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2021年8月

2021年8月18日 (水)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その 139 )飯島町図書館 2021/05/01

■じつは今年の5月、なんと1年半ぶりに「伊那のパパズ絵本ライヴ」があった。

アップするのをすっかりサボってしまっていました。すみません。呼んでくれたのは「飯島町図書館」。このコロナ禍の中、万全の対策を取って(家族限定15組?)開催して下さったのだ。ありがたいことだ。

われわれも十分な距離を取って、フェイスシールドを付けての読み聞かせ。

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【本日のメニュー】

 1)『はじめまして』新沢としひこ(鈴木出版)→ 全員

 2)『うえきばちです』川端誠(BL出版)→ 伊東

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 3)『これなーんだ?』のむらさやか 文、ムラタ有子 絵(福音館書店:こどものとも012 /2006/1月号)→ 北原

 4)『かごからとびだした』いぬかいせいじ文、藤本ともひこ絵(アリス館)→全員

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 5)『まわる おすしやさん』
藤重ヒカル(福音館書店こどものとも/2020/1月号)→坂本

 6)『おーい かばくん』中川ひろたか(ひさかたチャイルド)→全員


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 7)『ようようしょうてんがい』環 ROY(こどものとも2020年12月号)→倉科


YouTube: 絵本『ようようしょうてんがい』プロモーション動画

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 8)『ふうせん』湯浅とんぼ/作 森川百合香/絵(アリス館)→ 全員

 9)『世界中のこどもたちが』中川ひろたか・新沢としひこ(ポプラ社)→全員

■フェイスシールドしてると、自分の声がシールド内にこもっちゃって、ちゃんと客席まで声が届いているのかどうか、すごく不安でした。

早くこんなの付ける必要ない「絵本ライヴ」が行いたいものです。

2021年8月10日 (火)

『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』松本俊彦(みすず書房)

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(写真をクリックすると、大きくなります)

■松本俊彦先生の『誰かために医師はいる』(みすず書房)を、休日一日かけて一気に読了。

これは噂に違わず凄い本だった。見よ!この付箋の数。

■その道の専門家は、案外自ら「その分野」に困難を抱えていて、何故だ?と追求し続けるうちに最先端に躍り出ることがある。例えば、海馬と記憶の専門家、東大薬学部教授の池谷裕二先生は、著書『海馬』で「九九」が出来なかった過去を告白している。『「色のふしぎ」と不思議な社会』川端裕人(筑摩書房)や『どもる体』伊藤亜紗(医学書院)も同様に、著者自身が当事者でもある。

松本俊彦先生は、著書『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』(みすず書房)の中で、16歳から始めた喫煙を未だに止められないでいることを告白する。コーヒー嗜好がいつしか「エスタロンモカ」錠剤によるカフェイン依存症に陥った過去も正直に書かれている。

なんだ、松本先生自身が薬物依存者だったのだ。そういえば、ドラッグや高濃度(蒸留)アルコールの害を声高に警告する松本先生が、タバコ(ニコチン)の害に関して発言しているのを読んだことがなかったな。

■この本で特に印象的だった部分。32ページ。松本先生が薬物依存の自助グループのミーティングに初めて参加した場面だ。僕は不思議な既視感を味わった。あれ?この雰囲気以前から知ってるぞ。あ、あれだ!アル中探偵マット・スカダーが、ニューヨークの片隅で深夜に開かれるAAの集会に参加する場面だ。

彼が主人公の小説群のいろいろな場面に AA(アルコホリクス・アノミマス)の集会が登場するが、中でも最も印象深い場面が『八百万の死にざま』ローレンス・ブロック著、田口俊樹訳(ハヤカワ文庫)のラストだろう。

■精神科医は読ませる文章を書く先生が多い。作家になった人もいる。

北杜夫、加賀乙彦、なだいなだ、帚木蓬生、北山修。もう少し若手では、山登敬之、斎藤環(敬称略)。

松本先生もグイグイ読ませる文章の書き手だ。以下は、印象に残った(付箋を貼った)文章をランダムに書き留めておきます。

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・「彼と何の話をしていたの?」(中略)気が遠くなるような沈黙の後、彼女はようやく口を開いた。

