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2012年5月

2012年5月29日 (火)

アイザックの「くちパク」プロポーズ

■今朝、茂木健一郎氏がツイッターで教えてくれた、YouTube画像 「Isaac’s Live Lip-Dub Proposal」。 これはたまげた驚いた! 2012年5月23日(先週の水曜日)に録画された画像だ。カメラは最初から最後まで「まわしっぱなし」の「ワンシーン・ワンカット」で、一切編集は施されていない。それなのに、なんなんだ! この完璧さ。感動して、ラストで泣いてしまったよ。先ほど、iPad の大きな画面で見たら、もっとよかった。 曲がいいんだね。 Bruno Mars の『Marry You』って曲。 あぁそうか。「Gree」でカヴァーされた曲なんだ。 場所は何処なんだろう? アメリカというより、イギリスって感じかな? あ。いや、ホンダCRV の後ろに駐車している車のナンバーは「オレゴン」だ。てことは、アメリカ西海岸北部か。


YouTube: Isaac's Live Lip-Dub Proposal

でも、日本語的には「結婚してください」だから、英語で「Marry Me」って感じなのだが、正しい英語では『Marry You』なのか? Youが主語なら「 Will you marry me」だが、I が主語だから「 I wanna marry you. 」ってなるわけか。

2012年5月27日 (日)

3.11 後のエンタメ小説『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)つづき

『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)は、そのタイトルや表紙イラストから本格山岳冒険小説かと思われるかもしれないが、月刊誌『問題小説』2008年12月号〜2011年7月号に断続的に掲載された7つの短篇に、書き下ろし1篇を加えた短編集で、「幽霊譚」5篇+「近未来譚」3篇から成っている。


しかも、よくある「山男が語る冬山の怪談話」は、ひとつもない。


ポイントは、「3.11」の前と後とで発表された作品が収録されているということだ。
だから、幽霊譚とは言っても、最愛の人を失った者たちの深い悲しみや後悔の念がベースにあって、その読後感は辛く苦しい。


ただ、この短編集一番の読みどころは、やっぱり残りの「近未来譚」3篇にある。


「渓にて」は、『問題小説(2010年12月号)』に発表された。「3.11」の前だ。
でも、どう考えても「3.11」後に書かれたとしか考えられない内容だ。


たぶん本にするに当たって大幅に加筆されているのだろうが、それにしてもやはり「炭鉱のカナリア」ではないか。ネタバレになるので内容は書けないのだが、勘がいい人なら、映画化もされたネビル・シュートのSF小説を直ちに思い浮かべたことだろう。


「標高二八〇〇米」は、小5の息子と2人で南アルプス北岳山頂(3193m)を踏破した主人公が体験する不条理な話で、これは面白かったな。ちょっと、最近の鈴木光司みたいな感じになりそうで危惧したのだけれど、最後に収録された「リセット」が「標高二八〇〇米」の続編となっていて、これが実にリアルで読ませる。われわれがいま直面している現実と、そのわずか先の未来の話「そのまま」ではないか。あぁ、確かにそうだよなぁ。そういうことになるワケだよなぁ。そう、しみじみ思ったよ。


読後、何とも言えない「やるせなさ」と「無力感」に包まれ、『極北』や『ザ・ロード』に残された「微かな希望の火」は、「リセット」においていとも簡単に吹き消されてしまう。ほんとうに切ないし悲しい。それでも………

■「リセット」でじつに印象的だったシーンがある。


スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンが撮った『第七の封印』を彷彿とさせる場面だ。ぜひ、読んで確かめてみてほしい。






YouTube: Det Sϳυחde Ιחseglet (1957) 1/9

ところで、著者は執筆後この本が出るにあたって、facebook で「こう」言っている。


2012年5月23日 (水)

3.11 後のエンタメ小説(その3)『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)

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■いま読んでいる『なみだふるはな』石牟礼道子・藤原新也対談(河出書房新社)の中で、藤原新也氏が「こう」発言していてびくっとしてしまった。そうか、そうだったのか。知ったようなことを書いてしまって反省しています。


「リアリティ」(p62)

藤原:震災があって一週間後に被災地に入ったんですね。いまはもう三か月経って、先日も行ってきましたが、最初に行ったときとは空気がまったくちがいます。直後というのは……


石牟礼:臭いがある?


