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2013年2月

2013年2月26日 (火)

林明子『ひよこさん』(福音館書店)のこと(その3)

■こどものとも0.1.2.『ひよこさん』征矢清 さく、林明子 え(福音館書店)には、「絵本のたのしみ」という「折り込みふろく」が付いているのだけれど、近々単行本として発売された際には添付されない「貴重な文章」なので、以下にスキャンしてアップすることにした。勝手な転載ごめんなさい。


でも、この2つの文章を読んで頂かないことには、若松英輔『魂にふれる』(トランスビュー)の話ができないので、テキストではなく画像で転載させていただきます。

  この写真を見る


■ぼくらが、林明子さんのご自宅を訪問した時には、この絵本の原画が7〜8割方出来上がっているようでしたが、福音館から担当編集者が頻回に訪れ、入念な打合せを繰り返しているとのことでした。

たかだか、赤ちゃん絵本「一冊」を作るために、3年近くの歳月を「当たり前」のようにぜんぜん時間を惜しまむことなく注ぎ込み、最高の絵本を作るべく、編集者と作家との真剣勝負が繰り返されていることを知り、ぼくは正直、恐れおののいたのでした。プロの覚悟、心意気は違うのだなってね。


■こうした、福音館書店「こどものとも 0.1.2.」編集者と林明子さんとのやり取りの中で、必然的に話題は亡くなった征矢清さんのことに及びます。

その話の中で、林明子さんは「あ、私の知らない征矢さんが、この人の中では、今も生きているんだ」って感じて嬉しく思ったのだそうです。


ぼくは、この話がすごく印象に残りました。


たぶん、林明子さんの日々の日常の中では、いまも当たり前に、死者になった征矢清さんが「生きて」いて、林明子さんに影響を与え続けているのだなぁ、と。

そうでなければ、決して、絵本『ひよこさん』は完成しなかったことでしょう。「死者」と「生者」との、積極的で前向きな関係が、林明子さんと征矢清さんとの中に間違いなく存在するのではないか?


■内田樹先生は、「声を聴くことについて」の中で、こう言っています。


「死者が私のこのふるまいを見たら、どう思うだろう」という問いがことあるごとに回帰して、そこにいない死者の判断をおのれの行動の規矩とする人にとって、死者は「存在しないという仕方で存在する」。それどころかしばしば死者は「生きているときよりもさらに生きている」。


(さらに、もう少し続く)

2013年2月24日 (日)

林明子『ひよこさん』(福音館書店)のこと(その2)

『ひよこさん』林明子(こどものとも 0.1.2. / 福音館書店)は傑作だと思う。


今までの「林明子さんの絵本」と絵のタッチがちょっと異なる「この絵本」のポイントは、『でてこいでてこい』と同じく、被写体の輪郭を「ふちどらない」ことにある。

ここは実はすごく重要な点で、「赤ちゃん絵本」の代表と言えば、ミッフィーの絵本でしょ。オランダの絵本作家、ディック・ブルーナさんは「うさこちゃん」を太い「黒のふちどり」で「かたどる」ワケです。赤ちゃんには、単純でハッキリした「かたち」と「色」の方が認識力が高まると考えられていたからね。

でも、現実の世界ではさ、物体は「黒くふちどられて」はいない。もっと境界不鮮明で、なんとなく「ほわん」と存在してる。実際にはね。たぶん、そこのところを、絵本編集者で作家の征矢清さんと、画家の林明子さんは「こだわった」のではないか? そう思ったのだ。

「質感」って言ったらいいのかな。例えば、落ち葉一枚の丹精な描き方を見よ! それから、

ひよこの毛の「ほわほわ」感、おかあさんの毛の何とも暖かそうで、全てをやさしく包み込んでくれる感じが素晴らしいじゃないですか。

あとは時間の経過ね。夕方から夜も更けて、やがて夜明けで日が昇る。
その時間を、刻々と変化する空の色の微妙なグラデーションの色合いで表現している。これが何とも美しい色が出ていて、とにかく素晴らしい。


