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2012年10月

2012年10月28日 (日)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その93)箕輪町・木下北保育園

■今日は、午前10時半から上伊那郡箕輪町「木下北保育園」で伊那のパパズ絵本ライヴ。


木下北保育園の園庭南端には、宮崎アニメ『となりのトトロ』に登場する、あの巨木そっくりの「木下のケヤキ」がある。樹齢1000年。それはそれは見事だ。この日は保育園の参観日。おとうさんがいっぱい来てくれたよ。


<本日のメニュー>

1)『はじめまして』新沢としひこ(すずき出版)

2)『でんしゃはうたう』三宮麻由子(福音館書店)→ 伊東

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3)『しろくまのパンツ』tupera tupera(ブロンズ新社)→ 北原

4)『かごからとびだした』(アリス館)→ 全員の手あそび歌

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5)『パパのしごとはわるものです』板橋雅弘・作、吉田尚令・絵(岩崎書店)→ 坂本

6)『へんしんおんせん』あきやまただし・作(金の星社)→ 宮脇

7)『ねこのおいしゃさん』ますだゆうこ・作(そうえん社)

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8)『山んばあさんとむじな』いとうじゅんいち(徳間書店)→ 倉科

9)『ふうせん』(アリス館)→ 全員

10)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)→ 全員

2012年10月24日 (水)

土岐麻子『CASSETTEFUL DAYS』のCDを買った

■土岐麻子『CASSETTEFUL DAYS』のCDを買った。

以前「こう」言ってたし、この夏の終わり頃からラジオで流れていた、TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」のカヴァーが、すっごく良かったからね。土岐麻子が歌うと、まるで秋の運動会の青空みたいなさわやかな雰囲気の曲に変身してしまうんだから、ほんと不思議だ。



■EPO「くちびるヌード」や、ユーミン「Hello, my friend」がいいのは、聴く前から予想がついたのだが、これはちょっと合わないだろうって思ったのが、オフコース「 I Love You」。

ところが、土岐麻子の歌声が思いのほか「ピタッ」とはまっていて驚いた。いや、ほんといいじゃないか。あと、1曲目の奥田民生も。

原曲はよく知っているのだが、こうして聴いているうちに、最初から土岐麻子の「持ち歌」だったような錯覚に陥ってしまうから不思議だ。


■「カルアミルク」って曲は知らなかったな。歌詞も軽妙で洒落た曲。気に入ったぞ。そしたら、高1の長男が自分の iPod から岡村靖幸のオリジナルを聴かせてくれた。おぉ、原曲はこういう雰囲気なのか。

キューバ音楽の、ルンバかサルサに変身した薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」も面白いなあ。この曲、松本隆:作詞、南佳孝:作曲だったんだね。知らなかったなあ。

しばらく全曲リピートで、連日聴き続ける予定。

2012年10月20日 (土)

『かめくん』北野勇作(河出文庫)読後感想の追補

■ところで、河出文庫版『かめくん』は、徳間デュアル文庫版『かめくん』とは「全く同じ」ではない。ただ、

旧版のほうを通して読了してないので、確実なことは言えないが、映画でいうところの「ディレクターズ・カット版」的な、新たなエピソードを追加したり、泣く泣くカットしたシーンを復活させたり、といったような文章はなかった。

そうではなくて、文章のきめ細やかなブラッシュ・アップやリファインが随所に施されているのだ。それは、2冊並べて読んでみれば直ちに分かること。微妙な言い回しや、ちょっと不自然で引っかかった表現が変更されている。作者の『かめくん』に対する思い入れの強さを思い知らされた。


■それから、脳の器質的機能障害の一つに「カプグラ症候群」と呼ばれる特異的症状を呈する疾患群が実際にあるのだそうだ。

カプグラ症候群というのは、家族や恋人や親友など自分にとって大事な人が本人そっくりの偽者と入れ替わってしまったという妄想を抱く症候群である。1923年にフランスの精神科医ジョゼフ・カプグラと研修医のルブル・ラショーが初めて論文で報告した。」(『エコー・メイカー』リチャード・パワーズ作、黒原敏行・訳、新潮社、訳者あとがき より)

