴かせるんだって。みんな「コレはすごい」って言うんだけど、同じことはできないんだって。不思議だよね。

---- 以前、清志郎さんがメンフィスでレコーディングしたときに、細野さんが日本から送ったトラックを聴いたプロデューサーのスティーヴ・クロッパーBOOKER T. & THE MGs のギタリストだった)が、「こいつは誰だ、何者なんだ? ナニ人なんだ?」って言って、その仮歌のハミングをそのまま採用したという話がありましたよね。

 あったね。

---- すごく好きな話なんです。細野さんは、仮歌だから適当に歌ってるんだけれど、ノリをちゃんと理解してやっていることがクロッパーにもわかるわけですよね。本歌取りっていうヤツですね。向こうのミュージシャンができないことを、日本人がやってるっていう。(352ページ)

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■それから、載せきれなかったけど、注目すべき箇所を最後に挙げておきます。

・映画監督ロマン・ポランスキーの奥さんが惨殺された「シャロン・テート事件」の真相

・細野さんの血液型がA型だったということ

・日本語ロック論争で犬猿の仲だったはずの内田裕也さんが、楽屋に挨拶に行った細野さんをジョー山中に「こいつナイスガイなんだよ!」って紹介したはなし。

・『ロング・バケイション』が出る少し前に、大瀧さんが細野さんの白金の家へキャデラックで乗り付け会いに来たこと。YMOで大活躍の細野さんへの「決意表明」だったと。こんどは俺の番だという。

・いまの若い人たちの音楽観への苦言

 ただ、なりゆきを見ると、ひとりひとり持っている音楽の世界を、それぞれが間違ったやり方で表現しちゃったように見えるな。自分が聴いたものを、そのまま表現しちゃう。自分のなかから出てくる音楽じゃなくてね。

じっくり煮詰めてないし、勉強が足りない感じだ。音楽をより深く知るということが足りないんだ。音楽という、昔から続いている文化の流れが、どれくらい自分にも入ってるか、そこにどうやって自分が加わるのか、音楽の海に自分がどうやって入っていくのか。そういうことについての勉強はみんな足りなかったね。(『とまっていた時計がまたうごきはじめた』143~144ページ)

2015年7月24日 (金)

細野晴臣『分福茶釜』と『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)

■前回のつづき。読んだ本の感想を書いてなかったので、もう少し追加の話題。

しばらく前のツイッターには、こう書いた。

『地平線の相談』があまりに面白かったから、細野晴臣『分福茶釜』(平凡社)を読み始める。あ、「ご隠居さん」と「八つぁん」の、お気楽のほほん対談は、こっちが元祖だったんだ。でも判った。細野さんは、生粋の江戸っ子なんだね。父方の祖父はタイタニック号の生き残りで、母方の祖父はピアノ調律師

『分福茶釜』細野晴臣&鈴木惣一朗(平凡社)読了。細野さんて、アニミズムの人だったんだ。長新太みたいな人なのだ。しみじみ尊敬。この本もとても面白かったから、5年後に続篇を出すと予告されて、6年後に最近出た続篇『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)も読むぞ!

■というワケで、『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)を読了した。これまた面白かった。すごく。

ぼくなんかが読後感想をアップするまでもなく、この対談本のポイントを見事に押さえたサイトがあった。「本と奇妙な煙」だ。

『地平線の相談』

『分福茶釜』

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その1)

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その2)

でも、読者それぞれが「重要」と思うポイントは、案外ぜんぜん違っていたりして(まぁ、ぼくだけズレているのかもしれないけれど)面白いなぁと思った次第です。

以下、ぼくが注目した部分を少し拾ってみますね。

細野:そういう自覚はないんだ。苦労してきて、「ああ、いつもツイてないな」と思ってここまで来た。不運な音楽家。ホントなんだよ、これ。はっぴいえんどはたかだか2年ぐらいやって、全然売れないから、誰も聴いてくれないや、って感じで辞めたと。

ソロをつくった。誰か聴いてんだろう、そこそこ数千枚は売れるけど別に誰が聴いているかはわからない。全然話題にもならなかった。で、その後クラウンに移ってつくった二枚。あれはもっと孤独だった。いままで聴いていた人がみんな離れちゃった。怖がって。(中略)

そう。追いやられてた。とにかく苦労してきた。全然売れなかったんだよ。で、YMOで売れちゃったら、それはそれで別の苦労があった。(『分福茶釜』15ページ)

YMOをやるときは、実は、YMOをやるか、あるいは高野山に行くかで迷っていたんだよ。

---- 世を捨てるってことですか?

