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2015年1月

2015年1月30日 (金)

ゴリゴリのテナーマン、スティーヴ・グロスマン。

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■昨年10月に出た『"LIVE" at THE S0MEDAY 』のCDを聴いて以来、すっかり スティーヴ・グロスマン(ts)にハマってしまった。凄いな! この人。

いや、以前からレコードは持っていたし、その昔ジャズ喫茶でよく聴いた、エルヴィン・ジョーンズの「ライトハウスでのライヴ盤」も、先達てCD廉価版が出たから即購入した。そう、よく知っている人のはずだったのだ。

ところがどうだ。「サムデイ」でのライヴ盤、1曲目の「インプレッション」。凄まじい音圧、強烈な轟音ブロウ。フリーキーなフラジオ奏法に、めくるめくスピード感。なんて気持ちいいんだ! あぁ、彼のアドリブ・ソロ演奏をこのまま永遠に聴き続けていたい。そう願っている恍惚気分の自分がいた。

このテナー・サックス。もろ俺の好みの音じゃないか。

そう、ぼくの大好きなファラオ・サンダースが、突如めちゃくちゃテクニックが上がって、泉のごとく湧き出る印象的なアドリブ・フレーズを連発し、タイム感覚も抜群にいい演奏をしている感じのテナーの音だったのだ。

ファラオ・サンダースと言えば、SF作家:田中啓文氏だ。検索してみたら、やっぱりスティーヴ・グロスマンにも言及していたぞ。

(追記:後から見つけたのだが、「こちら」のほうが本命だ。)

■それから、ジャズ関連のHPでは老舗の名店「ネルソン氏のサイト」にも特集記事が!

・あと、東北大学モダンジャズ研究会のサイトにも。

・やっぱり、好きな人は好きなんだなぁ。

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■昨年の秋から読み始めた「ジャズ漫画:ブルージャイアント」がいい! 

仙台の進学校に通うバスケ部で高校3年生の主人公「宮本 大」が、中3の卒業間際、友人に誘われてたまたま行ったジャズ・ライヴで雷に撃たれたようにジャズの魅力に取りつかれ、兄に買ってもらったセルマーのテナー・サックスを手に、広瀬川の河原でひたすら無心にサックスの練習をしていた。

めちゃくちゃデカい音で一心不乱に吹きまくる。ゴリゴリ、バリバリ吹きまくるのだ。

漫画だから「音」はしない。

だけど、いや、だからこそ、読者一人一人の心の中で「大」のサックスの音色がイマジネイティブに輝くのだ。これって、もしかして逆転の発想なんじゃないか?

読者は勝手に「その音」をただ想像すればよいのだ。

ぼくには、スティーヴ・グロスマンのサックスの音が聞こえてきたんだよ。

間違いなくね。

2015年1月25日 (日)

『未明の闘争』における保坂和志氏の意図的な文体は、デレク・ベイリーを連想させる

『音楽談義 MUSIC CONVERSATIONS』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)を読んだ。これは本当に面白かった。

ぼくらが聴いている音楽は、やっぱり「同時代性 = リアルタイム」が重要なキーワードであることを再確認できた。例えば、ビートルズがなぜ当時(1971年)中学生だった僕らのアイドルになり得なかったのか? よく判った。あの頃、ビートルズはすでに「オワコン」だったんだ。ボブ・ディランは聴いていたけれど。

あと、マギー・ミネンコのこと。若い人たちは誰も知らないだろうな、マギー・ミネンコ。

以下、ツイッターに投稿したものを再収録(一部改変あり)。

『音楽談義 Music Conversations』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)をTSUTAYAで立ち読み。面白い! 2人は僕より2つ上。宮沢章夫氏、小田嶋隆氏と同学年だ。保坂さんが中3ではまった、加川良『親愛なるQに捧ぐ』。中1の僕も繰り返し聴いた。「こがらしえれじい」のフィンガー・ピッキング奏法とハンマリング・オン。ギターでさんざん練習したなあ。

