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2020年12月

2020年12月22日 (火)

蓼科仙境都市の想い出(その2)

■どうしてあの日、わざわざ海抜 2000m の高原を越えて松本に帰ろうとしたのか、 まったく憶えていない。たぶん、できるだけ遅くに松本に帰り着く言い訳を考えたことは間違いない。当時「日常」の代名詞であった「松本」は、あまり好きな町ではなかったのだ。国体道路沿いの清水1丁目に結婚したばかりの妻と住んでいたが、正直辛かった。苦しかった。ああ、大学医学部医局にいるということは、そういうことなのか。だから、少しでも逃げ出したかったのだろう。

ぼんぼん育ちの僕は、基本「打たれ弱い」。しかも、小心者で卑怯だった。本当は自分がダメなのに、いつも誰か他の人のせいにしていた。そういうどうしようもない人間だったのだ。

その日、天気は好かった。もう3月だ。雪も溶け出している。あ、そうだ。蓼科山の麓に見えた、あの人口建造物を確認しに行こう! そう思った。

ロードマップ(当時はまだナビは装着されていない)を見ると、スキー場がある。「蓼科アソシエイツ・スキー場」。佐久からのアクセス道路は冬場も整備されているみたいだ。蓼科スカイラインと言うらしい。車幅も広い舗装道路を、当時乗っていた三菱自動車のマニュアル車(ギャラン・ハッチバック)エテルナ4WD は軽やかに上って行く。青空がまぶしい。

(さらに続く)

2020年12月15日 (火)

「蓼科仙境都市」の想い出 〜 『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子

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■季刊誌『MONKEY』に連載されている、岸本佐知子さんのエッセイ『死ぬまでに行きたい海』(スイッチパブリッシング)が、ついに本になった! なんと喜ばしいことか。雑誌連載中から、これは彼女の代表作になるに違いない! そう確信して、ぼくはずっと『MONKEY』を買い続けてきた。もらした号は、古書で探して入手した。だから、Vol.1 〜 Vol.22 まで全部持っている。という証拠に写真を撮ったのだが、あれ? 何故か Vol.21 だけが欠けているぞ。おかしいな?

■さらには、12月に入って、伊那平安堂に何度も見に行っているのだが、残念ながら『死ぬまでに行きたい海』は未だに入荷しない。だから、本は手元にないので読めないのだ。

■以下は、ツイッターで過去に呟いたものを検索して見つけた発言です。

柴田元幸責任編集『MONKEY vol.13』より、連載『死ぬまでに行きたい海』岸本佐知子を読む。今回のタイトルは「近隣」。これは身につまされて怖かった。ウルトラQの世界。日常のすぐ隣に「異界」への扉が開いている。水木しげる『丸い輪の世界』もっとメジャーなら『千と千尋の神隠し』のトンネル。
季刊誌『 monkey vol.16』が届いた。 岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読みたいがために買っていると言っても過言ではない。今回は「丹波篠山2」。父親の実家で過ごした夏休みの思いでを綴った「1」も、めちゃくちゃよかった。同誌 vol.11 に載っている。
柴田元幸責任編集『MONKEY』vol.1、vol.10 以外は取ってある。まず最初にページを開くのは、翻訳家の岸本佐知子さんの紀行写真連載「死ぬまでに行きたい海」だ。これを読むために買っているようなものかもしれない。赤坂見附の回や多摩川の回も良かったけど、最新号の「丹波篠山」。
季刊誌:柴田元幸責任編集『MONKEY』は、柴田さんには申し訳ないけど、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』を読むために買っている。ああ、最新号の「経堂」も安心・安定の満足した読後感に包まれる。幸せだ。
「べぼや橋」も出てきたしね。ところで、ヤマザキマリさんと岸本佐知子さんて、声が似ている。案外低い声なのだ。
柴田元幸責任編集『MONKEY vol.18 /2019』が届いた。特集は「猿の旅日記」。最初に開くページは決まって、岸本佐知子さんの連載『死ぬまでに行きたい海』だ。p140「地表上のどこか一点」。ああ、上手いな。こういう文章が書きたいものだ。ごく自宅近所の話なのに、旅した気分になった。
 
季刊誌『MONKEY vol.21』を買ってきた。あれ? いつも最初に読む連載「死ぬまでに行きたい海」岸本佐知子が載ってないぞ!連載終了か??ちょっと焦った。ほっ、最後にあった。「カノッサ」おっ件の幼稚園の話だ。『気になる部分』p110「カノッサの屈辱」を久々に読むと、巻頭がブレイディさんみたい。
 