「さっき彼に尋ねてみたの。何でまたシンナーをやったのかって。するとね、こういうのよ、「人は裏切るけど、シンナーは俺を裏切らないからさ」って。すごく悲しくなった」(中略)「それで私、「どうしたらあなたはシンナーをやめられるの? 私に何かできることがある?」(中略)「私、彼にやらせてあげたほうがいいのかな?」(中略)彼女は真剣な表情だった。(p17)

・依存症専門病院で患者を診るようになって驚いたのは、覚せい剤を使ったからといって、誰もが幻覚・妄想を体験するわけではない、という事実だった。(中略)むしろ典型的な覚せい剤依存症患者は、覚せい剤を数日間連続で使ったときだけ、一時的に「警察に尾行されている」「盗聴されている」といった妄想を体験するものの、覚せい剤をやめて一日二日経てば、それもすみやかに消えてしまう。

なかには、これまでそうした症状をまったく経験しないまま、それこそ二十年以上覚せい剤と「よいつきあい」を続けてきた者もいる。だからこそ、彼らは覚せい剤のデメリットに懲りることなく、年余にわたってくりかえし覚せい剤を使用することができたともいえる。(中略)

しかし(中略)困ったことに大半の覚せい剤依存症患者は、血液検査のデータが正常だったからだ。すでに当時(中略)経静脈的な覚せい剤摂取経路に代わって、経気道的摂取経路「アブリ」が主流になりつつあり、注射器のまわし打ちによるC型肝炎ウイルス感染は確実に減少傾向にあった。むしろ内臓がボロボロになり、病気のデパートと化しているのは決まってアルコール依存患者であり、それに比べると、覚せい剤依存症患者ははるかに健康だった。(p26-27)

■私の考えですが、自助グループには二つの効果があります。一つは、過去の自分と出会うことができるという効果です。依存症という病気は、別名「忘れる病気」ともいわれています。(中略)薬物をやめるのは簡単です。難しいのは、やめつづけることです。

 なぜ難しいのかというと、薬物による苦い失敗という最近の記憶はすぐに喉元過ぎてしまうからです。いつまでも鮮明に覚えているのは、薬物を使いはじめた時期の、はるか昔の楽しい記憶ばかりです。(中略)

もう一つは、未来の自分と出会うことができるという効果です。(中略)自助グループに行けば、何とか苦しい日々を乗り越えて一年間やめつづけた人、あるいは、三年やめつづけて気持ちにゆとりが出てきた人、さらには10年20年やめつづけ、薬物がない生活があたりまえになっている人とも出会うことができます。

そこには、近い未来の自分の姿や、遠い未来の自分の姿があります。

「この先の人生ずっとやめつづける」なんて考えると、先の長さに気が滅入ってやる気を失いそうになります。だから、私たちは薬物を使いたくなったときにはこう考えるようにしています。「今日一日だけ使わないでいよう。使うのは明日にしよう」って。で、明日になったらまた同じように自分に言い聞かせる。その積み重ねです。(p37)

「神様、私にお与えください/変えられないものを受け入れる落ち着きを/変えられるものを変える勇気を/そして、その二つを見分ける賢さを」

 とても簡単な言葉だが、それがなぜか私の無防備な胸にもろに突き刺さったのだ。私は、自分が変えられないものを変えようとして一人で勝手に落ち込んでいたことを一瞬にして悟った。(p38)

■それは薬物使用に関連するフラッシュバックなどではなかった。どう考えても心的外傷後ストレス障害の症状、すなわち、トラウマ記憶のフラッシュバックだった。(p52)

・薬物依存症の本質は「快感」ではなく「苦痛」である(中略)その薬物が、これまでずっと自分を苛んできた「苦痛」を一時的に消してくれるがゆえ、薬物が手放せないのだ(=負の強化)

