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2015年10月

2015年10月27日 (火)

今月のこの1曲。インゲル・マリエ・グンナシェン『 Will you still love me tomorrow』


YouTube: Inger Marie Gunderson - Will You Still Love Me Tomorrow

■この曲に関しては以前に一度、取り上げたことがあって、調べてみたら「2007年5月31日の日記」に書いてあった。

ここで内田樹先生が「音楽との対話」の中で言及している、キャロル・キングのセルフカヴァー・ヴァージョンはこれ。


YouTube: carole king will you still love me tomorrow lyrics

■名盤『つづれおり』B面3曲目にさりげなく収録されている「この曲」は、レコードで聴いていた時には僕はほとんど聞き流していた。まぁ、主にA面がターンテーブルにのってたし、B面は1曲目の「君の友だち」しか聴かなかったからなぁ。バック・コーラスで、ジェイムス・テイラーとジョニ・ミッチェルが仲良くハモってるっていうのにね。

ぼくがあらためて「この曲」のよさに気づかされたのが、当時まったく無名だった、ノルウェーのおばちゃんジャズ歌手インゲル・マリエ・グンナシェンが歌ったヴァージョンを、たまたま聴いた時だった。なんていい曲なんだ! 

はじめて大好きな彼と結ばれた夜。幸せの絶頂にあるはずの女の子。でもその瞬間、明日の朝には彼に捨てられてしまうかもしれない不安がよぎるのだった。

こんなにもデリケートでガラス細工みたいな女の子の心の内を「歌詞」に表現したのは、じつはキャロル・キングではない。彼女は曲だけを先に作ったのであって、詩を後から付けたのは、当時彼女の夫だったジェリー・ゴフィン。男なのに、なんで切ない女心が分かるのだ?

■「この曲」は、1960年に黒人ガールズ・グループの「ザ・シュレルズ」が歌って、ゴフィンキングのコンビで作詞作曲した曲の中で、初めて「全米ベスト1」を獲得した記念すべき一曲となった。


YouTube: THE SHIRELLES - Will You Still Love Me Tomorrow [ 60's Video In NEW STEREO ].mp4



YouTube には、さらにいろんなカヴァーが登録されている。有名所では、エイミー・ワインハウスとか、ノラ・ジョーンズとか。

でも、ぼく個人的には「ザ・シュレルズ」のリード・ヴォーカルの娘が「この曲、すっごくイモっぽい(  too country )から歌うのやだ!」って言ってた、そのままの野暮ったさで素朴に唱っている、インゲル・マリエ・グンナシェンのカヴァーが一番いいんじゃないかと思う。

■ただ、この人の次に出たCDも買ってはみたのだけれど、結局「この曲」だけだったな。よかったのは。


YouTube: 桑名正博 will you Love Me Tomorrow.


こんなのも見つけた。Char のギターソロが渋いぞ。

■ところで、「この曲」が誕生した時の印象的なエピソードを、たしか内田樹先生がブログに書いていたはずなんだけど、検索したら見つかりました。これです。

「シープヘッド・ベイの夜明け」。これは何度読んでもジーンとくる話だなあ。

■それから、内田センセイと師匠の大瀧詠一氏がこだわった「鼻濁音」だけれど、もう一人、ものすごく「鼻濁音にウルサイ」人がいて、そのことは『落語家論』(ちくま文庫)に詳しく書かれているのだが、そうです。その方こそ、柳家小三治師匠なのでした。

2015年10月25日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その119)木下北保育園「父親参観日」

■いまの時代「父親参観日」と言うのはマズいから、正式な名称は違うと思います。ごめんなさい。でも、今日は本当にお父さんでいっぱいだった。おかあさんも、まだ入園前の小さな子もいっぱい。園児は90人くらいなんだけど、総観客数はその3倍くらいいたんじゃないか。

緊張したなぁ、もう。というのも、今日は倉科さんと宮脇さんはお休みで、ぼくと坂本さんと伊東先生の3人だけでの出演なのだ。

音楽監督でギター伴奏担当の倉科さんがいないと、基本的に我々の会は成立しない。だから、オファーがあっても倉科さんの都合が悪ければお請けできないのです。ところが、どこがどう間違ったのか分からないのだけれど、倉科さんは出られないと言ってるのに出演が決まってしまうことが何故かあって(過去に1回のみでしたが)今回がまさにその「2回目」となったワケです。