いや、そういうことじゃない。ぼくのアイドルはその当時、お釈迦様だったんだ。お釈迦様は29歳のときに出家したんだよ。で、36歳か37歳のときに悟りを開いた。その頃、ちょうどぼくは同じ年頃だったから、「今だったらできるな」と思ったんだ。京都のお寺に通っていたし、お坊さんとも知り合いだったから、本気で得度しようと思ったらできたかもしれない。

(『分福茶釜』25ページ)

 はっぴいえんどをやっていた頃から、日本に自分たちの居場所をみつけられないって感じはずっとあったんだよ。かといってアメリカにもみつけられない。それで「さよならアメリカ、さよならニッポン」っていう曲をバンドでつくったんだけど、それで両方いられる場所はないっていうことはわかった。

ちゃんとした国籍が持てないっていうか、「自分は日本人だ!」っていう意識は持てないし、かといってアメリカ人でもない。浮いている存在だって、そういう気持がその後ずっとだらだらと続いた。

---- 今もその感じはあります?

今もあるね。だからハワイに行ったらぴったりきた。日本とアメリカの中間だから。マーティン・デニーとか聴いてぴったりきた。それはエキゾティシズムってものと結びついて今も続いてるんだけど。

でも、最近はちょっと変わってきている。自分に江戸っ子気質ってものが出てきたんだ。(中略)ぼくは昭和22年生まれだから、まだそういうものが残っている時代だった。おばあちゃんとかが身のまわりにいたしね。そういうなかで育っているから、案外それが身に付いているんだ。(『分福茶釜』58〜59ページ)

---- (おばあちゃんは)キビシイ人でした?

やさしかった。落語が好きだったり、歌舞伎が好きだったりっていうことで影響を受けたりしている。おばあちゃんだらけだったんだよ、まわりは。おばあちゃんの妹も近所に住んでたし。みんな江戸っ子っぽくてね。

特別な教えなんかないよ、もちろん。でも仕草や言葉だよ、影響されるのは。おならなんて言わないんだよ。「転失気(てんしき)」って言うんだよ。(『分福茶釜』61ページ)

---- 漫画好きですよね。

 映画と同じくらい好きだね。本よりも好きだった。諸星大二郎とか、花輪和一とか。いいんだよ、シャーマニズムの本質が描かれてて。あとは『サザエさん』。何度も読み返す。

(『分福茶釜』159ページ)

「美しい国」って安倍晋三が言ったとき、ちょっと怯えたの。怯えてる人はいっぱいいたんだけど、ところがテレビに出てくるような人たちは何も言わないんだよね。言うべき人が何も言わなかったら、どうなんだろうと思って、ぼくはラジオで何か言わなきゃ、言葉にしなきゃいけないと思って、「憲法改正はいやだ」と言ったんだ。「戦争放棄なんて、カッコいいじゃん」て。

だって、若者はそう思うべきだから。若者のなかに憲法改正賛成なんて言う人がいるって知って、ちょっとイヤだったの。「戦争放棄」なんて紙に書いた一行だけどさ、これがあるかないかでカッコよさが違うから。

スイスってのは永世中立国っていう特異な国家だけれども、そのためには軍隊を持たなきゃいけないわけだ。でも、その上をいくのが日本の憲法。戦争放棄なんて、奇跡的なことなんだ。笑っちゃうくらい。よくそんなことが書かれたなと思うわけ。

だからこそなくなったら二度とつくれない。だって非現実的だから。だからこそ、絵空事でもなんでもいいけど、その文面は残しておかないといけない。

  (中略)

 でも、世の中まだそこまで行ってないと思うから、今のうちになんかこう声に出して行動しておかないと、と思う。ぼくは決して楽観的じゃないから、今後世の中がどうなっていくか知らないけれど、一切語ることもできなくなるって時代もあり得るわかだからね。

日本は戦争中がそうだったんだ。そのなかにも石橋湛山みたいな人もいたけど。今はまだ言えるんだから、言えるうちに言わないと、という気持ちがある。嫌われようと、嫌がられようとね。(『分福茶釜』118〜120ページ / 2008年6月10日初版発行

 ぼくは右も左もないからね。もうそんな時代じゃないしね。それを新聞に書いたらめちゃめちゃ叩かれたけど。誹謗中傷の嵐。右翼だとかも言われた。

---- 細野さんがですか?