藤原:臭いも当然ありますけれども、空気に恐怖感がまだ残っているんですね。津波が来たときに、ものすごい恐怖感が渦巻いたでしょう。人間の叫びだとか。そういうものがまだ残っているんですよね、空気の中に。それがわかるんです。その空気に充満していた恐怖の気のようなものがいまはありません。

道端で座り込んで泣いている人もいたし、ほんとうに東北の気丈なおやじが、泣いているんですよ、道端に座り込んで。(後略)


石牟礼:『AERA』の写真を拝見しましたけれども。鳥がいっぱいの。「死臭が」と書いてあった。死臭というものを書いてあるのは初めて見ました。何か臭いがするはずだと思っていた。書かないですね、臭いのことは、新聞は。


藤原:基本的にはそういう悲惨な状況はなるべく隠すように隠すようにしていますから。たとえば津波の光景でも、人間が二万人死んでいるわけですから、当然いたるところで写っているんです。


写ったやつは全部排除して。写っていることがいいことかどうかは別として、そういう二次情報というのは全部選別する時代ですから。

そこで死体を写すべきかどうかという議論がネットであったようですが、僕個人はあまり死体は写したくないんです。リアリティを伝えるために死体を写すべきだといういい方がありますが、じゃあ、自分がその死体だったらどうか、自分が写されたらどうか。僕が水ぶくれにになって、その辺に転がっていて、向こうから長玉(望遠レンズ)で人が撮っている光景を想像すると、これは気持ちがよくないですよね。


死体を写すべきだという人は、おまえが死体になったらどうだという、そういう観点がないんですね。


もう一つは、死体を出したからリアリティが伝わるかどうかという、それはまた別ですね。むしろ僕が撮った、カモメが陸に群れている写真のほうが、ぞっとする力がある。リアリティといいますかね。


石牟礼:感じました。とても。この下には死体があって、鳥たちは食べるわけですからね。


藤原:リアリティというのは想像力だと思うんです。そのものを見せてしまうと想像力は封印されてしまう。見ることはカタルシスにつながってそれで終わってしまう。(『なみだふるはな』p64 より)


■ところで、つい最近とくに目的があった訳でもなく、ただなんとなく『ひかりの素足』宮澤賢治・作、赤羽末吉・絵(偕成社)をたまたま読んだのだ。「この話」は今までなぜか知らなくて、今回初めて読んだ。


賢治の童話の中では、初期に書かれたもので、宮澤賢治が当時熱心に信心していた法華経の影響が全面に出た作品だ。そして、あの『銀河鉄道の夜』の原型になった童話だとされている。


まだ幼い兄弟が吹雪の峠で道に迷い遭難する話だ。凍死寸前の二人は生死の境をさまよう。カムパネルラとジョバンニのように。ただ『銀河鉄道の夜』と違う点は、「地獄めぐり」の場面がまずあることだ。剣が一面に突き出た大地を、裸足の少年たちが血をだらだら流しながら、大きな赤鬼にむち打たれ進んでゆく。


ぼくはこの場面を読みながら、あれ、どこかですでに読んだことがあるシーンだなぁ、と思った。で、思い出したのが『標高二八〇〇米』樋口明雄(徳間書店)の中の、『霧が晴れたら』だ。妻と中1の息子の家族3人で登山していた主人公は、岩場で滑落する。そして……。 この短篇は『ひかりの素足』を下敷きにしているのではないか。


■ところで、絵本『ひかりの素足』を読み終わったあとに、偶然『なのはな』萩尾望都(小学館)に収録された、マンガ「なのはな」の続編、「なのはな ---- 幻想『銀河鉄道の夜』」に『ひかりの素足』が出てくるっていう情報を得て、あわてて一昨日 TSUTAYA へ行って購入したのだ。


それは最後に載っていた。


「なあんにも こわいことは ないぞう」

っていう、お釈迦様の言葉が心に沁みる。

2012年5月21日 (月)

金環日食を間接的に見る


■リッツ・クラッカーの「穴の中」の太陽

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■テレフォンカードが見つからなかったので、JR東海の「オレンジカード」の穴の中の「金環日食」


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2012年5月20日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その89)下諏訪町立図書館

