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2012年4月

2012年4月29日 (日)

自著を売るのは、ほんと大変なのだ。

■ここ2年半「ツイッター」をやってみて、思ったことがある。


作家が「エゴサーチ」して、自著に好意的なツイートを軒並み「リツイート」していることに関して、正直、嫌らしいなって、見苦しいじゃないかって意見があること。

でも最近は(と言うか、当初より)ぼくは「いいんじゃないの」って思ってきた。


と言うのも、いまから5年前に『小児科医が見つけた えほん エホン 絵本』(医歯薬出版)を、ぼくら絵本好き小児科医の仲間が出版したときのことを思い出したのだ。


この本の編集者は、ほんと切れ者の才媛だった。彼女がいなければ「この本」は世に出なかっただろうと正直思う。それほど「編集者」の存在は重要なのだ。


■ところが、ここに大きな問題が出現した。出版社の編集者は、どんなに優秀でも、その本が出版販売されてしまえば「管轄外」となってしまう。つまり、「本を世に出す」のが編集者の役目であって、その本を売るのは営業部担当社員の役目なのだから。


ところで、医学系専門出版社の営業部って、あんまり宣伝する気がないんですね。そこそこ売れて、赤字が出さえしなければそれでよいワケです。


でも、「この本」は様々な事情が発生して、結局、一部刷り直して製本もやり直してから出版された。当初、出版社は初版5000部を刷ったのです。医学専門書出版社としては冒険だったと思う。それが諸般の事情で赤字必至となってしまったのだった。


■「この本」を書いたのは、8人の絵本好き小児科医でした。8人+名古屋千住区の絵本専門店「メリーゴーランド」の三輪さんによる共著本だったのですが、僕は自分が書いた文章が実際に本になった喜びで、個人的に「この本」を100冊購入して親戚や知り合いに配りました。ぼくが想像するに、他の7人の小児科医も同じようだったんじゃないかな。しかも、この他にも原稿を依頼して書いて頂いた小児科の先生が何人もいる。


つまり、初版のうち全国各地の図書館へ納入された本以外の案外多くを「共著者自身」が購入して配っていたのですね。そういう事情を理解していない出版社は、思いのほか売れたんで、これは行けると思い切ってさらに増刷したのでした。

でも、著者たちが買わなければ、もうそうは売れませんよね。しかも「この本」は、大型書店の児童書・絵本コーナーに置かれることはなく、たいていどこの本屋さんでも「医学書専門コーナー」に置かれていたのですから。


■ぼくは「この本」が発売されてしばらくして、販売促進プロモーションというものは「ぼく自身」がしなければ誰も売ってはくれないのだということに気付きました。で、新聞社各社に売り込んでみたのですが、結局記事を載せてくれたのは「信濃毎日新聞」だけでした。


あと、いわゆる「著者謹呈」の献本として(でも、書籍代+送料とも出版社に負担してもらうのではなくて、自分で買って自分で梱包して自分で送料も払った)ずいぶんいろんな人に送ったけど、結局、思ったほどの宣伝効果はまったく得られなかったのでした。

素人のぼくら「一回だけの」体験がそうでしたから、プロの作家さんは「自分の本」を出版するたびに、同じ思いを何度も何度も味わってきたのではないか? と、容易に想像がつきます。


出版者の営業部にはなんにも期待できない。そういうことをイヤと言うほど味わされてきたと。


じゃぁ、自分で「ツイッター」で宣伝活動をするしかない。


そう思い至ってもしょうがない状況が、いまの出版界にあるのではないでしょうか。


ほんと、いまの世の中「本が売れない」のです。
しかも、新刊書があっという間に本屋さんの平台から本棚から消えてゆく。で、気が付けば在庫切れ→絶版の憂き目。

でも、ぼくらの本『小児科医が見つけた えほん エホン 絵本』は在庫があって、今でもちゃんと流通しているからほんとありがたいと思うのでした。

2012年4月24日 (火)