 うん。もうそんな時代じゃないでしょ。昔からぼくはノンポリで通してきたんだけどね。結果は左寄りに見えたんだろうけど、「ぼくらは単なる音楽好きだよ」っていう思いしかなかったから、それすらも違和感があった。

ぼくには、右も左も同じに見えるんだ。実際、当時の左翼はみんな右翼になっちゃったし。ディランについて言えば、ディランは左翼じゃないし、プロテストもしてない。心情的にイヤなことをイヤだって言ってるだけなのに、誤解されていると思う。(中略)

---- ディランはかつて、ユダヤ系だったにもかかわらず、クリスチャンの洗礼を受けて批判を浴びましたよね。その後、クリスチャンであることもやめちゃいましたけど。

 信仰心をテーマにしたことは深いことだと思うよ。右とか左とか単純な割り切りではできない。主義主張っていうのは左脳的なことだけど宗教はそうじゃないから。ちなみに、ぼくはアニミズムだよ。それがいまの基本。ものごとを分けること自体がバカバカしいって思ってる。(『とまっていた時計がまたうごきはじめた』102〜103ページ / 2014年11月25日初版)

2015年7月17日 (金)

引き続き、ずっと「細野さん」を読んでいる(聴いてもいるんだ)

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■つい最近、ニール・ヤングの『After the Gold Rush』(今まで持ってなかったのだ)の中古盤をネットで安価で入手した。聴いてたら、何故か無性に「エンケン」が聴きたくなったのだ。遠藤賢司は、日本のニール・ヤングだからね。(エンケンが本人に会った時、自らそう自己紹介したらしい)

ただ、わが家にあるCDは『満足できるかな』だけだ。

CD棚の奥の方、加川良や高田渡、友部正人のCDが並ぶその横に、エンケン唯一のCDはあった。久しぶりにかけてみると、これがまた実にいい。本家のニール・ヤングよりもいいぞ。ぼくがこのレコードで一番好きな曲は、当時エンケンが飼っていた「寝図美」という名前のネコのことを歌にした「寝図美よこれが太平洋だ」。

エンケンがウクレレを弾きながら歌うそのバックで演奏しているのは、大瀧詠一以外の「はっぴいえんど」のメンバー3人。そう、鈴木茂・松本隆、それから、細野晴臣。アット・ホームで和気藹々としてて、実に楽しそうなその収録風景が、目に浮かぶようだ。1971年の録音。その前年に収録された『niyago』(URC)にも、「この3人」は律儀に参加している。

どうも、遠藤賢司と細野さんは、ずいぶんと昔からの友だちなのだな。そのあたりのことは、エンケンの「このインタビュー」に詳しい。茨城から出てきて一浪の後大学生になったエンケン(19歳)が、買いもの帰りで片手に大根ぶら下げて、もう片方にはドノバンのレコード(たぶん『カラーズ』だ。)を持ち、友だちと二人でアパートへ帰ろうとしてたら、電話ボックスから声を掛けてきたのが細野晴臣(まだ高校生の18歳)。この時が初対面。

その場で「うちに遊びに来なよ」って細野さんに言われて白金の実家へ行くと、細野さんのお母さんが、ケーキと紅茶を出してくれて、調子に乗ったエンケンがギターを掻き鳴らしながら絶叫したら、細野さんのお母さんが、ガラッと戸を開けて「静かにしなさい!」って言うくだりがすっごく好きだ。

細野さんて、いいとこのお坊ちゃんだったんだね。

それからずいぶんと経って、エンケンが松本隆の家に遊びに行って聴かせてもらったのが、バッファロー・スプリングフィールドのLPで、ニール・ヤングの「I Am A Child」だったワケで、この時、エンケンは初めてニール・ヤングの歌声を耳にした。

大瀧詠一さんが、初めて細野さんと会ったのも、白金の家の細野さんの部屋。

この時の話は有名だ。ぼくでも知ってる。詳細は「この細野さんのインタビュー」を参照して下さい。黒澤明『七人の侍』の前半、志村喬が「これは!」と思う用心棒たちをリクルートする採用試験のことね。