続き)保坂和志氏は、何故かその後フリー・ジャズへ。山下洋輔トリオ、セシル・テイラー、スティーヴ・レイシーにオーネット・コールマン。あと、デレク・ベイリーが好きで、CDも30枚は持っているとのこと。そしたら、湯浅学氏も最近よく聴いてるんだって、デレク・ベイリー。知らなかったな。

続き)それから、湯浅学氏と大瀧詠一さんの出会いの話が面白かったな。あと何だっけ。保坂和志さんはギル・エヴァンズも大好きとのことです。それからそれから。やっぱり買うしかないな。この本。

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『音楽談義 MUSIC CONVERSATIONS』保坂和志 × 湯浅学(Pヴァイン)を買った。第三章まで読んだ。めちゃくちゃ面白い。もったいないので今日はここまで。

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『音楽談義 保坂和志 × 湯浅学』に続いて、『ボブ・ディラン ロックの精霊』湯浅学(岩波新書)を読み始める。買ったまま未読だったのを思い出したんだ。岩波新書で出たミュージシャンの評伝は、藤岡靖洋氏の『コルトレーン』が力作だったから、ボブ・ディランにも期待大なのだ。

『未明の闘争』保坂和志(講談社)を読み始める。「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。」って、いきなり変な文章に面食らう。そのあとは池袋駅前「ビックリガード」の解説が延々と続く。何なんだ、この混沌としてとっ散らかった文章は。そうか!デレク・ベイリーの演奏スタイルで書いているんだね

■湯浅学氏に関しては、参考になる音源、画像が YouTube 上にある。

SS22 湯浅 学 「土星から来た大音楽家サン・ラー」 フル(ニュース解説) 2014.11.12
YouTube: SS22 湯浅 学 「土星から来た大音楽家サン・ラー」 フル(ニュース解説) 2014.11.12


坪内祐三×湯浅学 音楽が降りてきたり、音楽を迎えにいったり
YouTube: 坪内祐三×湯浅学 音楽が降りてきたり、音楽を迎えにいったり


湯浅学さんとディラントーク Barakan Morning ディラン祭り 2014
YouTube: 湯浅学さんとディラントーク Barakan Morning ディラン祭り 2014

湯浅学×村井康司 対談:
チャーリー・パーカーから大友良英まで〜ジャズの70年を聴く 『JAZZ 100の扉』刊行記念トークショー(四谷「いーぐる」にて収録)



2015年1月12日 (月)

『子どものミカタ』山登敬之(日本評論社)

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■『現代、野蛮人入門』松尾スズキ(角川SSC新書)を読み終わり、続いて、児童精神科医:山登敬之先生の新刊『子どものミカタ』(日本評論社)を読む。

これはよかった。とても勉強になる。

そして、日頃の外来診療で、小児科開業医として自分が子供たちに接する態度をふり返り、山登先生とはえらい違いだと、ただただ反省させられた。

■この本には、山登先生が専門雑誌『こころの科学』『そだちの科学』『児童心理』や、学術誌『臨床精神医学』『保健の科学』、それに精神科の専門書に載せた文章や論説が集められているので、対象読者は「子供のこころ」や「発達障害」と直接係わる、若手児童精神科医、一般小児科医、臨床心理士、言語聴覚士、支援学級の教師、一般教師や保育士、患児の親御さん、ということになるか。

本のタイトルである『子どものミカタ』には、「味方」と「診方」の2つの意味が込められていて、特に後者に関して、臨床経験30年以上のベテラン児童精神科医が「その手の内」を惜しげもなく開示してくれているのだ。これは小児科医として大変ありがたい。

 2)子どもの「日ごろと違う様子」をどう読むか

 6)不登校診療のエッセンス

 7)子どもの「うつ」をどうみるか

 13)子どもの悩みをきく ---- 専門職として、大人として

 14)説明の工夫

 15)クリニックの精神療法、その周辺

特に上記のパートで、児童精神科医がどのように診療を進めて行くのかが具体的に分かり易く述べられている。これは非常に貴重だ。ぼくは他の先生の本で「このような記載」を読んだことがない。

