2019年12月24日 (火)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その138)箕輪町役場「子ども未来課」

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■箕輪町「子ども未来課」は、毎年12月欠かさずに「伊那のパパズ」を呼んでくださる。ありがたいことです。12月は「クリスマス・バージョン」のコスプレでの登場だ。去年も呼ばれたはずだが、このブログには記録がない(その134回)。ということは、僕が欠席だったのだ。インフルエンザ・ワクチンの「まとめ接種」の日だったかもしれない。

■それからやはり毎年11月に呼んでくれているのが、飯島町「子育て支援センター」だ。今年も呼ばれた。11月17日(日)。「ぼくも出席OKで〜す!」と皆に返信してあったのだが、なんと「その日は当番医」だった。スケジュール帳の記載もれだったのだ。ごめんなさい。ぼくは欠席でした。

■で、今年は12月15日(日)午前10時〜11時に「松島コミュニティセンター」で絵本ライヴが行われたのでした。

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           ■ <本日のメニュー> ■

1)『はじめまして』新沢としひこ →全員

2)『らくがきボール』鈴木のりたけ(小学館)→伊東

3)『たいこ』樋勝朋巳ぶん・え(福音館書店)→北原

4)『かごからとびだした』→全員

5)『まわる おすしやさん』藤重ヒカル(こどものとも 2020年1月号)→坂本

6)『おならまんざい』長谷川義史(小学館)→倉科&坂本

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7)『どうぶつれっしゃ』しのだこうへい(ひさかたチャイルド)→全員

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8)『へんなおでん』はらぺこめがね(グラフィック社)→伊東

9)『じゃない!』チョーヒカル(フレーベル館)→北原

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10)『ねこガム』(福音館書店)→坂本

11)『メリークリスマスおおかみさん』みやにしたつや(女子パウロ会)→倉科

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12)『ふうせん』(アリス館)

13)『世界中のこどもたちが』新沢としひこ&中川ひろたか(ポプラ社)

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2019年11月17日 (日)

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?

英国在住の保育士「ブレイディみかこ」さんて、何モノ?

 北原こどもクリニック 北原文徳

 (「長野県小児科医会会報:最新号」に投稿した原稿より)

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 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ(新潮社)が、ベストセラー爆走中です。僕も出てすぐ読みました。テンポのよいパワフルな文章に引き込まれ一気読みでした。たまげました。傑作です。特に小児科医は絶対に読むべき本だと思いました。

 日本よりもずっと貧富の格差が進み、移民が次々と流入するイギリス。本来先住の「ホワイト」の方が貧困にあえぎ、反対に、努力した移民が中流住宅街に住んで子供たちを中上流小中学校に通わせているとう現実。その結果として、移民が「ホワイトのアンダークラス」をヘイトし差別するという「ねじれ」が生じています。

 そんな中、彼女の息子(11歳)は、地元のアンダーな白人だらけの「元底辺公立中学校」に入学し、学校が力を入れている音楽部に入部します。最初に仲良くなったのは、ハンサムで歌も上手く、見事ミュージカル『アラジン』の主役を射止めたハンガリー移民の子ダニエル。レストラン経営で成功した父親がとんでもないレイシストで、その影響から息子も当然レイシスト。差別発言だらけのダニエルと何故か友情を育む息子。

 ところが、ダニエルは学校内で次第に陰湿な「いじめ」に会うようになります。正義が悪を懲らしめるのは当然だという理由で。それでも、彼は毎日学校へ通い続けます。父親に怒られるからです。そんな彼に、彼女の息子はずっと寄り添い続けます。

「いじめているのはみんな(彼に)何も言われたことも、されたこともない、関係ない子たちだよ。それが一番気持ち悪い。僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」(p196)

 クールでスマートな息子の言動に、読んでいて胸がすく思いがしました。もう、すっかり真っ暗闇の世の中ですが、彼のような若者が世界を変えてくれる希望の星なのかもしれません。そんな彼は、どんな両親のもとで生まれ育ってきたのでしょうか?

 ブレイディみかこさんが世間で認知されるようになった契機は、内田樹先生の「それ」とよく似ています。二人とも遅咲きのコラムニスト・批評家で、40歳代までは全くの無名人だったのに、当時アップしていたネット上のブログ記事が一部で話題となり、注目したプロの編集者がコンタクトを取って書籍化、それが次々とベストセラーになったのです。

 ただ、ブレイディさんの場合は「この本」が世に出て初めてブレイクしたと言ったほうが良いかもしれません。

 彼女は1965年6月、福岡県福岡市に生まれました。先祖に隠れキリシタンや殉教者がいるカトリック教徒でしたが、極貧家庭に育ち、荒廃した中学校でイヤイヤ学び、地元でヤンキー娘として一生を終えるはずが、担任教師の強引な薦めで福岡一の有名進学校、県立修猷館高校に見事合格。ところが……。

 

「70年代から80年代にかけての『一億総中流時代』が政府とマスコミによってクリエイトされたまことに愚かなスローガンであった。でも一番愚者だったのはそれを本気で信じていた一般市民であり、『親が定期代を払えないので学校帰りにバイトしている』という10代の少女に『遊ぶ金欲しさでやってるくせに嘘をつくな、いまどきの日本にそんな家庭はない』と断言した福岡の某県立高等学校の教諭などは、その最たる例であった。

少女はバカたれは許すが愚者は許さん性質だったので、翌日には髪を金髪にしてつんつんにおっ立てて登校した。担任の生徒管理能力の低さを世に示すために」

p221(『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』みすず書房より)

 当時からとんでもなくトンガリ・パンク少女だった彼女のアイドルは、大正時代に名を馳せた同郷のアナキスト伊藤野枝でした。彼女は関東大震災直後の戒厳令下、同志であり愛人であった大杉栄と甥の宗一と共に甘粕大尉率いる憲兵隊に惨殺されます。ちょうど同じ頃、大逆罪容疑で恋人の朝鮮人パクヨルと共に警察に逮捕され、死刑判決から一転恩赦がおりたにも関わらず獄中で自死した金子文子もまた、彼女のアイドルでした。

 ゴミのように親に捨てられ戸籍にも登録されなかった金子文子は、日本における闘う女性の元祖と言ってもよいかもしれません。ブレイディさんは、授業をサボっては図書館に入り浸り、この2人を発見したのだそうです。

 高校卒業後、彼女は大学へは進学しませんでした。親にその資金がなかったことはもちろん、彼女がパンクロックにはまっていたことも関係しています。当時の彼女が生きる糧にしていたのは、アイルランド移民で労働者階級出身のジョン・ライドンが率いるイギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」でした。彼女は福岡の中洲や銀座でバイトして金を貯めては渡英し、パンクロックのシャワーを全身で浴びました。渡英を何度も繰り返すうち、1996年に入国した際、空港の入国審査官が、ニコッと笑って「ようこそ!英国へ」と言ってくれたのだそうです。この時彼女は電撃的に「私はここに永住するのだ」と確信しました。

 ロンドンではキングスロードに下宿し、某日系新聞社のロンドン支店で事務員として数年間勤務。そうこうするうちに、金融街で働くアイルランド移民で9歳年上の銀行マンと結婚。ロンドンから南へ列車で1時間の海辺の保養地ブライトンに移り住みます。ところが、旦那は銀行をリストラされ、自らミドルクラスから転落して、子供の頃から憧れていた「大型トラックの運転手」となるのでした。

 日本でも英国でも貧困に喘ぐ日々。しかも亭主はガンに罹患。彼女の最初の著書『花の命はノー・フューチャー』(ちくま文庫)を読むと、こんなことが書いてあります。

 

「先なんかねえんだよ。あれこれ期待するな。世の中も人生も、とどのつまりはクソだから、ノー・フューチャーの想いを胸に、それでもやっぱり生きて行け。」(p18)

「わたしも子供が嫌いである。なぜなら、小さな人々とは、文字通り、人間の未熟なものだからだ。純粋だのイノセントだのという言葉で彼らのことを表現する方々もおられるが、子供がよからぬことや邪なことばかり考えて生きていることは、大人と呼ばれる年齢の人間であれば、自らの経験から誰しも知っているはずである。そもそも、子供には人生における挫折の経験がない。」(p199)

 

 そこまで言っていた彼女が、何故か40歳を過ぎて体外受精で男児を高齢出産しました。そして生まれたのが彼です。そしたら、わが子は可愛いし面白い!