「こちら」の方が、もう少し読みやすいかも。出会うべき人たちは、必然的に出会うように運命付けられているのだな。

総説「細野晴臣論」として最も優れているのは、『レコード・コレクターズ/MAY.,2000 / Vol.19,No.5』44〜47ページに載っている「内なる響きを求める旅人 細野晴臣の音楽とは?」湯浅学 だと思う。その最初のフレーズを採録する。

 いくつかの断層があるように思う人もいるかもしれない。しかし、細野晴臣の音楽活動には不動の姿勢がある。それは常に自分の中で新鮮なものを求め続け、それを作品として表明する、ということである。

しかもそれら ”そのときどきで心底新鮮だと思えたもの” を、それが新鮮だと感じられなくなった時でも葬り去らない。自分の中から消去しないのだ。身体のどこかにそれらは収納される。

 細野晴臣は音楽を消費しない。好奇心によって蓄積してゆく。それを開陳する術には奥床しさがともなっている。それはこの世代特有の美学なのかもしれない。と思う反面、細野のように自分の感覚を常に開放し続けながら、音楽にひたすら従事してきた者はきわめてめずらしいとも思う。

細野は涼しい顔をしてしぶといことをやってきた、という印象が強い。

『音楽が降りてくる』湯浅学(河出書房新社)31ページより。

この文章が再録された、湯浅学氏の音楽評論集『音楽が降りてくる』には、その前後に「日本語はロックにのるか 日本語のロック vs 英語のロック」「ロックとは? 自問自答の中でまさぐった ”ニュー”」「洋楽好きだからこそなしえた発想と実践 はっぴえんど」「”自分のことば” で歌い続ける 遠藤賢司『niyago』ライナーノーツ」「菩薩の誘い、人生の一大事 遠藤賢司『満足できるかな』ライナーノーツ」「漂うべき空を失った煙の行方 加藤和彦 追悼」

など、重要文献満載なのであった。特に、エンケンのライナーノーツは熱い!

エンケンからニール・ヤングに再び話題は戻る。これで円環が完成だ。

先日読み終わった『とまっていた時計がまたうごきはじめた』細野晴臣、鈴木惣一朗(聞き手)平凡社。

この本も実に面白かったぞ。特に、編集者やインタビュアーが狙った「本筋」からは外れてしまった些細な話題に、個人的には興味が引かれた。

例えば、ニール・ヤングだ。以下引用。

鈴木:ニール・ヤングの自伝には、鉄道模型が彼の癒しアイテムなんだって書いてありました。

細野:鉄ちゃんなの?

鈴木:そう。鉄ちゃんなんです。ニール・ヤングは子供がふたりいるんですけど、ふたりともダウン症で。その子供たちとのコミュニケーションのために、鉄道模型をはじめたらしいんです。自宅にすばらしいジオラマがあるらしいんですけど、ほとんど誰にも見せないんですって。見たのはデヴィッド・クロスビーぐらいだって書いてありましたけど、ニール・ヤングはツアーが終わって家に戻ったら、ジオラマで鉄道模型をいじって過ごすという、すごく静かな生活をしてるんですよ。

細野:誰にも見せたくないという気持はよくわかるな。でも、彼の子供がダウン症だとは知らなかった。

鈴木:ニール・ヤング自身も子供のころ、小児麻痺を患っていたそうです。それで、子供の母親はそれぞれ違うから、ニール・ヤングは自分自身に問題があるんだって責めているそうです。

細野:それは大変な話だね。重い話だ。

鈴木:でも、ニール・ヤングは自分の子供がかわいそうだ、とは思っていないとも言ってます。ダウン症の人は、進化した人間のかたちだって言われることも あるから。

細野:うん。気だてがすごくいいんだよね。(『とまっていた時計がうごきはじめた』170〜171ページ)

2015年7月 1日 (水)

『地平線の相談』細野晴臣&星野源(文藝春秋)

■『地平線の相談』細野晴臣・星野源(文藝春秋)を読んでいる。これ、面白いなぁ。

横町の「ご隠居」の所へ、長屋の「八っつぁん」がバカっぱなしをしに来る落語の感じそのままだ。『TVブロス』はよく買って読んでるけど、この連載は活字が特別小さく、しかも白抜き文字で目がチラついてしまい、老眼の身にはとてもとても読めないので、今まで一度も読んだことがなかったんだ。失敗したなぁ。