ビックリした。そうなのか。


■ぼくは読んでいるうちに、読者としての確固たる立脚点が突然揺らいでガラガラと崩れだし、何が本当で何が偽物なのか、何が何だかわからなくなってしまう、という小説が好きだ。いわゆる「現実崩壊感」というヤツ。

僕にとってのその代表的小説は、フィリップ・K・ディックじゃぁなくて、クリストファー・プリーストの『魔法』であり、『奇術師』であり『双生児』なのだな。信用できない一人称の主人公の「語り」を、はたして読者はそのまま受け取ってもいいんだろうか?

そんなふうに不安にさせられる小説。そういうのが僕は好き。

そういう意味で『かめくん』は、僕にとって プリースト『魔法』を読み終わった時の感覚に近かったか。ただ、『かめくん』最終ページの「あの」諦観、寂寥感は特別だな。


■最後に、この小説のキーポイントの部分を引用します(ネタバレか?)


 この宇宙のすべては、たったふたつの要素に分けることができる すなわち、甲羅の内と外。

 カメというものは、自らの甲羅のなかから外界を見るように出来ている。そうすることによって、自らの甲羅のなかに外界のモデルを構築する。それをもとにして、カメは世界を認識するのだ。

 つまり、甲羅の内部に形成された外界のモデルを操作することによってそれを推論し、そして行動を起こす。行動することによって得られた情報によって、甲羅のなかに作られた世界のモデルは更新される。そして、さらにそれを操作することで推論する。

 だから、じつはカメが外側だと感じているのは、自分の甲羅の内側に作られた外側の模型でしかないのではないか。
 かめくんは考える。

   そういう意味で、カメというものは所詮、自分の甲羅から出ることが   出来ないものなのでは ----- 。(p255〜p256)


■追伸。 佐々木敦氏による「かめくんのかいせつ」が素晴らしい。ちょっとだけ引用する。

 かめくんはかめくんである。かめくんはかめくんでしかない。だが、それと同時に、まちがいなくかめくんは、北野勇作自身でもあり、わたしたちのことでもあるのだ。

『かめくんに描かれている、のほほんとした日常のようで、その実、殺伐としていたり酷薄であったりする世界、安穏としているようでいて、じつはただ生きてゆくだけでも、とても大変だったりしんどかったりする世界は、まちがいなく、われわれが生きる、この世界のことでもある。

『かめくん』が少しかなしいのは、「かめくんはかめくんでしかない」ことを、かめくん自身がよくわかっていて、そしてそれを受け入れているからだが、そのかなしみ、そのはかなさは、かめくんだけのものではない。

 北野勇作の描く世界は、どれもこれも不思議ななつかしさに満ちているが、それはいわゆるレトロ・フューチャー的道具立てによるものというものというよりも、そこがいつもどこか、今ここ、に似ているからに他ならない。このような感じは『かめくん』以降の作品群において、着実に、より深められていって、現時点での最新作である、あのすこぶる感動的な「きつねのつき」へと至ることになるだろう。(p291〜292)


■さて、前回挫折した『昔、火星のあった場所』だが、もう一度チャレンジしてみよう。今度は大丈夫。いけると思うぞ。

2012年10月17日 (水)

『かめくん』北野勇作(河出文庫)読了

Kame


■正直に告白すると、11年前に購入した『昔、火星のあった場所』北野勇作(徳間デュアル文庫)は、当時まったく付いて行けなくて、それでも頑張って114ページまで読んだのだが、そこで挫折した。だから、同時に買った『かめくん』は、結局読むこともなくそのまま納戸の書庫に凍結保存されたのだった。ごめんなさい、作者さま。