■それから、なるほど! と感心したのは、「説明の工夫」(199ページ)に書かれている「それは一言で言うとどんな病気?」という問いを設け、それに対する答えを考えてみる、というところ。たとえば、

 ・統合失調症:「よくわからなくなる病気」

 ・うつ病  :「動けなくなる病気」

 ・神経症圏の病気:「特殊なわがまま」

 ・発達障害:「(生まれつき)上手にできない」

   ADHD:上手に話が聞けない。上手に片付けができない。

   自閉症スペクトラム:上手に人間関係が築けない。上手に気持の切り替えができない。

   LD:上手に読めない。上手に計算ができない。

なるほどなぁ。うまいことを言うものだ。

そうして、最初のパートに登場する摂食障害の患者の言葉。まるで、俵万智の短歌のような文章をただ並べただけで、あの厄介な摂食障害という病気を読者に直感的に了解させてしまうというウルトラC級の大技を見せてくれて、山登先生はやっぱりスゴイなぁと思った次第です。

■あと、本の随所に児童精神科医の「矜持」が感じられたこと。これは「子どもの味方」のほうの部分。

ぼくなんかが、いいかげんな知識、面談、態度で、ただ診断名だけ付けただけで、子供の生活環境の調整もフォローもせず、薬を出してそれでおしまい、なんていうような事は決してやってはいけない。

そう、肝に銘じました。

・それからもう一点。

9)「当世うつ病事情」131ページに興味深い記述があった。

 ところで、恥を承知で白状すると、私は香山の本を読むまで、「未熟型うつ病」だの「現代型うつ病」だのという言葉があるのも知らなかった。(中略)

 では、私がこれらの病態の存在をまったく知らなかったかといえば、そうではない。むしろ、右にあげた特徴を備えた患者は、私にとって比較的お馴染みの人たちであった。私は長いこと、不登校の子どもたちやひきこもりの青年たちを相手に仕事をしてきたため、こういう人たちのことを、とくにめずらしく感じなかったのだと思う。

 近ごろの若いやつらってだいたいこんなもんでしょ、という意味では、不登校の中学生もうつ状態のサラリーマンも、診察室を訪れる患者にそんなに大きな違いはない。つまり(中略)私は思春期臨床の延長上で彼らの相手をしていたため、彼らの抱える病理(=新しいタイプのうつ病)よりも、未解決の発達課題(=オトナになること)のほうに目が向いていたのだ。

 うつ病は基本的に大人の病気である。私はそういう印象をもっている。

「オトナになること」とは、どういうことを言うのか? それも「この本」に書いてあった。

13)「子どもの悩みをきく ---- 専門職として、大人として」の、190ページ。高校3年生の女の子から山登先生がもらった手紙だ。

 あの頃の私は、なんでも人のせいにばかりして、みんなに迷惑かけていたと思います。けれど、結局は自分自身だということを知りました。

 自分が変わることで、ものの見方やまわりの世界も変わってくるんだということ。がんばっていると、みんな応援してくれる。それから、がまんするっていうこと。人を思いやること。いろんなことがわかってきました。

 つらいことがあってもそれをはねとばしちゃうくらいになりました。こんな感じでちょっとずつ大きな人になりたいです。

 先生、ありがとう。

             ■ 中略 ■

 いろいろなことを経験して、あの頃の私を思い浮かべるいまの私がいる。その私は、行動すること、がまんすること、人を思いやることの大切さを知っている。その私は、いまもちょっとずつ大きな人になりたいと願っている。

 どう? 人間が成長するってことは、まさしくこういうことだって思わないか?

