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2010年12月

2010年12月31日 (金)

今年よく聴いたCDたち

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<A-1> 『さすらい記』 ハンバートハンバート。今年一番よく聴いたCD大賞! ほんとにいいぞ! ちなみに、伊那のTSUTAYA でレンタルできます。<C-1>『シングル・コレクション』もね。


<A-2> 『Central Park East』 森山威男セクステット。どんどん進化してく森山さん、凄い!


<A-3> 『UTAU』 坂本龍一&大貫妙子 これぞ、大人の音楽だな。


<A-4> 『羊毛とおはな LIVE IN LIVING'10』「Mr.アンブレラ」が一番のお気に入り。


以下省略だが、


<B-2><C-2> は、高遠福祉センター「やますそ」で購入したCD。カナダのギタリスト、アントワン・デュフォール。ほんと、驚きのテクニックだった。  


<C-3> <C-4> は、ぼくの大好きなアルトサキソフォン奏者、マリオン・ブラウンのCD。彼は今年亡くなった。合掌。


■今年もあと35分。いろいろあった1年間。お付き合い、ほんとうにありがとうございました。


みなさま、よいお年をお迎えください。   


2010年12月30日 (木)

『もぎりよ今夜も有難う』片桐はいり(キネマ旬報社)

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■年内に読了予定の『音もなく少女は』ボストン・テラン(文春文庫)と『原節子 あるがままに生きて』貴田庄(朝日文庫)だが、明日一日で読めるだろうか?


■とりあえず、最近読み終わった本のご紹介。

『脳天気にもホドがある。』大矢博子・著(東洋経済)

大矢さんと言えば、ミステリ愛好家や中日ドラゴンズファン、それに自転車ロードレースファンには昔から有名な人だ。かく言うぼくも、ミステリ好き、ドラゴンズ好き、ツールドフランス好きなので、大矢さんの「旧なまもの日記」の愛読者だった。その日記が、2008年11月28日(金)以降、まったく更新されなくなってしまったのだ。いったいどうしたんだ? 何かあったのか?


そう言えば、つい最近も「パソコントラブル出張修理・サポート日記」が突如更新停止となり、Twitter 上でさまざまな憶測が飛び交ったなぁ。


で、実際 2008年11月28日に、大矢さんは大変な事態に直面していたのだった。その顛末が書かれているのが、この『脳天気にもホドがある。』だ。事の次第は、2009年5月に再開された「なまもの日記」を読んで知ってはいたのだが、そうか、ほんとうに大変だったんだねぇ。


でもそこは大矢さん。闘病記につきものの、暗く辛い「お涙頂戴」的記述を一切排除して、ハウツー実務最優先で、なおかつ「お笑い・ボケ・つっ込み」満載の本に仕立てている。ぼくはそこに感動してしまった。さすがだ。


さらに、中日ドラゴンズ・ファンとしては、2009年のドラゴンズ、ペナントレースの様子がありありと思い出されてうれしかった(少し辛かった。浅尾先発失敗とか、立浪引退とか)なぁ。でも、大矢さん。けっこう遠慮してたんじゃないかな、ドラゴンズに関する記述。もっと弾けてもよかったのにと思うのはぼくだけか。それに、今年までサクソバンク所属だった、タイムトライアル・スペシャリストのカンチェラーラの話は全くないぞ。大矢さん、あんなに大好きなのに >カンチェラーラと自転車ロードレース。


この本は、1年後の 2009年11月28日で終わっているが、その5ヵ月後、大矢夫婦にさらなる試練が待ち受けていようとは、いったい誰が予想しただろう。

なんと「なまもの日記」が再開した束の間の喜びをよそに、再び更新が中断されたのだ。えぇっ! 今度は何が起こったの?

たぶん、『脳天気にもホドがある。』の「続編」に書かれるだろうから、詳細は省くが「ここ」を読んだぼくは、またまたたまげてしまったのだった。転んでもタダでは起きない大矢さん。凄い! すごすぎる。


『もぎりよ今夜も有難う』片桐はいり(キネマ旬報社)

これは傑作! 今年読んだ本の中では「5本の指」に入る本だ。読みながら、なんとも幸福な気分に包まれる。読み終わるのがもったいない。ゆっくりゆっくり味わいたい。

『わたしのマトカ』を読んでいたので、片桐はいりさんが一人旅好き、マッサージ好きであることは知っていたが、廃墟好き、古い映画館好きとは知らなかった。しかも、「シネスイッチ銀座」の前身「銀座文化」で18歳の時から7年間も、”もぎり嬢”として働いていたとは知らなかったなぁ。