今宵の高遠城趾公園の夜桜。満開ちょっとすぎ。

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2012年4月17日 (火)

『極北』マーセル・セロー・著、村上春樹・訳(中央公論新社)

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■読み出したら途中で止められなくなって、一気に読了した。
『極北』マーセル・セロー著、村上春樹・訳(中央公論新社)だ。
読者を物語世界にのめり込ませるこのリーダビリティは『ジュノサイド』以来か。
ほんと、面白かったなぁ。もの凄く。


【注意!】以下の文章には、読書の喜びを奪うかもしれない記載が一部含まれていますので、一切の事前情報を目にせず「この本」を読みたい、楽しみたい、と感じた未読の方は読まないでください。配慮が足りずにすみませんでした。

短いチャプターで簡潔な文章のテンポがじつに心地よい。ぐいぐい読める。
しかも、読者の予想(期待)を次々と裏切って話の展開がまったく見えないのだ。だって、読み出して数十ページでいきなり「えっ!?」とビックリ仰天させられるのだから。それが終いまで続くのですよ。


読み始めた読者には状況が全く説明されない。まず大きな謎が提示される。 ここはどこ? いつの時代のはなし?
それが、ストーリーの合間合間に挿入される主人公の回想によって少しずつ明かされてゆく。そして、物語の前半でさりげなく蒔かれた伏線が次々と回収される終盤は圧巻だ。ただ、最後まで謎として残されるものもあるが。


これはやはり「純文学」と言うよりも「ミステリー」であり、近未来ハードボイルド冒険サバイバル小説の傑作だと思った。


タフでクールで、でも決して非情じゃない主人公「メイクピース」が、とにかくめちゃくちゃ格好良いのだ。射撃も得意ときている。


主人公は町の警察官だったのだが、警察学校の指導官ビル・エヴァンズの描写がシブくて好きだ。(たぶん、Bill Evans と綴るのだろうが、訳者は決して「ビル・エヴァンス」とは表記しない。スではなくて「ズ」なのだ。そんなこと、僕以外の人にとってはどうでもいい事なんだろうけどね)


あと、近未来設定のフィクションだけれど、細部が丁寧に描かれているので、読みながら映像がリアルにイメージできること。いや、このリアルさは別の大きな要因もある訳だけれど。

■上の写真を見て頂ければ判ることだが、「この本」は装丁が「イノチ」だ。
じつに美しい静謐な装丁。


そのことは、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』黒原敏行・訳(早川書房)の装丁と比べてみてもらえば、自ずとわかることではある。


そう、「この本」は『ザ・ロード』と同じく、「世界の終わり」に立ち会う主人公の物語なのだった。


でも大切なことは、この2冊の本のジャケットが「白黒反転している」ことだ。
そこが重要。『極北』は『ザ・ロード』を反転させた物語だから。


『ザ・ロード』の主人公が、めったやたら「センチメンタル」だったのに対し、『極北』の主人公は、あくまでもクールでドライときている。それに、ザ・ロードの父親と息子は、ひたすら南を目指すのに対し『極北』では逆に北だ。極北だ。


小説の舞台は「北シベリア」。


北氷洋に注ぐ大河「レナ川」河畔の都市ヤクーツクから東へ 1500km。バイカル湖畔に位置するイルクーツクよりもさらに遠く北東に位置する、世界で最も低い気温(零下70℃)を実際に記録したオイミャコンのあたりに建設された入植地「エヴァンジェリン」。


椎名誠の『冒険にでよう』(岩波ジュニア新書)『そらをみてます ないてます』(文藝春秋)、それに『マイナス50℃の世界』米原万里(角川ソフィア文庫)をすでに読んでいたから、その壮絶な環境は少しはイメージできた。あと、『脱出記』も単行本で読んでいたしね。


だから北シベリアの過酷な自然は、それなりに想像できるのだ。マイナス50℃にもなる冬の寒さも凄まじいが、夏のタイガの薮蚊の獰猛さときたら、そりゃぁもう人間が生活できるような環境じゃ全くない。


そんな凄まじい北シベリアの内陸部に、何故「英語を話す人々」が暮らす街ができたのか?  そして、何故いまやゴーストタウンと化してしまったのか?