絵本のストーリーはいたって単純だ。
いわゆる「行きて帰りし物語」。

母親の元を離れて、ちょっと冒険の探索行に出たはいいけれど、おうちへ帰れなくなってしまったやんちゃ坊主。でも、案外困ってない。おかあさんが迎えに来てくれることを確信しているから。安心しきっているのだね。この何とも言えない「あっけらかん」とした「ひよこの表情」が好きなんだなぁ。


■林明子さんは、この「ひよこ」を描くにあたって、いろんな「ひよこの玩具」を集めたのだそうで、ご自宅の飾り棚には、さまざまな「ひよこ」が並んでいた。でも、どうも満足のいく「ひよこ」がなくて、結局『こんとあき』の時と同じように、自分で「ひよこの縫いぐるみ」を作ってしまったのだそうだ。

ただ、いまひとつ、かわいくない。

そこで、思い切って「ひよこの足」を太く大きくしてみたら、すごく可愛くなったんだって。たしか、そう仰っていたな。(もう少し続く)




2013年2月21日 (木)

『魂にふれる』若松英輔と、林明子『ひよこさん』の密接な関連

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昨年の春のこと。とある日曜日の午後。われわれ「伊那のパパズ」の4人(宮脇さんは仕事で欠席)は、絵本作家で長野県在住の林明子さんとお会いする機会を得た。ほんと、夢のようなひと時だった。


メンバーの一員である「南信こどものとも社」の坂本さんは、福音館書店勤務時代から林明子さんや旦那さんの征矢清さんと親交があったので、熱烈な「林明子ファン」であることを自認する僕ら(倉科、伊東、宮脇、北原)は、かねてから「ぜひ一度、林明子さんにお会いしたいなぁ」などと、絶対にかなうことのない夢物語のつもりで、よく語り合っていたのでした。

そんな僕らの願いを不憫に思ったのか、坂本さんは林明子さんと連絡を取り、林さんの承諾を得て面会の日時をセッティングしてくれたという訳だ。


ほんと、信じられなかったなぁ。

だって、林明子さんて、僕らにとっては、リビング・レジェンド(生きる伝説)だったんだから。実際、1993年『まほうのえのぐ』1994年の『でてこいでてこい』以降、18年間も彼女の新作絵本は出版されることがなかったのだ。(ただし、征矢かおるさんの童話『なないろ山のひみつ』2002年出版、の挿画を描いている)

体調を悪くされているとか、ご主人の具合が悪いらしいとか聞いていたから、もしかしたら、もう二度と「新しい林明子の絵本」を手にすることはできないのかもしれないと、ほとんど、あきらめかけていたからね。


■その日、林明子さんはご自宅で「われら4人」を歓待してくださった。
美味しいケーキと、みたらし団子(男性だから、甘いものが嫌いかもって思って、買ってきてくれたんだって)を用意して、挽きたてのコーヒーを入れてくれたのだった。

ただ、コーヒーカップは何故か「6人分」がテーブルに用意されていたのだ。その場には、われわれ伊那のパパズ4人と林明子さんの「5人」しか居ないのにね。

そしたら、林さんは最初に入れた一杯を部屋の一隅に置かれた小さな飾り棚の上に置いたのだ。ぼくがお土産に持って行った「小亀まんじゅう」といっしょに。そこには、征矢清さんの遺影と位牌が安置されていた。仏壇じゃなくて、さりげなくすっきりと部屋に溶け込んでいたので、ぼくはぜんぜん気が付かなかった。

林さんは、自分ではそれほどコーヒーは飲まないけれど、こうして毎日、征矢さんにはコーヒーを入れてあげるのだそうだ。


■超緊張した僕らを前にして、林明子さんはぜんぜん飾らない、じつに気さくな感じで対応して下さった。なんていい人なんだろうって思った。

お元気そうで、著者近影の写真よりもずっと、もっと実物は若々しくきれいな方だった。(次回につづく)