片桐はいりさんは 1963年生まれだから、ぼくより5つ下だが「映画は映画館で観るもの」という感覚はいっしょだ。暗闇の中、スプリングの硬い椅子に座って、隣りの見ず知らずの観客とともに正面のスクリーンを凝視する。あの不思議な一体感はまさに、芝居や落語、コンサートの客席といっしょだった。


 映画館が呼吸するのを見たことがある。

 二十数年前の銀座文化では、盆暮れ正月は映画館のかきいれ時だった。(中略)もぎりたちは、お盆と正月が近づいてくると「また寅さんの季節かあ」とため息をつきながら、でもほんのりはなやいでいたものだ。

 全席指定、定員入替制がゆきわたった近頃では見られない光景だが、この時ばかりは劇場が信じられないくらいの立ち見の客であふれかえった。ほんとうに、文字どおり、あふれかえるのだ。わたしたちは劇場に入りきれないお客さんを、満員電車の駅員よろしく、扉を肩でぐいぐい押して詰め込んだ。

 やっとのことで本編が始まり、入れ替え中コーラの栓を抜きまくった売店のおばちゃんたちとひと息いれていると、劇場からあの音が聞こえてくる。

 どーん。ずーん。どよよよよ。

 地響きのようなくぐもった音。劇場の鼓動? いや黒山のお客さんの笑い声である。このどよめきが度を越すと、爆風となって映画館の重い扉を押し開けた。人いきれで沸騰した場内に笑いが起こるたび、扉が、ばふん、ばふん、と開いては閉じる。まるで生き物のようだった。(17〜21ページ)


■片桐はいりさんは、ほんとうに文章がうまい。成瀬巳喜男監督の「流れる」に関する章の〆のフレーズがこれだ。


 懐かしさとせつなさが交互に来て、幸福のような、絶望のような。やるせない、とはこういう気持ちを言うものか、と思った。(89ページ)

前半の懐かしいむかし話も味わい深いが、後半の紀行文がまた、文章がじつに生き生きしていていい。山形県酒田市の伝説の映画館。北兵庫、但馬地方の豊岡市にある豊岡劇場や、出石永楽館。それから舞鶴八千代。


 八千代座でも八千代劇場でもなく、八千代。呼び捨てだ。中学時代数学の補習クラスでわたしと最下位を争った女子と同じ名前である。数学はびりでも彼女はなぜか大物感を漂わせる不思議な生徒だった。(p160)


 お芝居や映画が始まる前の暗闇ほど、ぞくぞくするものもない。目の前でこれから何が起こるのか。わたしたちはどこへさらわれてしまうのか。期待と不安と、ちょっとの恐怖。そんな気分を、わたしはずいぶん忘れていた。(p192)



2010年12月25日 (土)

メリークリスマス

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■じつは、今年の我が家のクリスマスは、12月23日(木)の「天皇誕生日」の夜に終わってしまったのだ。と言うのも、中2の長男が、クリスマスイブの24日(金)の晩は、アンドレア先生のご自宅でのクリスマス・パーティに参加することになっていたからだ。


■一昨年までは、毎年ぼくがクリスマス・チキンを焼いていた。ダッチ。オーヴンでね。


でも、ダッチ・オーヴンだと、肉は軟らかくなるのだが、皮が「カリカリ」にならない。

と言うわけで、昨年から妻が「チキン」の準備を一切仕切ることとなったのだ。
テキストは、例の『ライフ2』


鶏肉は、例によって伊那市桜町の鶏肉専門店「吉野屋」のもの。
とにかくデカイ! そして肉がうまい! さすが、専門店!!

ホント旨かったなぁ。塩が効いているんだね。塩水に一晩漬け込むことが。
あと、今年はパエリアでした。これもおいしかった。


■今回のクリスマス・ディナーの準備には、小6の次男が、ずいぶんとがんばった。
自家製ケーキの作成にも、自家製フルーツ・ポンチも、彼がみんな作ったよ。

2010年12月22日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その72)さくらさーくる

12月12日(日)伊那市「ぶぁんて・あん」にて。主催は「さくらさーくる」。
2階のバレエ・スタジオは日当たりもよく、ぽかぽかと、あったかだったなぁ。会場の雰囲気もほんわかといい感じだったよ。ただ、トナカイの着ぐるみの倉科さんには、かえって暑くて大変だったみたいだ。でも、大熱演でした!