ある女性患者は、自身が自傷行為をする理由についてこう語った。「心の痛みを身体の痛みに置き換えているんです。心の痛みは何かわけわかんなくて怖いんです。でも、こうやって腕に傷をつければ、「痛いのはここなんだ」って自分に言い聞かせることができるんです」(p55-56)

■少年矯正の世界から学んだことが二つある。一つは、「困った人は困っている人かもしれない」ということ、そしてもう一つは、「暴力は自然発生するものではなく、他者から学ぶものである」ということだ。(p74)

■断言しておきたい。もっとも人を粗暴にする薬物はアルコールだ。さまざまな暴力犯罪、児童虐待やドメスティックバイオレンス、交通事故といった事件の多くで、その背景にアルコール酩酊の影響があり、その数は覚せい剤の比較にならない。(p122)

最近つくづく思うことがある。それは、この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だけである、ということだ。(p131)

わかってない。後に薬物依存症に罹患する人のなかでさえ、最初の一回で快楽に溺れてしまった者などめったにいないのだ。(中略)つまり、薬物の初体験は「拍子抜け」で終わるのだ。若者たちはこう感じる。「学校で教わったことと全然違う。やっぱり大人は嘘つきなんだ」。(p137)

少なくとも子どもたちに薬物を勧めるくらい元気のある乱用者は、たいてい、かっこよく、健康的に見え、「自分もあんなふうになりたい」と憧れの対象であることが多い。外見は、ゾンビよりもEXILE TRIBE のメンバーに近いだろう。(p149)

かつて私は、わが国の精神科医療をこう評したことがある。曰く、「ドリフ外来」。つまり、「夜眠れているか? 飯食べてるか? 歯磨いたか? じゃ、また来週……」(p176)

ベンゾ依存症の治療は細々と手がかかる。ちなみに、ベンゾ依存症治療を数多く手がける知人の依存症専門医は、こうした減薬治療のことを「ベンゾ掃除」と呼んでいた。(p181)

その意味で、彼女たちは「人に依存できない」人、「物にしか依存できない」人であった。(p182)

そのときようやく気づいたのは、ご婦人の「手のかからなさ」とは、実は、援助希求性の乏しさ、人間一般に対する信頼感、期待感のなさと表裏一体のものであった、ということだった。彼女もまた「人に依存できない」人だったのだ。(p190)

人間は薬を使う動物だ。(p192)

作家ジョハン・ハリは、TEDトークのなかで、「アディクション(依存症)の反対語は、「しらふ」ではなく、コネクション(つながり)」と主張している。鋭い指摘だ。孤立している者ほど依存症になりやすく、依存症になるとますます孤立する。だから、まずはつながることが大切なのだ。(p211)

ラスタ用語に、「アヤナイ I & I」という表現がある。ラスタマンたちは、「あなたと私 You & I」という代わりに、この「アヤナイ =私と 私」を使うという。人はともすれば、「あなたと私」という対峙的な二者関係において、相互理解の美名のもと、相手を説き伏せ、改宗を求め、支配を試み、それに応じなければ、相手とのあいだに垣根を築くものだ。しかし、「アヤナイ」は違う。「相手とのあいだに垣根を作らない。相手を自分のことのように思う」という態度なのだ。(p212)

2021年8月 4日 (水)

「おもいでの夏〜 The Summer Knows」と、アート・ペッパーのこと

以下は、長野県医師会の月刊誌『長野医報 2021年8月号』に投稿した原稿です。

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  今回の特集テーマを聞いてまず思い浮かべたのが、映画『おもいでの夏』(1971年アメリカ映画)でした。1942年の夏。思春期の少年が、海辺に住む戦争未亡人の年上の女性から性の手ほどきを受けるひと夏の経験を描いたほろ苦いセンチメンタルな映画で、実を言うと僕はまだこの映画をちゃんと見たことがないのです。ただ、ミシェル・ルグランが作曲したこの映画音楽は大好きなのでした。

 ミシェル・ルグランと言えば「シェルブールの雨傘」や「ロシュフォールの恋人たち」で有名なフランスの作曲家。自身もジャズピアニストとして自作曲を演奏したレコードを数多く出していて、ジャズファンとしてはビル・エヴァンスの演奏で知られる「You Must Believe In Spring」が忘れられない1曲ですが、残念ながら一昨年の冬に86歳で亡くなってしまいました。