 2008年、その乳飲み子を抱えながら彼女は地域のアンダークラス(失業者、生活保護受給家庭)を支援するセンター付属の「無料底辺託児所」にボランティアとして参加します。そこには「幼児教育施設の鑑」と専門家からもリスペクトされている責任者アニーがいて、彼女の元で幼児保育の実践教育を受けながら2年半かけて保育士の資格を取りました。

 当時、労働党のトニー・ブレア政権は抜本的幼児教育改革を行い、移民保育士を積極的にリクルートしました。ブレア政権では多様性(ダイバーシティ)を大切と考え、子供たちがいろんな人種の外国人と共に生活することに、小さな時から慣れて行く必要があるとし、外国人移民の保育士養成費用を政府が負担したのです。

 ところが、2010年に保守党が政権を握ると一気に緊縮財政へと梶を切り、労働党が作った福祉制度を次々とカットしたため、底辺託児所の様相は一転します。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)には、保育士として働くブレイディさんのリアルな毎日が綴られていて、こちらも必読です。水泳が得意なリアーナの凶暴だった幼児期の記載もありますよ。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、そんなパンクでホットなかあちゃんとクールでワイズな息子の成長物語でもあります。しかも現在進行形で新潮社の月刊PR雑誌『波』に続編が連載中です。

 僕は椎名誠の名作『岳物語』『続岳物語』(集英社文庫)のことを思い出していました。ただ『続岳物語』は岳君が中学入学の場面で終わっていて『続々岳物語』が書かれることは残念ながらありませんでした。なぜなら……。

 

「もうこれ以上彼のことを小説の題材として書いていくのは申し訳ない、という気持ちをじわじわと感じていたからである。そしてそれとまったく同じ時期に、岳本人からそのことを言われたのであった(中略)猛烈に怒っていた。その怒り方は、親の私が萎縮してしまうくらいだった。それはそうだろうな、とその時私は思った。中学ぐらいになれば彼の友達もいろんな本を読む。『岳物語』はベストセラーになり、教科書などにも載りはじめていた」(椎名誠『定本岳物語』あとがき より)

 岳君本人も「『岳物語』と僕」という文章を寄せています。

「残念ながら、僕はまだ『岳物語』を読んだことがありません。読めないのです。過去に何度か挑戦してみたこともあるのですが、成功したことはありません(中略)

僕はこの本が嫌いでした。大嫌いでした。トウサン、あなたはいったい何てことをしてくれたんですかい、何度もそう思いました。ある時期には、この本、そしてこれを書いた父親のことを真剣に憎んでみたりもしました。」

 (『定本岳物語』p452、『本人に訊く(壱)よろしく懐旧篇』椎名誠・目黒孝二:集英社文庫 p230〜236 )

 

 ブレイディさんの話では、日本語が読めない息子ケン君も「この本」のことが気になっていて、スマホで接写すると日本語を英語に自動翻訳してくれるソフトを使って密かに内容をチェックしているらしいというのです。それはちょっとマズいんじゃないか? 

でも、椎名父子と違って、母親と息子だから険悪な親子関係に陥る危険性は少ないかもしいれないし、そもそも彼の生活の基盤はイギリスです。だから、寛大な彼のこと、きっとパンクな母ちゃんを許してくれるに違いありません。

 

2019年10月29日 (火)

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)を読む

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■高遠町の生まれなので、保科正之を主役に NHK「大河ドラマ」を作って欲しいとずっと思ってきた。署名もした。数々の「大河ドラマ」を手掛け、あの司馬遼太郎『坂の上の雲』をドラマ化した、NHKプロデューサー西村与志木は、伊那市長谷村の出身。でも、未だ実現していない。

■保科正之と言えば、作家・中村彰彦氏だ。ぼくも『保科肥後守お耳帖』(平成5年刊・双葉社)『保科正之』中村彰彦(中公文庫 1227)1995/1/25 発行『名君の碑』中村彰彦(文藝春秋)1998年10月刊 を読んだ。正直言って、保科正之に関する歴史小説は、中村彰彦氏がとことん絞り尽くした感がある。

ところが、令和の時代に入って思わぬ伏兵が登場した。

福島県出身で福島県在住の作家、佐藤巖太郎だ。『将軍の子』(文藝春秋)は、著者が雑誌「オール讀物」に連載した、保科正之を巡る連作短編集なのだが、これが実にいい!

各短篇の主人公は、保科正之の脇に存在した人々だ。彼・彼女等は、保科正之と出会うことによって、己の人生が変わってゆく。いい意味でも悪い意味でもね。どの短篇でも、イメージとしてはラストに一陣の風が吹く感じだ。すると、主人公は「あっ!」と思う。「風」は保科正之ね。そのため、なんとも鮮やかで爽やかな読後感を残すのだ。

つまり言うなれば、三谷幸喜の『古畑任三郎』的な演出が施されているのだよ。

■以下、ツイートより。多くは改変編集ありです。

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)を読み始める。保科正之を巡る連作短編集だ。巻頭の「将軍の子」の主人公は、武田信玄の娘で穴山梅雪の妻。ああ、こういう語り口があったのか!じつに上手い。乳児が着る祝い着の小袖が描かれる。誰かがこの小袖を母親には内緒で幼子に着せようとしている。そんなシーンで小説は始まるのだ。

小袖は、黒地に白く武田菱が染められている(裏表紙に絵がある)。70歳を超える主人公(見性院:けんしょういん)は、この稚児を養子に迎える覚悟を決めるのだ。武田氏の末裔を途切れさすことを防ぐべく。折角この世に生まれたのに、お江からは殺されそうになり、父親から歓迎されなかった保科正之を、見性院が救った。実に鮮やかな短篇。

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)より「跡取り二人」「扇の要」「権現様の鶴」を読む。いやあ上手いなあ。保科正之の連作短編集なのだが、各々の主役は、高遠藩主保科正光の先の養子左源太、徳川忠長、そして徳川家光。各々が保科正之と出会うことで、自らが変わってゆくのだ。

「跡取り二人」では、高遠・建福寺の階段を小日向左源太が上がってゆく場面で始まる。建福寺和尚・鉄舟に仏の木彫りを指導してもらっているのだ。高遠藩の正当な後継者に指名される日も近い。武術の鍛錬だけでなく、精神修練のために鉄舟の教えを請うたのだ。だが、心が惑わされている彼のノミ裁きは普段とはあまりにかけ離れていた。

何故なら、高遠藩主・保科正光の元に、新たな養子が来ることを知ったからだ。

「扇の要」の視点は保科正之だが、この短篇の主役は、駿河大納言忠長だ。兄(家光)より先に、静岡まで養父と共に会いに来てくれた弟(正之)に、彼はこう言うのだ。

「よいか、この国を治めるのは徳川家なのだ。われらは二代将軍の息子ぞ。他の大名たちの上に立ち、諸侯を束ねる役割がある。亡き権現様(家康)もそれを望んでおろう。

わしもいま以上に、領国を増やすつもりだ。55万石では少なすぎる。前田や伊達より少なくては、面目が立たぬ。そうではないか。居城は大坂城でもよいくらいだ。多くの領国を治め、国の要となる。手柄を立て、名を馳せなければ、徳川家に生まれてきた甲斐がない」