物語の後半、さらにもの凄いゴーストタウンが登場する。でも、不思議と既視感が漂うのだ。


■ぼくが「この本」を読みながら頭の中で何度も流れていた曲がこれ。






YouTube: 渋さ知らズ ひこーき

「飛行機」ってさ、いつも宮崎駿の映画に出てくるみたいに、科学と文明の象徴なのだ。


絶対に無理だろうけれど、映画化してもらいたいな、クリント・イーストウッドに。「西部劇」みたいな雰囲気の映像でね。


■それにしても、『ジュノサイド』と同じく「この本」は、ほとんど「ネタバレ禁止」条例に触れてしまうので、どう読後感想を書いたらいいか判らないのですよ。


■いろいろ書きたくても書けないでいるのだけれど、これは「ネタバレ」になってしまうが、タルコフスキーの映画に関して、ぼくは以前「こんなこと」や、「こんなこと」を書いています。


2012年4月11日 (水)

『土岐麻子 BEST!』(つづき)

■土岐麻子は、FM長野で日曜日の朝9時半から「トキシック・ラジオ」という番組を持っている。ただこの番組は JFN系列全国20局でオンエアされているのだが、何故か放送元の「東京FM」では放送されていない。不思議だ。面白いのに。 同じく、日曜日の早朝FM長野で放送されている「SUNDAY FLICKERS」も、何故か「東京FM」ではオンエアされていない。今をときめく「春風亭一之輔」さんがDJなのにね。どうもこの、JFN系列(ジャパン・FM・ネットワーク)と「東京FM」の関係が理解できないのだった。 ■お互いにリスペクトしている、EPOと土岐麻子だが、確かに今流れている「資生堂のCM」はよい。コラボがはまって、これはヒットするんじゃないか?(あ、もうすでにヒットしたのか) でも、ぼくが思うに土岐麻子の今後は「この曲」ではないと思うのだ。これ、もろ「EPO」そのまんまじゃん。いまの時代に、この楽曲は合わないとぼくは思うのだよ。どうしても、あの80年代のバブリーな時代を思い出してしまうから。 それよりも、断然こっちだな。この曲はほんとイイ! 心に沁みるぜ!!


YouTube: 土岐麻子 & 秦 基博 / やわらかい気配


YouTube: 土岐麻子 & 秦 基博 / やわらかい気配[後半]

曲もいいが、詩がすっごくいいじゃないか! ね。 ■あと、カヴァー集がいいんじゃないか? この BEST! でも「セプテンバー」とか「私を野球に連れてって」がいい。JuJu みたいな「ジャズ」のカヴァーじゃなくって、「羊毛とおはな」みたいな感じで 70〜80年代のポップスあたりの渋い曲をいろいろと聴いてみたいな。

2012年4月 9日 (月)

土岐麻子 BEST! と、チャットモンチー BEST

■この間の日曜日。所用で松本へ行ってきた。


いつも立ち寄る「ほんやらどお」へ行く。そこで、『土岐麻子 BEST! 2004 - 2011』2枚組と、『チャットモンチー BEST 2005 - 2011』、『チャットモンチー レストラン・メインディッシュ』(DVD)を見つけて購入した。


チャットモンチーは、最近長男が入れ込んで聴いていたから気になっていたし、アジカンのコンピで1曲目に収録された「All right part2」に参加した、チャットモンチー・リードヴォーカルの橋本絵莉子の歌声に沁みるものがあったからだ。


で、聴いてみてビックリしたのだが、和製女子版の「ポリス」じゃん。ギター、ベース、ドラムスの3人組。それなのに、音のスケール感が半端じゃなくて、曲の疾走感がたまらなく気持ちいい。これはまさに「ポリス」だ。四国は徳島の片田舎で、女子高校生が趣味で始めたバンドとはとても思えない完成度じゃないか。


