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2019年10月

2019年10月29日 (火)

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)を読む

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■高遠町の生まれなので、保科正之を主役に NHK「大河ドラマ」を作って欲しいとずっと思ってきた。署名もした。数々の「大河ドラマ」を手掛け、あの司馬遼太郎『坂の上の雲』をドラマ化した、NHKプロデューサー西村与志木は、伊那市長谷村の出身。でも、未だ実現していない。

■保科正之と言えば、作家・中村彰彦氏だ。ぼくも『保科肥後守お耳帖』(平成5年刊・双葉社)『保科正之』中村彰彦(中公文庫 1227)1995/1/25 発行『名君の碑』中村彰彦(文藝春秋)1998年10月刊 を読んだ。正直言って、保科正之に関する歴史小説は、中村彰彦氏がとことん絞り尽くした感がある。

ところが、令和の時代に入って思わぬ伏兵が登場した。

福島県出身で福島県在住の作家、佐藤巖太郎だ。『将軍の子』(文藝春秋)は、著者が雑誌「オール讀物」に連載した、保科正之を巡る連作短編集なのだが、これが実にいい!

各短篇の主人公は、保科正之の脇に存在した人々だ。彼・彼女等は、保科正之と出会うことによって、己の人生が変わってゆく。いい意味でも悪い意味でもね。どの短篇でも、イメージとしてはラストに一陣の風が吹く感じだ。すると、主人公は「あっ!」と思う。「風」は保科正之ね。そのため、なんとも鮮やかで爽やかな読後感を残すのだ。

つまり言うなれば、三谷幸喜の『古畑任三郎』的な演出が施されているのだよ。

■以下、ツイートより。多くは改変編集ありです。

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)を読み始める。保科正之を巡る連作短編集だ。巻頭の「将軍の子」の主人公は、武田信玄の娘で穴山梅雪の妻。ああ、こういう語り口があったのか!じつに上手い。乳児が着る祝い着の小袖が描かれる。誰かがこの小袖を母親には内緒で幼子に着せようとしている。そんなシーンで小説は始まるのだ。

小袖は、黒地に白く武田菱が染められている(裏表紙に絵がある)。70歳を超える主人公(見性院:けんしょういん)は、この稚児を養子に迎える覚悟を決めるのだ。武田氏の末裔を途切れさすことを防ぐべく。折角この世に生まれたのに、お江からは殺されそうになり、父親から歓迎されなかった保科正之を、見性院が救った。実に鮮やかな短篇。

『将軍の子』佐藤巖太郎(文藝春秋)より「跡取り二人」「扇の要」「権現様の鶴」を読む。いやあ上手いなあ。保科正之の連作短編集なのだが、各々の主役は、高遠藩主保科正光の先の養子左源太、徳川忠長、そして徳川家光。各々が保科正之と出会うことで、自らが変わってゆくのだ。

「跡取り二人」では、高遠・建福寺の階段を小日向左源太が上がってゆく場面で始まる。建福寺和尚・鉄舟に仏の木彫りを指導してもらっているのだ。高遠藩の正当な後継者に指名される日も近い。武術の鍛錬だけでなく、精神修練のために鉄舟の教えを請うたのだ。だが、心が惑わされている彼のノミ裁きは普段とはあまりにかけ離れていた。

何故なら、高遠藩主・保科正光の元に、新たな養子が来ることを知ったからだ。

「扇の要」の視点は保科正之だが、この短篇の主役は、駿河大納言忠長だ。兄(家光)より先に、静岡まで養父と共に会いに来てくれた弟(正之)に、彼はこう言うのだ。

「よいか、この国を治めるのは徳川家なのだ。われらは二代将軍の息子ぞ。他の大名たちの上に立ち、諸侯を束ねる役割がある。亡き権現様(家康)もそれを望んでおろう。

わしもいま以上に、領国を増やすつもりだ。55万石では少なすぎる。前田や伊達より少なくては、面目が立たぬ。そうではないか。居城は大坂城でもよいくらいだ。多くの領国を治め、国の要となる。手柄を立て、名を馳せなければ、徳川家に生まれてきた甲斐がない」

幼い頃から病弱で小心者で吃音だった兄と違って、利発で活発だった国松(忠長)は父親母親から溺愛されて育った。秀忠配下の家臣たちも、三代目は家光ではなく忠長に違いない、誰もがそう思っていた。ところが、春日局が家康に御注進したことで、状況は逆転する。皮肉なものだ。

そんな思いの兄と会った正之も、兄に感化されてこう思う。「徳川の血筋として生きる人生を最初から与えられたとしたら-----。」

・「権現様の鶴」の主役は、徳川家光。家光はいつ保科正之が異母兄弟だと知ったのか? 中村彰彦氏は、新井白石『翰譜』の記述より、家光が目黒方面へ鷹狩りに行った際に休憩で立ち寄った寺「成就院」の住職より偶然知らされたと書いている。じつに劇的だ。でも本当だろうか? 駿河の忠長は、正之が会いに行く前から知っていた。