幼い頃から病弱で小心者で吃音だった兄と違って、利発で活発だった国松(忠長)は父親母親から溺愛されて育った。秀忠配下の家臣たちも、三代目は家光ではなく忠長に違いない、誰もがそう思っていた。ところが、春日局が家康に御注進したことで、状況は逆転する。皮肉なものだ。

そんな思いの兄と会った正之も、兄に感化されてこう思う。「徳川の血筋として生きる人生を最初から与えられたとしたら-----。」

・「権現様の鶴」の主役は、徳川家光。家光はいつ保科正之が異母兄弟だと知ったのか? 中村彰彦氏は、新井白石『翰譜』の記述より、家光が目黒方面へ鷹狩りに行った際に休憩で立ち寄った寺「成就院」の住職より偶然知らされたと書いている。じつに劇的だ。でも本当だろうか? 駿河の忠長は、正之が会いに行く前から知っていた。

生まれた正之を武田信玄の娘「見性院」の養子とし、さらに高遠藩主保科正光に委ねたのは、幕府大老の土井利勝だ。家光の側近中の側近が、母親「お江」の死後もずっと秘密にしていたとは思えない。

著者の佐藤巖太郎氏は、家光は土井利勝から異母弟の存在を既に知らされていたとし、さらには、茶会に正之を呼んで、その人柄を確かめたとする。ただそうなると、家光が成就院で劇的な思いに打たれた史実が一致しなくなる。そのあたりを著者はじつに上手く処理していて感心した。

あと、家光と忠長の確執がある中で、家光は「忠長はどうしようもない嫌な奴で大嫌いだが、保科正之は本当に兄想いのイイ奴だ」と直ちに思ったのだろうか? 突如現れた正之だって、忠長と同じく家光の地位を追い落とす危険な存在と思うはずだ。それに、家光は忠長に本当に「死ね!」と言ったのだろうか? そこまで冷酷だったのか? 「権現様の鶴」では、そのあたりのことも納得できる解釈がなされている。

続く「千里の果て」は、土井利勝が主人公。この一篇を読んで初めて「この本」のタイトルが『将軍の子』であることを理解した。将軍の子は、保科正之だけを指すワケではないのだ。忠長、家光、それに土井利勝だって「将軍の子」だった。じつは、土井利勝は徳川家康のご落胤だったのだ。

土井は、自らの出生と保科正之を重ね合わせたに違いない。

『将軍の子』佐藤巖太郎より「夢幻の扉」を読む。この一篇だけ書かれた時期が早い。2011年の第91回オール讀物新人賞受賞作で、福島県出身在住である著者のデビュー作。語り手は、江戸町奉行加賀爪忠澄。彼が裁く牢人を巡るミステリ仕立ての短篇なのだが、いやあ鮮やかなラスト!予想できない展開だった

佐藤巖太郎『将軍の子』より、ラストの「明日に咲く花」を読む。主役は「知恵伊豆」こと老中松平信綱。明暦三年(1657年)の冬、本郷丸山の本妙寺から出火した火災は、江戸の町を3日3晩焼き尽くし、江戸城も本丸と天守閣が焼け落ち、大名屋敷160軒、旗本屋敷793軒、町屋800町が消失した。

家光の死後、殉死しなかった信綱に世間の風当たりは強かった。なぜ彼は殉死しなかったか? 家光が死の床で彼にまだ幼い家綱の政道を補佐することを、彼に託した(託孤寄命)からだった。ただ、同じ命を受けた人物がもう一人いた。家光の異母兄弟の弟、保科正之だ。
 
 
だから信綱にとっては、保科正之はちょっと面倒で厄介な存在だったワケだ。正之は信綱に言う。「この大火は、前代未聞の尋常ならざる厄災。多くの命が公儀の救済に委ねられたものと存ずる。いまは、手段は選ばずに被害を抑えることこそ何より大切。この際、平素の懸案には構わますな」と。
 
 
信綱は、島原のキリシタン蜂起では総大将となって一揆を兵糧攻めにして鎮圧した。意気揚々と原城内に乗り込んだ時に目にした光景を、焼け野原となった江戸で思い出す。その信綱に正之は言う「江戸の建て直しは、武家だけでなく民の力をどれだけ活かすかにかかっておりましょう」「民の力を活かすとは……」「この状況で、江戸の民にそのような力がござりましょうか」「なければ、支えればよかろうと存ずる。さればこそ、市中への救済金として金16万両の支払いの裁可を、それがしより上様に進言いたしまする」「ご金蔵を空になさるおつもりか」
 
 
信綱は黙考した。金16万両で物が買われれば、職人や農民にお金が回る。彼らが物を買えば、それを売る者が潤う。お金は回り続ける。正之は、町人を町の建て直しの導火線にして、江戸繁栄と言う灯を灯すつもりだ。
 
 
これって、反緊縮政策そのものではないですか! 今の政治家さん(与党も野党も。特に立憲の方々)に、是非とも保科正之の治世を学んで欲しいものです。
 
 
明暦の大火は、NHKが 2016年1月3日に放送した『ザ・プレミアム 歴史エンターテインメント「大江戸炎上」』の中で再現ドラマにして、信綱を柄本明、保科正之を高橋一生が演じた。
■ところで、佐藤巖太郎氏が『オール讀物』に連載していた「保科正之もの」の中で、何故か『将軍の子』に収録されなかった一篇がある。『オール讀物』2018年1月号に掲載された「所払い」だ。
 
年代的には、正之の青年時代。まだ高遠で養父のもと治政を学んでいた頃の話。当時も今も、治水は政治の要だ。高遠藩で水を争う農民たちの闘争が描かれる。あの、先の養子だった、真田左源太とその妹も登場するらしい。
 
この本が文庫化された際には、是非とも「所払い」も収録してほしいものだ。

2019年9月12日 (木)

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

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■最初に、先だってからツイートしてきたものを再録します(一部改変あり)

映画『ニューヨーク公共図書館』を塩尻市の「東座」で観てきた。3時間25分のドキュメンタリー。途中休憩あり。噂に違わず面白かった。何やかや言ってもアメリカの民主主義は「当たり前」なのが凄いな。「図書館は本の置き場ではない。図書館とは人」「図書館は民主主義の柱。図書館は雲の中の虹」
 
 
続き)映画の冒頭、図書館司書が電話で「ユニコーンについて教えて欲しい」という市民に答えている。言わば『人力Google』だ。「中世のある僧がこんなことを書いています。男は外見はオオカミだが、心にユニコーンを飼っている」(ちょっと違うかも?)このシーンから一気に映画に引き込まれていった。
 
 
続き)エルヴィス・コステロの公演インタビューでは、彼の父親(ジャズ歌手)が『天使のハンマー』を歌うビデオが流れた。親子でホントそっくり! あと、コステロが鉄の女サッチャーをケチョンケチョンにけなしていて痛快。(映画ではモノクロ映像で、YouTube とは違う時の演奏だった)
 
 
 
 
続き)アメリカにも「歴史改ざん教科書」問題があったとは驚いた。奴隷をアフリカから働くために移民してきたと記載されていたという。子供たちに奴隷制も公民権運動のことも正しい歴史をきちんと伝えて行かなければならないと、黒人文化研究図書館長は力説する。
 
 
 
 
追補)映画『ニューヨーク公共図書館』。 何でも直ちに検索できるこのネット時代に、図書館なんて存在意義あるの?と思う人はいるだろう。ところが NYPL(ニューヨーク公共図書館)はそれを逆手に取って活動を進める。ネット民はむしろ孤立している。彼らが実際に集まって情報交換する場所を図書館が提供しようと。
 
