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2013年5月

2013年5月22日 (水)

2000字予定の原稿を、4800字も書いてしまった

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■「上伊那医師会報」の巻頭言に続いて「長野医報」7月号の原稿、苦しんで苦しんで、ようやく書き上げた。締め切りをとうに過ぎていた。

取っかかりの関係ない話が長くなり過ぎたことと、引用がやたら多くなってしまったことで、予定の2,000字を大幅にオーバーして、4,800字も書いてしまった。何度も削って、それでも4,000字。これ以上は短くできないぞ。


ポイントは、『想像ラジオでかかった「楽曲」について、きちんと言及すること。アマゾンの感想や、いろんな書評を読んでみて感じたことは、「音楽」の重要性に触れた感想がひとつもなかったことだ。みんな、ちゃんと聴いてないんじゃないの?


それから、いとうせいこう氏が「死者論」の参考にしたであろう、柳田國男『先祖の話』と、若松英輔『魂にふれる』に言及した感想が、まったくなかったことだ。そのあたりのことを書いてみました。


依頼原稿はどうも苦手なのだ。しかも、指定字数以内ではまず書けない。だから、ぼくは絶対にプロのライターにはなれないのだな。

2013年5月11日 (土)

『あまちゃん』の感想を書いてみる(その2)

  大切なことは、あえてクドカンは「朝ドラ」の定石に則ってドラマを書いていることだ。頑固な祖母と一途な孫娘。孫娘はいきなり海へ落とされる。これは『てっぱん』を踏襲している。富司純子のおばあちゃんも良かったが、『ちりとてちん』の江波杏子も凛として格好良かったな。

 

 貫地谷しほり演じる、愚図でダメダメな冴えないヒロイン和田喜代美(B子)と対極にあるクラスメイトでライバルの和田きよみ(A子)佐藤めぐみの存在。これは『カーネーション』での尾野真千子と栗山千明に引き継がれ、今回は天然キャラの能年玲奈に対して、クールな美少女、橋本愛を配した訳だ。つげ義春の漫画に登場するキクチサヨコ(紅い花)や、コバヤシチヨジ(もっきり屋の少女)を彷彿とさせる橋本愛は、まさに正統派美少女だ。

 

 ヒロインのライバル栗山千明も佐藤めぐみも、ドラマでは奈落の底まで落ちて行くのはお約束だったし、天野アキ(能年玲奈)の母親、天野春子(小泉今日子)が、足立ユイ(橋本愛)に対して心配するのもその点だ。夢を抱いて田舎から上京したアイドル志望の少女が、芸能界に蠢くハイエナのような男どもの餌食となってお払い箱となり、心身共にボロボロとなって田舎へ帰る。そういう展開が見え見えだからだ。

 

  しかし、予想に反して「現実の」橋本愛は高校生(17歳)にしてめちゃくちゃ「したたか」だった。有名になるためなら、男もスキャンダルも芸の肥やしにしてやろうじゃないかという確かな覚悟がある。たいしたものだ。実際にそうなのだから、ドラマでも予想外の展開を期待してるぞ。

 

  その橋本愛に気があるのが、ヒロインの先輩で爽やか好感青年役の仮面ライダー・イケメン男優の福士蒼汰。「自分(ずぶん)は……」と訛る素朴さとのギャップが新鮮だ。  

 

Amachan


 一方、先輩に片思いのヒロイン能年玲奈は、母親が高校時代を過ごした1984年で時間が止まったままの子供部屋で、YMOの『君に胸キュン』を聴きながら、瞳をキラキラさせて「キュン!」と言うシーンがめちゃくちゃ可愛い。

 

 

 このドラマのもう一つのポイントが、1984年だ。三陸鉄道「北リアス線」が開業し、ヒロインの母親(高校生時代の小泉今日子役・有村架純)が家出した年。ジョージ・オーウェルや村上春樹が、小説のタイトルにした年。

ぼくが医学部を卒業したのが1983年だったから、あの頃はやっぱり松田聖子だな。『赤いスイートピー』がヒットした後、サントリーのビールのCMでペンギンが『スイート・メモリーズ』を唱っていた。

 

 


 