ポイントは、元「JUDY AND MARY」のヴォーカル、YUKI みたいな声質の橋本絵莉子と、ポリスのドラムス、スチュアート・コープランドみたいな迫力ある高橋久美子のドラムスにあると思った。


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■チャットモンチーの橋本絵莉子のヴォーカルが「YUKI」に似ているとしたならば、土岐麻子は 「EPO」だ。

だから、土岐麻子の歌声を聞くたびに、ぼくは「オレたちひょうきん族」をパブロフの犬的条件反射で思い出してしまうのだ。あの、バブリーな 1980年代をね。



YouTube: オレたちひょうきん族 DOWN TOWN epo

2012年4月 6日 (金)

新聞記事だって、いまは記者の署名記事が多いのになぁ

■昨日は、夜7時から上伊那医師会広報部委員会があって、常務理事として参加した。

広報委員の仕事は、毎月発行される「上伊那医師会報」の原稿集めと編集作業、それからアドプランニングが発行している『月刊かみいな』の中の「健康カレンダー」の記事を提供することだ。


この『月刊かみいな』の「健康カレンダー」は、記事を書いた人はイニシャルのみの表記で匿名記事となっている。ぼくが広報委員だった頃からずっとそうだった。当時ぼくは署名記事にしたほうがよいと主張したのだけれど、名前が出ると、宣伝売名行為と取る医師会員がいるかもしれないとか、匿名のほうが専門分野以外のことでも自由に気楽に書けるからいい、という意見が大多数で、ぼくの意見は却下されてしまった。


だから昨日、もう一度「署名入り記事」にした方がいいんじゃないでしょうかと提案したのだ。


そしたらまた、ほぼ同じ理由で却下された。
なんだかなぁ。


いまは新聞記事だって記者の署名入り記事が多いし、かえって署名入りのほうが入魂の記事であることが読者にひしひしと伝わってきて説得力があるように、ぼくは思うのだが。


■このところ「生まれた年」にこだわっていることを書いているのには、じつは意味がある。


facebook は原則「実名」だ。生年月日も公開されている。


今から20年近く前に「パソコン通信」が始まったころ、ニフティの会議室では大学教授と小学性がそれぞれ匿名の「ハンドル名」で同じ立ち位置で対等にやり取りしているなんてことが実際にあったんだそうで、職業や年齢や性別といった先入観を一切排除したコミュニティの可能性に皆がビックリしたものだ。


でも、時代はもはや「匿名」での発言が説得力を持つことが不可能になりつつあるように感じる。
ツイッターだってそうだ。


この人はどういうバックボーンで「こういう発言」をしているのか?


そういうことが読者に分かったほうが、いまは説得力が圧倒的に高い。ぼくはそう考えているのだけれど、間違っているのかなぁ。

2012年4月 3日 (火)

「当事者」について考える

■『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社文庫)の感想をネットで検索して読んでいたら、「当事者の沈黙と経験者の苦しみをつなぐもの」にたどり着き、読んでみて「あっ!」と思った。


純粋ひきこもりの青年は、多くの場合自分のひきこもり体験について語らない。自分がどのようにしてひきこもり、ひきこもったあとどういう思いで生活しているか、それは僕や親御さんが知りたいことではあるが、当の青年は一向に語ることをしない。

最初は意図的に語らないのだろうと思っていた。だが長期的にかかわっていくうち、どうやら彼ら彼女らは語らないのではなくて「語ることがない」のだということに気がついた。


そう、この部分。当事者には実は「語る言葉がない」のだ。


そのことを感じたのは、実はこれが2度目で、『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志対談集(週刊金曜日)の中の「中島岳志 × 重松清」を読んでいたら、こんなフレーズがあったのだ。


重松:こういった事件があった時に、母親が過保護であるとか、教育ママであるとか、母親との関係が息子を犯行に至らしめたという、そういった物語にあてはめて理解しようという報道が、特にテレビのワイドショーや週刊誌では数多く見られました。