2013年2月17日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その95)下伊那郡松川町図書館

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■僕ら5人が集まって「この活動」を始めた「その 第1回目」 は、平成14年4月24日の「北原こどもクリニック」待合室でだった。

この4月が来れば「まる9年」、足かけ10年目を迎えることになる訳だ。

「よく続いたねぇ」。今日も午前10時半に「松川町図書館」で現地集合してから、みなでしみじみそう語り合ったのだった。早いものだ。もう10年になるのか……

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       <本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(ひさかたチャイルド)
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東
3)『しろくまのパンツ』ツペラツペラ(ブロンズ新社)→北原

4)『かごからとびだした』(アリス館)
5)『かえるをのんだととさん』(福音館書店)→坂本

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6)『おひげおひげ』内田麟太郎、西村敏雄(鈴木出版)→宮脇
7)『いろいろおんせん』増田裕子、長谷川義史(そうえん社)

8)『ふくはうち』中川ひろたか、長谷川義史(自由国民社)→倉科
9)『ふうせん』(アリス館)
10)  『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)



『松川町からこんにちは』★ にも、写真がいっぱいアップされています。

2013年2月13日 (水)

『想像ラジオ』いとうせいこう(文藝 2013 春号)読了

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■読み終わって、いとうせいこうさんは何て真摯な人なんだろう、って思った。テレ朝「シルシルミシル」に、居なくてもいいのに何となく画面に映っているだけの人かと思ったら、大違いだった。


いや、昔からその存在は存じ上げていました。宮沢章夫さん、竹中直人さんと、芝居をしていた人。マンションのベランダでガーデニングしている人。著書『ノーライフキング』とか、じつは一冊も読んだことないけれど、何故か昔から気になっていた人。

司会をしてるところとか見てると、どことなく糸井重里さんかと勘違いしてしまう人。「いとう」と「いとい」は似てるしね。

だから、何となくツイッターをフォローしていて、反原発デモでラップしているのを YouTube で見て、カッコいいなぁって思う人。

ま、そのくらいの認識しかなかったワケだ。ぼくの中では。
ホント、ごめんなさい。恐れ入りました。


よかったです。いや、ホント読んでよかった。
こういう小説を(勇気を持って)16年ぶりに書こうと決意し、しかも、書き上げてくれたことが嬉しいのです。ほんと、ありがとうございました。

じつはもっと変化球や癖球(クセダマ)を駆使して、技巧に満ちたカメレオン七変化みたいな小説を想像しながら読み始めたのだけれど、ところがどっこい、何のギミックもない「直球ド真ん中」じゃないですか!
ほんとビックリした。



     <閑話休題>

■ツイッターって、ラジオだと思ってきた。

誰もが「自分の言いたいこと」を勝手に放送する場所だからだ。
ただ、だからと言って「他の人の放送」に「耳を傾けたことがある」かどうかは疑問だな。自分だけが言いたいことの言い放し。パナシ!

誰も、自分のことだけでいっぱいいっぱいで、他人の呟きに「耳を澄ます」なんて余裕は全然ないのが今の時代じゃないのか? 実はそう思っていたんだ、最近ずっとね。

ツイッターで300人くらいフォローして、毎日彼ら彼女らの呟きを読んでみると、みな、じつは考えていることは同じなんだな。
「俺のはなしを聴け〜」。そう、クレイジー・ケン・バンドの「タイガー&ドラゴン」なワケです。

ほんと、そんな中で、

「俺の話を聴いてくれぇ!」って、空想ラジオで叫んだDJがいたんですよね。DJアークがさ。人知れず「杉の木」のてっぺんに仰向けで横になってさ。軽やかな一人語りがテンポよく、読んでいて何とも気持ちいい。まるで、春風亭柳好の落語を聴いているみたいな心地よさだ。