 
追補)それから、映画を観ていてニューヨークに行った気分になれるのもいい。ぼくは行ったことないけれど。場面のつなぎに必ず街の風景がカットインされていて、○○番街○○丁目という標識がアップで映る。で、ここはハーレムかとか、チャイナタウンかとか何となく分かるのだ。
 

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追補)視覚障害者のための「点字・録音本図書館」で『ロリータ』で有名なウラジミール・ナバコフ『マルゴ』の録音本収録場面。役者志望の青年ボランティアが、感情を込めて「濡れ場」を朗読する。思わず照れてしまって直ちにカット。取り直し。ちょっと笑った。
 
 
追補)ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』の読書会のシーンもよかったな。もうろくしたジジババばかりの読書会だけど、ちゃんと作品を読み込んで来ていて、みな適確な発言をしている。なんてハイブロウなんだ、ニューヨークは。
 
 
追補)ニューヨーク市民の 1/3 が未だにネットにアクセスできないという。このため、NYPLは期限付きだが無料でポータブルWiFi を貸し出している。
 
後半、若き詩人でラッパーのマイルズ・ホッジスが自らの詩をステージ上で暗唱する場面。フロアで赤ん坊が大泣きしている。でも詩人はラップを続ける。その赤ん坊の親も退出しない。他の観客もブーイングもなく真剣に聴き続けている。ニューヨーカーは日本人と較べてなんと寛大なんだ!
 
 
あと、ニューヨークにおける初期のユダヤ人コミュニティが「デリカテッセン」を中心に築かれたという話も面白かったな。
 
 
追補)『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス博士の講演「アメリカ国民の20%が無宗教で一番多いのに、政治家はキリスト教原理主義者の顔色ばかり伺っている」と怒っていた。「マクロの宇宙もミクロの細胞も突き詰めれば科学的にも詩的にもいっしょだ」とも。
 
 
追補)18世紀のアフリカ・セネガルでムスリムが革命を起こした話。それから、あのマルクスが共和党のリンカーンに奴隷制が労働者の権利を迫害していると手紙を送ったという話。いずれも初めて聞くことばかりで、興味はつきない。
 
 
追補)印象的だったシーン。SF『火星シリーズ』で有名なウイリアム・バロウズの直筆書簡をチェックしている人。詩人イエーツの書簡も NYPL本館に保存されている。それが無料でアクセスできるのだ。凄いぜ! 写真アーカイヴも豊富だ。テーマごとに分類されていて、アンディ・ウォーホルはその写真を何度も盗んだとのこと。
 
 
映画『ニューヨーク公共図書館』を検索していたら発見したサイト。hatenanews.com/articles/2019/ 対談者は「図書館は民主主義の柱」って言うのはどうよ? と発言をしているが違うだろ。ホームレスでもブラックでもメキシコ人の移民でも、アメリカ国民なら誰でも NYPL が収集した知的財産に無料でアクセスできて当然。アメリカ市民はその権利がある。その権利を守り維持してゆくのがニューヨーク公共図書館の義務であるという決意であり心意気なんじゃないのか。それこそ「民主主義」でしょ。
 
 
 
『未来をつくる図書館』菅谷明子著(岩波新書)読了。映画『ニューヨーク公共図書館』に映っていた、そのほぼ全てに関して、この本の中では既に詳しく解説されていた。映画ではよく分からなかった寄付金収集方法も詳細に載っている。2003年刊行で16年前の本だが、図書館のデジタル化に関する記載も映画と同じだ。その情報は、決して古びていない。驚いたな。
 
■映画を観た人は「この本」は必読の書だ。映画のパンフレットよりも断然分かりやすい。あのシーンはこういう意味があったのか! と読みながらいちいち合点がいくのだから。
 
■とにかく長い映画なので、1回しか観てないから記憶違いもたぶん多いと思う。でも、この映画は本当に面白かった! 観察映画の巨匠フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画は、今回初体験だった。彼のことを師匠と仰ぐ想田和弘監督の『演劇1』『演劇2』は観た。どちらも、とにかくナレーションも文字テロップも BGMも何もない観客にははなはだ不親切な映画なワケだが、そのためか、逆に観客は真剣にスクリーンを注目せざろう得なくなり、画面に集中することができるのだ。
 
 
映画『ニューヨーク公共図書館』では、頻回に「スタッフ・ミーティング」の場面が繰り返されるのだが、映画では何の解説・テロップっもないから、いったい誰が図書館長なのかが分からない。パンフレットを買って見て、あ、あの饒舌なオジサンが館長さんだったのか! と、初めて分かった。そういう映画なのだ。
 
「ユニコーン」の検索を図書館司書に依頼する男性に続いて、自分のルーツを調べている中年の太った女性が登場する。彼女の祖先は、いったいヨーロッパ大陸の何処から来たのか? すると、図書館司書はいとも簡単にこう言うのだ。「たぶん判ると思いますよ。その人がアメリカに上陸した年月が判れば、当時の移民登録台帳を確認すれば、彼がどの船に乗って来たか判るから、その船が何処から出港したか、たぶん判ります」と。
 
 
ビックリですよね。図書館司書がそこまで調べてくれるとは!
 
図書館の使命はそれだけではありません。失業者のための就職ガイダンスが無料で開催されていて、しかも! 履歴書の書き方から、面接時における対応の仕方まで講師が指導してくれる。「とにかく、大きな声でハキハキと答えましょう!」ってね。
 
 
■大切なことは、NYPL を運営しているのが、ニューヨーク市ではなくて、NPO法人であることだ。図書館の運営資金の半分は、確かにニューヨーク市から貰ってはいるが、あとの半分は、理解ある個人〜法人の寄付金に寄っているということが重要なのだ。
 
だからこそ、時の政府に忖度することなく、右も左も平等に資料を収集し、それを市民に公開している。このことは、本当に重要だと思う。
 
映画の中で、ハーレム135丁目にある『黒人文化研究図書館』の館長が確かこう言っていた(違うかもしれない。ごめんなさい)「赤狩り激しかったころの共和党元代議士○○氏が、当図書館を訪れて公民権運動に関する資料を見て苦虫を噛みつぶしたような顔をした。でも歴史の真実は、未来の子供たちのためにちゃんと保存されて行かなければならない」と。
 
 
 
 

2019年8月15日 (木)

映画『まぼろしの市街戦』

■先日のツイートより。一部改変あり

予約注文してあった映画『まぼろしの市街戦』4Kデジタル修復版 Blu-ray が届いたので久々に見て驚いた! ラストが違うのだ。それと、中学生で見たと記憶していたが、淀川長治の『日曜洋画劇場』で放映されたのは 1974年だから、高校1年だったのか。何か鮮烈なイメージが僕の心に刻印された映画だった。

映画館では観た記憶はない。でもその後もテレビの深夜映画劇場とかで何度か目にした。東京12チャンネルだったか。だから、今回も日本語吹き替えで字幕は消して見たのだ。ところが、テレビ放映ではカットされたシーンが幾つもあって、そこは急にフランス語になってしまう。だから字幕はあったほうがよい。

なぜこの映画が気に入ったのか判った。まだ小学生(いや中学生?)だった頃見てショックを受けた海外テレビドラマ『プリズナー No.6』に登場する、あの「村」と雰囲気がそっくりだったからだ。数字でしか呼ばれないあの村の住人達と、映画に登場する精神病院の入院患者たちが同じだと思ったのかな。何か諦めにも似た住人達の雰囲気が。