でも、『どろんころんど』(福音館書店)と『きつねのつき』(河出書房新社)を最近になって読んで、いたく感心したのだ。北野勇作というSF作家に。


で、満を持して『かめくん』(徳間デュアル文庫)を読み始めたら、なんと、河出文庫から「新装改訂版」がこの8月に出た。表紙のイラストが素晴らしい。中州中央図書館のミワコさんが、夕日を浴びている。その向こうに通天閣と新世界界隈。それに路面電車も走っている。


読了してから、しみじみ表紙をながめてみると、この小説世界が見事に凝縮されていることに気づいて驚く。徳間デュアル文庫版では、リンゴをかじる主人公の「かめくん」をメインに描かれているのに、河出文庫版では、表紙のどこにも「かめくん」はいない。それには理由があるのだ。

このイラストのタッチは高野文子だよなぁ、と思ったら違った。オカヤイヅミさん。知らない人だ。いいじゃないか。贔屓にしよう。



■「かめくん」は無口だ。

いや、本当を言うとしゃべれない。だって、かめだから。

でも、模造亀(レプリカメ)で機械亀(メカメ)だから、高性能の人工頭脳と甲羅内に成長する高容量メモリーを装備しているので、人間の言葉は理解できるし、奥深い哲学的思考だってできるのだ。


じゃぁ、人と会話する時はどうするかというと、いつも「EXPO 70」のショルダーバッグに入れて持ち歩いている「ワープロ」を使うのだ。


【以下、主題に関する「ネタバレ」あります】


■ぼくが駒ヶ根のおばあちゃんといっしょに大阪万博に行ったのは、小学6年生の時だった。三波春夫が歌ってたっけ「こんにちは、こんにちは。世界の国から。1970年のこんにちは。」


そのもう少し前のことだったか、NHKで『プリズナー No.6』っていう不条理SF&スパイものTVドラマ(イギリス制作)をやっていた。イギリスの諜報部員パトリック・マクグーハンが上司に辞表を叩き付け自宅に帰ると、何者かに誘拐され、目が醒めると不思議な「村」に幽閉されていた。という話。


あのテレビドラマを見た影響か、小学性のぼくは、じつは父も母も友達も「みんなニセモノ」で、ぼくが生活しているこの空間も本当はスタジオの中のセットで作られていて、遠くに見える景色も作り物なんじゃないか? って妄想に取りつかれたことがあった。


だから、ぼくが消えると「この世界」もいっしょに一瞬にして全て消えてしまうのではないか?って。そんな恐怖に襲われたものだ。『かめくん』を読んで、久しぶりに「あの時」の感覚をありありと思い出した。


茂木健一郎氏の「クオリア」ではないが、人それぞれに認識している世界は異なる。当たり前のようでいて、じつは案外誰も分かっていない。


でも、「かめくん」は分かっていた。

だから哀しい。

だから切ない。


あぁ、もうすぐ冬がやって来る。

2012年10月16日 (火)

第13回 柳家喬太郎独演会 駒ヶ根・安楽寺

■昨日の10月15日(月)は、年に一度の「駒ヶ根安楽寺・柳家喬太郎独演会」。月曜日だったからね、ちょっと今回は無理だと思ってた。


でも、ラッキーなことに午後は案外患者さんが少なくて、午後6時前で診療が終了。急いで着替えて一路駒ヶ根へ。文化会館の駐車場に車を止めて走って安楽寺。18:45 着。よかった間に合った。


しかし、安楽寺本堂はすでに満杯だった。1人だったから、あわよくば前の方にすすっと出て行って隙間を見つけ座ってしまおうと考えていたのだが、とても無理。仕方なく、最後列の窓際の椅子に着席。300人以上は入ってるかな?って思ったら、安楽寺住職の話では 450人来てたんだって。もうビックリ。それにしても大変な人気じゃないか、喬太郎さん。