で、読みながら思い出したのだけれど、高校生の頃、深夜放送ファンだったぼくは「日曜日の深夜」が恐怖だった。何故なら、東京キー局はすべて日曜の深夜だけ放送を休止していたからだ。

当然、地方局も沈黙する。

そんな夜中に一人まだ起きているぼくは、とんでもない孤独を味わって恐怖におののくのだった。

ラジオのチューナーを左端から右端まで回しても、聞こえてくるのは「ヨビゲン、クッパミゲン、ゴ、スミダ!」という北朝鮮国営放送のみ。「おーい! 誰かいませんかぁ?」ラジオの前で一人ぼくは耳を澄ましている。
そう、あの頃ぼくは山を幾つも超えて遠くからやって来る電波を、信州伊那谷の高遠町で、深夜に必死で捕まえようと、ラジオから流れてくるDJの声に耳を傾けていたんだ。

それは、北海道のラジオ局だったり、仙台は東北放送から流れてきた、吉川団十郎の「そうだっちゃ!」っていう仙台弁(『うる星やつら』のラムちゃん以外で、この時初めて聞いたんだ)だったりした。

それから暫くして、日曜日の深夜午前2時過ぎに、日本中で唯一放送しているラジオ局を発見した。ラジオ大阪だ。うざったい男が二人でだらだらと喋っていた。それが『鶴瓶・新野の、ぬかるみの世界』


この放送を知ったぼくは、ようやく救われた。もう日曜の深夜に、日本中でただ一人だけ起きているかもしれないという果てしない孤独から解放されたからだ。

ぼくにとってのラジオとは、世界とつながっている「唯一の証し」だったに違いない。信州の山奥に居ながら、ラジオを通して解放されていたんだと思う。そういうことを、この小説『想像ラジオ』を読みながら思い出していた。


あと、ラジオの番組で重要なことは「ディスク・ジョッキーの選曲のセンス」ね。これ重要! 糸井五郎さんのオールナイト・ニッポンとか、林美雄アナの「ミドリブタ・パック」とか。聞いていてずいぶんと影響を受けたものだ。

そして、この小説に登場するDJアークも、抜群の音楽的センスをしている。モンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』に始まって、ジョビン&エリス・レジーナの『三月の水』。三月の水だよ! 谷川俊太郎の『三月のうた』を最近聞いた時もドキっとしたけれど、そうか。『三月の水』か。曲調はあんなに穏やかで楽しい曲なのにね。

あと、『私を野球につれてって』は、このあいだ土岐麻子のヴァージョンで聞いたし、マイケル・フランシスの『アバンダンド・ガーデン』も、たしか聞いたことある。あと、モーツァルトの『レクイエム』と、松崎しげる『愛のメモリー』もね。

でも、ブラッド・スウェット&ティアーズ『ソー・マッチ・ラヴ』や、コーリーヌ・ベイリー・レイ『あの日の海』、ブームタウンラッツ『哀愁のマンディ』は聴いたことがなかった。早速、YouTube でチェックしてみようじゃないか。気になるからね。


DJアークがラストにかけた曲は、想像ネームSさんからのリクエストで、ボブ・マーリー『リデンプション・ソング』だった。

ぼくはこの曲、バンド・ヴァージョンでしか持ってなくて、ボブ・マーリーがギター1本で弾き語りしたヴァージョンを聴いたことがなかったんだ。想像ネームSさん(いとうせいこうさん自身ですね、きっと)のリクエストは、こっちの弾き語りヴァージョンだった。

YouTube を検索してみたら、あったあった。映像つきじゃん。


YouTube: Bob Marley - redemption song acustic


YouTube: Bob Marley - Redemption Song Live In Dortmund, Germany

■それから、『文藝 2013』p126 で、いとうせいこう氏がこう言っているのだ。

『中島岳志さんとたまたま飲んでるときにどんな小説を書いているか訊かれて、「言ってみれば死者論です」と答えたら、日本の思想史では死者論はとても少なくて代表的な作品はこれとこれですよと教えてくれた。それが自分