倉科さんがいなければ、誰かが代わりにギター伴奏をしなければならないワケで。それが僕なんですね。でも、ギターは下手だし練習嫌いだし、ギターにさわるのは「パパズ」の会のみという体たらく。

ということで、冷汗タラタラで始めの絵本『はじめまして』に入ったのだが、歌のキーが、F B♭ なので、ぼくフレットを指で押さえられないんです、実は。そこで、キーをひとつ上げて、G C D7 に変えてもらって、なんとか弾けたのでした。歌うのは大変だったけどね。

やれやれ無事「最初の曲」が終わったとステージを引き揚げたら、最前列で見ていた年長組の男の子が「そんなに下手じゃないじゃん、ギター」って言ってくれたのだ。うれしかったなぁ。

<今日のメニュー>

1)『はじめまして』(ひさかたチャイルド)

2)『くだものなんだ』きうちかつ(福音館書店)→伊東

3)『このすしなあに』塚本やすし(ポプラ社)→伊東

4)『おおかみだあ!』セドリック・ラマディエ・文、ヴァンサン・ブルジョ・絵、谷川俊太郎・訳(ポプラ社)→北原

5)『オニのサラリーマン』富安陽子・文、大島妙子・絵(福音館書店)→坂本

6)『かごからとびだした』

7)『うんこしりとり』

8)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→伊東

9)『ちへいせんのみえるところ』長新太(ビリケン出版)→北原

10)『パパのしごとはわるものです』板橋雅弘・文、吉田尚令・絵(岩崎書店)→坂本

11)『ふうせん』(アリス館)

12)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2015年10月22日 (木)

こんどは、『緑のさる』山下澄人(平凡社)を読む

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写真をクリックすると、もう少し大きくなります。

『コルバトントリ』に続いて、『緑のさる』山下澄人(平凡社)読了。結局ワケわからないんだけれど、すごく面白かった! なんだかこの人、癖になるぞ。もっと読みたい。あと、装幀が渋くて好き。 (23:19 - 2015年10月20日)

■『緑のさる』は、山下澄人さんのデビュー作だ。この本でいきなり「野間文芸新人賞」を受賞した。取った山下さんはもちろん凄いが、賞をあげた人もえらい。だって、こんな小説読んだことないもん。

ところで、作家の保坂和志氏と山下さんの関係って、なんなのか? やっぱり、師匠と弟子の関係なのかな? そのヒントは、この本が出た当時に京都で行われた、保坂和志 × 山下澄人 対談にあった。


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ここで、保坂さんが言っている「高瀬がぶん」さんのブログ「極楽ランドスケープ」の、・「山下くんのこと」それから、「やっぱり気になるので今日はこれ」「生きていたり死んでいたり」を読むと、2008年夏のとある日、「突然ですが、劇団 FICTION の芝居を、保坂和志さんにぜひ見に来ていただきたいのです」という一通のメールが、保坂氏のサイト管理人である高瀬がぶん氏のもとに届いたのがそもそもの始まりだったようだ。

がぶん氏のブログに書いてある、劇団 FICTION 公演『しんせかい』を観に行ったときのことを、保坂和志氏は『遠い触覚』(河出書房新社)の、p48〜p55 で詳細に語っている。ただ、山下澄人さんに小説を書くよう進言したのは残念ながら保坂和志氏ではない。同じ舞台を見に来ていた平凡社の編集者から「小説、書いてみませんか?」と言われて、この『緑のさる』を書いたのだという。

■ 山下澄人インタビュー「見るに値しない人なんかいない」 ■

■『プレーンソング』保坂和志(中公文庫)は、保坂さんのデビュー作だ。

保坂和志の「いちファン」であった山下澄人は、ひょんなことから『緑のさる』を執筆することに。でもやはり、保坂氏の本を読まなかったら、決して自分は小説なんて書かなかっただろうという思いと、大好きな保坂和志への感謝とリスペクトを込めて、自らのデビュー作『緑のさる』の50ページから51ページにかけて、場面のリアリティを示すためにこんなことを書いている。