 中島さんも、この単純化された構図にのって『秋葉原事件』を書くことは可能だったと想います。母親に抑圧された言葉。特に作文が象徴していると思いますが、諸悪の根源は母親にありという物語のもっている強度や、そのわかりやすさの強度ということは意識されましたか。


中島:もちろん事件の背景に母親の存在があったことはものすごく感じました。裁判が、基本的にその方向で進んでいきましたよね。加藤自身もその物語に自分自身を回収させようとする再帰性が存在していた。僕は、この裁判で語られた物語を、当時の彼の生の声から解体していこうと思いました。(中略)


その物語に、事件から2年経った加藤が再帰的に入り込んでいる、という印象があったんです。でも、加藤が事件以前に発していた言葉はそんなところからは発せられていないんじゃないか、と。それを彼にぶつけたい思いがありました。

 だから、彼自身が、彼の物語の中に再構成していったことに、みんなが足を取られ、彼自身ものみ込まれているというか。(中略)


重松:『秋葉原事件』でもっともサスペンスを感じたのが、「現実」と「虚構」のかけがえのなさが加藤の中で反転してしまう瞬間です。そこが一番ドキンとくる。それと同時に、ウロボロスではありませんが、加藤を理解しようとして社会がつくり上げた物語に加藤自身がのみ込まれていくという、これもまた「現実」と「虚構」の反転ですよね。(中略)


中島:(中略)政府の発表する情報は信じられないし、東電はもっと信じられない。専門家も誰を信用していいかわからない。大手メディアも信じられない。そんな中で放射能の問題と対峙しなければならない。

 今、現前しているのは究極の自己責任社会です。科学に対する高度なリテラシーを持ち、常に情報収集を行ない、正しい情報か誤った情報かを区別しなければならない。そうしないと、もしかすると自分の子どもを守れないかもしれない。自分自身だってどんな症状が後から出てくるかわからない。そんな自己責任を要求される社会になっています。


 しかし、そんな毎日を送っていると、確実に疲弊します。一般国民がすべて高度な科学的判断を自分の責任で行う社会なんて、実現不可能です。(中略)


するとどうなるか。

何やってんだ東電は! 何やってんだ政府は! というイライラ感が募る。敵を見つけて、徹底的に叩きたくなる。そして、そのような中で「救世主待望論」が広がっていく。敵を叩き、単純化した断言を繰り返す政治家がヒーロー化する。みんなの不安や苛立ちが、断言に吸い寄せられていく。(中略)


そして、その攻撃的衝動がファシズムの吸引力へと転化していく。絶対的な正義と絶対的な悪という二分法なんて本当は成立しません。原発を支えてきたのは私たちです。東京の過剰な電力消費の中で疑問を持たずに生きてきたことを忘却してはならない。


問題の中心に、自己の日常があるはずです。だから、自己と対峙しないといけない。にもかかわらず、絶対的な敵を外にばかり求め、「あいつこそが悪なんだ」と不幸の元凶のようにバッシングしていると、朝日平吾的な人間が生み出される素地が出てくると思うんです。加藤も東電も、自己の問題のはずです。自己の中にある加藤や東電と向き合わなければならない。


重松: 当事者としての振るまい方をこれから見つけなければならないのかもしれません。10年前の 9.11 に象徴される「終わり」は、もはや僕たちの世界の外側での出来事ではない。(『世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ』中島岳志対談集・金曜日刊 p149 〜 p209 より抜粋)


■それから、もう一つ。

最近読んで「当事者」に関して考えさせられた文章があった。これだ。


「森達也 リアル共同幻想論」 【第52回】 自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた人に訊きたい