『花の命はノー・フューチャー』ブレイディみかこ(ちくま文庫)p199「子供であるという大罪」が書かれたのは、2005/04/06。『気になる部分』岸本佐知子(白水社 Ubooks)p110「カノッサの屈辱」は『翻訳の世界』1996年8月号に載った。岸本さんの勝ち。
 
30年前の3月、出張先の佐久町から松本への帰り。通ったことのないルートを選んだ。蓼科アソシエイツスキー場を越えて行く道だ。午後まだ早い時間なのに、スキー場には誰もいないしリフトも動いていない。隣接する高級リゾートホテルや店舗、別荘も全くの無人。不気味な静けさが怖かった
人里離れた山奥の海抜2000mの高地に忽然と現れた超モダンな建築物群。でも、人っ子一人いない。小説『極北』に登場するシベリアの秘密都市みたいな感じだ。慌てて氷結する鹿曲川林道を恐る恐る下ると、冬季通行止めの道だった。
蓼科アソシエイツスキー場は、1997年まで営業していたから、僕が通った1990年にはバリバリの現役だったはずだし、会員制高級リゾートホテルやレストランも営業中だ。でも、確かに無人だった。それが今や噂の廃墟施設と化し、僕が春日温泉まで下った林道は幾多の土砂崩れで廃道になってしまった。
あれは夢かまぼろしか? 松本に帰り着いても狐につままれたような気分だった。あの時の印象があまりに強烈で、10年ほど前にネットで検索し「蓼科仙境都市」を発見したのだった。岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』発売記念企画に応募しようと思ったが、大幅に字余り。
 
<追補>
 
・飯山日赤から、松本の信州大学小児科医局に戻った年だったか、その翌年だったか。週一回の木曜日にパート勤務で佐久町(いまは八千穂村と合併して佐久穂町)にある「千曲病院」へ通って、小児科外来診療と、午後には健診や保育園に出向いてインフルエンザの集団予防接種(当時はまだ集団接種だった)をしていた。
 
給料は良かったが、とにかく遠かった。朝7時前には家を出て、三才山トンネルを抜けて丸子町に下り、それからまたもう一つ峠を越えて立科町へ。さらには望月町→浅科村(いまはみな佐久市に併合された)を抜けて佐久市へ。でも、まだ着かない。そこから南下して、佐久総合病院がある臼田町を通り過ぎ、ようやく佐久町に到着だ。毎回2時間弱の行程だった。
そうは言っても、ストレスだらけの大学を離れて気分転換ができたこのバイトは、ぼくにとって掛け替えのない時間だったように思う。天気が良ければ、北に浅間山、東には群馬県境の山々。南には八ヶ岳連峰が青空の下に輝いていた。
 
八ヶ岳の北の端には蓼科山が見える。その稜線を北に辿ると、ちょうど人の肩のように平らになった高原が続く。そこに太陽の光が反射して、明らかに人工物と思われる建物が点在しているのが遙か遠くに見えた。
 
あれは何?
 
ずっと気になっていたのだった。(さらに続く)
 
 

2020年12月12日 (土)

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?(改訂版)

■「長野県小児科医会会報」に載せた「ブレイディみかこさん紹介文」を、『日本小児科医会会報』に転載して頂きました。光栄です。転載にあたって、ずいぶんと書き直したので、その改訂版を以下に載せます。

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 昨年6月に発刊されベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ著(新潮社)は、テンポのよいパワフルな文章に引き込まれて一気読みでした。たまげました。傑作です。小児科医は絶対に読むべき本だと思いました。

 日本よりもずっと貧富の格差が進み、移民が次々と流入するイギリス。本来先住の「ホワイト」の方が貧困にあえぎ、反対に、努力した移民が中流住宅街に住んで子供たちを中上流小中学校に通わせている現実。その結果として、移民が「ホワイトのアンダークラス」をヘイトし差別するという「ねじれ」が生じています。

 そんな中、彼女の息子(11歳)は、地元のアンダーな白人だらけの「元底辺公立中学校」に入学し、学校が力を入れている音楽部に入部します。最初に仲良くなったのは、ハンサムで歌も上手く、見事ミュージカル『アラジン』の主役を射止めたハンガリー移民の子ダニエル。レストラン経営で成功した父親がとんでもないレイシストで、その影響から息子も当然レイシスト。差別発言だらけのダニエルと何故か友情を育む息子。