 文庫本を一冊引き抜いた。表紙と頭の何ページかがどこかに引っかかっていたのか、ビリッと破けた。開いてみた。

という文章に続いて、『プレーンソング』保坂和志(中公文庫)の 32ページの初めから終わりまで、そのまま転載されているのだった。

■『緑のさる』を読んでいて、山下さんはきっと「色の付いた夢」を見る人なんだろうなぁと思った。「青いテント」「赤シャツ」「黄色いヤッケ」。ただ、総天然色カラーの夢なんじゃなくて、そう、矢沢永吉がやっているサントリー・プレミアムビールのCMみたいに、黒白ベースの画面に「その一点のみカラー」になっているイメージ。そんな気がする。

それから、『コルバトントリ』を読んだ感想として以前に書いた、

生きている人が死んでいて、死んでいる人は何故か生きているような勘違いをしている。そういう小説だった

は、『緑のさる』でも「そのまま」有効だった。


2015年10月18日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その118)「大町児童センター」

■今日は、朝8時に伊那を出発して大町まで行ってきた。

前回の東京行きに続いて、またしても宮脇さんに車を出してもらってほんとすみません。ありがとうございました。それにしても今日もいい天気だったなぁ。北アルプス、きれいでした。

大町ではマラソン大会とか、今日はイベント目白押しで集客が心配されたのだが、お父さん、おかあさん、子供たち、思ったよりもたくさん来てくれた。うれしかったな。ただ、1歳未満の赤ちゃんが多いぞ!

<本日のメニュー>

 1)『はじめまして』新沢としひこ

 2)『ぐるぐるぐるーん』のむらさやか・文、サイトウマサミツ・絵(こどものとも0.1.2.)→北原

 3)『だっだぁー』ナムーラミチヨ(主婦の友社)→北原

 4)『ねこガム』きむらよしお(福音館書店)→坂本

 5)『どうぶつサーカスはじまるよ』西村敏夫(福音館書店)→坂本

 6)『かごからとびだした』(アリス館)

 7)『串かつや よしこさん』長谷川義史(アリス館)→宮脇

 8)『うんこしりとり』tuperatupera(白泉社)

 9)『オニのサラリーマン』富安陽子・文、大島妙子・絵(福音館書店)→倉科

 10) 『ふうせん』(アリス館)

 11) 『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

2015年10月10日 (土)

『コルバトントリ』山下澄人(文藝春秋)を読む(その3)

■前回の「佐々木敦 × 山下澄人『鳥の会議』をめぐる対談」は、本当に面白かった。こうして、YouTube で見る山下澄人氏は、不思議と何処か懐かしい。

誰かに似ている。

そう、同じ兵庫県出身の人。

映画監督! 大森一樹? いや、

作家でさ、そう! 中島らも だ。

声がね、いいんだよ。声が。山下さんは役者さんだから、腹式呼吸なんだ。腹の底から声を出している。でも、ちょっとだけ遠慮がちに、小さな声で。そこがね、「中島らも」なんだと思う。

■最近また、ラジオをよく聴くようになった。しかも、TBSラジオ。ぼくが中坊だった頃、毎晩聴いていたラジオ局だ。特に、この10月から始まった「Sound Avenue 905」に注目して聴いている。佐野元春さんも、鈴木慶一さんも小西康陽さんも、みな「声がいい」。林美雄アナもいい声だった。やっぱり、ラジオでは声は大事。

それから、同じTBSラジオで金曜深夜24時から始まる「菊地成孔 粋な夜電波」もよく聴く。ちょうどいま、最近文庫で出たばかりの『時事ネタ嫌い』菊地成孔(文庫ぎんが堂)を読んでいるのだが、文章が、ラジオから流れてくる菊地さんの「話ことば」そのままなので、目で活字を追いながらも、菊地成孔さんの声を聴いているような不思議な感じがするのだ。