ウィキで調べたら『プリズナー No.6』は 1967年制作で『まぼろしの市街戦』の公開後だ。ということは、パトリック・マクグーハンは「この映画」を観ているんじゃないか? って想像してしまう。あと、NHKで放映されたのが1969年だから、やっぱ小学生だったんだ。

■この映画を愛する映画人は多い。面白いのは、そのほぼ全員が、初見は映画館ではなく、淀川長治が解説していた『日曜映画劇場』(1974年11月17日放映)か、その後に東京12チャンネルの午後の洋画劇場もしくは深夜ワクで何度も再放送されたものを見ていることだ。ということは、必然的に世代が近い(当時中学生〜高校生)ことになる。

例えば、生涯のベスト10にも入れている町山智浩さんは 1962年生まれ。ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏は 1963年の早生まれ。映画監督の瀬々敬久氏が 1960年の生まれ。ついでに僕は 1958年生まれだ。

瀬々監督が、前リンク先の対談で言及していた本は、岩井俊二(1963年1月24日生まれ)『トラッシュバスケット・シアター』(メディアファクトリー)。そう言えば、単行本を昔中古(95円税別)で買って持っていたことを思い出し、先ほど納戸から出してきて読んでみた。p19〜p26。岩井監督もやはり仙台で過ごした子供の頃にテレビで日曜日の正午から放送されていた「サンデー映画劇場」で「この映画」で見たと書いている。

ただ、妙に記憶に残っているのにタイトルもわからない気がかりな映画だったと。

ずっと気になっていたが、大学時代、映画好きの友人がこの謎を解決してくれた。この話を聞くや否や彼は声を震わせてこう言ったのである。

「そ…それは…『まぼろしの市街戦』だあぁぁぁぁ!(中略)僕が一番観たい映画なんだよ、それはぁあああああっ!」(同書 21ページより)

岩井監督は「サンデー映画劇場」で見て、未だにタイトルが判らなくて気になっている「もう一本の映画」のことも続いて書いている。その映画には『まぼろしの市街戦』と同じく「サーカスの綱渡りの少女」が登場する。その金髪の少女に妻子ある青年将校が恋をし、二人は逃避行に…… という映画だ。

ぼくは見たことがない。気になって調べて見たら、スウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』

という映画が見つかった。このタイトルは聞いたことがあるな。

■ところで『まぼろしの市街戦』Blu-rayディスクで見てみると、初見時の感動をもう一度っていう期待が大きすぎたのか、案外たんたんと見終わってしまった。当時テレビで見た印象的なラストの後に「なんと」続きがあったとは! でも、あれは蛇足だったんじゃないかな。

そう言えば『プリズナー No.6』も Blu-ray が出てすぐ買って、 NHKで放映された「日本語吹き替え版」で見たのだが、やっぱり期待していたほどのインパクトはなかった。思い入れが強過ぎると、往々にしてよくある現象だ。

■今回の Blu-rayディスクには、ボーナス映像として「綱渡りの少女」役のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド(おばあちゃんになっても凜々しい!)インタビューと、先達て亡くなった撮影監督のピエール・ロム インタビューが収録されている。ピエール・ロムの話でビックリしたのは「主演のアラン・ベイツが撮影途中で足首を骨折してしまい、以降の撮影に難渋した。彼が立っているシーンをよく見てみてごらん。たいてい片足で立っているから」と言っていること。

■それから、今回初めて町山智浩さんの「映画有料解説」(税込216円)をダウンロードして聴いてみた。なんと1時間も『まぼろしの市街戦』について熱く語っている。面白かったのは、フィリップ・ド・ブロカ監督は、バスター・キートン、ハロルド・ロイドと、ジャッキー・チェン『プロジェクトA』『スパルタンX』を結ぶ、代役無しのアクション・コメディーの名手として紹介している点だ。

スピルバーグほか、たくさんの映画監督が「この映画」の影響を受けていると。それから「すべてが逆」になっていること。さすが、じつに深い。映画を見たあとに、ぜひ聴いてみて欲しい。

2019年7月31日 (水)

オススメのラジオ番組

■『長野医報6月号』特集「ラジオは友だち」の続きです。実際に掲載されたものに一部追加しました。ご了承ください。

【コラム】パソコン・スマホでラジオを聴くには

 <radiko(ラジコ)で聴く>

・無料だと、NHK、SBC、FM長野のみ。プレミアム会員(350円/月)になると全国エリアフリーで聴くことができます。

・タイムフリー機能:過去1週間以内に放送された番組を後から何度でも聴くことができます。ただし、1日に3時間まで。でも、NHKの番組はタイムフリーで聴くことができません。

 

<「らじる★らじる」でNHKラジオを聴く>

・「聞き逃し」:過去1週間以内の一部の番組を聴くことができますが、全てではありません。「NHKラジオ第2」の語学番組を繰り返し聴くのにたいへん便利です。

<ポッドキャスト(podcast)で聴く>

・文化放送、ニッポン放送、東京FMは、ホームページから「ポッドキャスト」で番組の一部をいつでも聴くことができます。

・TBSラジオは、「TBSラジオCLOUD」に無料登録すると聴くことができます。

JFNパーク からもFM放送の聴き逃しが聴けます。

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【コラム】 オススメの「ラジオ番組」

1)平日の帯番組

・NHKラジオ第1  『すっぴん!』 月〜金(8:30〜11:50)

  月)サンキュータツオ 火)ダイアモンドユカイ 水)能町みね子 

 木)川島明 金)高橋源一郎、:アンカー 藤井彩子アナ

・NHKラジオ第1  『ラジオ深夜便』 月〜日(23:05〜AM.5:00)

・ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』 月〜金(11:30〜13:00)

・文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ』 月〜金(13:00〜15:30

・TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』       月〜金(22:00〜23:55)

 

2)対談・トーク番組

・FM長野    『坂本美優のディア・フレンズ』         月〜金(11:00〜11:30)

・FM長野     『木村拓哉 Flow』           日(11:30〜11:55)

・NHK FM    『トーキングウィズ松尾堂』松尾貴史  日(12:15〜13:55)

・NHK FM    『岡田惠和 今宵、ロックバーで』   日(18:00〜18:50)

・TBSラジオ  『神田松之丞:問わず語りの松之丞』  金 (21:30 - 22:00)

・TBSラジオ  『久米宏 ラジオなんですけど』    土 13:00 - 14:55)

 

3)音楽番組

・FM長野    『山下達郎 サンデー・ソングブック』  日(14:00〜14:55)

・SBCラジオ  『星野源のオールナイト・ニッポン』   火(25:00〜27:00)

・FM長野    『村上RADIO』 村上春樹   日曜日の不定期放送(19:00〜19:55)

・NHK FM    『ディスカバー・マイケル』 西寺郷太  日(21:00〜22:00)

・NHK FM    『夜のプレイリスト』 月〜金(24:00〜24:50、再放送18:00〜18:50)

・NHK FM    『ジャズ・トゥナイト』 大友良英    土(23:00〜25:00)

・FM長野    『汐入規予 I’m with You』         土(18:00〜18:30)

 

4)ラジオドラマ 

・FM長野    『NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE〜』 日(17:00〜17:55)

・NHK FM   『青春アドベンチャー』      月〜金(21:15〜21:30)

・NHK FM   『FMシアター』         土(22:00〜22:50)

・FM長野    『Yes! 明日への便り』  語り:長塚圭史  土(18:30〜19:00)

5)映画情報 

・TBSラジオ  『赤江珠緒たまむすび』 町山智浩「アメリカ流れ者」火(15:00〜15:20)

・TBSラジオ  『アフター6ジャンクション』 ライムスター宇多丸「週間映画時評ムービーウォッチメン」金(18:30〜19:00)

2019年7月 8日 (月)

TBSラジオ アナウンサー 林美雄

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■『長野医報6月号』にぼくが書いた文章を、こちらにも転載させていただきます。