でちょうど調べて読んでいたものだったからありがたかったんですね。

不安で仕方なかったから。もちろん「死者と生者が抱きしめ合って生きていくしかないだろう」というのは自分の感覚をベースにしてますけど、何も分からず死者の話を書いてしまったらまずいなとも思っていた。』


で、中島岳志氏は、どの本を挙げたのだろう? 気になるなぁ。

これはたぶん確信をもって言えるのだが、その中の1冊は、『魂にふれる』若松英輔(トランスビュー)だったに違いない。


この本のことは、以前ぼくも取り上げたことがある。

「死者とともに生きるということ」


   死者は観念ではなく。実在である。

   それは思われる対象であるよりも、

   思う主体であり、

   呼びかけを待つ者ではなく、

   呼びかける者なのである。

            『魂にふれる』若松英輔(64ページより)

 

■未だ浮かばれぬ「死者たち」が、聴く耳を持つ「生者たち」と混然となりながら、DJアークの一人語りにポリフォニックに呼応し合うラストは、何だか凄く感動的だったりした。

そして、あぁ、それでいいんだ。

そう思った。

■追伸:昨日の夕方、伊那市立図書館に行って『群像3月号』を読んだんだ。創作合評で、野崎歓氏、町田康氏、片山社秀氏が『想像ラジオ』を批評していると、ツイッターで知ったからね。


でも、残念だったなぁ。町田康氏は、この小説を「オカルト」や「スピリチュアル」という言葉で括ろうとしていたから。


そうじゃないと思うよ。これほど論理的でリアルで、オカルトとも

スピリチュアルとも、最も遠くにある(作者は注意深く、そう誤解されることを避けるように書いている)小説はないんじゃないかな。


最後に、

「想ー像ーラジオー」って、節をつけてジングルしてみる。

イメージとしては、「ファー、ファー、ミー、ド、レー」かな?

「オールナイト・ニッポン」とか、
「パック・イン・ミュージック。TBS」とかね。

そんな感じで。

2013年2月 4日 (月)

父親の子育てに関する小説

■伊那市のNPO法人「こどもネットいな」が年に一度出している『ひとなる』という小冊子のために書いた文章なのだが、途中で書き進めなくなってしまい、自分でボツにしてしまったものです。でも、せっかく書いたのでここにアップしておくことにしました。お目汚し失礼致します。



小説に登場する「父親の子育て」

北原こどもクリニック 北原文徳

 

 平成10423日に伊那市境区で小児科医院を開業して、今年で15年になります。それにしても早いものです。あっという間でした。15年という年月が正直信じられません。ただ、開業時にまだ妻のお腹の中にいた次男がいま中学2年生で、当時1歳だった長男も高校1年生となり、今にも父親の背丈を追い越す勢いなのだから、子供たちの成長が、この15年の確かな証しなのだなあと、しみじみ感じています。

 

 本当に、子供はあれよあれよと大きくなります。6年前の夏、当時8月の終わりに鳩吹公園で毎年開催されていた「まほらいな地球元気村」に何回か親子4人で参加し、その機関誌『元気村通信』(2006年秋号 vol.42)に「父親の子育て」に関して文章を載せてもらったことがありました。個人的にすごく思い入れのある文章なので、すみませんが以下に再録させて頂きます。

 

 

 ぼくの父は、映画『東京物語』で山村聰が演じていたような町医者だった。夜中でも、日曜日でも、急患があれば年中無休で往診に出かけた。それが当たり前の時代だったのだ。だから、年の離れた二人の兄たちは、父親に何処かに連れて行ってもらった記憶があまりないという。でも、三男のぼくは違った。父は日曜日になると、ぼくを車に乗せてあちこちよく出かけたのだ。11年前に亡くなった父にその真意を確かめることはできないが、自分が父親になってみると、当時の父の気持ちが何となく判るような気がする。