『コルバトントリ』でもおんなじで、山下澄人さんが音読しているイメージで再読してみると、これがすごくいいんだ。短いセンテンスが積み重なって、独特のグルーヴ感を生み出している。視点も場所も時間さえも、次々と目まぐるしく入れ替わって、でも読者を厭きさせずに引っ張ってゆくパワーがあるのだ。

『コルバトントリ』を読みはじめて、何故かすっごく懐かしい感じがした。1970年代の感じ。そうだ、つげ義春の『ねじ式』を初めて読んでビックリした時の印象に近い。それから関連して思い出したのが、佐々木昭一郎の『夢の島少女』だった。

『夢の島少女』は、斬新な映像、カット割り、手持ちカメラによるドキュメンタリー感、めくるめく幻想的なイメージの連続で、40年以上も前の作品なのに、いま見てもまったく古びていない。ていうか、今じゃもう絶対に作れない。

リンクした「映★画太郎」さんと同じく、ぼくも最初から少女は死んでいて、あとに続くのは、すべて少年ケンの脳内イメージなんだと思った。少年にとって、少女は「あらかじめ失われた恋人」だったんだ。『コルバトントリ』も同じだ。フラッシュバックのように、不連続に次々とイメージが去来するさまは、年老いて死期が近い主人公の「脳内イメージ」なんじゃないか?

だから、すでに死んでしまった人たちがみな生きて登場するのだ。さらに『コルバトントリ』は視覚的イメージに富んでいて、映画的カット割りを連想させる。ラストシーン。水族館でのシャチが飛び上がるところは、たむらしげるの絵本『クジラの跳躍』だ。

■保坂和志『未明の闘争』(講談社)は、半分まで読んだところで止まったままなのだが、保坂氏は「この小説」で挑戦しようとしたことが「2つ」あるんじゃないかと思った。

ひとつは、犬や猫の意識で小説を書いたらどうなるか? ということ。犬は「いま」だけを生きているといわれる。ただ、いまの瞬間だけではない。犬だってちゃんと記憶力はあるから、昔のことも憶えている。でもそれは、過去の出来事という意識ではなくて、犬にとっては「ずっといま」なんじゃないかって、ぼくは思うのだ。『未明の闘争』も「ずっといま」が続いている話だ。

もうひとつは、保坂氏が大好きなデレク・ベイリーのギター演奏のように小説を書くことは可能か? ということ。

フリー・インプロヴィゼイションの巨匠、デレク・ベイリーの演奏では、普通の音楽でよく出てくる音階、音列は意識的に一切排除されている。フリーといっても、もちろんデタラメではない。むしろ意味のある音楽にならないよう、瞬間瞬間を即興で音を選ぶ作業は、もの凄い高等テクニックが必要なのに違いない。

保坂和志氏の対談の様子とか聴いている(もしくは『音楽談義』を読んでいる)と、ものすごく頭の回転が速い人で、細かな記憶も確かで、インテリジェントの非常に高い人であることが直ちに分かる。しかも、ずっと小説のことを考えてきた人だ。

そんな保坂氏が、決して読者を飽きさせることなく、緊張感を維持して即興的に文章を綴っていく作業は、デレク・ベイリー以上に大変であったに違いない。だって、最終的には文学作品として完成させなければならないのだから。

そんな保坂氏の試みを、山下澄人さんは、たぶん何も考えずにいとも簡単に成し遂げてしまったんじゃないかな。ぼくはそう思った。

さて、とりあえず、『鳥の会議』山下澄人(河出書房新社)は読まねばなるまい。

2015年10月 6日 (火)

『コルバトントリ』山下澄人(文藝春秋)を読む(その2)

■昨今話題の動画、味の素AGF「ブレンディ・卒業編」のCM。

はじめて見た時、ぼくは即座に『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ(早川書房)の小説と映画に登場する、ヘールシャム寄宿学校の講堂と女の校長先生(『愛の嵐に出ていた、シャーロット・ランプリングが演じていた)を思い浮かべたのだが、ツイッターのタイムラインを見ていて同じように感じている人が案外少なくて驚いている。