■今日の日曜日は、「下諏訪おはなしのへや」のみなさんが、われわれを呼んでくださった。会場は下諏訪町立図書館。広くて大きくてきれいで立派な図書館だったなあ。今年で出来て10周年だそうだ。


会を始める前のあいさつで「じつは僕らも、もうすぐ結成 10周年になるんですよ。」って話したのだが、本当は「2004年4月23日」がデビューだったから、まる8年だったんだな。10周年にはもう少し間があった。すみません。


   【本日のメニュー】


 1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)
 2)『うえきばちです』川端誠( BL出版) →伊東
 3)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・文、みねおみつ・絵(福音館書店)→伊東
 4)『あーといってよあー』小野寺悦子・文、堀川理万子・絵(福音館書店)→北原

 5)『かごからとびだした』いぬかいせいじ・文、藤本ともひこ・絵(アリス館)→全員

 6)『こんとあき』林明子・作(福音館書店) →坂本
 7)『ねこのおいしゃさん』増田裕子・文、あべ弘士・絵(そうえん社) →全員

 8)『ようちえんいやや』長谷川義史(童心社) →倉科

 9)『ふうせん』(アリス館)
 10) 『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2012年5月19日 (土)

『きつねのつき』 3.11 後のエンタメ小説(その2)

■3.11 の震災後、比較的早い時期に発表された文芸作品の中で、ぼくが読んだのは『なのはな』萩尾望都・画(『月刊フラワーズ8月号』小学館)と、『小説新潮5月号』に掲載された「川と星」彩瀬まる・著 だった。


前者は中日新聞のコラムで、後者はツイッターで知った。


両者ともに、リンクのとおり現在「単行本」として出ている。


■「川と星」彩瀬まる著は、読んでみて大変な衝撃を受けた。「このブログ」に詳しいが、東京在住の新人作家が、たまたま私的東北旅行をしていて、昨年の3月11日の午後、仙台発の上り常磐線普通列車に乗っている時に、地震と津波に遭遇し、避難先で原発事故にあう。旅行先で知人親戚も誰もいない中で、福島在住のいろんな人たちに助けられ、生死の境を彷徨いながらも無事帰還できた顛末が綴られていた。


なによりも驚いたことは、TVで放映された幾多の津波映像よりも、彼女が書いた文章のほうが数十倍もリアルに読んでいて「体感」できた(させられた)ことだ。ただの文字だけで、写真もビデオ映像も、視覚的インプットは何もないのに、その振動、轟音、におい、寒さ冷たさ、空腹感。そして、まるで著者の隣に佇んで同時に感じている恐怖と不安と絶望を、ぼくも確かに「体感」したのだ。


これが「文学の力」なのではないか。


「この感覚」とほぼ同じ想いを、『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)を読みながら、何度も感じた。

夜が来ると、あの夜のことを思い出す。妻を返してもらいに行った、あの月も星もない夜のこと。
闇に沈んだ地上のさらにその下で、ざわざわと海だけが騒いでいた。(中略)


いちどは登った長い坂を、そのために再び下っていった。
私と同じことを考えたのかどうかはわからないが、私と同じように下った者は、何人もいた。彼らがどうなったのかは知らない。


あの闇に呑み込まれてしまったのか。それとも、呑み込まれながらも、ここではない別の岸へと泳ぎ着くことができたのか。
いや、私だってそう。(中略)


後ろめたい幸せを抱えて、私はここに立っている。いつまで立っていられるのかはわからないし、あるいはもうとっくに立ってなどいないのかもしれないのだが。

とにかく、ここにこうしている。(『きつねのつき』p4〜5)


この冒頭の文章は、たぶん単行本にするに当たって、震災後に新に書かれた文章なのではないかと思った。もちろん震災の2年前に書き上がった小説とはいえ、出版に当たっては加筆訂正が随所に為されているのであろう。


■例えば『どろんころんど』の場合、なにかとてつもなく大変な事態が「世界中で」平等に起こってしまったあとのはなし、であることは判る。ところが、『きつねのつき』の場合は、大変なカタストロフィーに陥ったのは大阪の下町の「ごく一部の区域」に限られていて、「中の人」である主人公と、「外の人」とのカタストロフの受け止め方が全く異なっていて、そんな主人公の諦念や怒り、やるせなさを、読者はじわりじわりとリアルに追体験させられることになる。


