« 2015年2月 | メイン | 2015年4月 »

2015年3月

2015年3月31日 (火)

今月のこの2曲。バート・バカラック『 恋の面影 / The Look of Love』〜『幸せはパリで』

■3月。斉藤由貴の「卒業」をこよなく愛する僕としては、はなはだ遺憾ではあるのだが、ずっと気になっていた「彼女のスタンダード集」は買わずに、なぜか「原田知世の新譜」のほうに手が伸びてしまったのだった。先日の伊那の平安堂CD売り場でのことだ。

しかし、その判断に間違いはなかった。 こいつはイイ!!

選曲がシブイじゃないか。1曲目のビートルズ「夢の人」。ぼくはこの曲を知らなかった。いい曲だな。あと、レナード・コーエン、メロディ・ガルドー、マルコス・ヴァーリと、通好みの選曲が続くのだ。

ただ、個人的に一番グッと来たのが、9曲目に収録されていた、ダスティ・スプリングフィールドが唄ってヒットした、映画『ダブル・オー・セヴン カジノ・ロワイヤル』のテーマ曲、バート・バカラックが作曲した『 恋の面影 / The Look of Love』だ。オリジナルはこれ。

Dusty Springfield - The Look of Love
YouTube: Dusty Springfield - The Look of Love

ぼくが「この曲」を初めて聴いたのは、たしか中学1年の12月だった。1971年のことだ。

この年末、ぼくが自分で2番目(初めて買ったのは、ドイツ・グラモフォン・レーベルでカラヤンが指揮したベルリンフィル『新世界より』)に買ったLPレコードが、CBSソニー『ギフト・パック・シリーズ』(2枚組 3000円)の中の『映画音楽ベスト・ヒット集』だった。この「シリーズ」に関しては、『僕の音盤青春記 1971-1976』牧野良幸(音楽出版社)の26ページ〜28ページに詳しい。

Img_2697

『映画音楽ベスト・ヒット集』の1枚目B面のラストに収録されていたのが、アンドレ・コステラネッツ管弦楽団の演奏する「恋の面影」だったのだ。このレコードは、さんざん聴いたなあ。

当時、映画の評判は散々だったが、この主題歌だけは印象に残った。哀愁に満ちた旋律。大人の女性の官能的で隠微な雰囲気の歌詞。なんてませた中坊だったんだ!

ちなみに、このレコードのB面「5曲目」に入っていたのが、同じくバカラック作曲の『幸せはパリで』だった。演奏は、パーシー・フェイス・オーケストラ。映画は未だに見たことない。ジャック・レモンとカトリーヌ・ドヌーブが主演した『The April Fools』だ。

この曲は、ディオンヌ・ワーイックが唄ってヒットした。

これまた印象的な旋律の名曲。

大好きなんだ。

これだ。

Dionne Warwick - The April Fools - 1969
YouTube: Dionne Warwick - The April Fools - 1969

ただ、個人的には、このオリジナル・ヴァージョンよりも、アール・クルーがギターを弾いた「この曲」に思い入れがあるんだな。これです。

Burt Bacharach / Earl Klugh ~ The April Fools
YouTube: Burt Bacharach / Earl Klugh ~ The April Fools

というワケで、4月1日になりましたね。

小説『シンドローム』の主人公の「切ない片思い」を、ずっと未だに引きずったままでいるので、今月は「この曲」を選曲させていただきました。


2015年3月29日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その113)宮田村図書館

■今シーズンは珍しく「12月クリスマス・ヴァージョンのパパズ」のオファーがなかったので、前回の「小布施町図書館」から、なんと4ヵ月ぶりの「伊那のパパズ」であります。

今日の日曜日、天気予報では朝から「雨」だったのに、あれっ? 大丈夫じゃん。そう思いながら宮田村図書館へ。本日午前10時30分より公演があるのだ。

       <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)

2)『うえきばちです』川端誠(BL出版) →伊東

3)『どっとこどうぶつえん』中村至男(福音館書店) →北原

4)『かごからとびだした』(アリス館)

