■東京では「岸本佐知子トーク・イヴェント」は何回も開催されいるにも係わらず、その内容を詳細にレポートしたブログは、ググっても殆どアップされていない。
これはやはり、何かあるんじゃないか? しゃべると呪いがかけられるとか……
いや、そうはいっても、あの「抱腹絶倒」1時間半のトーク&サイン会のことを(著者未認可ブートレクとして)記録に留める人が1人くらいいてもいいではないか。ねぇ!
実際、岸本佐知子さんは、ほんと若々しくて、美人で聡明で、ユーモアと機知に富んでいて、その飾らない気さくなお人柄に、ぼくはますますファンになってしまったのでした。
■あとは忘れないうちに、個人的な覚え書きの羅列です。
・サントリー宣伝部に突然、あの開高健がやって来た時の話。昼休みだったから、岸本さん以外誰も部署にいなかった。「なんで誰もいないんだぁ?」脳天から突き出るような高音で、ビール樽に細い足が突き出したような体型の開高氏は叫んだ。
・サントリー宣伝部制作CMが大賞を取ると、決まって新入女子社員が余興をする「ならわし」になっていた。その年は1ヵ月間特訓して「ラインダンス」をやらされた。あまりに評判が良かったので、大阪本社まで行って、もう一度踊った。
その次の年は、聖子ちゃんの歌で流れたペンギンのビールCMが大賞を取ったので、今度は「ペンギンの着ぐるみ」を着せられて踊った。
・サントリー宣伝部には独特の符牒があった。岸本さんが配属されるまでは、それは「山根」と呼ばれていたのだが、岸本さんが「1000万円の伝票」を無くすとか、信じられないようなドジを繰り返すうちに、いつしか、大橋巨泉のクイズ・ダービーで「はらたいらに5000ガバス」とかいう代わりに、あの失敗は「300 岸本」だな、などと言われるようになったという。
ただ、1000万円の伝票をなくしたのは、絶対に私のせいではない! そう岸本さんは声を大にしていたぞ。
・不向きな事務仕事が辛くなったので、勤務時間外に生き甲斐を求めようと、部活動のつもりで入った翻訳学校は、まるで「翻訳・虎の穴」の世界だった。講師は中田耕治さん。その初回、岸本さんは泣きながら家へ帰ったそうだ。
中田耕治さんのテキストは、大抵はパルプフィクションから取られたものだった。ハードボイルドだね。その中には、僕の大好きなローレンス・ブロックの短篇も含まれていたそうだ。
・お堅い『翻訳の世界』という雑誌にエッセイを書くことになったきっかけは、編集部に友人がいて「何か書いて」と言われたから。仕方なく初めて書いたのが、『気になる部分』p166 収録の「恋人よ、これが私の --- 1994年を振り返って ---」。ロシア民謡「一週間」ていう歌は変だぞ!という話。
それを読んだ読者(中年男性?)から「お叱りの電話」が編集部にかかってきて、翻訳とは全然関係のないあんなくだらない文章は二度と載せるな! と言ったんだって。それを聞いた岸本さんは、よし、それなら逆に今後絶対に翻訳に関する話は書いてやらないぞ! と天に誓ったのだそうだ。
・岸本さんの「妄想」に対して、松田氏は「それって、結局は夢だったんじゃない?」と訊いたのだが、岸本さんはそれには答えず、「いいえ、私にとっては全て本当のことです。私は絶対に虚構だけの話は書けません。人間の記憶は事実ではないかもしれないけれど、その人にとっては真実なんですよ!」たしか、そんな意味のことを言ってた。カズオ・イシグロの小説に登場する主人公みたいな話をね。
・2冊の単行本化の際に、月刊「ちくま」連載分のうち20数編が「ボツ」になっている。そのうち数編は『ねにもつタイプ』文庫版に復活収録された。ボツにした根拠は、岸本さんが面白くないと感じた回のもの。中にはお父さんが電話してきて「あれはつまらなかった」って言ったのも含まれているとか。