地面が傾斜している。
つまりここは、坂の途中だ。
あの台地の方向からまっすぐ続いている坂道。それがこのあたりからさらに急になって、まだまだ先まで続いている。


ずっとずっと下まで、まっすぐ。
たぶん、死者の国まで。
そういう坂だ。
たぶん。


真っ暗なはずのそんな坂の先がどこまでも見通せるのは、その途中に携帯電話がたくさん落ちているからだ。
それらが呼出しを続けながら、その小さな四角い液晶画面を光らせているから。


狐火のように。


持ち主がもうこの世にはいない携帯電話。
死者の数だけ、いや、ひとりでいくつも持っていた者もいただろうから、それより多くの携帯電話が散らばっている。


生きている者が生きている者の国から、死者を呼び出そうとして、あるいは呼び戻そうとして、鳴らし続けている。
テレビの向こうにあるあの生者の国から。(p244〜p245)


それと「死者たち」だ。この小説には、上記抜粋を含めて、そこかしこに彼らがいまも共存している。


彼らこそ、当事者なのだからね。


■そういった背景があった中での「父と子」の日常が描かれるのだ。


どんな状況下でもあっけらかんとたくましい2歳児の女の子がとにかくいい。いつも元気だが、疲れるとすぐ父親におんぶをねだる。そんなひとり娘のために、それでもどっこい生きてゆく(生きてゆこうとしている)父親。そして、そんな父娘を見守る母親。家族にとっての掛け替えのない(今ここにしかない)時間と空間を愛おしむ小説なのだった。


そのことが、3.11 後に発表された幾多の文芸作品の中でも、この『きつねのつき』が特別の作品であると思うのは、ぼくだけだろうか?

2012年5月18日 (金)

『きつねのつき』北野勇作(つづき)3.11 後のエンタメ小説

■『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)は、読んでいてどうしても「あの 3.11 」に起こった地震、津波、原発事故をリアルに思い浮かべてしまう。実際この小説には「事実そのまま」といってもいい描写が随所に散見される。


でも、ほんとうは「この小説」が書かれたのは「あの日」よりも2年も前だったという。びっくりだ。


不思議だ。何なんだろう? このシンクロニシティは。


作家に限らず、表現者、芸術家といった人々は「炭鉱のカナリア」なんじゃないかって、思うことがあるな。例えば、先日読んだ『極北』マーセル・セロー著、村上春樹訳(中央公論新社)がそうだった。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』もそうだ。あと、北村想の戯曲『寿歌』。それに、ぼくは未読だが『ディアスポラ』勝谷誠彦(文藝春秋)もある。

ただ、ぼくが注目したのは、山梨県北杜市白州町在住の冒険小説作家、樋口明雄氏が震災後に出した『標高二八〇〇米』(徳間書店)だ。(つづく)


        ■閑話休題■


ちょっとその前に、書いておきたいことがある。


先ほど読んだ、作家・花村萬月氏のツイートだ。以下転載。

花村萬月 ‏@bubiwohanamura ①ホテルにもどって、新幹線車中で頭の中に泛んだ絵をノートパソコンに、簡単に記しておく。象徴を掴んでしまったので、覚え書き以前の代物でも、即座に脳裏に画像が焦点を結ぶ。 こういう具合に絵が見えない人は、執筆に苦労するんだろうな。②に続く。


② 字を書いているからといって、文字や言語で思考しているとは限らないのだが、このあたりを大きく勘違いしている人が多い。誤解を恐れずに言ってしまえば、小説という散文表現は、じつは言語を用いた絵画の1ジャンルなのかもしれない。


これ読んで、なるほどなぁと思った。
作家の頭の中には、明確な映像が視覚的イメージとして確かにあるのだ。


落語と同じなんだなあ。

落語家は、聴衆に対して登場人物から風景、季節感まで、日めくりのように一枚一枚、絵をめくって行く感じで、画像としてイメージさせなければダメ! と言ったのは、先代の桂文楽で、それを聞いたのが橘家円蔵師だ。土曜日夕方FMで放送している「サントリー、ウェイティングバー・アヴァンティ」で、円蔵師がそう言っていた。


