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2013年2月26日 (火)

林明子『ひよこさん』(福音館書店)のこと(その3)

■こどものとも0.1.2.『ひよこさん』征矢清 さく、林明子 え(福音館書店)には、「絵本のたのしみ」という「折り込みふろく」が付いているのだけれど、近々単行本として発売された際には添付されない「貴重な文章」なので、以下にスキャンしてアップすることにした。勝手な転載ごめんなさい。


でも、この2つの文章を読んで頂かないことには、若松英輔『魂にふれる』(トランスビュー)の話ができないので、テキストではなく画像で転載させていただきます。

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■ぼくらが、林明子さんのご自宅を訪問した時には、この絵本の原画が7〜8割方出来上がっているようでしたが、福音館から担当編集者が頻回に訪れ、入念な打合せを繰り返しているとのことでした。

たかだか、赤ちゃん絵本「一冊」を作るために、3年近くの歳月を「当たり前」のようにぜんぜん時間を惜しまむことなく注ぎ込み、最高の絵本を作るべく、編集者と作家との真剣勝負が繰り返されていることを知り、ぼくは正直、恐れおののいたのでした。プロの覚悟、心意気は違うのだなってね。


■こうした、福音館書店「こどものとも 0.1.2.」編集者と林明子さんとのやり取りの中で、必然的に話題は亡くなった征矢清さんのことに及びます。

その話の中で、林明子さんは「あ、私の知らない征矢さんが、この人の中では、今も生きているんだ」って感じて嬉しく思ったのだそうです。


ぼくは、この話がすごく印象に残りました。


たぶん、林明子さんの日々の日常の中では、いまも当たり前に、死者になった征矢清さんが「生きて」いて、林明子さんに影響を与え続けているのだなぁ、と。

そうでなければ、決して、絵本『ひよこさん』は完成しなかったことでしょう。「死者」と「生者」との、積極的で前向きな関係が、林明子さんと征矢清さんとの中に間違いなく存在するのではないか?


■内田樹先生は、「声を聴くことについて」の中で、こう言っています。


「死者が私のこのふるまいを見たら、どう思うだろう」という問いがことあるごとに回帰して、そこにいない死者の判断をおのれの行動の規矩とする人にとって、死者は「存在しないという仕方で存在する」。それどころかしばしば死者は「生きているときよりもさらに生きている」。


(さらに、もう少し続く)

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