■森達也氏は、1956/05/10 生まれ。


あと、小田嶋隆氏は、1956/11/12 生まれ。
それから、宮沢章夫さんが、1956/12/09 生まれだ。


小田嶋さんて、もっと団塊世代の「末尾の人」のような雰囲気があったのだが、なんだ僕の2学年上なだけなんだ。それにしてはビートルズに煩いのが不思議だな。というのも、少なくとも僕の世代ではリアルタイムでビートルズに熱狂していた友人はいない。みな、高田渡、加川良、友部正人、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、かぐや姫、小室等と六文銭、岡林信康など、日本のフォークを聴いていたし、当時ラジオから流れていたのはビートルズではなくて、カーペンターズだったし、ボブ・ディランだった。あと、ミッシェル・プルナレフね。


それから、ジェイムス・テイラー。そうして、キャロル・キングだな。少なくとも僕はそうだった。


同い年で、大学の同級生だった菊池はこうだ。中学生の頃にサイモン&ガーファンクルにはまって、仙台二高時代に、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、EL&P、ディープ・パープル に出会う。当時はプログレ全盛期だったよなぁ。少なくとも、ビートルズは既に「過去の人」だったように思うのだ。


で、その小田嶋隆氏が揶揄した、いまの内閣総理大臣である野田佳彦氏は、1957年5月20日生まれだ。


この、ぼくより「1〜2学年上の人たち」の中には、例えばほかにこんな人がいる。


・氷室冴子 1957/01/11
・柴門ふみ 1957/01/19
・ラモス・瑠偉 1957/02/09
・浅田彰  1957/03/23
・石原伸晃 1957/04/19
・鈴木光司 1957/05/13・
・山崎ハコ 1957/05/18
・山下泰裕 1957/06/01
・松居一代 1957/06/25
・大竹しのぶ1957/07/17
・神足裕司 1957/08/10

・孫正義  1957/08/11
・東国原英夫1957/09/16
・増田恵子 1957/09/02(ピンクレディ)
・綾戸智絵 1957/09/10
・夏目雅子 1957/12/17

・宮本亜門 1958/01/04
・石川さゆり1958/01/30
・みうらじゅん1958/02/01
・時任三郎 1958/02/04
・東野圭吾 1958/02/04
・北尾トロ 1958/


2012年4月 1日 (日)

同じ年生まれの人が気になるのだ

『「当事者」の時代』佐々木俊尚(光文社新書)を読み終わった。


新書にしては、ずいぶんと分厚い本だったが、途中で厭きることなく一気に読めた。すっごく面白かったからだ。

著者は元毎日新聞社会部記者で、なぜ記者を辞めてしまったのかは、こちらの「糸井重里さんとの対談」に載っている。そうだったのか。ぜんぜん知らなかった。


この本の最初の2章は、著者が新聞記者だった時の実体験が描かれていて、これがじつに面白い。夜討ち朝駆けとはまさに新聞記者の日常なのだな。小説とかテレビドラマとか映画で見る、特ダネ記事を狙う新聞記者そのものじゃないですか。でも、この本を読んで初めて知ったのは、その花形新聞記者たちの赤裸々な心の内だった。なるほどなぁ。


この第2章〜第4章は、1960年代末から1970年代初頭にかけての大学紛争と、その思想的バックボーン。その栄光と挫折の歴史が分かり易く書かれていて、この本の読みどころとなっている。


ところで、著者の佐々木俊尚氏は 1961年生まれ。僕が 1958年生まれだから、連合赤軍の浅間山荘事件まで含めても、当時の事柄をリアルタイムで切実に記憶している世代ではないはずだ。なのに、何なんだ!? このリアルな描写は。


■僕が高校生だった頃は、本多勝一はまだ、朝日新聞のスター記者だった。


僕は読まなかったが、たしか、同級生のA君が『ニューギニア高地人』とかを、担任の先生から借りて読んでいたように思う。でも僕だって小田実の『何でも見てやろう』は読んだし、埴谷雄高や高橋和巳は読んで少しは分かった気がしたが、吉本隆明の『共同幻想論』はぜんぜん歯が立たなかったな。で探してみたら、いまわが家の書庫にある本多勝一(飯田市出身)の本は1冊のみ。『日本語の作文技術 』(朝日文庫) だ。でも、この本すらちゃんと読んでない。ごめんなさい。


■今年54歳になる僕でさえそんなんだから、いまの若者は「本多勝一って誰? 小田実って何者?」って感じなんじゃないかな?