【ラジオは友だち】

 いつだって「これは!?」と耳をそばだてた楽曲は、決まってラジオから流れてきたように思います。

ぼくが中学・高校生だった1970年代は、ラジオの深夜放送が大人気でした。糸居五郎の「オールナイト・ニッポン」、落合恵子の「セイ!ヤング」そして、林美雄の「パック・イン・ミュージック」。初期にはラジオ局の専属アナウンサーがDJを務めていました。皆が寝静まった深夜、彼らはラジオから僕だけに語りかけてくれているように感じたものです。

伝奇漫画の巨匠、諸星大二郎の新作『オリオンラジオの夜』(小学館)では、深夜の星空の下、主人公が「異次元ラジオ」に耳を傾けると、昔懐かしい音楽が次々と流れてきます。しかし、いつしか時空はねじ曲がり、読者は不思議な諸星ワールドに引き込まれて行きます。

最近では、パソコンやスマホで「radiko」「らじる★らじる」を通じて雑音のないクリアな音でラジオ番組を聴くことができるようになりました。しかも、過去1週間さかのぼった放送まで、いつでもどこでも何度でも聴けるのです。夢のような時代がやって来ました。一方、AM電波は廃止される憂き目にあります。

 懐かしき「ラジオデイズ」の想い出、今のラジオの楽しみ方、おすすめのラジオ番組など、ラジオの魅力を再発見していただけたら幸いです。

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『東京人 2011年3月号 No.294』12〜13ページ

(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)


YouTube: Booker T. & The MG's - Time Is Tight

【TBSラジオアナウンサー 林美雄】

 1973年11月20日。荒井由実のデビューアルバム『ひこうき雲』が満を持してリリースされた。アルファの社長で、「翼をください」の作曲者でもある村井邦彦は、当時彼女にこう言ったという。「荒井由実というルーレットの目に会社ごと賭ける」と。それから6年後、村井は「YMO」の世界進出のため更なる大博打に打って出ることになる。

 ところが、社長の期待に反し彼女のレコードはまったく売れなかった。歌謡曲でもフォークでもアイドルでもない荒井由実の歌を、どう売ったらよいのか誰も分からなかったのだ。当時はまだ、ニューミュージックやシティポップというジャンルは存在しなかった。

 アルファ宣伝担当の布井育夫は困ってしまい、学生時代から愛聴していたTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」金曜日第2部(午前3時〜5時)担当だった林美雄アナウンサーにサンプル盤を届ける。彼なら荒井由実の魅力をラジオを通じて拡散してくれるに違いない。林はすぐにアルバムを聴き、直感で素晴らしいと思った。その翌週から自分の番組で「八王子の歌姫。この人は天才です!」と絶賛し、毎週『ひこうき雲』から3曲、4曲とかけまくった。特に「ベルベット・イースター」がイチオシで、半年間毎週かけ続けた。

 当時ぼくは中学3年生で、受験勉強にも身が入らず、深夜ダラダラとただラジオを聴いていた。すると突然、聴いたこともない歌声が聞こえてきたのだ。「ベルベット・イースター」だった。「誰?これ!」衝撃的だった。その少し後だったか、林美雄のラジオに荒井由実がナマ出演し、スタジオのピアノで「ベルベット・イースター」「ひこうき雲」「雨の街を」をライブで弾き語りした回のことを今でも鮮烈に記憶している。翌朝学校に行って「ねえねえ、荒井由実って知ってる?」と訊いても、誰も知らなかった。当時は、吉田拓郎や井上陽水、カーペンターズ、ミッシェル・ポルナレフが全盛だったのだ。 

 

 ぼくがラジオの深夜放送を本格的に聴き始めたのは中学2年生の頃だ。部活に疲れて帰宅し、夕飯を食べ終わるとまずは寝る。夜11時過ぎに母親に起こしてもらい、それから午前4時くらいまで勉強。もう一度寝て、朝8時に登校。そんな毎日だった。

 皆が寝静まった深夜に、一人だけで起きているととても淋しい。居たたまれなくなってラジオをつける。すると、DJの声が僕だけに語りかけてくるのです。「おい、元気かい? 大丈夫だよ、明日も頑張れよ!」と。

 あの頃からアマノジャクだったぼくは、SBCラジオでネットされていた「オールナイト・ニッポン」は聴かずに、東京都港区赤坂六本木TBSのスタジオから東京タワーの電波塔を介して山越え谷越え南アルプスも越えて届いた「パック・イン・ミュージック」954kHzのAM電波を、長野県上伊那郡高遠町でキャッチしていた。深夜3時過ぎにになると、不思議と電波状況が良くなって、案外聴きやすかったのだ。

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 林美雄アナは、マイナーな日本映画が大好きで、特に藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』に惚れ込んでいた。石川セリが歌う主題歌は、まだレコード化されていなかったので、日活でサントラからテープにダビングしてもらい「パック」の冒頭で毎週しつこくかけ続けた。荒井由実の前は、石川セリ。自分で「これはイイ!」と感じた映画、音楽、芝居を、林はとにかくラジオで熱くプッシュしまくっていたのだ。そんな林美雄にぼくは圧倒的な影響を受けた。中学2年生の夏休み、「新宿文化」の地下にあった「アンダーグラウンド蠍座」で『八月の濡れた砂』のリバイバル上映を観ている。以来ずっと日本映画大好き人間だ。

 林が次に惚れた映画が、神代辰巳監督、長谷川和彦脚本、東宝映画『青春の蹉跌』だった。ぼくは伊那映劇で観た。檀ふみの水着姿がまぶしかった。テーマ曲を作曲したのは、元ザ・スパイダースの井上堯之。以降「林美雄パック」のエンディングでは、まず『青春の蹉跌のテーマ』が流され、続いてミア・ファロー主演、キャロル・リード監督作品の映画『フォロー・ミー』の主題歌(ジョン・バリー作曲)が流れて番組が終わるというフォーマットが出来上がった。

 この頃、林美雄を通じて長谷川和彦と知り合った菅原文太は、沢田研二と組んで『太陽を盗んだ男』を撮ることになる。原田芳雄と松田優作は、二人してよく深夜のTBSスタジオに顔を出し、林の前で「リンゴ追分」や「プカプカ」をギターを弾きながらナマで唄っては帰って行ったものだ。

 1974年8月30日。スポンサーの付かない「パック・イン・ミュージック」金曜日第2部は廃止されてしまう。憤懣やるかたない思いでラジオを降板した林のために、荒井由実は感謝の気持ちを込めて曲を書いた。それが『ミスリム』に収録されている「旅立つ秋」だ。

 

 1975年6月11日。熱烈な林美雄リスナーたちの署名運動が実を結び、林は「パック」に復帰する。今度は水曜日の午前1時〜3時。ぼくは高校2年生になっていた。以前より聴き易い時間帯に移ったので、毎週欠かさず聴いた。

 この頃の人気コーナーに「苦労多かるローカルニュース」がある。ちょうど今の『虚構新聞』のような風刺を効かせた冗談記事を、林美雄がNHKのアナウンサーのように真面目くさって読むのだ。ニュースの前後には、下落合本舗(これも架空の会社)のパロディCMが流された。どちらもリスナーからの投稿葉書で作られていて、ぼくも試しに投稿してみた。そしたら何と採用され、ぼくのCMがラジオから聞こえてきたのだ。たまげた。聴きながら心臓がバクバクした。

いや大して面白くはない。国鉄のストライキで飯田線が遅れて皆困っていた。電車の車体にはアジテーションの文字がペンキで大きく描かれた。これ消すの大変だろうなあと思い、時間で消える「ストラインキ」を使った「遵法塗装」はいかが? というくだらないCM。