で、つらつら考えるに、いろんな落語の演目を思い浮かべてみると、それぞれ最も印象的なシーンが写真のように思い浮かぶ。例えば、「らくだ」なら、大家の家で死人を背負って屑屋が「かんかんのう」を歌う場面だし、「粗忽長屋」なら浅草浅草寺のシーンだ。「子別れ・下」だと、鰻屋の階段の下から二階を見上げる、熊五郎の別れた女房のシーンか。


こういう記憶の仕方は、なにも落語に限ったことはない。


読み終わった本の内容を思い出す時、ぼくは写真画像がまず最初に立ち上がるのだ。つまりは、小説のストーリーを「視覚イメージ」として記憶しているのだね。だから、その本の内容をほとんど忘れてしまったとしても、その小説の印象的な「あるシーン」だけは、明確な視覚イメージとして記憶に保持し続けることができるのだった。

ただ、こういった視覚的記憶は、例えば「その小説」が映画化された場合に都合が悪い。


じぶんが個人的にイメージした映像と、多くの場合出来上がった映画はものすごくかけ離れてしまっているからだ。


■何が言いたいかというと、あの 3.11 から何度も何度もくり返しくり返しテレビで流された「あの津波の映像」や「津波によって根こそぎにされた陸前高田や三陸町の町並み」を、ぼくらは見過ぎてしまっていることに大きな問題があると思うのだ。人間にとって、何と言っても視覚情報は圧倒的パーセンテージを占める。


じつは、僕は震災後一度も被災地には行っていない。
そんな人間が、当事者性もなく発言していいとは決して思わないが、でもちょっと言わせてくれ。


実際に行って見ることと、テレビ画面でくり返し津波映像を見ることはぜんぜん違う。それは誰でも判ることだ。


まず、圧倒的な臭い「におい」は、テレビの映像では再生できない。


それから、死者だ。膨大な瓦礫のそこかしこに、実は人間の「肉片」や「手足の断片」が混在していた。海外メディアの一部は、ブルーシートの覆われ、先端に赤旗が結ばれた竿竹が刺さった場所があちこちにある場面を写真に撮って報道した。


でも日本のマスコミは、ブルーシートも赤旗も、肉片も手足の断片も、修正して死者たちを画面から消し去り、「瓦礫」だけを浄化してテレビに流した。


それじゃ、ダメだろう。浄化してはだめだ。2万人にもおよぶ死者たちを、そんなふうにあつかっちゃあダメだ。(つづく)

2012年5月16日 (水)

『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)

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■昨年から、読もう読もうと思っていながら、なかなか手が伸びなかった「この本」を、ようやく読んだ。しまった、と思った。これはたいへんな傑作なんじゃないか?


もっと早く読めばよかった。


■主人公の長女は、春先に生まれた子だから「春子」と名付けられた。その娘が満2歳を迎え、急に口数が多くなってビックリしている主人公(父親)の呟きで「この小説」は始まる。それから1年が経って再び桜咲く季節を迎え、3歳になった娘が「おー、おはなみだねえ」と言った後の、その次のシーンで終わっている。


    「とお、ないてるの?」
     突然、春子が言った。(中略)
    「とお、わらってよ」


ぼくは最後のページで主人公といっしょに泣いてしまった。もう、ぽろぽろぼろぼろ。これは凄い小説だったなぁ。しみじみそう思ったよ。


■基本設定は、自営業の父親が2歳の娘を「子供館」へ(後半はその隣の保育園へ)送り迎えする日々の日常を、ほのぼのとした父娘の会話をベースに綴られていく、という話だ。


この父娘の会話が実にリアルなのだ。しかも、2歳の女の子は同年齢の男の子と比べて、言語能力が1年くらい早い。こまっしゃくれた生意気な大人勝りの発言をして、読者を笑かしてくれるし、何だかメチャクチャな「デタラメ歌」をよく歌う。そう、まさに宮崎駿の映画『となりのトトロ』の妹「めい」が「とうもころし」って言ってしまうアレね。


それから、2歳児の運動発達に関してもかなり正確な描写がなされていて感心してしまった。

2歳児は、階段はのぼれるが、上手には降りれないのだ。確かに。


 しかしまあそんな顔を見ると、この子のためにできることは、なんでもしてやろう、という気になり、それと同時に、そんなことを思っている自分自身が不思議で仕方ない。自分に子供ができるまでは、子供などただうるさいだけだとさえ思っていたのに。(8ページ)