 ところが、ダニエルは学校内で次第に「いじめ」に遭うようになります。正義が悪を懲らしめるのは当然だという理由で。それでも、彼は毎日学校へ通い続けます。父親に怒られるからです。そんな彼に、彼女の息子はずっと寄り添い続けます。

 「いじめているのはみんな(彼に)何も言われたことも、されたこともない、関係ない子たちだよ。それが一番気持ち悪い。僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」(p196)

 クールでスマートな息子の言動に、読んでいて胸がすく思いがしました。もう、すっかり真っ暗闇の世の中ですが、彼のような若者が世界を変えてくれる希望の星なのかもしれません。そんな彼は、どんな両親のもとで生まれ育ってきたのでしょうか?

 

 ブレイディみかこさんが世間で知られるようになった契機は、内田樹氏とよく似ています。二人とも遅咲きの文筆家で、40歳代までは全くの無名人だったのに、当時アップしていたネットのブログ記事が一部で話題になって出版社の目に留まり次々と本になったのです。

 彼女は1965年6月7日、福岡県福岡市に生まれました。先祖に隠れキリシタンや殉教者がいるカトリック教徒でしたが、父親が土建業を営む赤貧家庭に育ち、荒廃した中学校で地元のヤンキー娘として終わるはずが、担任教師の強引な薦めで福岡一の有名進学校、県立修猷館高校に見事合格。

 ところが、同級生はみな同じ表情をして、同時にパッと顔を上げて一斉にノートを取る。「こいつら人間じゃない!」彼女は新学期早々吐き気がしました。放課後は一目散に教室を飛び出し、近所のスーパーでアルバイト。着替える時間がなく制服のままエプロンをして働いていたら、高校に通報されて担任から呼び出されます。「親が定期代を払えないので学校帰りにバイトしている」と答えると、担任は「遊ぶ金欲しさでやってるくせに嘘つくな、いまどきの日本にそんな家庭はない!」と決めつけました。

 怒った彼女は翌日髪を金髪にしてツンツンにおっ立てて登校。次第に授業はサボりがちになり、嫌いな科目の試験は白紙で提出。代わりに答案用紙の裏に大杉栄の評論を書きました。その文章を読んだ現国の先生が「君は僕が引き受ける」と2年、3年の担任になってくれて、わざわざ家にも何度も訪ね「とにかく学校には来い。嫌いな教科があったら、図書館で本でも読んでろ。本をたくさん読んで、大学に行って、君はものを書きなさい」と言ってくれました。

 ブレイディさんは授業をサボっては図書館に入り浸り、伊藤野枝と金子文子を発見します。大正時代に名を馳せた同郷のアナキスト伊藤野枝は、関東大震災直後の戒厳令下、同志であり愛人であった大杉栄と甥の宗一と共に甘粕大尉率いる憲兵隊に惨殺されます。ちょうど同じ頃、大逆罪容疑で恋人の朝鮮人パクヨルと共に警察に逮捕され、死刑判決から一転恩赦がおりたにも関わらず獄中で自死した金子文子もまた、彼女のアイドルでした(岩波書店『女たちのテロル』参照)。

 高校卒業後、彼女は大学へは進学しませんでした。親にその資金がなかったことはもちろん、彼女がイギリスのロックバンド「セックス・ピストルズ」にはまっていたことも関係しています。彼女は福岡の中洲や銀座でバイトして金を貯めては渡英し、パンクロックのシャワーを全身で浴びました。渡英を何度も繰り返すうち、1996年の入国時に彼女は「私はここに永住するのだ」と決意します。

 ロンドンではキングスロードに下宿し、某日系新聞社のロンドン支店で事務員として勤務。そうこうするうちに、金融街で働くアイルランド移民で9歳年上の銀行マンと結婚。ロンドンから南へ列車で1時間の海辺の保養地ブライトンに移り住みます。ところが旦那は銀行をリストラされ、ミドルクラスから転落して大型トラックの運転手に転職し、さらにはガンにも罹患。

 でも彼女は挫けません。「先なんかねえんだよ。あれこれ期待するな。世の中も人生も、とどのつまりはクソだから、ノー・フューチャーの想いを胸に、それでもやっぱり生きて行け!」そう宣言し、子供が大嫌いだったはずなのに40歳を過ぎてから体外受精で男児を出産。そして生まれたのが彼です。そしたら、わが子は可愛いし面白い!