採用されると、TBSのネーム入りライターがプレゼントされる。ぼくは友達に自慢しようと学校へ持って行き、廊下で見せびらかしていたら、ちょうど通りかかった現国の伊藤先生に見つかって、ライターは取り上げられてしまった。

 タモリをラジオで初めて聴いたのも「林パック」だ。博多のビジネスホテルで、山下洋輔トリオに偶然発見されたタモリは、この年の7月に上京し、赤塚不二夫のマンションに居候しながら、夜な夜な新宿「ジャックの豆の木」で密室芸を披露していた。10月22日、漫画家の高信太郎に連れられて「林パック」に登場したタモリは、林が読む「苦労多かるローカルニュース」をデタラメの中国語やドイツ語で同時通訳した。さらにお得意の四カ国親善麻雀も披露。まだテレビ・ラジオに出演していない頃のことだ。

 おすぎとピーコを知ったのも「林パック」だ。山崎ハコ、上田正樹、憂歌団、南佳孝、橋本治『桃尻娘』、野田秀樹、ムーンライダーズ、RCサクセション、そして佐野元春。みんな林美雄が教えてくれた。

 

 1977年2月。毎年受験シーズンになると、林は黄色い短冊に緑色のマジックで「みどりブタ大明神」の御札を自ら手書きして希望する受験生に送っていた。ぼくも返信用封筒に切手を貼って同封し御札を送ってもらった。何でも合格率80%以上を誇るありがたい御札だ。そしたら、模試ではずっとD判定だった大学に奇跡的に合格することができた。ぼくは今でも林美雄のおかげだと思っている。

 しかし現金なもので、大学生になると彼への恩もすっかり忘れ「林パック」をほとんど聴かなくなってしまった。映画情報は『ぴあ』を見れば載っていたし、知らないレコードを友達が次々と貸してくれた。ジャズ喫茶に入り浸り、ジャズばかり聴くようになった。もう林美雄の「目利き情報」は必要でなくなったのだ。

 

 1980年9月30日。この日「林美雄パック」は最終回を迎える。ぼくは聴いていない。エンディングが近づくと「青春の蹉跌のテーマ」が流れ出す。このテーマに乗せて林は毎週自分の個人的な思いをマイクに向けて話すのが恒例となっていた。しかし、最終回のこの日「3分16秒間」林は沈黙した。音楽が終わったあと、林はおもむろにこう言った。「音としては(音声に)出ていませんでしたけれど、いろんなことを言いました」と。

 ぼくより2つ年上の劇作家・宮沢章夫は、1970年代が終焉し1980年代の波に乗ることが出来なかった林美雄の無念と絶望が、その沈黙にあったのではないかと分析する。彼が構成したラジオ番組『林美雄 空白の3分16秒』が、2013年12月27日にTBSラジオで放送された。ぼくはradikoでエンディングの「フォローミーのテーマ」を聴きながら、ただオイオイと泣いた。林アナ。ごめんなさい。今でもYouTube で聴くことが出来るので、興味を持って下さったなら是非聴いてみて欲しい。

 1970年代。かつて林美雄という深夜放送のカリスマ・アナウンサーがいた。林はいつもラジオのリスナーに向かってこう言っていた。「いい音楽を自分の耳と感性で探し出せ! 芝居を観ろ!映画を観ろ! 本当にいいものは隠れている。だから自分で探さないといけない。自分でいいと思ったものを信じて、それを追いかけるんだ」

 

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『東京人 2011年3月号 No.294』40〜41ページ

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YouTube: 林美雄 空白の3分16秒

2019年6月28日 (金)

今月のこの1曲:友部正人&パスカルズ『6月の雨の夜、チルチル ミチルは』

■6月22日(日)の夕方、今年も南箕輪村の酒店「叶屋」に友部正人がやって来た。

なんと! 今年で12年目なんだそうだ。ぼくもここ5年間は毎年聴きに来ている。この日歌ってくれた曲。メモを取っていたワケではないので、歌ってくれたのに忘れてしまった曲がいくつもあるけど、だいたいこんな感じのセットリストでした。

【First Set】

・地獄のレストラン
・6月の雨の夜、チルチルミチルは
・追伸
・こわれてしまった一日


・愛の賞味期限
・愛について


・Like A Rolling Stone

【Second Set】


・密漁の夜
・誰も僕の絵を描けないだろう
・日本に地震があったのに
・マオリの女
・スカーフ
・サン・テグジュペリはもういない
・一本道
・1月1日午後1時(盛岡「クランボン」高橋さんに捧ぐ)

・大阪へやって来た
・ブルース
・遠来
・夕日は昇る

■この日、ぼくが一番聴きたかった曲が『6月の雨の夜、チルチル ミチルは』だ。悲しい歌だ。これから死にに行くカップルのはなし。


YouTube: 06 友部正人 MASATO TOMOBE - 6月の雨の夜、チルチルミチルは

■ツイッターにも書いたけれど、この曲には謎が多い。チルチルには子供が2人いる。で、古くからの友人である友部正人は、チルチルから深夜のファミレスに呼び出されるわけだ。歌詞には、できるだけ明るいお店のテーブルに4人座って話をしたと。

ぼくはてっきり、子供たちを道添にして、これから一家心中をする家族の話だとばかり思っていたのだけれど、どうも違うみたいなんだよね。その事がわかったのは、平川克美氏のブログを読んだから。

深夜のファミレスで向かい合った4人とは、チルチルミチルと、友部正人と彼の奥さんの小野由美子さんであると。そう、平川氏は断定しているんです。正直ビックリしました。ぼくはてっきり、チルチルミチルは正当な夫婦だとばかり思っていたのだが、実は不倫のカップルだったのですね。驚きました。

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■友部は、解散する前の「たま」と親交が深くて、いっしょにCDも出している。『けらいの一人もいない王様』だ。このCDには収録されていないけれど、「たま」の知久さんが友部正人の大ファンで「たま」が発展的解消をしたあたと出来た「パスカルズ」で、この「6月の夜、チルチルミチルは」を演奏しているヴァージョンを発見した。

ネットで検索すると、「この曲」は実話なんだそうです。少し前に、友部はエッセイを連載していた読売新聞で、チルチルミチルとの顛末を掲載したのだそうだが、ぼくは読んでいない。ずっと読まないほうがいいと思っている。

      知らないことで まんまるなのに

      知ると 欠けてしまうものがある

      その欠けたままのぼくの姿で

      雨の歩道に いつまでも立っていた


YouTube: 02 友部正人 MASATO TOMOBE - 愛について

当日のツイートより。

今日は、南箕輪村の酒店『叶屋』で 友部正人のライヴ。今年で12年目だって。僕は5年前から毎年聴きに来ている。新しい曲もずいぶん覚えた。懐メロじゃなくて、いまここの友部が聴きたいし、その思いは毎回裏切られることなく今日もまた彼の歌とギターとハーモニカ演奏のパワーに圧倒されたのだった

最初の1曲目が「地獄のレストラン」。おお今日は攻めてるな。2曲目は、是非とも今日は聴きたいと願っていた「6月の雨の夜、チルチルミチルは」だ。念じてたのが通じたのか? 思わず左目尻から涙がこぼれおちて、恥ずかしかったな。なにせ、最前列の正面だったから。

あと念じたのは、矢野顕子さんがピアノの弾き語りしているのを聴いて好きになった曲「愛について」。友部さんのライヴでは初めて聴けた。うれしかった。ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」も良かった。原曲より、日本語訳詞のほうがいいぞ。それから「ブルース」。今日一番沁み入った一曲。