 ドラマでは小道具にもこだわりがあって、館ひろし(『純と愛』にホテル社長として出ていた)のグラビアが載っている月刊誌は『明星』ではなく『明凡』だし、橋本愛が「誰?これ」と言った雑誌『POMB!』(「BOMB!」でなく)の表紙は、シブがき隊の布川敏和と結婚した「つちやかおり」だった。つい先日は、斉藤由貴のデビュー曲『卒業』が当時の映像で流れた。もうたまらなく懐かしい。いま4050代のオジサン、オバサンの心を鷲づかみだ。

 


 そうして、当時のアイドル最高峰といえば、なんてったって「小泉今日子」なのだった。『ヤマトナデシコ七変化』は今でも持っている。その小泉今日子も、なんと今年47歳になった。ドラマでは変に無理して若作りせず、わざと顔に影が出来るライティングに素顔に近いメイクで臨んでいる。当初は正直あまりのギャップに違和感があった。しかし、回が進むごとに熟年・小泉今日子の魅力がじわじわとアップしてきているのを感じる。女優魂。いや、アイドル魂か。演技にも凄味が出てきた。今後の彼女が実に楽しみだ。


 脇を固める助演人にも触れなければなるまい。海女軍団の面々では、渡辺えり(劇団3○○主宰、山形県出身)のとぼけた演技が最高に可笑しい。あんべちゃん・片桐はいり(ブリキの自発団、東京出身)もよかった。宇都宮へ行ってしまって淋しいぞ。さらに、木野花(劇団青い鳥、青森県出身)、美保純(にっかつ、静岡出身)とベテラン芸達者が並ぶ。吹越満(WAHAHA本舗、青森県出身)、荒川良々(大人計画、佐賀県出身)、皆川猿時(大人計画、福島県出身)など、東北出身や小劇場出身の役者さんが多いのもポイントだ。


 音楽は、福島高校卒でフリージャズ・ギター奏者&ノイズ・ミュージック作曲家の大友良英。宮藤官九郎も宮城県出身。つまり『あまちゃん』には東北人パワーが結集しているのだった。

 

 ドラマの後半は、ヒロインが東京へ出て来て「AKB48」みたいな、地元ローカル・アイドル寄せ集め集団「GMT47」に入り、

いよいよ芸能界デビューするらしい。それはドラマ上での来年(2009年)の話。


ということは、その2年後には 3.11. がやってくる。

クドカンは、いったいどうするんだろう? ちょっと不安。

2013年5月 8日 (水)

NHK朝ドラ『あまちゃん』の魅力を書いてみる

 

「なんてったってアイドル」

 

          北原文徳

 

 

 

 

 巻頭言に相応しい話題がどうしても思いつかないので、いま一番注目している、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の魅力について、その熱い思いを書く。

 『あまちゃん』はイイ! とにかく面白い。明るい。そして、ヒロインがもうめちゃくちゃ可愛い。毎朝たった15分間に凝縮された中で、思い切り笑って泣いて癒されて、今日も一日がんばろう!って気持ちにさせられる。あの、ブガチャカ、ブガチャカいうテーマ曲が流れると、元気を満タンにしてもらえるのだ。やっぱり「朝ドラ」はこうでなくちゃいけない。


 思い起こせば『純と愛』は酷かった。最終回に視聴率40%を越えた話題のドラマ『家政婦のミタ』の脚本家、遊川和彦が「アンチ朝ドラ」を旗印に、うざいヒロインが次々と不幸な事態に遭遇するという救いのない話を書いた。最終回まで我慢して見続けたが、最近 YouTube にアップされた「1分で振り返る朝ドラ『純と愛』」以上の内容は何もなかった。

「ポスト 3.11」を過分に意識したドラマとして、人間はそれでも生きてゆく必然を説いたつもりかもしれないが、毎朝NHKの朝ドラで見せられる作品ではない。誰かがツイッターで「森下愛子が気の毒だ」と言っていたが、ほんとそう思うぞ。妻が長期沖縄ロケで不在のため、ちょっと元気のなかった吉田拓郎も気の毒だったな。