 2008年、彼女は乳飲み子を抱えながら、地域のアンダークラス(失業者、生活保護受給家庭)を支援する「無料底辺託児所」にボランティアとして参加します。そこには「幼児教育施設の鑑」とリスペクトされている責任者アニーがいて、彼女の元で幼児保育の実践教育を受けながら2年半かけて保育士の資格を取りました。

 当時、労働党のトニー・ブレア政権は抜本的幼児教育改革を行い、移民保育士を積極的にリクルートしました。ブレア政権では多様性(ダイバーシティ)を大切と考え、子供たちがいろんな人種の外国人と共に生活することに、小さな時から慣れていく必要があるとし、外国人移民の保育士養成費用を政府が全額負担したのです。

 ところが、2010年に保守党が政権を握ると一気に緊縮財政へと舵を切り、労働党が作った福祉制度を次々とカットしたため、底辺託児所の様相は一転します。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)には、保育士として働くブレイディさんのリアルな毎日が綴られていて、こちらも必読です。水泳が得意なリアーナの凶暴だった幼児期の記載もありますよ。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、そんなパンクでホットなかあちゃんとクールでワイズな息子の成長物語でもあります。まもなく『続編』も出ます。それで思い出すのが、椎名誠の名作『岳物語』と『続岳物語』(集英社文庫)。ただ、岳君の中学入学場面で終わっていて『続々岳物語』が書かれることは残念ながらありませんでした。父親に小説のネタにされた息子の岳君が猛烈に怒ったからです。

彼は『岳物語』と父親の椎名誠のことを真剣に憎んでいました。高校卒業後は日本を脱出し、アメリカの大学を出てプロの写真家になりました。

 ブレイディさんの話では、日本語が読めない息子ケン君も「この本」のことが気になっていて、スマホで接写すると日本語を英語に自動翻訳してくれるソフトを使って密かに内容をチェックしているらしいのです。でも、椎名父子と違って、母親と息子だから、険悪な親子関係に陥る危険性は少ないかもしれないし、そもそも彼の生活の基盤はイギリスです。だから、寛大な彼のこと、きっとパンクなかあちゃんを許してくれるに違いありません。

 

2020年12月10日 (木)

ぼくが大好きな映画ベスト30 +おまけ

■NHKBSP では、平日の午後1時から「プレミアム・シネマ」として、懐かしい渋い映画を放送している。ヘップバーン特集とか、マカロニ・ウエスタン特集とかね。

だから毎朝、中日新聞のテレビ欄をチェックしては、ブルーレイ・ディスクにせっせと録画予約している。WOWOW はね、フォローしきれないからノーチェックだ。あとで「オンデマンド」でも見ることができるし。

そんなかんなで録画したブルーレイ・ディスクは、すでに 100枚以上。でも、まだ1枚も見ていない。時間がないからだ。いったい何時見るのだ? Amazon prime にも無料で見たい映画がいっぱいあるというのにね。

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■さらに、昔レーザー・ディスクで買って捨てられずにいまだに持っている、思い入れの強い映画を、ブルーレイで買い直している。いったい何時見るのだ?

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高校生の頃から今までに見てきて、大好きな映画を並べてみた

1)「東京物語」小津安二郎(1953)

2)「マル秘色情めす市場」田中登(1974)

3)「ストーカー」アンドレイ・タルコフスキー(1979)

4)「八月の濡れた砂」藤田敏八(1971)日活

5)「牯嶺街少年殺人事件 」エドワード・ヤン(1991)

6)「ツィゴイネルワイゼン」鈴木清順(1980)

7)「エル・スール」ビクトル・エリセ(1983)

8)「まぼろしの市街戦」フィリップ・ド・ブロカ(1966)

9)「性賊/セックスジャック」若松孝二(1970)

10)「恋恋風塵」侯孝賢(1987)

11)「サウダーヂ」富田克也(2011)

12)「パリ・テキサス」ヴィム・ヴェンダース(1985) 

13)「隠し砦の三悪人」黒澤明(1958)

14)「ギルバート・グレイプ」ラッセ・ハルストレム(1994)

15)「冒険者たち」ロベール・アンリコ(1967)