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<この日のメニュー>

1)『はじめまして』
2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子・作(福音館書店) → 伊東
3)『だっだぁー』ナムーラミチヨ(主婦の友社)    → 北原
4)『たちねぶたくん』『たちねぶた音頭』中川ひろたか&村上康成(角川学芸出版) → 北原

5)『おーいかばくん』中川ひろたか・曲(ひさかたチャイルド) → 歌(全員)

6)『へんしんプレゼント』あきやまただし作(金の星社) → 宮脇
7)『まめうし あいうえお』あきやまただし作(PHP) → 倉科

8)『ふうせん』(アリス館)
9)『世界じゅうのこどもたちが』


2010年12月14日 (火)

『空白の五マイル』(その3)

■チベット、ツアンポー川探検の歴史は、『空白の五マイル』第一部「伝統と現実の間」にテンポ良く簡潔にまとめられている。最初にこの峡谷にスパイとして潜入したのは、キントゥプという名のインドの仕立屋で、1880年のことだった。いっしょに潜入したラマ僧に裏切られ、奴隷として売り飛ばされたり、幾多の死ぬ思いまでし命かながら4年後にようやく任務を終えてダージリンに帰り着いたキントゥプは、ツアンポー峡谷の最深部に、落差50m近い幻の大滝があることを報告した。

また、以前からチベット人の間でツアンポー峡谷の何処かに「ベユル・ペマコ」と呼ばれるシャングリラのような伝説の理想郷があるという言い伝えがあった。


■英国のプラントハンターであった、フランク・キングドン=ウォードは、高山植物から亜熱帯のジャングルの植物まで見られる植物学者の楽園のようなツアンポー峡谷に魅せられ(彼は、名高いヒマラヤの青いケシをこの地で発見しイギリスに持ち帰ったのだ)さらには前述の探検家心をくすぐる伝説の真偽を確かめるべく、1924年、ツアンポー峡谷の最深部の無人地帯のほとんどの区間を踏破した。

ただこの時、キングドン=ウォードがどうしても行けなかった区間があった。それが『空白の五マイル』なのだ。


『空白の五マイル』第一部では、ツアンポー川探検の歴史を上手にサンドイッチしながら、著者が 2002年12月〜2003年1月にかけて行ったツアンポー峡谷探検の詳細が語られる。この時、現地で雇ったモンパ族のガイド兼ポーター役のジェヤンが実にいい味を出しているのだ。本来、死の淵を彷徨うような危険に満ちた探検行なのに、彼が登場すると何だかとたんに「ほのぼの」してしまうのだな。

だから逆に、ジェヤンが出てこない終始単独行の「第二部」では、文章のトーンがガラッと変わってしまっていて、その落差に驚いてしまう。まさに「死の淵を彷徨う」そのものなのだ。

それから、この本が出版された1番の(いや2番目か)功績は、今までごく一部の人たちにしか知られていなかった「武井義隆氏」の人となり、そして彼の生涯を、彼の両親、友人、後輩、先輩、恋人に、著者角幡氏が丹念に取材して、かなり詳細にページを割いて記載している点だと思う。


正直言って、NHKスペシャルの映像からも、『空白の五マイル』第一部の終わりに挿入されたカラー写真からも、ツアンポー川のスケールのデカさ、奔流の怖ろしさはぜんぜん伝わってこなかった。でも、早稲田大学カヌークラブOBであった武井義隆氏が、NHKのテレビ取材を兼ねた「日本ヤルツァンポ川科学探検実行委員会」の一員として遠征隊に参加し、1993年9月10日、数年ぶりの大雨で増水し荒れ狂うツァンポ川に無謀にもカヌーで漕ぎ出し、結局は転覆遭難した、そのくだりを読みながら、ぼくは初めてツアンポー峡谷の本当の怖ろしさを肌で感じることができたのだった。


例えば、武井氏の人柄を、カヌークラブの先輩である松永秀樹氏はこう語る。


「武井って本当にすごい人間なんです。(中略)説明するのは難しいですが、例えば司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだら坂本龍馬ってすごいなって思うじゃないですか。でも龍馬より大物だと感じましたね。もう人間の質として。別に何をしたわけじゃないんですけど……」。


いったい、どういう奴だったんだ!? 武井義隆って男は。

■なぜ著者がここまでしつこく武井義隆という男に拘ったかというと、冒険者としての武井義隆の「生きざま」が、そのままそっくり著者が 2009年冬に遂行した2回目のツアンポー峡谷探検行の「意味」に直結していたからだと思う。

だって、前回の探検行で「空白の五マイル」のほとんどを既に踏破したにも係わらず、著者は朝日新聞記者という栄光の職場を辞めてまで、今回の再度探検行に行かなければならないと、もうほとんど悲痛な決断に至ったのだから。まさに、その点と直結していたのだな。だって、既に未踏の「空白の五マイル」を制覇しているのですよ。探検家としてのチャレンジの意味がぜんぜん分からないじゃないですか、読者として。


■もう少し違った視点から見たら、思いがけずその答えが書いてある本に気がついた。それは、

『哲学者とオオカミ』です。


ぼくが引用した部分(終いのほう)に、図らずも「その答え」が書いてあったのだ。もうびっくり!