 

■星野源は、その著書『働く男』(マガジンハウス)の中で、彼が敬愛してやまない師匠「細野晴臣」を評して、こう書いている。

創り出す音楽はいつだって最高で、顔や服装も超カッコよくてセクシーで、話すこともユーモアにとんでいて面白い。世界中の音楽ファンから「神様」と呼ばれている大大大スター。

でも、行きつけの店が「ジョナサン」だったり、『さま〜ず×さま〜ず』が好きで毎週録画していたり、「歌うときは目をつぶらないようにしてるんだ、自分に酔っているように見えるから」と、いつまでも羞恥心や日本人の普通の感覚をわすれていなかったり。

そのすべて持ち合わせているところが、世界中のどこにもいない僕にとって最も神に近い、大好きな普通の人です。(88ページ)

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☆さて、実際の対談内容についてだが、「ばかばかしい話」の代表として、以下抜粋

細野:実年齢っていうのは、圧倒的な力があるね。今の世の中、なにかやるたびに年齢書かなきゃならないでしょ?

星野:ネットとかでもありますよね。0歳から100歳以上まで選択肢があったり。

細野:そう。ああいうときは思わず嘘ついちゃおうかと思うよ。(中略)

星野:現場に出続けるということは大事ですね。がんばります。

細野:やっぱり、人前に出るときはちゃんとした服装しなきゃならないしね。

星野:それが年を取らない秘訣かも。(中略)

星野:昨年末、細野さんがレコード大賞に出演したときは、別の意味で若返ったんじゃないですか・KARAとかに囲まれて(笑)

細野:若さのエキスを吸うってことね。でも、ほんとに若返るかもしれないよ。

星野:どういうことですか?

細野:昔、太極拳の先生と話したことがあるんだよ。どうやって若さをキープしているのか聞いたら、「若い女性たちと一緒にお風呂に入るんだよ」だって。

星野:ええー!(笑)

細野:すごいよね。恵まれてるよね

星野:恵まれすぎですよ!(笑)

細野:実際、そうやってエキスを吸ってるんだと思うよ

星野:よりによって風呂場で(笑)

細野:普通は、男ってエキスを吸われる側だからね。だから、吸う側の女性は強いじゃない?

星野:いつまでも年取りませんもんね 

細野:そういえば、最近、どうも叶姉妹が気になるんだよ 

星野:あの方々も魔女っぽいですね 

細野:というのも、週に一度は、必ず謎のリムジンを見るんだよ。僕の車の前や後ろを、ベージュの長ーいリムジンが走ってる。曇りガラスで中は見えないんだけれど……

星野:中から出てくるところ見ました?

細野:見てない(笑)。でも、僕は勝手にあれは叶姉妹だと信じ込んでるんだ。

星野:行動範囲が一緒なんですね

細野:もうひとり、僕が行くところに必ずいるのが、野村サッチー

星野:おお!

(2012年3月31日号) 『地平線の相談』文藝春秋 p133〜136より引用

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■まぁ、それにしても「いいかげん」なご隠居だよなぁ。

でも、その発言は無責任なようでいて、とてつもなく哲学的でもあり、人生の深淵をかいま見せてくれているかように読者に錯覚させる「マジック」がある。それこそ、この本の神髄だ。

個人的には、ちょうど6月に読んだからかもしれないけど、27ページ「数字の秘めた不思議な魔力を探ってみたら……。」が、まずは「ピン」ときたんだ。「666」は悪魔の数字。

それから、「揚げ物とドーパミンの関係とは。我々は油に支配されている !?」とか、二人とも「下戸」だったりとか。細野さんは、パジャマに着替えてベッドで寝たことがない(いつもソファーでうたた寝)とか、「貧乏ゆすり」の効用や別名を考えたりとか。まぁ、役に立たない、くだらない話ばかりなんだけれど。

あと、星野源が「くも膜下出血」で入院・手術した前後の話もでてくるぞ。

その他、印象に残った部分をいくつかピックアップ。

星野:そういえば、先生は、何本か映画にでてらっしゃいますよね?