■開口一番は、ふつうお供で同行した師匠の弟子(前座)が務めるものだが、喬太郎師に弟子はいない。で、最初に高座に上がったのは、この6月に落語芸術協会の真打ちに昇進した春風亭愛橋師匠。


真打ちの落語家に対して「開口一番」なんて言ったら失礼なんだが、正直まだまだ喬太郎師の胸を借りている感じの愛橋師だったなぁ。もっと自信持って堂々と落語やればいいのに。演目は「かぼちゃ屋」。愛橋師得意の「与太郎もの」だ。


まだ、昔昔亭健太郎だった頃、あれは何年前だったか、伊那市駅前に酒蔵を持つ「漆戸酒造」での新酒お披露目落語会に家族4人で行ったことがあった。あの時は「牛ほめ」をやってくれた。妙になよなよした所作で、妙ちくりんな髪型、でも、独特な「フラ」があって、これはこれで面白いぞ! そう感じた。


あのまま突っ走ればよいのだよ。でも、昨日の愛橋師は、450人の聴衆を前にして、やたら肩に力が入っていた。地元だし、真打ち披露ではいろいろと世話になった人ばかりだったからね。戴いた帯とか、お祝いの後ろ幕とか。言及しとかなくちゃいけないことが多すぎた。だからか、本篇の落語が散漫になってしまったのかな。

伊那北高校の後輩だし、これからも一生懸命応援していきますよ。頑張って欲しいな。


■さて、喬太郎師はというと、貫禄の高座であった。


まくらで、こうして安楽寺のご本尊に背を向けて落語をしていると、いつかバチが当たるんじゃないかって思ってるんですよ。って話から、埼玉のお寺であった落語会の話へ。そこのお寺では本堂を使わずに、お寺の境内が客席だったんだって。で、演者は境内に面した「縁側」に座って噺した。

ところが、にわかに大雨が! って話。笑っちゃったなぁ。


そこから本篇の「蒟蒻問答」へ。


この噺、いままで正直それほど面白いと思ったことがない。ところが、喬太郎師の「こんにゃく問答」の面白いことと言ったら、あんた。もう大笑いでしたぜ。放送禁止用語もビシバシ飛び交って、いやぁ、勢いがあったなぁ。


喬太郎師の2席目は「へっつい幽霊」。

この噺、好きなんだ。ぼくが持ってる音源は、先代桂三木助のと、立川志の輔師のCD。何せ、三木助師は「ほんもの」の博打打ちだったからね。


喬太郎師は、基本的に古典落語を演じるときはあまりいじらない。先輩から教わった通りに崩さずに演じる。その態度がぼくは好きだ。最近は「いじりすぎる」落語家がやたら多いからね。本来、数百年の歴史ある噺の骨格がすでに出来上がっていて、それだけで面白いワケだから、変に崩す必要はないのだ。古典落語はね。


喬太郎師はそのことをよーく分かっている。


でも、今回はちょっとだけ「くすぐり」を入れてたな。最初に「へっつい」を買ってった客が、しゃべる度に「……道具屋!」と必ず語尾に付けるのだ。これがしつこい。


ぼくはこのくだりを聴きながら、Sさんっていう、いつも娘さんを2人連れてくるおかあさんを思い出していた。このおかあさん、必ず語尾に「……先生!」って付けるのだ。「昨日の夜に熱がでたんですよ、先生。夜中にうなされて苦しそうでした、先生。今朝はごはんを食べたんですけど、先生。そのあと吐いちゃったんです先生。」ってね。


そしたら、久しぶりに「そのSさん」が今日の午前中、娘2人を連れて受診したのだ。申し訳ないけど、ひとりで笑ってしまったよ。


450人の聴衆がみな大笑いした高座だった。大満足でした。やっぱ、ナマの落語はいいなぁ。これだけの人気落語会になったのも、すべて「駒喬会」の皆さまのご苦労あってのものだ。ほんと感謝してます。