2010年12月12日 (日)

『空白の五マイル』(つづき)

■ぼくが、チベット・ツアンポー大峡谷のことを知ったのは、実はつい最近のことだ。

NHKBSハイビジョン特集で「天空の一本道」を見て、チベット高原の東の外れ、インド国境に近いあたりに「それ」はあるらしいと知った。車道もない峡谷沿いのジャラサ村から片道3日かけてポメ(波密)の町まで駄馬のキャラバンを組んで、夏の間だけ年に数度買い出しに行くという話だった。

番組の主人公はキャラバン隊のリーダーで、帰りは奥さんに頼まれた2槽式の電気洗濯機を一人で背負って、谷を抜け断崖絶壁に刻まれた細い一本道で歩けなくなった馬に鞭振りながら4,000m級の峠を越えて行く。その圧倒的な映像に目を見張ったものだが、こういうサイトもあって、後でちょっと複雑な気持ちになったのだ。


■ヤル・ツアンポーは、チベットの西の外れに位置する聖山カイラスに源を発し、ヒマラヤ山脈の北側を西から東へチベット高原を横切り、首都ラサの南を通過して、ヒマラヤ山脈東端に位置する高峰ナムチャバルワ(7782m)の周囲をぐるっと 270度迂回して(ここが世界最大のツアンポー大峡谷なワケです)今度は南に向きを変えて流れ、インドのアッサム地方を再び西に戻り、最後はバングラデシュからインド洋に注ぐという、全長2,900km におよぶアジア有数の大河だ。

標高4000m のチベット高原から 1500mくらいのアッサム地方まで、河はツアンポー大峡谷で一気にその高度を下げることになる。(つづく)

2010年12月10日 (金)

『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯介(集英社)


大きな地図で見る

『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯介(集英社)読了! 一気に読んだ。すっごく面白かった。もの凄かった! 著者の壮絶な単独行に、読んでいて僕の命も縮まったような気がした。とにかく描写がリアルで、ヴァーチャル体験・体感度が非常に高いのだ。

ツアンポー峡谷の「空白の五マイル」を、グーグルの地図で探したがなかなか見つからず、何とかようやく発見。おぉ、ここだここだ。(つづく)

2010年12月 8日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その71)美篶きらめき館

■12月5日(日)は、午前10時から伊那市美篶公民館「美篶きらめき館」にて、伊那のパパズ絵本ライヴ(その71)。主催は伊那市子育て支援課。昨年は「新型インフルエンザ」騒動で企画中止となってしまったのだが、今年は無事実施できたのだった・よかったよかった。しかも、この日は「おとうさん」がいっぱい! 15人くらいはいたんじゃないか? ホントうれしいねぇ。

ただ、「美篶きらめき館」は、別の主催者で毎年この時期に「絵本ライヴ」をやっていて、じつは行ってみて思い出したのだが、去年も一昨年も、12月に「みんなでサンタの衣装を着て」やっていた。

で、今年も「みんなでサンタの衣装を着て」やるワケだが、ちょっと違う点がある。それは、我々の衣装が、今回新調されたのだ。しかも、5年間無理して着てきた「紙製のメイド・イン・チャイナ」とは月とスッポンの高級品。紙じゃなくてちゃんと布。しかも「ラメ」入っちゃってマス! すごいでしょ。着心地もいいんだよ。

ただ、今回もカメラを忘れてしまったので写真はなしです。スミマセン。

1)『はじめまして』
2)『コッケモーモー』(徳間書店) → 伊東
3)『どうぶつぴったんことば』林木林さく、西村敏雄え(くもん出版) → 北原

4)『かごからとびだした』(アリス館) → 全員

5)『野菜忍列伝其の四 怪僧タマネギ坊』川端誠・作(BL出版) → 坂本
6)『へんしんクイズ』あきやまただし・作(金の星社) → 宮脇

7)『すてきなぼうしやさん』増田裕子・作、市居みか・絵(そうえん社) → 全員
8)『サンタクロースがよっぱらった』長崎源之助・作、長野ヒデ子・絵(大日本出版) → 倉科