続き)懐かしい曲も聴けた。「密漁の夜」と「誰も僕の絵を描けないだろう」だ。この2曲は、友部正人還暦記念トリビュートライブ(2010年5月23日、下北沢「ガーデン」)で、あの遠藤ミチロウが歌った。オープニングは、ハンバートハンバートが「あいてるドアから失礼しますよ」次に峯田和伸が登場。

峯田は「なんでもない日には」ともう一曲。あと、「たま」の知久寿焼が「一本道」を歌っている。メチャクチャいい! CD2枚組『ミディの時代』友部正人の付録DVDに収録されている。

続き)友部正人のレコード『にんじん』は、中学2年の冬に買った。何度も何度も聴いた。だからなのか、60歳を過ぎたいまでも、ずっと好きが続いている。これは前にもツイートしたが、中2で影響を受けた「モノ・ヒト」は一生自分を支配し続けるのだな。TBSラジオアナウンサー、林美雄もその一人。

2019年5月10日 (金)

今月のこの3曲:ASAYAKE 01『ギター』と、中村佳穂『忘れっぽい天使』〜『そのいのち』

■いつだって「これは!?」と耳をそばだてた楽曲は、決まってラジオから流れていたように思う。

あれは、2週間前の土曜日の夜。4月28日だった。「らじる★らじる」で NHKFMを聴いていたら、アジカンGotch こと後藤正文の番組後藤正文のCROSS THE GENERATION』を放送していた。

この日のゲストは、京都在住のミュージシャン中村佳穂だった。かかった曲は「そのいのち」。「お!?」と思った。ちょっと今までに聴いたことのない楽曲。「イケイケいきとし GO GO!」って、何なんだ??

その次にかかった曲は、ASAYAKE 01 『ギター』。これです。力強い歌声。それに、めちゃくちゃギターが上手い。


YouTube: ギター

ASAYAKE 01。ぜんぜん知らない人だった。なんでも中村佳穂さんが師と仰ぐ、大阪では伝説のシンガー・ソングライターなのだそうだ。活動歴は長いのだが、このところずっと演奏活動は休止していて、大阪扇町のライヴハウス「パラダイス」の裏方として働いていた。

ところが、とある人からのオファーをきっかけに、再び演奏を再開したのだという。この異様なパワーに圧倒されたぼくは、YouTube で彼の他の楽曲を検索してみた。で、見つかったのがこれだ。


YouTube: ASAYAKE01 # コオロギとレディデイ アンド ジョンコルトレーンat HOKAGE 2010/6/21

■そこには、友部正人の正当な後継者がいた。一直線に突き刺さって来る歌と言葉。ちょっと、感動した。ナマで是非見たいと思った。

■それから、中村佳穂。(続きは、また書きます)


YouTube: Kaho Nakamura SING US - Wasureppoi Tenshi / Sono Inochi [live ver]


YouTube: 中村佳穂 TBSラジオLIVE

2019年3月 3日 (日)

昨年読んだ本、観た映画、お芝居、聴いたCD

■YouTube で「第9回ツイッター文学賞」の発表を見た。今回は、投票できる本がなかった。

それで思い出して、1月初めにツイートしたものを、一部補足して、こちらにも残しておきます。

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

■2018年に読んで、印象に残ってる本。ベスト本は、チムニク『熊とにんげん』。あと、図書館の本なので書影はないが『甘粕正彦乱心の曠野』は面白かったな。それから、寺尾紗穂さんが編纂した『音楽のまわり』。

2018/09/12

「赤石商店」で買ってきた、寺尾紗穂さんが編集して自費出版した『音楽のまわり』を読んだ。10人の個性的なミュージシャンが、音楽以外のエッセイを書いている。ユザーンや浜田真理子さんみたいに、よく知っている人やぜんぜん知らない人もみな読ませる文章だ。伊賀航、植野隆司、折坂悠太、知久寿焼、マヒトゥ・ザ・ピーポーの文章は初めて読んだが、感心したな。ユザーンや浜田真理子さんは期待通りの安定感。寺尾さんは、読者の期待の外し方が絶妙で、めちゃくちゃ上手い。各執筆者への編者からのコメントも面白い。

あと、『心傷んでたえがたき日に』上原隆(幻冬舎)、『颶風の王』河崎秋子(角川書店)もよかった。

■2018年に観て、印象に残ってるお芝居。木ノ下歌舞伎舞踊公演『三番叟(SAMBASO )・娘道成寺』まつもと大歌舞伎(市民芸術館 6/18)。ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『百年の秘密』(まつもと市民芸術館 5/13)。同『修道女たち』(兵庫県立芸術文化センター 11/23)。ケラさんて、凄いな。

2018/10/10

今日は、飯島町文化館大ホールで『ペテカン』のコント9本+スペシャル・ゲスト柳家喬太郎師の落語2題。いや面白かった!以前観た「 ザ・ニュースペーパー」や「鉄割アルバトロスケット」とは違って、健全でほのぼのした笑いに場内は満たされた。4人の女優陣が頑張ってたな。あと喬太郎師も超熱演。

喬太郎師匠は、あと、毎年駒ヶ根市の安楽寺である「駒喬落語会」。今年は師匠「柳家さん喬」師との「親子会」だった。8月27日(月) よかったなあ。柳家さん喬師をナマでそう何回も聴いているワケではないけれど、さん喬師のベスト3と言えば「妾馬」「幾代餅」「片棒」だと思っていて(軽いネタ「棒鱈」とか「初天神」も絶品だが)

この日、さん喬師は「幾代餅」と「妾馬」をかけてくれたのだ。うれしかったなあ。涙が出たよ。

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■2018年に観て、印象に残ってる映画。見た順。『ラモツォの亡命ノート』『タレンタイム』(これは二度目の鑑賞)。『わたしたちの家』『枝葉のこと』『菊とギロチン』『カメラを止めるな!』『日々是好日』。7本のうち、何と!5本を「赤石商店」の蔵のミニシアターで観た。

あ、忘れてた! 是枝裕和監督の『万引き家族』は、岡谷スカラ座と伊那旭座で2度見ている。安藤サクラに惚れた映画だ。それから、佐藤健に驚いたのが、瀬々監督の『8年越しの花嫁』。これは伊那映劇(昔の)でみた。脚本もよかったな。『ひよっこ』の岡田惠和。じつに丁寧に作られていたな。

2018/08/16

昨日は、伊那通町商店街「旧シマダヤ」で、マイトガイ小林旭主演、浅丘ルリ子共演の日活映画『大森林に向かって立つ』野村孝監督(1961年・未DVD化)を見てきた。意外と面白かった。美和ダム、伊那市駅前での盆踊り大会、旧八十二銀行伊那支店に浅丘ルリ子が入っていくシーンなどが登場し、会場が湧いた。

出演者が豪華。敵役に金子信雄、深江章喜、安部徹。そして「キイハンター」の出で立ちそのままの丹波哲郎。脇役で高品格、長門勇、下条正巳。あと、スパイダース以前の、ムッシュ・かまやつひろしがギターを担いで登場。これには笑った『居酒屋兆治』の細野晴臣さんみたいで。

当時同棲していた小林旭と浅丘ルリ子。この映画が公開された頃にどうも別れたらしい。ホンモノの大型トラックを谷底に転落させたり、ちょっと『恐怖の報酬』みたいな感じで、結構お金をかけて作っていて驚いた。こちらのサイトに紹介記事が。

若かりし頃の金子信雄を見ていて、誰かに似てる? と思ったのだが、あそうか。爆笑問題の田中だ。

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■2018年によく聴いたCD。七尾旅人の『STRAY DOGS』は、結局CD買ってしまった。これは良いわ。ハンバートハンバートの『 FOLK2』も、さんざん聴いたが、CDが見つからない。誰かに貸したっけ?

それから、南佳孝の『ボッサ・アレグレ』。このCDには救われた。

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