 「朝ドラ」の王道は、明治・大正・昭和・平成と、時代の波に翻弄されながらも、どっこい生き抜いた女性の一代記に尽きる。傑作『カーネーション』が正にそれだった。『おひさま』は、前半の戦前編までは良かったのだが、3.11 の影響で後半の戦後編が絵空事になってしまったのが残念だったな。現代ものの傑作は、何と言っても『ちりとてちん』。朝見て、昼見て、夜また見て、録画してもう一度見て。そこまで入り込んだのは『ちりとてちん』が初めてだ。脚本は、大河ドラマ『平清盛』を書いて視聴率で転けた、藤本有紀だった。


 ところで、『あまちゃん』の脚本家は宮藤官九郎だ。松尾スズキが主宰する劇団「大人計画」メンバーで、「TOKIO」長瀬智也の役者としての方向性を決定づけた『タイガー&ドラゴン』、『うぬぼれ刑事』の脚本を手がけた。長瀬君は、岡田惠和が書いた『泣くな、はらちゃん』で最高の演技を見せることになるのだが、それはまた別のはなし。


 脚本家クドカンが書いた知られざる傑作に、TBSで午後1時から30分間帯で放送された昼ドラ『我が輩は主婦である』がある。あの夏目漱石が斉藤由貴演じる現代の平凡な主婦の身体に乗り移るという荒唐無稽なホームドラマ。これが面白かった。「昼ドラ」の縛りはきつい。それを難なくこなした宮藤官九郎の次なるチャレンジが、NHK朝ドラだった訳だ。(つづく)

2013年5月 1日 (水)

『彼岸からの言葉』宮沢章夫(新潮文庫)

■広島から帰った後、めずらしくタチの悪い風邪をひいた。

高熱は出なかったのだが、からだが怠く、喉がめちゃくちゃ痛くて、粘稠な黄緑色の鼻水がだーだー出続けるのだ。しかも、1週間が経つというのに、ちっとも良くならない。さらには、ここへきて咳が酷くなってきた。まいったな。こんなことは、ここ何年もなかったことだ。
 
 
■そんな訳で、原稿は書けないし、本も読めない。それでも、トイレに置いて毎日少しずつ読み進んできた『彼岸からの言葉』だけは読了した。噂に違わぬ傑作だった。
 
あの、大傑作エッセイ集『牛への道』よりも5年も前に世に出た、宮沢章夫初の「幻のエッセイ集」が、新潮文庫からこのたび復刊されたのだ。
 
 
「凡庸だからこそ、そこに漂うなんら緊張もなく白熱もない空気が私を引きつける。だから何もない場所に私の思考は働き始めるのだし、何かあるなら別に考える必要もないのだ。」p190。
 
 
処女作にしてこの決意。これは、最新作『考えない人』(新潮文庫)に至るまで、宮沢さんのその後のエッセイ本すべてに脈々と引き継がれて行くことになる。
 
 
 
■人は深く考えているようでいて、実は何も考えていない。少なくとも僕はそうだ。妻にもよく言われる。そして、前後の脈絡も何も考えずに不用意な言葉を発してしまう。発した後になって「しまった!」と思う。後の祭りだ。その言葉はトラウマとなって、何十年経っても僕の脳内で今日も渦巻いている。
 
それが、いわゆる「彼岸からの言葉」だ。
 
 
でも宮沢さんは、もっと様々なシチュエーションで発せられた、いろいろな「彼岸からの言葉」をたくさん収拾してきて、読者に開示分析してみせる。
その文章は真面目で硬質な文体で書かれており、当時流行していた、椎名誠や嵐山光三郎に代表される「であーる。なのだ!」的文章でもって「自嘲自虐ネタ」で読者を笑わす「面白エッセイ」とは対極にある。
 
でも、その真面目くさった語り口と絶妙な間合いから、不意に圧倒的な爆笑が生まれるのだ。不思議だな。
 
 
■『彼岸からの言葉』での一番のポイントは、「嘘は書かれていない」ということだ。
 
宮沢氏の奥さんは、本当に「訳の分からない変な寝言」をよく言う人なんだろうし、高平哲郎氏は表参道の事務所で二日酔だったし、古関安弘(きたろう)氏の肖像も事実だろう。そして、戸川純は本当にラジオの生放送本番中に怒ってドアを蹴飛ばし外へ出て行ってしまったに違いない。
 