■この「リアルな子育て描写」を読んでいて、思い浮かべた小説があった。そう、『なずな』堀江敏幸(集英社)だ。


『なずな』は、生後2〜3ヵ月の女児を突然預かって、男手一つで育てなければならなくなった中年男の顛末が描かれていた。ぼくは『きつねのつき』を読みながら、『なずな』の後日談なんじゃないかと勘ぐってしまったほど、両者の「イクメン度」は互角の先進性がある。


ポイントは「母親の不在」だ。


いや、正確には両者ともに「確かに母親は存在している」のだが、物理的、距離的に(『なずな』)、生物学的に死生学的に(『きつねのつき』)母親は不在なんだな。そこが(父親として)不憫で切ない点だ。


何故、母親が不在なのか?


まぁ、それは、そういう設定でないと母親を出し抜いて「父親が子育ての主役になれないから」という理由ではあるのだが。


■そうは言っても、そこは「北野勇作」であるから普通のイクメン小説であるワケがない。ある日突然、不条理なカタストロフィーに襲われた親子が住む下町は、シュールでグロテスクで奇々怪々な事象に満ちているのだ。


もう少し深く掘り進んでみると、古事記にある神話「イザナギとイザナミ夫婦の話」に行き着く。


ちょうど落語『地獄八景亡者戯』に登場する「人呑鬼(じんどんき)」のくだり、『風の谷のナウシカ』に登場する「巨人兵」が未熟のまま崩れ落ちたような「人工巨大人」の体内に、主人公が深く深く下って行って、iPS細胞(多分化能胚細胞)の肉塊を取りに行く場面が「それ」だ。この場面はやるせなくて切ない。


この小説には、他にも落語の演目が巧妙に仕組まれている。まずは『らくだ』。それから『あたま山』に『七度狐』かな。


■それから、こちらのブログ「十七段雑記 2011.8.28」に書かれた感想が興味深い。


ぼくも、ツイッターで北野勇作氏をフォローしているので、去年の4月に北野氏が確かに「そうつぶやいた」のを記憶している。それを読んだ河出の編集者がコンタクトを取って「この本」は晴れて日の目を見たわけだ。


この小説は「3.11」 後に書かれたと誰もが思うだろうが、実はその2年前にすでに書き上がっていて、でも本にはならずお蔵入りしていたという。いや、ほんと信じられないことだが。(つづく)

 


2012年5月13日 (日)

『創世の島』バーナード・ベケット(早川書房)

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■何故か、SFが読みたかったのだ。


で、『創世の島』バーナード・ベケット著、小野田和子・訳(早川書房)を手に取った。


松尾たいこさんのカヴァー・イラストに誘われて。彼女が描いた表紙を見て「おっ!」と思った本は、ほぼ間違いなく「当たり!」だからだ。例えば、シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』それから『輝く断片』(河出書房新社)。


『創世の島』の表紙には、岩場の海岸線を裸足の少女が一人、後ろ向きで描かれている。海の水平線は見えない。何故なら、諫早湾に作られた堤防と同じような、高さ30mにも及ぶ隔壁が島の全周を包囲しているから。


この「大海洋フェンス」が築かれたのは、2051年。「最終戦争」が始まってから11ヵ月後のことだった。2052年末にはじめて伝染病菌がばらまかれた頃には、アオテアロア(ニュージーランド)はすでに外界から隔絶された状態になっていた。外界からの最後の放送が受信されたのは 2053年6月。その頃には、大富豪プラトンがアオテアロアに建設した<共和国>は完成していたのだった。


2058年、共和国にとっての救世主となったアダム・フォードが生まれる。

このスーパースター「アダム・フォード」の生涯(2058 - 2077)とその業績に関して、主人公である少女アナックスは、共和国の最高機関である「アカデミー」への入学試験(4時間にわたる口頭試問)に臨むのだった。

■いやぁ、面白かった。短いから一晩で読めた。
でも、ぼくの評価は 3.75点かな。


だって、98ページまで読んだところで、主人公の置かれた状況が読めてしまったからだ。

たぶん、すれっからしのミステリ・ファンなら誰だって気が付くと思うよ。
それくらい「使い古されたネタ」ではあるからだ。

でも、この小説の優れているところは、ネタがばれたとしても最後まで予断を許さずに納得がいく結末に読者を導いてくれている点に尽きる。そうか、そういうことだったのか! ぼくは読み終わって十分に満足した。


■この小説でキーワードとなる言葉は「思考」だ。心や魂(たましい)も関係する。


免疫学でノーベル賞をとった、利根川進先生は、次は「脳」だとばかり、人間の記憶は遺伝子(RNA DNA)によって保存されているという仮説を立てた。しかし、それは間違いだった。


記憶は核酸でできた遺伝子ではなくて、シナプス「回路」だったのだ。

じゃぁ、意識とは何か? 思考とは? 心とは?


