最近観た映画『ゆきゆきて神軍』と『細い目』のこと
■この8月中旬以降に観た2本の映画について。ツイッターに投稿した文章を改編して載せます。
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■■ 原一男監督作品『ゆきゆきて神軍』■■
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【8月16日】 原一男監督作品『ゆきゆきて神軍』を「まつもと市民芸術館小ホール」まで行って観てきた。初見は 1988年1月松本中劇シネサロンで確か観ている。なんと!32年ぶりの再見だったが、今回の方が圧倒されたし、いろいろ腑に落ちた。奥崎謙三は映画撮影時62歳。僕もこの9月で62歳になる。今こそ必見の映画だ。
初見の時は、奥崎謙三の強烈な個性と行動原理にただただ圧倒された。革靴履いたまま、かつての上官を平気で殴る蹴る。トンデモナイおやじだ。そう思った。この映像の場面だ。
YouTube: Do you want the police? - The Emperor's Naked Army Marches On (1987)
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奥崎謙三は言う。「私は、責任も取らずにのうのうと生きている人間が許せないのだ」と。その頂点にいるのが「ヒロヒト」だと。
日本は、75年前から今でも何にもまったく変わっていない。誰もちゃんと責任を取らない。そういうことがめんめんと繰り返されている。奥崎謙三は、トンデモナイ性格破綻者であり、世間に迷惑な犯罪者ではあるのだが、彼のこの「行動原理」はまったくもって正しい。「ヤマザキ、天皇を撃て!」奥崎はそう叫んで、パチンコ玉を打った。
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彼はずっと、たった一人で国家権力に対し真っ向から刃向かった。
そのためには、暴力を行使することも致し方ない。それが彼の考えだ。
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ただ、自らが犯した暴力に関しては、ちゃんと責任を取って刑務所に入った。で、刑期を満了して出所した。それは、彼がピストルを発砲し相手に重傷を負わせた最後の犯罪においても、責任を果たし刑期を満了して出所している。奥崎はいつでも、ちゃんと自分で責任を取って落とし前を付けてきたのだ。それが彼なりの仁義、流儀だった。
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■近畿財務局勤務で公文書改ざんを強いられ、自殺に追いやられた赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんが「この映画」を観終わったあと、原一男監督と会ったそうだ。彼女も、たった一人で国家権力に立ち向かおうとしていた。
この映画を観ていてちょっと感動するのは、奥崎の2歳年上の奥さんが、彼のことを絶対的に信頼しいっしょに行動しているとこだ。彼のために、何度も別人(ニューギニア戦線部隊兵士の遺族)のふりもしている。でも、苦労が絶えなかったんだろうなあ。奥崎が収監されたあと、まだ60代だったのに、一人淋しく亡くなる。
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■【『ゆきゆきて神軍』追補】:映画が始まって暫くして笑ったのが、奥崎が兵庫県警の公安担当に電話すると、相手は即座にやって来て「先生、今後のご予定は?」と訊く場面だ。警察が奥崎のことを「先生」とヨイショしていて、奥崎はまんざらでもない、いや当たり前だと思っていた節がある。
YouTube: ゆきゆきて神軍 YukiyukiteShingun (introduction)
映画上映後のアフタートークで、リモート出演した原監督はこう言った。「彼の最終目標は、新たな宗教の教主になることだった」と。あの狂信的なパワーの源は、強烈なコンプレックスの裏返しだと。俺のことを、俺が生きた証しを認めてくれ!という切実な願望だったのだと。
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奥崎は原監督に言った。「あなたは何故『センセイ』と呼ばないのか?」と。先生と呼んだら、二人の関係は「師弟」になってしまう。弟子になってしまったら、映画は撮れない。あくまでも対等の関係でなければ。さらに、奥崎は最後に実行することになる犯行計画を原監督に明かしていた。その犯行場面を映像に撮れ! と。さすがにそれだけは出来ない。原監督は奥崎に言って断った。
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■奥崎が島根県山中に暮らす妹尾元軍曹を訪ね、突然激高した奥崎は元上官をボコボコ殴り床に組み伏せた。妹尾は首だけ起こしカメラに向かって「いいか、ちゃんと撮れよ!」と言った。暫くして家人に呼ばれた近所の男達3人に逆に押さえつけられ一気に情勢は逆転。
こんどは奥崎が顔だけカメラに向けて情けない表情で「おい、撮るな!止めろ!」と言うシーンには笑ってしまった。妙なユーモアがある映画だったな。
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■ぼくが何故、奥崎に惹かれるのかというと、彼がアナキストだからだ。ぼくが大好きな殿山泰司がアナキストだった。奥崎にも同じ匂いがした。伊藤野枝にも、金子文子にも。そして、赤木雅子さんにも!
ガンバレ!! 赤木さん。
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