来年は6月とのこと。今から楽しみだぞ。


以下、昨日つぶやいたツイートを転載。

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駒ヶ根「安楽寺」での第13回柳家喬太郎独演会から大満足で帰ってきたら、ブランコが逆転満塁ホームランを打っていた。びっくり。ちなみに今夜の演目は、春風亭愛嬌師が「南瓜屋」。喬太郎師は「蒟蒻問答」と「へっつい幽霊」。いやぁ、笑った笑った。


続き)まぁ、これは「ナマ」で落語を聴いた後の帰り道で毎回味わう感覚なのだが、得も言われぬ「幸福感」に満たされる訳だ。何なんだろう? この満足感。落語って、やっぱ凄いぞ。安楽寺住職の話では、今宵の本堂に450人もの人々がつめかけたという。恐るべき集客力だ、喬太郎師。


以前テレビでだったか、喬太郎師がまくらで駒ヶ根の独演会の話をしていた。会の主催者が興奮して言ったという。「喬太郎さん!300人以上入ったってことは、駒ヶ根市の人口の1%だ。東京で言うと10万人の集客ですよ!」ってね。

2012年10月11日 (木)

陸前高田『ジャズ喫茶ジョニー』のママのその後

■共同通信が配信している連載記事『新日本の幸福』は、信濃毎日新聞では夕刊で連載している。その最新シリーズ「震災1年半 今も傷痕」をこのところずっと読んでいるが、正直とても辛い。でもなぜか読まされてしまうのだ。

昨日の水曜日の記事を読んでいたら、陸前高田「ジャズ喫茶ジョニー」店主、照井由紀子さんのことが載っていた。(以下転載)

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『新日本の幸福』(97) 「震災1年半 今も傷痕」(16)
 
 何のために続けるのか --- 再開した店 友の姿なく ---
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 岩手県陸前高田市の中心部にかつてあった、大きな2階建ての木造家屋。津波に流される前の「ジャズ喫茶ジョニー」は、商店街でも目立つ存在だった。そこから約3キロ離れた国道沿いの高台に、四角いプレハブの仮店舗が4軒並ぶ。右から2軒目が今のジョニー。引き戸を開けると、心地よいジャズのリズムと、コーヒーの香り。

 カウンターの向こうで湯を沸かす店主の照井由紀子(59)の胸には、時折、思いがよぎる。「私は何のために、この店を続けているんだろう」
 隣で雑貨店を営む中野貴徳(42)が、震災前のジョニーを撮った大きな写真を、窓際の明るいテーブルに広げた。「昔は漫画を読むのも難しいぐらい暗かったんだ」

 ジョニーを始めたのは1975年。7千枚近いレコードや骨董品を飾った店で、夫はピアニストの秋吉敏子ら有名なアーティストを呼び、よくライブを開いた。夫ほどジャズへのこだわりがなかった照井は、もっぱら厨房での調理を担当した。客と言葉を交わすことは、ごくわずかだった。

 10年ほど前に離婚したが、1人ででも店を続けるしか生きる方法がなかった。ただ、離婚前から悪くなり始めていた耳は、ほとんど聞こえなくなっていた。診察した医師は「何でほっといたんだ」と叱った。原因は「過度のストレス」と診断された。

 それでも、毎日のように顔を出してくれる常連客の支えで営業は続いた。近くで写真館を営み、震災で亡くなった菅野有恒=当時(57)=もその1人。照井は菅野に教えられてカメラが趣味になった。


      ■             ■

 昨年3月10日夜。コーヒーを飲んでいた菅野は、照井に言った。「何があっても、由紀子さんは僕たちが守るからね」。突然の言葉に驚いたが、うれしかった。

 翌日の午後。照井は激しい揺れが収まると店の外に飛び出した。目にしたのは、海から迫る茶色の”壁”。津波はすぐそこまで来ていた。

 「ゆきちゃん、逃げて」。叫び声が聞こえ、高台に走る。「バリバリ」。背後で店が崩れる音も分かった。木にしがみつき、助かった。

 しかし、多くの友を津波は連れ去った。「私だけ仲間はずれ。置いてけぼりにされたみたい」。菅野は間もなく遺体で見つかった。照井はカメラを手にするのがおっくうになった。

