Twitter は「ラジオ」だ!(その2)
■ハンバートハンバート「シングルコレクション 2002-2008」の「Disk2」を、このところずっと聴いている。この「2枚目」も聴き所が多い。初っぱないきなり名曲「おかえりなさい」。女の一人語りを、男性ヴォーカルで唄うという逆転の手法は、たぶん加川良が確立したものだ。
意外だったのは、次の2曲目。高田渡が唄う後期の傑作「ブラザー軒」を、佐野遊穂が女性の声で唄うという、さらに反転した手法を試みている。これはまさに確信犯的な試みに違いないのだが、実際に聴いてみると、これが見事にピッタシはまっているのだな。これには正直「やられた」と思ったよ。
それから、ハンバートハンバートというグループがデビュー当時から「アイリッシュ、トラディショナル・フォーク、童謡、そして西岡恭蔵。」ではなかったことが、7曲目「 E.A.D.」8曲目「 幸福論Z」9曲目「 夢の中~No Woman No Cry」を聴くとよくわかる。なんだ、今どきのふつーのロック・グループじゃん。いま風の佐野遊穂のヴォーカルもオリジナリティには乏しい。だけど、「 幸福論Z」は、聞き込むほどに実に印象的な佳曲だと思う。そうか、当初の方向性は「こっち」だったのだ。それが何時から「あっち」になってしまったのかな? じつに興味深いぞ。
この「Disc2」を繰り返し繰り返し聴いてみて、ぼくが一番好きな曲はやっぱし「夜明け」だ。これは本当に名曲。CDには2ヴァージョンが収録されている。絶対的な自信にあふれた、圧倒的な力強さにほれぼれしてしまうよ。
思い起こしてみれば、ぼくが初めて「ハンバートハンバート」というグループを知ったのが「この曲」だった。NHK BS2 で放送された「フォークの達人」加川良特集のゲストで出演した2人を見たのが最初。当時の映像が「これ」だ。
こうしてまた聴いてみると、作詞・作曲「加川良」と言われても何の違和感もない曲だなぁ。ぼくの好みの「ツボ」に「モロ」はまっている。
いく千もの 歳を超えて
私はいま見つけた
いく千回も 生まれ変わって
私たちは いま 巡り会った
あなたと 巡り会った。
■ところで、ハンバートハンバートは「男女夫婦デュオ」のグループだ。
そういうグループは、昔からいっぱいあった。「ヒデとロザンナ」とか、「ダ・カーポ」とか、テントウ虫のサンバの「チェリッシュ」とか、旧「赤い鳥」のメンバーで、「紙ふうせん」と「ハイファイセット」。でも、「トワ・エ・モア」は夫婦じゃない。ちなみに、「カナダからの手紙」の畑中葉子と平尾昌晃も夫婦ではない。
その昔、名古屋出身のチェリッシュが地元のラジオ局で深夜放送をやっていた。たしか東海ラジオの「ミッドナイト東海」だったと思う。旦那のほうの松崎さんがDJで、あまり知られていないマイナーなフォークがよくかかっていた。ある夜、そのラジオから流れてきたのが加川良の「下宿屋」だった。はじめて聴いた時の衝撃は今でも忘れられない。ぼくはまだ中学2年生だった。
当時の「ミッドナイト東海」には、森本レオがいたな。それからもう少し後になるが、笑福亭鶴瓶を初めてラジオで聴いたのも「ミッドナイト東海」だった。あと兵藤ゆきとか。懐かしいなぁ。
(閑話休題)
■さて、前回の続き。 Twiter についてもう少し深く考えてみたい。
重要なことは、「開かれている」ということだ。
ぼくが「ミクシー」に入会したのは3年以上前のことだ。でも、すごく居心地が悪かった。当初、ニフティの「フォーラム」のイメージでいたのだが、もっとオープンな感じのはずなのに、なんだか妙に押しつけがましくて馴染めなかった。
でも、その後しばらくして出会った「ツイッター」は違った。
「ツイッター」は、いまここの「ラジオ」だ。
「いま・ここ」とは、即時性・同時性のライヴ感、共有感、自分が世界とつながっている感じ のことだ。
リスナーは、気に入ったパーソナリティの「つぶやき(DJ)」をフォローする。それは、お気に入りのラジオ番組を登録する作業だ。実際のラジオとツイッターが違う点は、登録した「放送局」が同時に、勝手に次々と「つぶやく」ことだ。だから、ラジオと違ってチューナーをそのたび変えてラジオ局を選局する必要がない。これは聴く方からすれば非常に楽だ。
■すごく有名な「パーソナリティ」の番組に、リクエスト葉書を出したり、感想の投稿をすろことが、人気有名人のツイッターに返信することに相当する。そのパーソナリティが、気に入ってリツイートしてくれれば、自分の発言が一気に拡散する。ラジオで投稿を読んでもらったみたいな感じだな。
ただ、ラジオと違ってツイッターの一番面白いところは、発言者一人一人が「海賊放送局」であることだ。自由に勝手に発言できる。その放送内容に共感してもらえば、フォローワーも増える。海賊放送局の電波は普通その限られた地域だけでしか聴くことができないが、ツイッターは世界中に開かれた、オープンな海賊放送局だ。mixiや、昔のニフティのフォーラムと違って、仲間内だけに限られた電波ではない。そこがいい。ぼくはそう思う。
でも、世代間で「ツイッター」に期待することはぜんぜん違うんだな、どうも。面白いね。
そのあたりのことは、「ここ」を読んでみて下さい。
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