宮沢さんは、数々の「縛り」を自分が書く文章に課した。
 
 
だから、『彼岸からの言葉』はまだ若いころの、むきだしの言葉による、むしろどこかいかれてしまった人間によって書かれた奇妙な熱狂である。さらに年齢を重ね、でたらめになったのち、どこかいかれてしまった熱狂で文章は書けるだろうか。(p203)

 
「いや、たぶんもう二度と書けないであろう。」とは、宮沢氏は決して書かない。でも、ぼくは思う。この本以上にとんがって張り詰めていて、危うさに満ちたギリギリの文章を、宮沢氏は書けないと自分で判っているに違いない。
 
 
「この本」について、重要なポイントを押さえているのが、松尾スズキ氏の解説だ。流石としか言いようがない。
 
 僕は26歳の、まだなにものでもなかったプータローの頃、『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』の、知性とくだらなさが融合した新しい笑いと、お洒落とも野蛮ともとれるスピーディーな舞台構成に感動し、実際に自ら宮沢さんに直談判して宮沢さんの舞台に強引に立ったという、今の演劇界では考えられないアグレッシブなデビューの仕方をしたわけで、よく考えたら宮沢さんも、こんなに目つきも姿勢も悪い、ついでにいえばセリフ覚えも悪い貧乏臭い若者をよくぞ舞台に使ったなとも思います。
 
そして、当時の宮沢さんの演出は本当に刺激的でおもしろかったのを昨日のことのように記憶しているのです。ある設定を与えてアドリブで俳優に演技をさせる(エチュードといいます)のですが、ところどころで宮沢さんが提案するアイデアや口立てで挟み込む台詞がほんとうに笑える。
 
俳優に自由に演じさせながら、この俳優がこの状況でこういう動きをしたら、あるいは、こういう台詞を言ったら、どうおもしろくなるだろうという、それを、演出席でジーッと、ときには爆笑しながら観察し(演出家の爆笑も俳優にとっては重要なガソリンなのです。勘違いの原因にもときにはなりますが)指示を与える。
 
それが、必ず、おもしろい。おもしろくならなければ、とことん、何度でも何度でもやる。観察して分析して、そして実践する。しかも、そのシーンを作りながら、次のまったく異なるコントを絶妙なさじ加減でカットアップ的につなげていく。
 
机上ではなく、稽古場で、その場で、です。いやあ、かっこよかった。(中略)
 
ほんとうにもう、かっこよくてしかたがないとしか言いようがない稽古風景だったのです。僕は、宮沢さんの横に牡蠣のごとく張り付いて少しでもそのセンスを吸収しようと必死でした。
 
宮沢さんは現場ではあの独特のカッカッカッカという笑い声で「くだらないなあ!」と椅子からずり落ちても、その直後に、いや、こんなことで笑わせちゃあだめだろう、と頭を抱えるのです。
 
「くだらない」一つとってもレベルがあるという矜持をを常に持っていらっしゃるので、というより煎じつめれば「笑いへの矜持しかない!」とも言える現場であり、「笑いがなければいけないこと」と「そのレベルで笑わせてはいけないこと」を見極める。その厳しいジャッジを含めて「勉強になるなあ!」と素直に毎日感動していた自分がいたのです。(中略)
 
 
これは、宮沢さんはあくまで「やらせる側」の人であり、僕は自分でも「やる側」の人だという違いも関係していると思います。
 
あと、多分、宮沢さんは「笑われる」ことを厳しく禁じている人であり、僕ももちろん自分の仕事の第一義は「笑わせる」ことにあると思っているのですが、これはもう性分としか言いようがないのですが「笑われる」ことも、時と場合によっては「ありかな?」になってしまうのです。(p208 〜 210)

 
だからこそ、185ページで宮沢氏は、美術関係の人が書いた小説ともエッセイともつかぬ不思議な本の後書きを読んで怒り心頭に達する。
 
冗談を書くことは、真面目な部分の糧(かて)になるといった意味のことを著者は書く。つまり私がほとんど笑えなかった程度の笑いが本来の仕事のコヤシになると、この美術関係者は言うのだ。しかし私は断言する。笑いはそんなもんのコヤシじゃねえんだー。(p186)
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