16)「十九歳の地図」柳町光男(1979)

17)「タンポポ」伊丹十三(1985)

18)「ヒポクラテスたち」大森一樹(1980)

19)「ゆきゆきて、神軍」原一男(1987)

20)「長靴をはいた猫」東映動画(1969)

21)「青春の蹉跌」神代辰巳(1974)東宝

22)「0課の女 赤い手錠(わっぱ)」野田幸男(1974)東映

23)「七人の侍」黒澤明(1954)

24)「切腹」小林正樹(1962)

25)「秋刀魚の味」小津安二郎(1962)

【大好きな映画の拾遺】

・『股旅』市川崑(1973 ATG)萩原健一主演、尾藤イサオ、小倉一郎共演。

この若者3人組がメチャクチャ格好悪い。ロケの多くが長野県伊那市長谷村で撮影された。尾藤イサオは破傷風になる。市川崑はこの後『木枯し紋次郎』を撮ることになる。

・『ル・アーヴルの靴みがき』アキ・カウリスマキ(2011)。

カウリスマキ監督作品は見たいのだけれどなかなか見れない。あと見たのは『過去のない男』のみ。映画館に行けないからね。年老いたロッカーがいい。それから妻役の常連カティ・オウティネン。あはは!の外したラスト。

・『お嬢さん乾杯』木下恵介(1949 松竹)。
 
佐野周二がいい。サンモニ司会、関口宏の父親。小津『麦秋』でのチャラい上司と部下の関係の佐野と原節子もいい味出してるが、原節子の魅力を最大限に引き出したのは、この映画の木下恵介じゃないかと思っている。
 
 
・『さらば愛しき大地』柳町光男(1982)根津甚八・秋吉久美子・蟹江敬三。
 
静かに壊れてゆく根津甚八がとにかく素晴らしい! 茨城県で大学生活を過ごし、土浦東映の最前列でタバコを斜めにくわえながら、この映画をみた。沁みた。
 
 
 
・『枝葉のこと』二ノ宮隆太郎(2017)
 
監督主演の二ノ宮クンの佇まいが見せる。それから、役者木村知貴をこの映画で発見した。『父とゆうちゃん』田口史人(リクロ舎)を読んでいて、舞台も同じ横浜だし構造的にも共通する部分がある。赤石商店で観た。
 

・『フォロー・ミー』キャロル・リード監督ミア・ファロー主演(1972)。

原題は「The Pubrlc Eye」私立探偵のことは「Private Eye」と言う。ジョン・バリーの主題曲は、林美雄ミドリブタ・パックのクロージング・テーマだった。周防正行『Shall we ダンス?』に映画のポスターが

・『霧の中の風景』テオ・アンゲロプロス(1988年/ギリシャ映画)

アンゲロプロスの出世作『旅芸人の記録』は未だ見ていない。上映時間6時間だからね。ビデオもDVDも持ってないし、ネット配信もされていない。でも、いま一番見たい映画かもしれない。

『アレキサンダー大王』と『シテール島への船出』は、レーザー・ディスクで持っている。でも、何度も見直す映画じゃないな。長すぎる。

でも、『霧の中の風景』は何度でも見たい。今でも心に残る印象的なシーンが幾つもあるから。それに、主役の2人が子供なのがいい。

・『タレンタイム』ヤスミン・アフマド監督作品(2009)マレーシア映画

この映画は最近観た中でも特に印象深い愛おしい1本。松本シネマセレクトと「赤石商店」とで2回観た。

女性監督のヤスミン・アフマドさんは、2009年にまだ51歳の若さで亡くなる。脳出血だった。「赤石商店」で今年の8月に観た『細い目』もオススメ!

■しばらく前だったか、麒麟特製レモンサワー(9%)を飲んで酔っぱらったとき、ふと思い付いたことがあった。

上記に挙げた 33本の映画を、ランダムに「赤石商店」の蔵のミニシアターで上映できないだろうか?

もちろん、上映無料。ぼくが見たい映画を、DVDで「赤石商店」さんに所場代払って大画面でもう一度観る。その時に、いっしょに見てもいいよって人がいたら、無料で見れますよ! っていう映画会だ。

町山智浩さんみたいな映画解説はとても出来ないけれど、上映終了後にぼくの個人的な解説を加えることも出来るかもしれない。

ねえ、これって案外おもしろい企画じゃないかな?

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