5)『あたまがいけ』日野十成・再話、斉藤隆夫・絵(福音館書店)→坂本

6)『おーい、かばくん』(ひさかたチャイルド)

7)『うんこしりとり』tuperatupera(白泉社)

8)『あれこれたまご』とりやまみゆき・著、中の滋・絵(福音館書店)→倉科

9)『ふうせん』(アリス館)

10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

・次回の公演は、

 4月26日(日)午前11時〜 富士見町図書館(長野県諏訪郡富士見町)です。

4


2015年3月22日 (日)

『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店 ボクラノSF):その3

Img_2685

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p140〜141 より)


■ところで、この本の【あらすじ】だが、主人公の男子高校生が住む地方都市の裏山に、とある昼下がり「火球」が飛来する。隕石か? UFOか? それとも? 彼は、中学時代からの友人「平岩」と「倉石」(異常にSF映画の造詣が深い)それに、教室で主人公の後ろの席に座る「久保田葉子」の4人で、謎の調査に乗り出す。

こう書くと、いかにも健全なジュブナイル小説といった感じだが、いやいや、ぜんぜん「健全」ではないのだ。

謎のエイリアンが地球に襲来し「宇宙戦争」になるかも?っていう非常事態に、主人公の男子高校生にとっては、後ろの席に座る「久保田」のほうがよっぽど「エイリアン」で訳がわからず気になって仕方ないという、自分が今まで生きてきた中で一度も経験したことのない感覚(感情)に囚われる危機的状況を迎えていて、さらには「平岩」という強力なライバルも登場してしまい、大変なことになってしまっていたのだった。

それを「一人称一視点」で主人公が語ってゆくのがこの小説なのです。

いや、ほんと面白かった。

■いろいろと検索してみたけれど、「この小説」の読後感想として最も優れていると思ったのは、やはり「児童読書日記」だな。

■たしか、京極夏彦『嗤う伊右衛門』をハードカバーで読んだ時だったか、見開きページがまるでロールシャッハ・テストみたいに左右対称に文字が配置されるよう、そこまで著者は周到に考えて「この本」を完成させたという話を聞いた。

実際にパラパラと頁をめくってみると、もちろん必ずしも左右対称という訳ではないが、とにかく印刷された「文字」の並びが、まるでイラストみたいで確かに美しいのだった。

ぼくは『シンドローム』を読みながら、そのことを思い出していた。

さすが「絵本」の福音館だ。「文字」そのものを、ビジュアル的イメージで「絵」のように「挿絵」と対峙させているのだね。この試みは、前作の『どろんころんど』でもあった。これだ。

Img_2684

  (『どろんころんど』北野勇作・福音館書店 p186〜187 より)

■『シンドローム』では、さらに違ったやり方で、もっと徹底して「文字のビジュアル効果」を追求しているのだった。

そして、前述の「児童読書日記」で言及されている部分が以下の写真だ。ぼくはそこまで「絵」として「文字」を「イラスト」とシンクロさせていることを意識的に読んでなかったので、この指摘を読んで「目から鱗」のビックリだった。

Img_2691

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p142〜143 より)

Img_2686

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p144〜145 より)

Img_2687

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p146〜147 より)

Img_2688

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p148〜149 より)

Img_2689

  (『シンドローム』佐藤哲也・福音館書店 p150〜151 より)

■なるほど、そういうことだったのか。「この次の頁」に、全面イラストのページが出現するのだ。そして、そこで読者は「ほっ」とする。

 

ここに続くのが、裏表紙の帯に書かれた文章だ。本文でいうと、154ページ。

--------------------------------------------------------------------------

髪が風に吹かれている。川原の光をにじませている。

ぼくは久保田の顎を見つめる。

ぼくは久保田の手を見つめる。

ぼくは久保田の頬を見つめる。

ぼくは久保田の見つめている。

ぼくはまぶしさを感じている。

久保田の隣で、ぼくはサンドイッチを手にしている。

--------------------------------------------------------------------------

直前の緊張感でドキドキの後におとずれた至福の時間。

読みながら、主人公の気持と完全にシンクロしてしまう前半の山場だ。

■そして、後半は読者の期待を裏切らない怒濤の展開となる。大丈夫。ホント面白いから。

ツイッターでは、

『ボラード病』と『突変』と、キングの『霧』を足して3で割って「迷妄」をまぶした感じの小説だった。いまここの小説だ。

と書いたが、ちょっと訂正したい。映画『ポセイドン・アドベンチャー』を、是非とも加えないとね。ぼくは「この映画」を今はなき「新宿ミラノ座」で見た。まだ中学生だったと思う。