(190ページ)

■なるほどなぁ。ぼくはぜんぜん大人になりきれていないぞ。56歳なのにね。

松尾スズキ『現代、野蛮人入門』も、考えてみたら「オトナになること」に関して書かれた本であった。「偽善のススメ」なんて、まさにそうだ。松尾さんは、『サブカル・スーパースター鬱伝』吉田豪(徳間文庫ビレッジ)にも登場するので、『大人失格』どころか、ちゃんとした大人に違いない。

■逆に、つね日ごろ暗くてテンションが低いぼくだが、不思議と「古典的うつ病」にならないのは、大人になりきれていないからだったんだなぁ。妙に納得してしまったよ。

「成人の日」に、なんだかしみじみと考えさせられてしまったな。

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      【写真をクリックすると、大きくなります】

■日曜日。伊那市立図書館へ延滞していた本を返却しに行ったら、雑誌コーナーに『ビッグ・イシュー日本版』の最新号とバックナンバーが置いてあるのを発見してビックリした。

東京や大阪で、直接ホームレスの人から購入しないと読めない雑誌だとばかり理解していたからだ。伊那でも読めるのか! さっそくバックナンバーを数冊借りてきた。

■『ビッグ・イシュー日本版』には、自閉症の作家、東田直樹くんが連載を持っている。2年くらい前からは、山登敬之先生との往復書簡という形で「自閉症の僕が生きていく風景 <対話編>」というタイトルで連載が続いている。そのことは以前から知っていたので、まずはそのページを開いて読んでみた。

う〜む。なかなかに深い話をしているじゃないか。

これからは、伊那にいながらにして「この連載」が読めることが何よりもうれしいぞ。

2015年1月 4日 (日)

『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■年末は、12月31日が当番医で覚悟していたのだけれど、インフルエンザ流行ギリギリ前だったためか、予想より少なめで137人診察して夜7時半には終了した。とは言え、スタッフはみなお昼の「ちむら」のちらし寿司を食べる間もなく、午前午後ぶっ通しでがんばってくれた。ありがたい。

ぼくは午後2時から15分間昼食タイムを頂いた。一人だけすみません。

■正月は、何処へも出かけずにずっと家にいた。

元旦の午前中に、今年初めて注文した「浜松・弁いち」の「おせち」が宅急便で届いて、これがまぁ、どのお料理にも丁寧な仕事が成されていて、美味しかったのなんの。家族4人で2日の夜にはすっかり食べきってしまった。今までもいろんな所から「おせち」を注文したけれど、ここはちょっと特別。

機会があったら、ぜひ一度浜松のお店に食べに行きたいものだ。

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■時間はいっぱいあったのに、予定していた本はほとんど読めなかった。

読み終わったのは、『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)の一冊のみ。でも、これは面白かったなぁ。ラーメンとか、カレーのエッセイ・アンソロジーは読んだことがあるが、ドーナツとはね。

しかも41人+編者自身の文章が載っている。そのうち編者が直接原稿依頼した書き下ろしが19本。それにしても、よく集めたよねぇ。またこの人選が適確なんだ。

植草甚一氏の文章なんて、他の本には収録されてないんじゃないかな。こんなに甘党の人だとは知らなかったよ。

■まぁ、ぼく自身はドーナツ大好きというワケではないのだ。

ただ、以前から「ドーナツの穴問題」に関心があって、本屋さんで手に取って目次を開いたら「第三章 ドーナツの穴」と、わざわざ一章を割いて着目し、村上春樹「ドーナッツ」北野勇作「穴を食べた」細馬宏通「穴を食す」片岡義男「ドーナツの穴が残っている皿」いしいしんじ「45回転のドーナツ」など、8編も収録されていたので「おぉ!」と、うれしくなってしまい即購入したのだった。

「ドーナツ・ホール・パラドックス」問題は以前、「こちら」『演劇最強論』の1月22日と23日にも書いた。

ところで、村上春樹氏が「ドーナツの穴問題」に言及した最も古い文章は、『羊をめぐる冒険』ではなくてたぶんこの、スタン・ゲッツ『Children Of The World』のライナーノーツなんじゃないかな?