まず間違いなく、このCMの映像作家は映画『わたしを離さないで』を見ていて、その発想の原点にしているに違いない。ぼくはそう思った。でも、そう指摘した人が2人しかいなかったのだ。(もちろん、検索してみると「そう言っている人」は数多くいるわけだが、ぼくがフォローしている集団では、ほとんどいなかったということ)

この本を読んでいるか、もしくは原作は読んでいなくても「映画」を見ている人なら、絶対にそう思うはずなのに、そう思う人があまりいないということは、世の中のほとんどの人は、小説『わたしを離さないで』を読んでないし、映画も見てないという事実に気づかされたのだった。

ぼく個人的には、日常ふつうに「本を読んでいる」という人は、日本の人口の3〜5%ぐらいだと思っている。300万〜500万人だ。でも、その中で『わたしを離さないで』を読んだ人は「1〜2%=3〜10万人」ぐらいだったんじゃないかな、結局。ベストセラーの海外小説と言っても、その程度なのだ。

つまりは、実用書・ビジネス本・雑誌を除くと、「文芸書」なぞ読んでるヒマ人は、この世の中に数%もいないという事実。ましてや、エンタテインメント小説ではない、いわゆる「純文学」の熱心な読者となると、さらにその1/10以下もいないんじゃないか。

そんな中で、ピース又吉が『火花』(発行部数209万部!)で芥川賞を取ったことは、純文学界にとって、いや出版業界全体に絶大な効果をもたらした。『紙の動物園』ケン・リュウ著、古沢嘉通=編・訳(早川書房)の帯には、ピース又吉の推薦文「激しく心を揺さぶられました。この物語の世界に触れている間、僕はずっと幸福でした。」という一文が載っているし、『アメトーーク』読書芸人の回で、ピース又吉オススメの10冊の中に、この『コルバトントリ』が入っているのだ。これは、ふだん本を読まない一般ピープルにも注目されるよね。

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小説『コルバトントリ』は、飴屋法水氏によって芝居になった。『コルバトントリ、』だ。

「この劇評」を読むと、作者の山下澄人氏も出演者として舞台に立ったらしい。山下澄人氏は元々が役者さんで、倉本聰の富良野塾第二期生。神戸出身で、劇団FICTIONを主宰していた。先ほどの劇評を読むと、

山下の実家は兵庫県だが、阪神淡路大震災の2日前に北海道の富良野に行ったため、本人は震災には遭わなかったらしい。家は全壊状態で彼の布団の上に屋根が落ちたそうで、もし家に居たら、この本も、この上演もなかっただろう。

と書かれている。

最近、演劇人で芥川賞候補になる人が多いな。宮沢章夫氏は違ったっけ。松尾スズキ氏は確か候補になった。本谷有希子、前田司郎、それに、最近では戌井昭人と山下澄人氏。

早くから、山下氏の作家としての才能を認めていたのが、作家の保坂和志氏と、評論家の佐々木敦氏だ。

保坂和志 × 山下澄人の対談が、池袋ジュンク堂で、2012年から毎年つづけて計3回行われていて、そのすべてが、今でも YouTube で見ることができてすごく面白いのだが、対談というより、保坂氏が一人でずっとしゃべっていて、しかも、褒めているのか貶しているのか、よく分からなくなってしまい、ちょっと物足りない。(ところで、映像でみると、保坂氏は、村上春樹とどことなく似ている気がする)


YouTube: 保坂和志×山下澄人 書く気のない人のための小説入門


そこいくと、下北沢の書店「B&B」で行われた、佐々木敦氏との対談が、山下氏の作風を分析する上でとても参考になる。

『コルバトントリ』刊行記念イベント 山下澄人 × 佐々木敦 対談


YouTube: 山下澄人(作家)×ゲスト:佐々木敦(批評家・早稲田大学教授・HEADZ主宰) “山下澄人と佐々木敦による、鳥の会議”


■山下さんには、今度こそ、芥川賞を取ってほしいものだ。(まだつづく)

2015年10月 4日 (日)

『コルバトントリ』山下澄人(文藝春秋)を読む

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■写真は、最近読んだ本をいくつか集めてみました。『海街diary (1)〜(6)』(小学館)は、映画を見終わったら読もうと思って、ブックオフをあちこち巡って集めておいたのだ。で、このあいだ、伊那旭座2でようやく映画を見たのでした。