 「おもいでの夏」は哀愁を帯びたメロディが格別印象的なバラードで、ジャズメンが好んで取り上げる楽曲です。ジャズ・ハーモニカの名手トゥーツ・シールマンスの十八番で、ミシェル・ルグランとの共演盤もあります。ビル・エヴァンスもライヴ盤『モントルー III』でアンコールに応えてこの曲を弾いています。渋いところでは、アン・バートンの歌伴ピアニストだったルイス・ヴァン・ダイクのトリオ演奏や、アート・ファーマーがフリューゲル・ホーンで切々と奏でる『The Summer Knows』がお薦め。バックのリズムセクションは、村上春樹氏お気に入りのシダー・ウォルトン・トリオが務めています。

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(写真をクリックすると、大きくなります)

 でも、僕が一番好きな「おもいでの夏」は、アルトサックス奏者のアート・ペッパーが 1976年9月にロサンゼルスで録音した『THE TRIP』(Contemporary)のB面2曲目に収録された演奏です。

 このレコードは、1977年の春に日本でも国内盤が発売されました。この年大学に入学した僕は、加川良や友部正人のフォークからはもう卒業してジャズでも聴いてやろう、生意気にもそう思っていました。で、東京は目蒲線沿線の西小山に住む兄貴からジャズのレコードを10枚借りてきたのです。一番最初にターンテーブルに乗せたのは、ハービー・ハンコックの『処女航海』。タイトルとジャケットが格好良かったからね。でも、まったく分からなかった。聴き続けるのがただただ苦痛でした。チック・コリアの『リターン・トゥー・フォーエヴァー』でさえ、当時の僕には不快で難解でした。

 そんなある日、FMラジオから哀愁あふれる苦渋と悲哀に満ちたサックスの音が流れてきたのです。僕は瞬時に「この演奏者の気持ちが分かる!」そう感じました。ラジオのDJが油井正一氏だったかどうかは忘れてしまったけれど、アート・ペッパーという名前と「おもいでの夏」という曲名だけは心に刻みました。

その翌日、バスに乗って町まで出て商店街外れのレコード店へ。ありました。アート・ペッパー『ザ・トリップ』¥2,500。僕が生まれて初めて買ったジャズのレコードでした。

 帰って早速聴いてみました。A面分からない。レコードを裏返して続けてB面2曲目。あったあった!これこれ。梅雨の頃だったか、もう夏だったか。寮の部屋の壁には黒カビが生えていました。その年の夏は確か猛暑で、もちろん寮に冷房はありません。僕は汗だくになりながら、このレコードを毎日毎日繰り返し繰り返し聴きました。せっかく買ったのに分からないことが悔しかったし、第一もったいないでしょ。

 

正直ジャズは難しいです。今どきの蕎麦屋のBGMが何故ジャズなのか分かりますか? それは、理解できないけれど耳障りではない「雑音」だからです(糸井重里氏がそう言ってました)。でも、ジャズファンがそんな蕎麦屋へ行くと大変です。「うむ?このピアノはキース・ジャレットじゃないな。ベースは誰だ?」と、BGMが気になって蕎麦を食べている気分ではなくなってしまうのですね。

ジャズの何が難しいのでしょう? それは、素人がちょっと聴きかじっただけでは絶対に理解できない音楽だからです。細かく規定された複雑なコード進行の縛りがあるのに、演奏者はあたかも勝手気まま、自由自在にソロで即興演奏をしつつ、共演者たちが発する音とリズムに瞬時に耳で反応し、全者一丸となって醸し出すグルーブ感と高揚感が、リアルタイムでダイレクトに聴き手にも届く音楽。それがジャズです。

『ビッグコミック』誌上で連載が続いているジャズ漫画『BLUE GIANT』石塚真一(小学館)を読むと、ジャズが分かった気になりますが、残念ながら漫画からは実際の音は聞こえてきません。結局、ジャズの快感を聴き手が感知できるようになるには、どうしても「ジャズを聴く」訓練が必要なのです。