それから、キングの『霧』だが、これはフランク・ダラボンが映画化したヤツではなくて、原作のほう。ただし、原作の結末も実は2種類あって、『闇の展覧会 霧』(ハヤカワ文庫)収録版と、『スケルトン・クルー〈1〉骸骨乗組員 (扶桑社ミステリー文庫)に収録された「霧」とでは、結末がちょっと違うのだった。

ダラボンの映画のエンディングはどうにも後味が悪いが、『骸骨乗組員』に載っている『霧』は「つづく」って感じが残されていて、実際ぼくは、コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』を、さらに南へ南へと向かう『霧の父子の「続きの物語」として読んだのだった。

・『シンドローム』も、主人公にとっては(どちらの面でも)前途多難で不条理な明日しか待ってはいないのだが、それでも、微かな希望の光(『ザ・ロードの息子が運ぶロウソクの炎のように)だけは残されているのだった。

 


2015年3月13日 (金)

『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店 ボクラノSF):その2

Img_2665

 <写真をクリックすると、もう少し大きくなります>

『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店:ボクラノSF)を読んでいる。何か、この主人公の男子高校生が一人語りする文章が不穏で変。まだ70ページ。

ちなみに、福音館書店の「ボクラノSFシリーズ」は、全巻揃えて持っているのだ。北野勇作『どろんころんど』はもちろんのこと。これ、自慢デス。

『シンドローム』佐藤哲也(福音館)を、ただ今読み終わった。これは怖い。本当にリアルで怖い。でも、いや、面白かった。SFと言うよりも、モダンホラーだな。イメージとしては『ボラード病』と『突変』と、キングの『霧』を足して3で割って「迷妄」をまぶした感じの小説だった。いまここの小説だ。

20150312

 <写真をクリックすると、もう少し大きくなります>

■この「ボクラノSFシリーズ」の前巻、『どろんころんど』北野勇作・著が発刊されたのが、2010年8月10日。ほぼ5年ぶりの新刊だ。

「もうお忘れでしょうか? 嘘のような話ですが、実は、続いていました! そして、まだ続きます。」

って、笑ってしまったよ。ほんと。

Img_2678

       <写真をクリックすると、もう少し大きくなります>

■上の写真をクリックして、裏表紙の帯に書かれた文章を読んでみて欲しい。本文でいうと、154ページだ。

--------------------------------------------------------------------------

髪が風に吹かれている。川原の光をにじませている。

ぼくは久保田の顎を見つめる。

ぼくは久保田の手を見つめる。

ぼくは久保田の頬を見つめる。

ぼくは久保田の見つめている。

ぼくはまぶしさを感じている。

久保田の隣で、ぼくはサンドイッチを手にしている。

--------------------------------------------------------------------------

直前の緊張感でドキドキの後におとずれた至福の時間。

読みながら、主人公の気持と完全にシンクロしてしまった。

■この小説は、男子高校生の「一人称一視点」(そうでないと、この小説は成立しない)で語られてゆくのだが、この男子高校生、変にまじめで、妙に冷静で、ふつうの男子高校生の数倍は「自意識過剰」なのだ。

て言うか、ぼくが高校生だった頃は「迷妄」といっても「エロ」がその全てだったし、同じ1958年生まれ(でも、早生まれだから学年は1つ上)の東野圭吾『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社)や、みうらじゅん『人生エロエロ』を読んでみても、ぼくとあまり変わらない「おばか」な高校生だったぞ。