9)『ふうせん』(アリス館)
10)『世界じゅうのこどもたちが』

■ほんとうは今日、前からずっと読もうと考えていた『ゆうちゃんのみきさーしゃ』村上祐子さく、片山健え(福音館書店)も持っていったのだが、先日、竜東保育園年長組で読んで、いまいち納得のいく読み方ができなかった『どうぶつぴったんことば』林木林さく、西村敏雄え(くもん出版)に、どうしても再チャレンジしたかったのだ。絵も文章も、言葉あそびの発想も、すっごく面白い本なのだが、この絵本の読み聞かせは、正直「むずかしい」。作者が思っている以上に、読みにくいのだ。


「かばれりーならんでんぐりがえり」

は、何度も練習してスラスラと読めるようになった。でもやっぱり、つぎの

「こねこねこねばねばくばく」

だけは、何度練習してもどうしても読めない。途中で噛んでしまう。
今回、本番でもやっぱり噛んでしまった。

読みにくい一番の原因は、リズム・テンポがないからだ。

逆に、リズム・テンポがしっかりしている、

「らいおんせんすいかんちょうさん」

は、声に出して読んでみて、すっごく気持ちいい。
そこいらへんの違いなんだな、たぶん。

2010年12月 1日 (水)

講演は難しい

■昨日の中日新聞5面「紙つぶて」欄(名古屋では一昨日の夕刊)で、カレーハウス CoCo壱番屋チェーン創業者の宗次徳二氏が「講演で伝えたいこと」と題して、こんなふうに書いている。

 今月の講演回数は実に16回となった。8年前に経営の一線を退いてから、年間の講演回数は90回ほどと増えている。40歳の時、熱心に頼まれて始めたのだが、全部で1400回近くになるだろうか。(中略)

 いまだに慣れないのだが、多くの聴衆を相手に長時間話をしている自分に、ふと不思議な気分になることがある。皆さんは何を求めて会場に足を運ばれたのか。ズブの素人夫婦が始めたカレーチェーンが1200店舗を超える規模にまでなったその理由なのかな、と想像してみたりもする。

 といっても、聞き手の価値観は十人十色で、ニーズを一つにまとめることはどだい無理な話だ。となれば、そこは開き直って私の体験談が少しでも皆さんの心に響いて何かに気付いてもらえたなら、と願って話し始めるしかない。

 講演で、原稿は持たない。皆さんの表情を見ながら「分かりにくかったかな」と思えば同じ論旨を何度も繰り返すこともある。話しているうちにどんどん話題がそれていくこともある。でも、それは聴衆の皆さんとの生身の対話の結果だ。理路整然とした話し方よりも重要なこと。(後略)


■よく、長野県人は「講演会好き」だと言われる。みな勉強が好きなんだね。今どき、安直な新書を読んで新しい情報を得るのも最低2時間はかかるが、講演会を聴きに行けば、1時間で最新の情報通になれるから。

内田樹先生のブログを読んでいると、センセイがよくぼやくのだが、とにかく講演依頼が多いのだそうだ。しかも、内田センセイの著書を1冊も読んだことがない人が平気で電話してくるという。そういう相手には「私の本を読んでいただければ何もお話しすることはありません」と言って、お断りするそうだ。それは尤もな話だよなぁ。自分で勉強しろよ。本ぐらい読めよ。たかだか1時間、講師の話を聴いただけで頭良くなったなんて思うのは、安直過ぎるぜ。そういうことだと思う。

でも、講演を聴きに来る聴衆の皆さんはこう思っているに違いない。どうせ講師の先生はあちこちで同じ話を飽きもせず繰り返ししながら高額のギャランティを貰うのだから楽な商売だよな、と。

いや、ぼく自身もずっとそう思ってきた。世の中にはちゃんと「講演会の講師斡旋ブローカー」という業者があって、そこの資料とか見ると、例えば「超Aランクの講師」(1回の講演料が100万円以上)には、佐賀のがばいばーちゃんで売れたB&Bの島田洋七氏や、アグネス・チャンがいる。

じゃぁ、宗次徳二氏が講演料をいくら取っているかは知らない。


大切なことは、その講演料に見合った満足感を聴衆のみなさんが得ことが出来たかどうかだ。プロはその点を最重要視する。ぼくは講演を「演芸」だと思っている。聴衆を寝かすことなく、如何に満足していただくか? それが全てだ。だから宗次氏が書いているように、毎回同じ話をしているようでいて、じつはその場の聴衆の反応に合わせて毎回違った話になるのだと思う。

だから、講演は難しい。(つづく)


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