 昨年6月、避難所でコーヒーを入れていた照井を、菅野の写真仲間だった中野が仮設店舗に誘った。資金や機材、ジャズのCDは知人が集めてくれた。同9月、仮店舗でジョニーを再開した。「ここで細く長く続けてやる」と誓った。生き残った自分のため、そして今も支えてくれる仲間のため。

 今ではかつてのジョニーの客も顔を出す。話題は自然と震災のことになる。補聴器を使っても、1人の声を聞き分けるのがやっと。「でも、全部聞いていたら、もたないかも。聞こえないぐらいがちょうどいいのかな」
 (敬称略)
            「信濃毎日新聞夕刊 2012/10/10 2面より転載」

2012年10月 5日 (金)

チョビ と レオン アンコール

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2012年10月 4日 (木)

ブリジット・フォンテーヌ『ヌガ』と『ラジオのように』

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成田の次兄一家といっしょにやって来た、ミニチュアダックス(雌)の「チョビ」に対して、どう接してよいのか悩んでいる、わが家のシープー「レオン」(雄)。

 

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■さて、木曜日になろうとしているのに、未だに日曜日午後の「ワサブロー コンサート」の余韻に浸りきっているのだった。本当に素晴らしかったなぁ。
 
で、アンコールに歌ってくれた「ヌガ」が気に入って、ブリジット・フォンテーヌのオリジナルを探してみたら、あったあった。YouTube。
 


YouTube: Brigitte Fontaine - Le Nougat

正直これ、あまりにぶっ飛んでて、単なるアブナイ不気味なおばさんじゃないか?。

ネットでググってみたら、「ヌガ」というのは隠語(符牒)で、本当は……

 

■ピンクの象がいる、銀座のビストロ「ヌガ」のサイトを開くと、いきなりワサブローさんが歌う「ヌガ」が流れる。

http://www.lenougat.jp/floor.html

(この「ヌガ」はCD収録のものとは違うようだ)

 


YouTube: Brigitte Fontaine - Comme à la radio 1969

で、久しぶりに聴いてみたのが「ラジオのように」

 

 il fait froid dans le monde(世界は寒い)

 il fait froid dans le monde(世界は寒い)

 il fait froid  il fait froid  il fait froid

 ca commence a se savoir(それはみんなにわかってくる)

 et il y  des incendies qui s'allument dans certains endroits

              (そしてあちこちで 火事が起きる)

 parce qu'il fait trop froid(なぜって、あまりに寒いからさ)

 traducteurs, traduisez (翻訳家よ、翻訳せよ)

2012年10月 1日 (月)

昨日の「ワサブロー コンサート」は本当に素晴らしかった

■あぁ、それにしても本当に素晴らしいステージだった。


家に帰ってから、なんか、めちゃくちゃ美味しいフルコースを食べ終わって、幸せで満腹して、満足しきった気分とでも言ったらいいのか、何度も何度も「はぁ〜」って、言葉にならない溜息しか出なかった。凄かったな、ワサブローさん。


月並みだけど、やっぱり「ライヴ」ってのは、CDで聴くのと、ましてや YouTube で見るのとは違う。もう、ぜんぜん違う。


一人の歌い手がいて、聴きに来た聴衆がいる。そこに「場の力」が生まれるのだ。強力な磁石のような互いに引き合う磁場がね。


美しい日本語の文章、作品を残してくれた島村利正さんに対して、高遠で歌を歌うことで何とか恩返しがしたいという、ワサブローさんの「思いのたけ」が、聴いていてこれほどまでに、ずんずんびしびし突き刺さってくるとは。いやはや、ほんと凄かった。