今日、テルメで5キロ走った後に寄った「ブックオフ」で、『一九七二』坪内祐三(文春文庫)を見つけて買ってきた。1970年の大阪万博を小6の時に見に行った僕は、この年、中学2年生だった。ところで、坪内祐三氏は僕と同じ1958年(昭和33年)生まれだ。この翌年に山口百恵がブレイクし、森昌子、桜田淳子、山口百恵(昭和34年早生まれ)の「中3トリオ」が誕生する。


面白いことに、坪内祐三氏は以前から「同い年生まれの有名人」に異様にこだわる人だった。で、それが高じて『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り―漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』 (新潮文庫) が生まれることになる。


■その他、「昭和33年(1958年)生まれ」の僕が気になる人には、例えばこんな人がいる。


・森岡正博(大阪府立大学人間社会学部教授)
・マイケル・ジャクソン
・マドンナ
・プリンス
・原辰徳
・鴻上尚史
・山田五郎
・中村正人(ドリカム)
・東 雅夫 (幻想小説愛好家)
・穂積ペペ(確か捕まったのでは?)
・永江 朗 (ライター)
・久保田早紀(異邦人)
・西川峰子
・伊藤咲子(ひまわり娘)


・吉野仁(書評家)
・岡田斗司夫
・大塚英志
・大澤昌幸
・武田徹
・久本雅美
・久住昌之(漫画家)
・ウォン=カーウァイ 〈王 家衛〉(映画監督)
・高泉淳子(女優)
・業田良家(漫画家)
・サエキ けんぞう
・日垣 隆
・宮下一郎
・江川紹子
・陣内孝則(俳優)


・日比野克彦
・阪本順治(映画監督)
・喜国雅彦(漫画家・古本愛好家)
・ジョン・カビラ
・岩崎宏美
・安藤優子
・小室哲哉
・宮崎美子
・樋口可南子
・早乙女愛


■1959年の早生まれの人は、山口百恵の他に、


・藤沢 周(作家)
・ダンカン
・シャーデー
・京本政樹
・北野 誠
・小西康陽
・岡田奈々
・吉野朔実(漫画家)
・飯田譲治
・宮台真司
・大月隆寛
・マキ上田(ビューティ・ペア)
・やく みつる
・嘉門達夫
・原田宗典


などなど。けっこういるなぁ。

■こういう過去の記憶をお互いに懐かしむ「世代論」は、たぶんこの著者が最も嫌う事項なんじゃないかと思うのだが、でも、たぶん「この本」を読む読者にとっては重要なポイントとなるように感じた。


あと、僕より 8〜9 歳年上の、1950年、1949年生まれの人たちに結構キーマンとなる人がいるような気がする。


彼らは、あの「1968年」年に、まだ18歳ないしは、19歳だったのだ。
彼らは団塊世代にくくられるのだが、ちょっとだけ「遅れてきた青年」だったのではないか?

・山田正紀 1950/01/16
・伊集院静 1950/02/09
・志村けん 1950/02/20
・カレン・カーペンター 1950/03/02
・佐々木譲 1950/03/16
・和田アキ子1950/04/10
・友部正人 1950/05/25
・中沢新一 1950/05/28
・矢作俊彦 1950/07/18
・池上 彰  1950/08/09
・内田 樹   1950/09/30
・平川克美 1950/07/19
・高橋源一郎1951/01/01


・大滝詠一 1948/07/28
・糸井重里 1948/11/10
・村上春樹 1949/01/12
・佐藤泰志 1949/04/26
・鹿島茂  1949/11/30
・関川夏央 1949/11/25
・亀和田武 1949/01/30
・大竹まこと1949/05/22
・松田優作 1949/09/21  

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