動物にも意識はあるのか? 心はあるのか?  そういう話なのだ。

またしても、ネタバレなしには紹介できない本なので困ってしまったのでした。


2012年5月 9日 (水)

映画『小三治』のDVDを見た。これは面白かった。

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■GW中に、伊那市立図書館へ行って「DVDコーナー」を見ていたら、なんと、以前から是非見たいと思っていた落語のDVDがあって感動してしまった。それは、「桂 歌丸 牡丹燈籠DVD5巻完全セット」と「ドキュメンタリー映画 小三治」だ。


で、『牡丹燈籠・お札はがし』『牡丹燈籠・栗橋宿』『映画・小三治』の3本をカウンターに持って行ったら「DVDは2本までしか貸し出しできません」とのこと。仕方ないので、『お札はがし』と『小三治』の2本を借りた。


■『小三治』を見たのは、5月5日の午後。最初に特典映像から見てしまった。そうか、小三治師は「シロクマ好き」だったのか! なんか、すっごくうれしくなってしまったよ。


この映画の中で主役小三治に次いで注目すべき人は、なんといっても「入船亭扇橋師」だ。この2人、昔からすっごく仲がいい。入船亭扇橋師は、昭和6年(1931年)5月29日生まれで、小三治師が昭和14年(1939年)生まれだから、なんと8つも年上(落語界入門は扇橋師が2年早いが、真打ち昇進は小三治師のほうが半年早い。二人とも十何人抜きの大抜擢での真打ち昇進だったそうだ)なのに、扇橋師は小三治師のことをものすごくリスペクトしているし、絶対的な信頼感でもって頼りきっているのだ。そこが可笑しい。


映画の後半、二人旅で東北の温泉旅館に一泊するシーンがある。あっ! この温泉知ってる。小児科学会が一昨年の春に盛岡であった時に、飯田の矢野先生ほかといっしょに泊まった、つなぎ温泉「四季亭」じゃないのか? それにしてもよく食べるね、この二人。


扇橋師は、新宿末廣亭で2回、あと上野鈴本でも確か聴いたことがある。マイクを通しても、何を言ってんだかちっとも判別できない、ごにょごにょとした小さな声で、しかも上半身が常に不規則に揺れていて、観客はみな「このじいちゃん、ホント大丈夫?」と心配してしまう。演目は「弥次郎」だったり「三人旅」だったり「つる」だったり「小三治をよろしく」みたいな漫談なのだが、たいてい突然歌い出すのだ。


「そーらーは、どうして〜 青いの〜」って。これは、そのむかし和田誠さんと永六輔さんが作って、平野レミさんが歌っていた。ぼくも大学生の頃に、TBSラジオで何度も聴いて知っている曲。それを落語とはぜんぜん関係なく、ほんと突然歌い出すんですよ。扇橋師。でも、好きだなぁ。ものすごく好きなんだ、このすっとぼけたような飄々とした佇まいが。


映画では、そんな扇橋師の可笑しさがじつによく捉えられていた。

よく言われることだが、『ねずみ』とか『鰍沢』『茄子娘』など、師の落語は「唱い調子」で完成されている。そういう意味では、春風亭柳好の落語と似ている。もともと浪曲が大好きで、広澤虎造に惚れ込んで最初は浪曲師になろうとしていた人だった。ただ、浪曲師にはなれなず、落語家になったのだ。彼の師匠は三代目桂三木助。三木助と五代目柳家小さんとは「兄弟仁義」の仲。そういうワケで、三木助は長男の名前を小さんの本名をもらって「小林盛夫」と名付けた。それが自死してしまった四代目桂三木助だ。三代目が亡くなって、まだ二つ目だった扇橋師は「小さん門下」の一員となる。


