そして、『魂にふれる』若松英輔(トランスビュー)のこと
■いとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社)の単行本が発売になった。昨日の土曜日、伊那の TSUTAYA へ行ったら、一冊だけだったが、ちゃんと入荷していた。うれしかった。
本棚から抜き出して、そっと、手に取ってみる。
暖かい手ざわり。ネット上で目にする「その書影」は、もっとずっとあっさりで、冷淡な感じがしたが、実際に手にして帯をはずしてみると、微妙に暖色のグラデーションが重なっていることが分かる。あ、そうか。この「青色」は「水の色」なんだね。そして、東京スカイツリーみたいな「杉の木」。そうか、電波塔なのか。
あ、そうそう。いとうせいこうさんがツイートしていた「最後の一行」のページを確認。なるほど、そういうことだったのか。
そうして最後に、本のカバーを外してみる。シンプルな真っ白い表紙。そこに小さく書かれた文字。思わず微笑んでしまったよ。
で、本を手にレジへ向かおうとしたのだけれど、考えてみたら僕はすでに一度は読んでいるワケで、ここで僕が買ってしまうと、これから読んでみようと「この本」を TSUTAYA 伊那店に来た人は買えないワケで。それはやっぱりマズイんじゃないかと思って、結局、本を本棚に戻したのだった。ごめんなさい。
<閑話休題>
■若松英輔『魂にふれる』(トランスビュー)は、じつは最初の「悲しむ生者と寄り添う死者」「悲愛の扉を開く」と、最後の「魂にふれる」だけ読んで、残りは未読のままだったことを、『想像ラジオ』を読了後、急に思い出したのだ。
これではいけない。
あわてて「この本」を見つけ出し、今度は一気に読んだ。夢中で読んだ。
これはほんと「凄い本」だった。ここ最近の1年間で、僕の心が最も深く揺り動かされた一冊だと思う。
特に、それまで読んでいなかったパートに「この本の大切なところ」があった。「悲愛の扉を開く」(18ページ)には、こう書かれている。
この本の後の章では、亡くなった人々の存在をはっきりと感じ、そうした死者たちと新しい関係性を築いていった人々の経験が紹介されている。そこには、哲学者や詩人、批評家、民俗学者、精神科医の肉声がある。また、ハンセン病を患い、療養所で生涯を終えた人もいる。
ここに登場する人は、誰ひとり、聞き書きや調べものによって死者を語ってはいない。みんな、自分が大切にしている経験を礎に、言葉を紡いでいる。そのなかに一つでも、君と死者の関係に呼応する言葉があることを願っている。
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<各章のタイトルと、登場する人たち>
・「悲しむ生者と寄り添う死者」
・「悲愛の扉を開く」
・『協同する不可視な「隣人」--- 大震災と「生ける死者」』
(上原専禄『死者・生者』、フランクル『夜と霧』)
・『死者と生きる』
1)「死者に思われて生きる」 (池田晶子)
2)「コトバとココロ」 (井筒俊彦)
3)「没後に出会うということ」(小林秀雄)
4)「冥府の青」 (小林秀雄)
5)「先祖になる」 (柳田国男)
6)「悲嘆する仏教者」 (鈴木大拙)
7)「死者の哲学の誕生」(西田幾多郎・田辺元)
・「うつわ」としての私 --- いま、『生きがいについて』を読む
(神谷美恵子、近藤宏一)
・魂にふれる (若松英輔)
・あとがき
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■『魂にふれる』は、新進気鋭の哲学者(1968年生まれ)による、「死者論」である。宗教とも、スピリチュアルとも、ましてやオカルトとは、最も遠いところに到達した(それは、過去の哲学者たちの論考をサーチし、読みくだいた上での体験的「死者論」であることが重要)深淵な思索の結晶である。
■こう言ってしまうと、誤解を招きそうで嫌なのだが、内田樹先生や森岡正博先生による「死者論」と「この本」が決定的に違っていることは、取り上げられている先達全てが「体験的死者論」を「切実に」語っていることを、著者が丁寧に読者に分かり易く読み解いてくれていることだ。
小林秀雄は母を、柳田国男は祖母を、西田幾多郎は長男を、そして、師弟関係にありながら、公然と西田幾多郎を批判した京都大学教授で哲学者、田辺元も北軽井沢で妻を、上原専禄も、鈴木大拙も妻を亡くした。(鈴木大拙の妻ビアトリスは、ボストン生まれのアメリカ人だった。)
ハンセン病の施設に従事した精神科医、神谷美恵子も、まだ10代のうちに恋人を亡くしている。
『夜と霧』の著者、フランクルは妻を、そして名も無き同朋たちを、井筒俊彦と池田晶子は、迫り来る「その自らの死」によって、死者を体感してきた。
それから、鈴木大拙は、ちょうど「ロバート・キャパ」と同じようであったことが明かされる。この偉大なる仏教者は、個人名のようでいて実はそうではない。沢木耕太郎が言うように、偉大なる戦場キャメラマンが「ロバート・キャパ」という「男女二人によるユニット名」だったみたいにね。
そうして、この本の著者、若松英輔氏自身も、3年前に妻を乳ガンで亡くしているのだった。(つづく)
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