 

 子供はあれよあれよと大きくなってゆく。長男は10歳になった。小2の次男もこの半年でぐんと背が伸びた。あと10年もしないうちに、二人ともわが家から巣立っていってしまう。一つ屋根の下、親子水入らずでいっしょに暮らす期間というのは案外短いのだ。ぼくの父はそのことに気が付いたに違いない。

 

 父が死んだ翌年の夏、ぼくの長男は生まれた。父親になったぼくは、赤ん坊を抱っこしながら、親子でキャッチボールをしたり、本気でプロレスごっこに興じる姿を思い浮かべた。さらには、渓流に二人して黙って釣り糸を垂れ、夜にはテント横の焚き火を囲んで、少し日焼けした息子の顔を見ながら「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」そう思っている自分をイメージした。教条的な父親にだけはなりたくないな、そう思っていた。大好きな椎名誠さんの『岳物語』に多分に影響されていたからだ。

 

 あれから10年が経つが、現実は理想通りにはゆかない。4の字固めですら息子にかけられないし、コントロールの悪いぼくの投球は、息子のグローブの1m上空を越えて行く。先日の尾白川キャンプでは、満足にテントも設営できなかった。格好悪い父親だった。次男は一生懸命、彼なりに慰めてくれた。思春期の手前にさしかかった長男は、ちょっと冷ややかな目でぼくを見上げた。彼が父親を越えて行く日も近いのかもしれない。『十五少年漂流記』を息子が寝る前に読み聞かせしながら、ぼくはふとそう感じた。

 

 この夏、『川の名前』川端裕人(ハヤカワ文庫)を読み終わり、カヤックで川下りする話を思い出し、久しぶりに『続岳物語』を手に取った。やはりこの本は傑作だ。既に椎名私小説の最新作『かえっていく場所』を読んでいただけに、しみじみしてしまう。そうだ、俺は野田知佑さんを目指せばよいのだ。伊那のパパ'sにはうちの息子たちの他に元気のいい男の子が5人いる。彼らの「モ・ノンクル(僕のおじさん)」になろう! ちょっと不良な小父さんにね。

そう思ったら、少し気が楽になった。

 

 

 いま読むと、多分にアウトドアを意識した文章が可笑しいですが、あの時に西町の「アウトドアショップK」で購入した小川のテントも、長男が中学に入学した後は部活が忙しくて、結局一度も使われることなく裏のイナバ物置に収納されたままです。中学生になると、父親とはもう遊んでくれません。淋しいものですね。

 

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『続 岳物語』椎名誠(集英社文庫)も、椎名誠氏の長男「岳君」の中学入学式当日の場面で終わっています。愛読者としては『続々岳物語』を読んでみたかったのですが、さすがの椎名氏も、思春期の嵐真っ直中の中学生時代の「岳君」を小説の題材にすることはできなかったようです。やはり、父と子の蜜月時代は小学校までなのですね。

 この小説の中で僕が特に好きなのは、巻頭の「あかるい春です」と中盤の「チャンピオン・ベルト」。地の果てパタゴニアで椎名さんが息子のために手作りしたチャンピオン・ベルトを巡って、父と子で壮絶なプロレスの死闘が繰り広げられるのです。この部分、最初に読んだ時、ものすごくうらやましかった。

【図1『チリ最南端の町、プンタアレナスの金物屋「アギラ」で材料を調達した椎名誠氏自家製のチャンピオン・ベルト

 

 岳君は10歳になり、小学校高学年を通して、野田知祐氏から釣りやカヌーの手ほどきを受けます。野田さんは、この本の解説で「いい父親であるのは難しいが、いいおじさんであるのはやさしい」と書いていて、父と子の縦の関係よりも、小父と子の「斜めの関係」が案外重要であることを示唆しています。

 