最近の男子高校生は、あまり「エロ」くないのか? よくわからない。

それにしても、彼の語り口はじつに不穏で、頭でっかちで、読んでいて何とも居心地が悪い。

例えば、以下のような文章。

---------------------------------------------------------------------------------------------

 ぼくはどちらかと言えば精神的な人間で、精神的であることを好み、精神的でなければならないと考え、非精神的な状態には嫌悪をおぼえたので、平岩のように非精神的な期待や願望をあからさまに外へ出すことはできなかったが、それでもときには精神的な領域の外へ感情があふれて、平岩のように非精神的とは言えないまでも、必ずしも精神的であるとは言い切れないところで不可解な反応をすることがある。

それは言わば精神の外周に出現する暗黒の領域に属していて、そこに現れる感情にいちいち説明はついていない。暗黒の領域に踏み込んで、手探りをしながらあえて説明を求めれば、晴れ上がった自意識や、いやしい根性を見つけ出すことになるだろう。

だからそんなことは絶対にしてはならない、とぼくは思った。説明を求めるようなことはしてはならない、とぼくは自分に言い聞かせた。だからぼくは自分の精神の外周で、ただ暗い震えだけを感じていた。気をつけなければならない、と暗黒の領域が警告を発していた。気をつけなければならない、とぼくは頭の中で繰り返した。(18〜19ページ)

----------------------------------------------------------------------------------------------

(まだまだ続く)

2015年3月 8日 (日)

先月のこの1曲。アン・バートン「Love is a Necessary Evil」と、『シンドローム』佐藤哲也(福音館)その1

Img_2674

■ずいぶんとご無沙汰の更新になってしまった。

さらには、1月も、2月も「今月のこの1曲」をアップし忘れてしまったことに気がついた。ダメじゃん。ごめんなさい。

という訳で、もう3月ですので、「先月のこの1曲」であります。

Love Is A Necessary Evil (1974) - Ann Burton
YouTube: Love Is A Necessary Evil (1974) - Ann Burton

■アン・バートン『BY MYSELF ALONE』は、ぼくが大学生になった 1977年の5月に、東京の西小山に住んでいた兄のマンションへ行って借りてきた「ジャズのレコード」10枚の中の1枚だった。うん、あれからずいぶんと聴いたぞ。自分で買い直して、盤が擦り切れるほどにね。

中でもお気に入りは、A面4曲目の「Love Is A Necessary Evil」だ。

このレコードは、アン・バートン2度目の来日時(1974年)に日本で録音されたもので、バック・ミュージシャンは全員が日本人という布陣。ピアノは、佐藤允彦と小川俊彦の二人で、「この曲」をボサノバ・タッチの軽妙なアレンジで聴かせるのは佐藤允彦のほうだ。

「この曲」は、A面3曲目に入っている「May I Come In」と同じく、マーヴィン・フィッシャー(曲)ジャック・シーガル(詞)のコンビによる小粋で洒落たリリックの唄で、ブロッサム・ディアリーが 1964年にキャピタルから出した『MAY I COME IN』に2曲とも収録されているが、雰囲気はぜんぜん違う。ぼくは断然アン・バートンだな。

それにしても「歌詞」が面白い。

JASRAC からの通告のため、歌詞を削除しました(2019/08/06)

「A very contrary hereditary evil」(矛盾だらけで、遺伝的な悪)

An evolutionary, interplanetary evil」(進化論的な古代からの長い時間と、惑星間ほども距離がある宇宙空間的広がりを持つ悪。てな感じの意味か?)

「うまいことを言うものだ。ほんと、そうだよなぁ。」レコードを何遍も聴きながら、「LOVE」が何たるものかまだぜんぜん判っていない当時のぼくは、うんうんと感心して独りごちた。

つい先日CDで再発されたので、このところよくまた聴いているのだが、ちょうど『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店・ボクラノSF)を読んでいて、自意識過剰ぎみな主人公(男子高校生)の思考回路と「この曲」とが絶妙にシンクロして、不思議で懐かしい、そしてほろ苦い気持を追体験したのだった。(つづく)


Powered by Six Apart

最近のトラックバック