可楽の一瞬の精気『寄席放浪記』色川武大
■再び、色川武大『寄席放浪記』(河出文庫)からの抜粋
「可楽の一瞬の精気」私は小さいころから寄席にかよっていたわりに、可楽との出会いはおそかった。空襲直前の大塚鈴本ではじめてその高座を見たのだと思う。当時私は中学生で、大塚はすの中学のお膝元だったから、教師の眼が怖くて、そこに寄席があることを知っていながらほとんど立ち寄らなかった。(中略)
たしか日曜の昼席で、なんだか特殊な催しだったと思う。まだ春風亭小柳枝といっていた時分の可楽が、後年と同じく、「にらみ返し」という落語に出てくる借金取り撃退業の男を地で行くような顔つきで(着流しだったような印象がある)、ぬっと出て来た。
中入前くらいの出番だったがたっぷり時間をとり、「らくだ」を演じた。小さく会釈をして、すぐに暗い悲しい独特の眼つきになり、「クズウいー」久六がおずおずと長屋に入ってくる、もうそのへんで私は圧倒されていた。陰気、といってもしょぼしょぼしたものでなく、もっと構築された派手な(?)陰気さに見えた。(中略)
あとで知ったが、可楽は、文楽や志ん生とほぼ同じキャリアの持ち主だった由。長い不遇のうちに、あの暗く煮立ったような顔ができあがったのか。(中略)
しかし可楽を継いでからはほぼ順調に、特異な定着を示した。私は「らくだ」には最初のときほど驚かなくなったが、そのかわり、「二番煎じ」「味噌蔵」「反魂香」この三本を演じる可楽の大のファンになった。まったく可楽のエッセンスは、「らくだ」を含めたこの四本に尽きると思う。他にもよく演じるネタはあったが、大方はつまらない。調子でまくしたてる話が迫力が出ず、くすぐりだくさんが似合わず、感情の変化を深く見せる話がいけない。もっとも可楽に中毒すると、ぼそぼそして退屈なところが、実に捨て難くおかしいのであるが。(中略)
可楽の可楽たるところはこういう一瞬の切れ味にあったと思う。「反魂香」の枕で、物の陰陽に触れて、陽気な宗旨、陰気な宗旨を小噺にして寄席を沸かせたあとで、「ーー淋しいにはなにかてェますと、夜中の一つ鐘で」と口調が改まり、ふっと間があって、「カーン、ーー」ここでまた絶妙な間があって、「南無や南無南無ーー」と主人公島田重三郎の夜更けの読経の声につながっていく、ああいうところの、凜烈とでもいうのか、暗く豪壮な中にどこか甘さを含んだものを一瞬の精気で打ち出すのが独特で、短くはしょった口説の中に飛躍が快く重なり、他のどの落語家にもない味わいがあった。
可楽の精髄を示す演目の中には、こうしたすぐれた一瞬がいくつも重なっていて、それは何十度、何百度聴いてもあきることがない。まことに不思議な落語家であった。(p41〜p44)
■八代目三笑亭可楽の不思議な魅力に関して、これほど的確に鋭く分析してみせた人は、色川氏以外にはいまい。
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