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 父親と息子が登場する小説で印象的なのが『川の名前』川端裕人(ハヤカワ文庫)です。この作者は少年が主人公の話が本当に上手い。NHKでアニメにもなった『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)もそう。

『川の名前』は、東京都内に住む夏休み前の小学生の主人公が、教室からふと窓の外を眺めると、多摩川支流のその川に「小さな恐竜」を一瞬見たような気がした。そして……というお話。これ面白いです。一気に読めます。川端さんの小説はどれもいいですが、ぼくが一番好きなのは『手のひらの中の宇宙』(角川文庫)。やはり父親と息子の物語ですが、時間と空間、生命と死といった深淵で壮大な世界を垣間見せてくれる不思議な小説です。

 

Photo_3  いま、ふと思い出した「父と息子」の短篇小説がありました。それは、昨年生誕100年を迎えた高遠町出身の小説家、島村利正の私小説『妙高の秋』です。これもいい。すごくいい。江戸末期、高遠城下で御用商人を務めた老舗海産物商の長男として生まれた島村氏は、文学への道をどうしても捨てきれず、父親の期待を裏切って家出のようにして高遠の家を捨てるのです。まだ14歳の3月初めのことでした。

そうした父と子の確執と和解を綴っていて、淡々とした文章でありながら、著者の胸の裡に去来する様々な思いを、読者は否応なく体感させられます。『仙酔島』『庭の千草』も、決して幸せではなかった祖母や叔母の人生を「あれでいいのだ」と肯定してあげる著者の優しさが心に沁みます。


 伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮文庫)は映画版もよかったですね。ある日突然、首相暗殺の犯人に仕立て上げられた堺雅人が仙台の街中を逃げ回ります。彼の実家に押し寄せたTVレポーターに向かって、父親の伊東四朗が言い放った言葉に泣けました。父親はこうでなきゃいけない。

「おまえ、雅春のことをどれだけ知ってるんだ?言えよ。どれだけ詳しいんだよ。信じたい気持ちは分かる? おまえに分かるのか? いいか、俺は信じたいんじゃない。 知ってんだよ。俺は知ってんだ。あいつは犯人じゃない。雅春、ちゃっちゃと逃げろ!」

 

Photo_4  小説ではありませんが、向田邦子『父の詫び状』(文春文庫)を読むと、明治生まれの頑固な父親像が、娘の目を通して様々なエピソードと共に印象的に描かれていて実に読み応えがあります。向田さんの文章は、読んでいて読者の五感に直接訴えてきます。食べ物の美味しそうなにおい、写真館で担任の先生の手が彼女の肩に触れた感触など、視覚聴覚以外の感覚(嗅覚、触覚、味覚など)もリアルに刺激されるのです。


 戦前の一家の家長として暴君のように威張って君臨した父親の人生。私生児として生まれ、親戚からは村八分にあいながら、母親の賃仕事で大きくなった惨めな少年時代。高等小学校卒で給仕として保険会社(第一徴兵保険)に就職。しかしその後、誰の引き立てもなしに会社始まって以来といわれる昇進を果たし、保険会社の支店長にまで登りつめるのです。以後、宇都宮→東京→高松→鹿児島→東京→仙台と各支店を家族と共に転勤してまわります。


中でも、鹿児島時代のエピソードが出色で、「ねずみ花火」「記念写真」「細長い海」あたりが実にすばらしい。向田邦子は、9〜10歳頃の前思春期時代のことを実に鮮明に記憶していてほんと驚いてしまいます。


せっかちで、空威張りで、それでいて涙もろく子供っぽいところもある父親のことを、向田邦子さんは一見すごく鬱陶しく嫌っているようでいて、その実ほんとうは愛おしく思っているのですね。

そして、彼女の振るまいの其処此処に父親の影を感じる自分がいる。父と娘。じつはよく似た二人だったのです。(未完)


■追記■

<取り上げる予定だった本>


・『なずな』堀江敏幸(集英社)

・『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)

・『13日で「名文」を書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版)


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