俳句作りは、中学生のころから玄人肌でならし、「光石」の俳号を持つ俳人でもあり、小三治、小沢昭一、永六輔、加藤武、桂米朝らが参加する「東京やなぎ句会」の宗匠でもあるのだ。

ちなみに、扇橋師も小三治師も下戸で酒は一滴も飲めない。あと扇橋師は、焼肉と「メーヤウ」の激辛タイカレーが大好きでトマトが嫌い。そんな兄弟子のことを、小三治師もすごくリスペクトしている。それは、このドキュメンタリー映画を見れば自然と判るようにできている。

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■さて、映画のファーストシーンは、柳亭こみちが高座の座布団を返して舞台袖に引っ込み、続いて「 二上がりかっこ」の出囃子とともに小三治師が肩を左右に揺らしながら、すこし面倒くさそうに高座に向かう場面を下手幕袖の舞台斜め後ろからカメラはとらえる。さらに高座に上がった小三治師を舞台下手真横からカメラは撮す。演目は『あくび指南』。そこにタイトル「小三治」。これがすっごくいい。


失敗をしでかした前座に対しての小三治師。「しつれい、じゃないよ、お前」

前座「はい。ひつれいしました」
小三治「そう。」


そう言ったあとに高座に上がってかけた噺は「らくだ」だ。
これ、いいなぁ。CDでもDVDでも持ってない。
「らくだ」と言えば三笑亭可楽だ。でも、小三治師のはいいんじゃないか。


小三治師が、楽屋で鏡に向かって電気カミソリで髭を剃るシーンが何度もある。師はわりと髭が濃い。見ていると、誰かに似ているなぁ、と思った。そうだ、マリナーズのイチローだ。二人ともB型で、人知れず努力を重ね「その道」を極めた武士というか、求道者のような佇まいが似ているのだな。


「自分で楽しくやれないことはね、ストレスの元だよね。(中略)こんな程度の人生だもの、あんな一生懸命やってどうすんだよ。(中略)しょうがねぇよな。そういう奴だったんだよ、どうも。生まれ育ちかな。なぜ百点取れないんだ!つって、95点の答案を前にして正座させられて親父から小言を言われたっていう、そういう刷り込みっていうのが、やっぱりずうっと消えないんじゃないかなぁ。自分で百点満点を取らないと、自分で自分を許可しない。そういうのが嫌な、それが嫌でこの世界に逃げ込んだのにねぇ、結局はそこから逃れられない。」


■あと、柳家三三の真打ち昇進披露の口上がよかった。実になんとも、うまいこと言うなぁ。


控え室で、サンドイッチを食べながら三遊亭歌る多を相手にしみじみ語るその背後で、三三さんが一人黙々と稽古している場面が好きだ。食べ終わった小三治師は、おもむろに「お手拭き」で目の前のテーブルを拭きはじめる。


「柳家の伝統だよ、テーブル拭くのは。」
「人に言われて気が付いたんだよ。柳家ですねぇって。」

「そう、明らかにそれは小さんの癖なんだよね。」
「うそだろう!? って、ビックリした。えっ、みんな拭くのって。で、自分が拭いていることも意識にない。」


「そういうところがつまり、背中を見て育つってことかねぇ。気が付かないでやっていることがいっぱいあるんだろうねぇ。気が付いていることもいっぱいある。あぁ、これ師匠だなって、いっぱいある。」


「だからねぇ、教えることなんか何もないんだよ」
「ただ見てればいいんだよ」


次のカットで、三三さんが黙々と稽古しているとこに、音声だけで小三治師の指示が入る。すごく具体的で丁寧な教え方だ。あれっ? 三三さんに師匠が教えてるじゃん! ていうのは勘違いで、カメラが引くと、なんと小三治師が「足裏マッサージ」のやり方を柳亭こみちに懇切丁寧に教えているのだった。これには笑っちゃったよ。


小三治師は、スキーも懇切丁寧に教えてくれるらしい。
でも、落語の稽古はつけてくれない。


■それから、映画のナレーション。女優をやっている小三治師の実の娘さんだったんだね。「歌 ま・く・ら」の時、上野鈴本の楽屋に兄嫁といっしょに顔を出している。この時も、入船亭扇橋師の話で盛り上がるのが可笑しい。

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