 そんな訳で、僕はこのレコードを繰り返し繰り返し聴きました。今でもCDでよく聴ので、この44年間で数百回は聴いたと思います。アルトサックスが切ないフレーズを絞り出す場面、感極まったピアニストの右手が跳ねる瞬間、そしてエルヴィン・ジョーンズがシンバルを叩く絶妙のタイミング。もう全て諳んじています。こうして僕はジャズの底なし沼にはまって行ったのでした。

ジャズの楽しみ方のコツをお教えしましょう。同じ曲を様々なミュージシャンで聴き比べてみること。それから、好きになったミュージシャン、楽器をとことん聴き込むことです。僕は、アート・ペッパーを徹底的に聴きました。

 

 彼は 1925年9月1日アメリカ西海岸生まれのドイツ系白人ミュージシャン。幼くして両親は離婚し、音楽好きの父方祖母の元で育てられました。9歳の時にクラリネット、12歳でアルトサックスを独学で吹き始め、高校時代にロスの黒人街に入りびったてはプロのジャズメンとのジャムセッションで腕を磨いてみるみる頭角を現し、若くして名門ビッグバンド「スタン・ケントン楽団」の花形プレイヤーになります。

しかし、ガラス細工のように脆く不安定で繊細な彼の精神は、手練れで曲者ぞろいのミュージシャンがひしめくライヴ演奏の現場では、とても太刀打ちできませんでした。極度の緊張と劣等感から逃れるために、彼は麻薬(ヘロイン)に手を染めます。

当時のジャズメンはみな当たり前にジャンキーでした。麻薬をやれば誰でも、チャーリー・パーカーみたいに天才的なアドリブフレーズを湯水のごとく吹き続けることが出来ると信じていたからです。

実際『Journal of Neuroscience』(2021年3月29日付)に掲載された最新の研究結果によると、音楽を聴いて「気持ちイイ!」と感じる脳内部位は、やはりあの「ドーパミン報酬系」で、薬物・アルコール・ギャンブルで快感が得られる経路と結局一緒なのだそうです。つまり、ミュージシャンは皆ドラッグ依存症に陥り易い訳ですね。ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、尾崎豊、ASUKA、槇原敬之、岡村靖幸。みな同じです。

 ご多分に漏れず麻薬に溺れ爛れ切った破滅型ミュージシャンのアート・ペッパーは、人生の半分近くを刑務所と麻薬更生施設で過ごすことになります。皮肉なことに、素面に戻ってシャバに出た年にレコーディングされた演奏が彼の名演となりました。1952年、1956年、そして1976年がそれです。マイルス・デイヴィスは麻薬の悪癖を強靱な精神力で断ち切ることができましたが、アート・ペッパーはダメでした。2年もしないうちに再びジャンキーに逆戻りし刑務所へ。生涯その繰り返しでした。

 

 中でも、1956年〜1957年は彼生涯の絶頂期になりました。白人ジャズメンのレジェンドと言えば、スタン・ゲッツかジェリー・マリガンですが、彼らが活躍したウエスト・コースト・ジャズの全盛期を、アート・ペッパーは刑務所の中で過ごし、ようやく出所した時にはそのブームはとっくに過ぎ去っていたのです。クールでスマートな格好いい白人ジャズ。

でも彼は白人なのに黒人特有のタイム感覚とブルース・フィーリングを持ち味にして、刑務所で過ごした苦渋、心の翳りや憂い、別れた妻たちへの未練や色気をも漂わせる演奏をしました。また逆に、心の底に秘めた熱いエモーションも随所に押し出し、明るくスウィンギーに歌心溢れるメロディを次々と繰り出す陰陽兼ね備えた唯一無二のサックス・プレイヤーとして見事に復活したのです。『モダン・アート』『ミーツ・ザ・リズムセクション』『リターン・オブ・アート・ペッパー』の3作はそんな彼の代表作です。