細野:『パラダイスビュー』(1985)に出たときも向いてないと思った。『居酒屋兆治』(1983)に出たときは函館の居酒屋の常連で、公務員の役だったの。店は加藤登紀子さんと高倉健さんがやってて。伊丹十三さんが酔っ払って入ってきて、くだを巻くという。

星野:すごい店です(笑)

細野:僕が伊丹さんにキレると、後ろから高倉さんが僕を押さえて「まあまあ、ここはひとつ」って。それだけのシーンなんだけれど、「もう二度とやらない」と思った(笑)。

自分のミュージシャンとしての精神が破壊されるんだよ。かなぐり捨てないとできないから。だから、星野くんはすごいなあと思うんだ、両方使い分けてるわけでしょう。

星野:確かに演技しているときに、音楽の心がパーッと破壊されるのを感じます。

細野:修行だ。

星野:修行ですね。(中略)

星野:最近よく聞かれるんです。役者やってるときと音楽やってるときと、どう違うの? って。全然違うんですけど、ただ映画でも音楽でも、自分が楽しくなれるときって、自分がなくなるときなんですよ。なにも考えていないのに、台詞がどんどん出てくるとか。音楽も同じで、空っぽの状態がいいんです。

細野:それはわかるな。その気持ちよさは。(95〜96ページ)

『居酒屋兆治』は、先達て日本映画専門チャンネルで見た。細野さんが出ていてビックリした。ひょろりと背が高くて、くねくねしてて、まるで「アンガールズ」の田中みたいな雰囲気だったぞ。

「小学校の先生から受けたトラウマを語り合いたい!」(212〜215ページ)

細野:星野くんはどんな小学生だったの?

星野:3年生のとき、ウンコを漏らしました(笑)。その後、あだ名が ”ウンコ”になって、ちょっと人生が狂い始めて。

細野:それはかわいそうだなあ。

星野:体育の時間にマラソンしてたらお腹が痛くなっちゃって、先生の許しを得て校舎のトイレに走ったんです。でも、間に合わず、下駄箱のところで漏れちゃって。

細野:もう少しだったのに、悲しいねえ。

  (中略)

細野:僕にも似た経験があるよ。

星野:細野さんもウンコを……?

細野:いや、ウンコは漏らしてない(笑)。僕も、小学4年生まではお調子者って呼ばれるような子どもだったの。自分じゃそんなつもりはなくて、照れ隠しでいろいろふざけてるだけだったんだけど。

星野:その気持ち、わかりますよ。

細野:ところが、新しい担任の教師に、僕は図に乗る生徒として目を付けられちゃった。そのうち、容姿にまで口出しされるようになったんだ。「なんでお前は目と眉毛の間がそんなに離れてるんだ」とかさ。

星野:ひどい! 小学校の先生がそんなこと言うんですか?

細野:そう。まあ、当時はそんなの気にしなかったんだけど、子どもながらにどこか深いところで傷ついていたんだろうね。

「嫌な思い出が忘れられない理由とは?」(236ページ)

星野:人間。生きていると、忘れてしまいたい記憶があるじゃないですか。でも、ふとしたときに思い出して、うわあ! となってしまう。(中略)

細野:わかるよ。僕にもある。ひとりで、ごめんなさいとか謝っちゃうんだよ(笑)。つまり、自分が悪いと思ってるんだよね。

星野:なるほど。

細野:逆に、自分が他人から傷つけられたこととかは忘れちゃうんだよ。(中略) 子どもの頃にさかのぼってみても、そういうことは多いもん。

■でも、二人の会話を読んでいて、これは! と思うのは、やはり「音楽」に関する話題だ。

「ギターを始めた孫を見つつ、自らの音楽開眼を振り返る。」(202〜205ページ)では、細野さんがどうしてベースをやるようになったのかが語られる。細野さん。実は、アコースティック・ギターもキーボードも弾けばめちゃくちゃ上手いのだ。ぼくは、中川イサト『お茶の時間』に収録されている「その気になれば」のピアノ演奏が好き。

(177ページ)、井上陽水の『氷の世界』(1973年)で、

星野「細野さんもベース弾いてるんですね。」

細野「……そうだっけ?」

星野「弾いてますよ!(笑)」

細野「まあ、なんか覚えがあるような……。」

■細野晴臣さんが参加したレコーディングに関しては、HP上で完璧に整理されている。

   ・1970年 ・1971年  ・1972年  ・1973年

この頃のレコードは、けっこう持ってるぞ。荒井由実、加川良、高田渡、友部正人、中川イサト、岡林信康、金延幸子、小坂忠。それに「はっぴいえんど」。

(15〜16ページ)に出てくる、細野さんがベースでスタジオ・ミュージシャンとして参加し、一人だけ遅刻した某歌手のレコーディングって、いつだったんだろう?