ところが松田さんに言わせると、ボツにされたエッセイの中に面白いものがいっぱいあるとのことだ。まわりで評判がいいエッセイは、切羽詰まってきて怒り心頭で書き上げた時のものが案外多いのだそうだ。
「リスボンの路面電車」とかね。
・私の人生で、最も辛かったのは「幼稚園時代」なんです。毎日泣いてばかりいた。ちょうど、宇宙人が地球人に成りすまして、この地球上で生活していて、決して宇宙人だとバレないように、私は注意深く振る舞っていました。
だって本当は、おもちゃのダンプカーとミキサー車を正面衝突させる遊びが大好きなのに、大嫌いな「お人形遊び」を近所の子と放課後にしなければならなかったんですから。
でも、この「宇宙人が地球人のふりをすること」が、幼稚園が終わって小学生になっても、中学生になっても、大人になっても、ずっとずっと必要になるのだと気づいた時の圧倒的な絶望感は、誰にも判ってもらえないんじゃないでしょうか。
・「私は自分のことを『10歳の少年』だと思っているんです。」
その言葉を聞いて、僕は『サンタクロースの部屋』松岡享子(こぐま社)で、足を貰った代わりに尾っぽを失った人魚姫の哀しみに触れた文章「尾と脚」のことを思い出した。
松岡さんが大阪の図書館で働いていた頃、カウンターに来てはあれこれおしゃべりしていく男の子がいて、あるときカウンターのはしに腰をかけて、ひどく思い入れのこもった調子で、「人間、ええのは、まあ、小学校2,3年までやなあ。それすぎたら、もうなーんもおもろいことあらへん。」と言ったんだって。その男の子と岸本さんが重なって見えたのだ。
・「エッセイスト」って言われるのが、ものすごく恥ずかしいんです。
「パンティ」って口に出して言うくらい恥ずかしい。
・「奥の小部屋」ね。大きな乳鉢でグリグリと磨り潰して、真っ赤な肉だんごにしちゃうのが快感ですね。
・『気になる気分』の表紙。三つ編みの女の子のイラストは、すっごく気に入っているんです。近々取り壊される予定の「青山円形劇場」の前を通った時に、貼られていたポスターに目が釘付けになったんです。おどろおどろしいイラスト。
私、思わず劇場に入って「この絵を描いた人誰ですか? このポスター下さい!」って訊いたんですよ。ポスターは既になくて、チラシだけもらって帰りました。土谷尚武さんていうイラストレーター。
で、『気になる部分』を出す時に、表紙は土谷さんのイラストじゃなきゃヤダって、駄々こねたんです。
■質問コーナーでは、真面目そうな青年がこう訊いた
「岸本さんが訳される小説は、ご自分で見つけてこられるのですか?」
最初のうちはね、編集者が「こんな小説あるんですけど、訳してみてくれませんか?」って持ってきてくれたの。ニコルソン・ベイカーとかはね。でも、最近はみな遠慮してしまって、誰も推薦してくれないから、仕方なく自分で見つけているんです。
・次の質問者は女性だった。
「あの、『ホッホグルグル問題』とか『べぼや橋』とかあるじゃないですか。それに対して、読者から解答は寄せられないんですか?」
「あ、最近はね、ツイッターで教えてもらっているんですよ。ロープウェイ露天風呂って、本当にあるんですって。ビックリしました。まさか本当にあるとはね。ホッホグルグル問題は私の疑問じゃなくて、友人の疑問だったんですけど、こちらも最近解決しました。実際にヨーロッパのどこかに、本当にそういう地名があるんですってね。あ、オーストリアですか。」
そうかそうか、ということは、僕が長年疑問に思ってきた「秋元むき玉子」問題が、その後どうなったのか訊いてみてもいいかもって思ったのだけれど、さすがに女性ばかりの会場で、にっかつロマン・ポルノの話を出したらドン引きだよなぁって思って、遠慮したのでした。
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