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 どん底から立ち直ったアート・ペッパーの演奏に熱狂し、応援したのは日本のジャズファンでした。

1977年4月5日。アート・ペッパーは初来日します。しかし招聘元は麻薬禍の彼が入国審査にパスする自信がなかったので、彼のことを事前に公表宣伝することなく、カル・ジェイダー(ヴィブラフォン奏者)楽団+スペシャルゲストとだけ記載しました。でも、嗅覚鋭い日本のジャズファンは、どこからか噂を聞きつけ、東京芝の郵便貯金ホールに駆けつけたのです。

 カル・ジェイダーは日本で人気がなく、当日の客席はガラガラでした。リーダーもバンド・メンバーも、ゲストの彼のことを無下に扱い、彼は自作曲の楽譜を配ってリハーサルに臨んだのに、時間がないからと8分間で終わりにされたそうです。

アート・ペッパーの出番は、ライヴの第二部冒頭からでした。ステージ下手からアルトサックスを手に彼が登場すると、突如万雷の拍手が沸き起こりいつまでも鳴りやみません。彼が中央のマイクに近づくにつれ、それはますます大きくなり、マイクの前でそれが静まるまでの約5分間、何度もお辞儀を繰り返しながら立ちつくさなければなりませんでした。彼は自伝『ストレートライフ』の中で「生涯でこれ以上感激した瞬間はなかった。生きていてよかった」と書いています。

 幸い、この時の演奏をTBSラジオが録音していて、1989年に『ART PEPPER  First Live In Japan』として日の目を見ました。あの感動的な拍手がちゃんと収録されていて泣けてしまいます。

 翌1978年の3月、今度はゲストではなく自分のバンドを率いて再来日します。ところが、最悪の体調に加え、21日間で九州から北海道まで日本全国19公演をこなすタイトでハードなスケジュール。アート・ペッパーは心身ともにもうボロボロでした。でも巡業先の会場はどこも満員で聴衆の熱狂的な歓迎を受け、ただ気力だけで公演を続けた彼は、山形市で千穐楽を迎えます。

この最終公演を収録した国内盤CDは現在廃盤ですが、デンマークの老舗 Storyville Records から2枚組で出ていて、その2枚目に「おもいでの夏」が収録されています。この日の演奏は、聴衆の熱気にメンバー全員が一丸となって応え、バンドとしても最高のパフォーマンスを聴かせてくれました。

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 アート・ペッパーは1979年、1981年にも来日してすっかり親日家となりましたが、1982年6月15日、脳溢血のため急逝します。享年56。まだまだ早すぎる死でした。

彼のベストプレイは間違いなく1950年代ですが、僕は1970年代の演奏をこよなく愛しています。麻薬でボロボロになった身体から、小手先だけのテクニックでは決して発せられない、彼の人生が全て詰まった音が確かに聞こえてくるからです。

 これはタモリが言ったことですが「ジャズ = 俺の話を聴け!」なのです。ぜひ一度アート・ペッパーの「おもいでの夏」そして「Ballad of the Sad Young Men」を聴いてみて下さい。

  『長野医報』2021年8月号「特集:夏の思いで」(p10〜14)より再録。

注)1978年の山形市でのライヴ録音は、今年の7月に「ウルトラ・ヴァイブ」から国内盤が、税込み1100円で再発されました。


YouTube: The Summer Knows ART PEPPER


YouTube: Radka Toneff - Ballad of the Sad Young Men (live, 1977)

アート・ペッパーの「Ballad of the Sad Young Men」が、この間まで YouTube に上がっていたのに消されてしまったので、ノルウェーのジャズ歌手「ラドカ・トネフ」のヴォーカルで。

■あと、アート・ペッパー『ザ・トリップ』のレコードで、ぼくが一番好きな演奏は、A面2曲目に収録されている「A SONG FOR RICHARD」です。この曲では、伴奏のピアニスト、ジョージ・ケイブルスのソロがとにかく素晴らしい! まるで、1950年代に録音された幾多のジャズ名盤で必ずピアノを弾いていた、トミー・フラナガンの演奏を彷彿とさせるからです。

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