■編者の早川さんが京都在住のためか、京都に住む作家さん(千早茜、いしいしんじ)、編集者(ミシマ社の三島邦弘さん、丹所千佳さん)大学教授(細馬宏通さん)が寄稿している。

千早茜さんの「解けない景色」が特に印象に残った。前半はちょっと退屈だが、後半がすごくよい。この章の中のエッセイでは最も「ドーナツの穴」に肉薄しているのではないか。

■文章の配列にも工夫があって、江國香織さんによる大雪のニューヨークでの顛末に続いて、松浦弥太郎氏がサンフランシスコの「ヴェローナ・ホテル」に宿泊していた、とある一人の中国人青年の話を。その後に、東海林さだお氏と小池昌代さんが同じクリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンの話をしている。最後のトリは、清水義範氏が子供の頃、伊勢湾台風に遭遇した夜に家族みんなで食べた不味いドーナツの話。これがまた。しみじみ読ませるのだよ。

ぼくも、保育園の頃に食べたドーナツの味をありありと思い出したのでした。

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■ツイッターに書いた感想より

· 12月25日
『なんたってドーナツ』早川茉莉・編(ちくま文庫)を読んでいる。41人のドーナツ関連エッセイ(書き下ろしもある)が集められている。僕好みの渋い人選なんだこれが。今日は「祖母とドウナツ」行司千絵を読む。うまいなぁ、読ませるなぁ。


· 12月27日
『なんたってドーナツ』より「ひみつ」田村セツコを読む。戦時中、疎開先の学校で隣の席だったK子ちゃんの家(裏に竹林のある大邸宅)で、お手伝いさんがおやつに運んできた紅茶とドーナツ。わずか2ページ半なのに、妙に気になる不思議な話。


· 12月27日
『なんたってドーナツ』より「高度に普通の味を求めて」堀江敏幸を読む。これも書き下ろし。堀江さんは1964年生まれで僕より6つ下だが、小学校の不幸な給食の想い出がほぼ一緒で可笑しい。雑誌『MONKEY vol.4』に載っている、猿からの質問「(気)まずい食事」の方にも堀江さんは寄稿している。


続き)『MONKEY vol.4』(スイッチ・パブリッシング)143ページ。「ふつうのお茶漬け」堀江敏幸。小学生の頃、連休初日に近所の家族と白川郷へドライブした時の話。脱力するしかない内容なのに、何故か読ませる。このコーナーでは、西加奈子「弔いの煮物」が技ありで一番面白かった。


· 1月1日
『なんたってドーナツ』より、p105「クリームドーナツ」荒川洋治を読む。このエッセイが収録された『忘れられる過去』(朝日文庫)は持っている。島村利正が出てくるからね。「50歳を過ぎた。するべきことはした。あとはできることをしたい。それも、またぼくはこうするなと、あらかじめわかるものがいい。こんなふうな習慣がひとつあって、光っていれば、急に変なものがやってこない感じがするのだ。」

続き)荒川洋治さんの次は、武田百合子さんの『富士日記』だ。これも持ってるぞ、文庫で。上・中・下巻。キンドル版は出ているのだろうか? そうすれば「ドーナツ」の検索は楽だったのにね。

ぼくのドーナツの思い出は、高遠第一保育園に通っていた5歳の頃のこと。お昼寝のBGMに流れた「ユーモレスク」が終わって目覚めると、3時のおやつだ。担任の蛭沢先生がお皿に配ってくれたのがドーナツ。穴のあいてない、サーターアンダギーみたいな、小惑星みたいな、線香花火みたいな突起が出たドーナツ。まわりは焦げ茶色で、かじると中がほんのり黄色い。砂糖はまぶしてなくて、手はベタつかない。

たまにしかおやつに出なかった。美味しかったなぁ。


· 1月3日
『なんたってドーナツ』(ちくま文庫)もうじき読み終わる。「朝食にドーナツをおごるのが、そのころの私のたのしみだった。熱いコーヒーにドーナツ。その日は一日中、活力が切れなかった。メリケン粉と卵とミルクとバターが、それぞれの味の領域を冒すことなく、謙虚にバランスを保ってまぜ合わされ、油がいい仕上げの味を与えていた。(中略)あの日。苦しい戦後が、ひと息ついたのであった。メリケン粉とバターと卵とミルクと油と砂糖という、お菓子の要素となるものが揃うのに、戦後何年の歳月が必要だったろうか。三年あるいは、四、五年も要ったか。」(ドーナツ 増田れい子 p211)

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