原作のマンガを読むと、この原作自体が小津安二郎の映画をかなり意識していることがわかる。火葬場の煙突をみなで見上げるシーンは、マンガに描かれているのだ。映画のセリフも、原作にかなり忠実。

伊那の「旭座2」で上映中の『海街diary』を観てきた。予想以上によかった。すっごくよかった。あの小林信彦氏が絶賛するのも肯ける。広瀬すずがいい。夏帆もよかった。『みんな!エスパーだよ!』から注目していたのだ。あとレキシ。いい味だしてたな。ただ堤真一はぜんぜん小児科医っぽくないぞ。(9月22日)

鎌倉が舞台なのに、映像がぜんぜん小津安二郎的じゃないんだ。そこにまず驚いた。確かに、葬式のシーンに始まって、祖母の七回忌を挟んでラストはまた葬式。火葬場の煙突の煙を皆で見上げるシーンもある。なのにぜんぜん「小津」してない。

『麦秋』のラスト。藤沢の鵠沼海岸での原節子と三宅邦子が海辺を歩くシーン。二人は、白いシャツとロングスカートだ。それに対して『海街diary』の四姉妹は、黒の喪服。これは是枝監督のアンサーなのかなって、ちょっと思った。


YouTube: 鵠沼海岸  (麦秋 1951)

小津監督作品では、大変珍しいクレーン撮影。

■『倫理21』柄谷行人(平凡社ライブラリー)に関するツイート

『倫理21』柄谷行人(平凡社ライブラリー)読了。1999年に出た本だが、いま読んでこそ意味があると思った。2003年5月に書かれたライブラリー版へのあとがきには、こう書かれている。

「しかし、私はいずれ戦争があり、そのとき、日本人は、第二次大戦の代償として得た認識と倫理性を放棄してしまうことになるだろう、という予感をもっていました。そして、その選択が誤りであることをあらためて手ひどく思い知らされる目に会うだろう、と。

私の懸念は的中しつつあります。しかし、私は、日本の動向に関しても、世界の動向に関しても、けっして悲観的ではありません。

21世紀には、環境問題をはじめとして、人類が直面せねばならない深刻な問題があります。かつてないような悲惨な事態が生じると私は思います。それを止めることはたぶんできません。にもかかわらず、私は未来にかんして楽観的なのです。その意味で、『倫理21』は「希望」の書である、と私は考えています。」

柄谷行人『倫理21』208ページ(平凡社ライブラリー)より

■続いて、『医者をめざす君へ』山田倫太郎・著(東洋経済新報社)に関するツイートから。

伊那の平安堂書店に平積みされていた『医者をめざす君へ』山田倫太郎・著(東洋経済新報社)¥900+税を購入。24時間テレビで見て感動したからね。著者は長野県上伊那郡箕輪町在住の中学生。最重度の先天性心疾患を抱え、度重なる手術と入退院を繰り返しながらも、目一杯明るく生きる。

彼は本当に文章が上手い。字もきれいだ。通院している長野県立こども病院循環器科の主治医、安河内先生へのリスペクトが尋常じゃないな。笑っちゃうくらい。いや、ぼくも小児科医になりたての頃、安河内先生には尋常ではないくらい本当にお世話になっているので、倫太郎君の言うとおりだよほんと。

■そうして、『コルバトントリ』。

『コルバトントリ』山下澄人(文藝春秋)を読む。まいったな、これは。なるほど、保坂和志氏好みなワケだ。この小説は音読したほうが沁みる。大友良英さんのラジオ番組に飴屋法水氏が出た回で、戯曲化された「この小説」の台本を飴屋氏が朗読したんだけど、関西ネイティヴじゃないのに「ずん」と来たんだ。

「コルバトントリ」っていうのは、フィンランドにある山の名前で、サンタクロースが住んでいるんだそうだ。生きている人が死んでいて、死んでいる人は何故か生きているような勘違いをしている。そういう小説だった。「ええか。お前も死なへんねん。誰も死なへん。死なんでええんや」103ページより。

 

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