そしてなによりも、ぼくは「シャンソン」という音楽を根本的に間違って理解していたことを思い知らされた。


僕が初めてシャンソンっていいなと思ったのは、ジョルジュ・ムスタキ「私の孤独」だった。たしか、TBSのテレビドラマ「木下啓介アワー・バラ色の人生」の主題歌だったと思う。

ごにょごにょ、ぼそぼそと、ちょうど、ジョアン・ジルベルトがボサノバを囁くように歌うものなのかと。その後も、フランソワ・アルディ「もう森へなんか行かない」とか、クレモンティーヌとか。


ああいうのがフランスが生み出した音楽なのだと思っていたのだ。そして、さらにその後に買ったLPが「金子由香里・銀巴里ライヴ」だったわけで。何十年もフランスで歌い継がれてきた「シャンソン」を、彼女は「字余りの日本語」で平気で歌っていた。それを聴いたぼくも、それがシャンソンなんだって、思っていた。


ところが、ワサブローさんがフランス語で歌った「本物のシャンソン」て、ぜんぜん違うんだよ。「フレンチシャンソンとは音とリズムの万華鏡(カレードスコープ)である」って、ワサブローさんは言っているけれど、なるほど、「フランス語」という言語だけが、シャンソンの音とリズムに合致した「ことば」だったんだね。


それと、「劇的」ということ。英語で言うと「ドラマティック」となってしまうのだが、それでは安っぽいな。ワサブローさんのシャンソンは、日本語で言うところの「劇的」なのだった。


ダイナミックで、めちゃくちゃエネルギッシュで、全身全霊を込めて、心の底から身体の極限を尽くして歌う。そういう姿勢が、ほんと凛として気高くて、これぞ「ホンモノ」なのだと思い知れされたのだった。

「セ・シ・ボン」「さくらんぼの実る頃」「そして今は」、それから「パタム」。そうして、ラストで歌ってくれた「愛の賛歌」。ほんと素晴らしかったなぁ。


あと、驚いたのが「百万本のバラ」。これは日本語で歌われたのだが、ワサブローさんオリジナルの歌詞で、笑いと皮肉とエスプリに満ちた、加藤登紀子も真っ青のぜんぜん違う曲になっていた。


それから、新曲の「俳句。」と「椅子。」伊藤アキラさんが作詞した日本語のオリジナル曲だ。「くっくっく、くっくっく、はいく。くっくっく、くっくっく、はいく。」の部分が印象的で耳に残る。これはいい曲だな。


じつはこの日、ぼくがワサブローさんにどうしても歌ってもらいたい曲があった。YouTube で見つけた「ヌガ」という、不条理でナンセンスな曲。でも、この曲はプログラムには記載されていなかった。う〜む残念。って思ってたら、なんと! アンコールに応えてワサブローさんが歌ってくれたのだ「ヌガ」を。へんてこダンスを踊りながら。うれしかったなぁ、ほんとうれしかった。



YouTube: ワサブロー 『ヌガ』

実はぜんぜん知らなかったのだが、この曲の詩は、あの、アメリカのアバンギャルド、ジャズ集団「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」といっしょに『ラジオのように』っていうレコードを作った、ブリジッド・フォンテーヌ・作、だったんだね。もうビックリ。だってこの『ラジオのように』は大好きで、レコードでも、CDになってからも、何度も何度も、30年来聴いてきたレコードだったから。


当日は、会場の信州高遠美術館に 150人近くの人が聴きに来てくださった。遠くは京都や東京からも。椅子が足りなくなって追加していたし、2階席にも人がいっぱいだった。


聴衆はみな、ワサブローさんの熱唱に圧倒され、京都弁での軽妙なトークに大笑いし、茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」に涙した。この掛け替えのない時間をいっしょに共有できたことが、ほんとうにうれしい。

ああ、感無量だ。


ワサブローさん、ほんとうにありがとうございました!




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