■特に沁みたのは、189ページの「”事象の地平線”にみる”地平線の相談”的音楽論」。

細野:星野くんは、”事象の地平線”っていう言葉、知ってる? (中略) 音楽の世界も、今、事象の地平線にさしかかっていると思う。シンプルに言うと、そこで面白いことをやり続けていないと、音楽なんてできないわけだよ。バンドなら解散できるけど、個人は解散できないから。

星野:確かに(笑)。

細野:面白さは、常に自分の中に持っていなくちゃいけないんだけど、そんなの、意図的に持とうと思っても持てるものじゃないし、なくなっちゃうこともある。すると、醒めた感じになっちゃうんだ。

星野:はい、よくわかります。

細野:つい10年前までそんな気持ちだったんだし、あらゆる音楽はもう全部聴き尽くしたなって白けた感じだったの。ところが、それは無知だということが最近わかった。新しい音楽に発見はないんだけど、古い音楽には発見がいっぱいあるんだよ。これは”今までにない体験”なんだよね。(189〜192ページ)

星野:前にも話しましたけど「ゼロ年代という括りはいらない」というのも、音楽を時代で語る必要がもうないと思ったからなんです。様々な音楽が横並びで存在するような状態、時代的な流行がない、でもだからこそ純粋に音楽の本質が楽しめるいい時代がやっときたんだと。

あと、ひとつのジャンルを真摯に追いかけている人は「ホンモノ」と呼ばれますけど、あまり納得がいかなくて。俺は、一見様々な音楽をつまみ食いしているように見えるけど、その人でしかありえないような表現をしている、なぜか専門家や批評家の方からはニセモノ、軽薄と呼ばれてしまっている人のほうが好きだったりします。

細野:僕もそうなんだよね。あのホンモノじゃないモノに惹かれてしまう(笑)

星野:自分が思うのは、細野さんは、ホンモノじゃない人のホンモノなんですよ。

細野:それって褒められてるの?

星野:だから、細野さんの音楽が大好きなんです。どんな種類の音楽をやっていても、そこにいるのは細野さんでしかないんです。憧れに飲み込まれてない。自分もそういう人になりたいし、そういう音楽がもっと増えればいいのにと思っていて……。(200ページ)

細野:アルバムを作るという行為は、セックスみたいなものだと思うんだよ。その結果、子ども、つまり作品が生まれるじゃない? (中略)

だから、どこが一番快感かっていうと、やっぱりレコーディングの最中。

星野:確かに。

細野:いろんな想像しながらわくわくしてさ。だから、エッチなことなんだよ。

星野:アハハハハ! (中略)

星野:とすると、出産はどの段階に当たるんでしょうか。ミックスあたり?

細野:そう! まさにミックスが出産だよ。ちなみに僕は、気に入ったミックスが完成すると、その場で踊るんだよ。

星野:踊っちゃうんですか?(笑)

細野:もう踊らずにはいられない。「この踊り面白い!」と思って、iPhone で自分を撮ったの。そしたら、案の定すごく面白くって、このまま YouTube に上げてもいいかと思ったんだけれど、寝ないで作業してたから、もう見た目がドロッドロ。あまりに汚いんで、ちゃんとした格好で取り直した(笑)。(326〜327ページ)


YouTube: 細野晴臣/The House of Blue Lights

   ☆

■それから、星野源のお父さんがジャズ・ピアニストを、おかあさんがジャズ歌手を目指していたって話。落ち込んだ中学生の星野源に、お父さんが「これを聴け」と、数あるレコードの中から、ニーナ・シモンの「アイ・ラヴ・ユー・ポギー」(ベツレヘム)をかけてくれた話が泣けた。

おかあさんは、アメリカ留学の際、アート・ブレイキー夫妻と仲良しになったなんてのもビックリだ。

『地平線の相談』細野晴臣&星野源に載っていた(175ページ)星野源のお父さんがやってるジャズ喫茶に、ぼくも行ってみたいな。ほんと便利な時代で、ググるとすぐに判明。埼玉県蕨市にある「signal」っていう店だ。なかなかオシャレで、大人の雰囲気の店じゃないか。

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