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2016年3月 3日 (木)

カマシ・ワシントンの続き(その4:菊地成孔さんの話)

■ロバート・グラスパーが『ブラック・レディオ』で登用した新世代ジャズ・ドラマー、クリス・デイヴやマーク・コレンバーグ、グレッチェン・パーラト(vo)の旦那さんでもあるマーク・ジュリアナなどが叩き出す「リズム」の革新性について、最新号の『ミュージック・マガジン3月号』62ページから柳樂光隆氏が僕なんかにも分かり易く総説を載せている。

同じ話を、菊地成孔氏が、村松正人監修『プログレッシヴ・ジャズ 進化するソウル フライング・ロータスとジャズの現在地』(別冊ele-king /Pヴァイン/2014/10/14)の「菊地成孔『今ジャズ』講義」の中で、インタビューに答えて語っているのだが、これまた大変分かり易い。

これに関しては、菊地さんのラジオ番組『粋な夜電波』の中でも何度も語られている。最近では 2015/11/06「アフリカからディアンジェロまで ブラックミュージックを語るにはクラブの中にいるだけでは不十分だ」が詳しい。

ここでは、その「リズム」の話ではなくて、以下の発言を取り上げたい。

菊地:「今ジャズ」がフュージョンであることの第二の理由は、拝外思想が復活したこと。スター・プレーヤーはアメリカにいて、日本人はぜんぜんダメというものすごい懐かしい拝外思想が蘇生している。(中略)

随分長い間、いくらウィントンが、ハイブな出自に懺悔するがごとく、実直すぎるほど地道な活動をニューヨークで続けようと、あらゆる過去のジャズジャイアントの存命者や、ブラッド・メルドーなんかが夜中から安く聴けるという状況があろうと、ジャズにおけるニューヨークのありがたみは、観光客相手のレベルまで含め、価値が下落していた。

「今ジャズ」の最大の功績に「やっぱニューヨークって本場だよな」って再び思わせたってこと。世界中にいるDJや全米のラッパーは憶えられなくても、ニューヨークに3人の有名なドラマーがいるとなると憶えられる。(『プログレッシヴ・ジャズ』p65)

■つまりは、最先端のジャズ(今ジャズ)の発信地が、アメリカ・ニューヨーク限定であること。そして、その発信者が「黒人」の若手ミュージシャンであることが重要だ。

しかも彼らの音楽体験のベースは、1990年代のヒップホップであり、R&B もしくは、マイケル・ジャクソンやプリンスといった、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックなのだから、ジャズだけを一生懸命聴いてお勉強してきました! って感じのウィントン・マルサリスとはぜんぜん違う。

だからこそ、菊地成孔氏は「第二次フュージョン期」として、マイルスの『ビッチズ・ブリュー』と、チック・コリア『リターン・トゥ・フォーエバー』に始まる、1970年代の「第一次フュージョン・ブーム」を彷彿とさせる、ジャズ界の大変革期と捉えているのだな。

■そのブームを一人で牽引するロバート・グラスパー(p)のアイドルは、ハービー・ハンコックとクインシー・ジョーンズだ。

彼が目指すものは、だから「プロデューサー」的な役割、つまりは自らを「ハブ」として、彼の多彩な人脈を駆使し、一見無関係にも思えるミュージシャンたちを出会わせ、刺激的でまったく新しい音楽を一般大衆に提示してみせることなんじゃないか。

だから、彼の中では「ジャズやってます」なんて意識はこれっぽっちもないから、ウィントン・マルサリスが一人で「ジャズの未来」を背負ってしまった(村上さんも「そこ」をたぶん期待しているからこそ、愛の鞭を振るったのだと思う)不幸から、根本的に自由でいられた。そこがよかった。

さらに彼が幸運だったことは、ウィントン・マルサリスの懐古的・博物館的・学術的ジャズには、到底ついて行けなかった、ニューヨークの同胞アフリカン・アメリカンが諸手を挙げて彼の『ブラック・レディオ』を絶賛したこと。それに、アメリカの人口の多数を占める白人も、ヒスパニックも、最先端のヒット・チャートからグラスパーの音楽を好んで聴いてくれたことがやはり大きい。

黒人(アメリカの人口の12%にすぎない!)だけのマーケットでは、音楽は売れないのだ。

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