生まれた正之を武田信玄の娘「見性院」の養子とし、さらに高遠藩主保科正光に委ねたのは、幕府大老の土井利勝だ。家光の側近中の側近が、母親「お江」の死後もずっと秘密にしていたとは思えない。

著者の佐藤巖太郎氏は、家光は土井利勝から異母弟の存在を既に知らされていたとし、さらには、茶会に正之を呼んで、その人柄を確かめたとする。ただそうなると、家光が成就院で劇的な思いに打たれた史実が一致しなくなる。そのあたりを著者はじつに上手く処理していて感心した。

あと、家光と忠長の確執がある中で、家光は「忠長はどうしようもない嫌な奴で大嫌いだが、保科正之は本当に兄想いのイイ奴だ」と直ちに思ったのだろうか? 突如現れた正之だって、忠長と同じく家光の地位を追い落とす危険な存在と思うはずだ。それに、家光は忠長に本当に「死ね!」と言ったのだろうか? そこまで冷酷だったのか? 「権現様の鶴」では、そのあたりのことも納得できる解釈がなされている。

続く「千里の果て」は、土井利勝が主人公。この一篇を読んで初めて「この本」のタイトルが『将軍の子』であることを理解した。将軍の子は、保科正之だけを指すワケではないのだ。忠長、家光、それに土井利勝だって「将軍の子」だった。じつは、土井利勝は徳川家康のご落胤だったのだ。

土井は、自らの出生と保科正之を重ね合わせたに違いない。

『将軍の子』佐藤巖太郎より「夢幻の扉」を読む。この一篇だけ書かれた時期が早い。2011年の第91回オール讀物新人賞受賞作で、福島県出身在住である著者のデビュー作。語り手は、江戸町奉行加賀爪忠澄。彼が裁く牢人を巡るミステリ仕立ての短篇なのだが、いやあ鮮やかなラスト!予想できない展開だった

佐藤巖太郎『将軍の子』より、ラストの「明日に咲く花」を読む。主役は「知恵伊豆」こと老中松平信綱。明暦三年(1657年)の冬、本郷丸山の本妙寺から出火した火災は、江戸の町を3日3晩焼き尽くし、江戸城も本丸と天守閣が焼け落ち、大名屋敷160軒、旗本屋敷793軒、町屋800町が消失した。

家光の死後、殉死しなかった信綱に世間の風当たりは強かった。なぜ彼は殉死しなかったか? 家光が死の床で彼にまだ幼い家綱の政道を補佐することを、彼に託した(託孤寄命)からだった。ただ、同じ命を受けた人物がもう一人いた。家光の異母兄弟の弟、保科正之だ。
 
 
だから信綱にとっては、保科正之はちょっと面倒で厄介な存在だったワケだ。正之は信綱に言う。「この大火は、前代未聞の尋常ならざる厄災。多くの命が公儀の救済に委ねられたものと存ずる。いまは、手段は選ばずに被害を抑えることこそ何より大切。この際、平素の懸案には構わますな」と。
 
 
信綱は、島原のキリシタン蜂起では総大将となって一揆を兵糧攻めにして鎮圧した。意気揚々と原城内に乗り込んだ時に目にした光景を、焼け野原となった江戸で思い出す。その信綱に正之は言う「江戸の建て直しは、武家だけでなく民の力をどれだけ活かすかにかかっておりましょう」「民の力を活かすとは……」「この状況で、江戸の民にそのような力がござりましょうか」「なければ、支えればよかろうと存ずる。さればこそ、市中への救済金として金16万両の支払いの裁可を、それがしより上様に進言いたしまする」「ご金蔵を空になさるおつもりか」
 
 
信綱は黙考した。金16万両で物が買われれば、職人や農民にお金が回る。彼らが物を買えば、それを売る者が潤う。お金は回り続ける。正之は、町人を町の建て直しの導火線にして、江戸繁栄と言う灯を灯すつもりだ。
 
 
これって、反緊縮政策そのものではないですか! 今の政治家さん(与党も野党も。特に立憲の方々)に、是非とも保科正之の治世を学んで欲しいものです。
 
 
明暦の大火は、NHKが 2016年1月3日に放送した『ザ・プレミアム 歴史エンターテインメント「大江戸炎上」』の中で再現ドラマにして、信綱を柄本明、保科正之を高橋一生が演じた。
■ところで、佐藤巖太郎氏が『オール讀物』に連載していた「保科正之もの」の中で、何故か『将軍の子』に収録されなかった一篇がある。『オール讀物』2018年1月号に掲載された「所払い」だ。
 
年代的には、正之の青年時代。まだ高遠で養父のもと治政を学んでいた頃の話。当時も今も、治水は政治の要だ。高遠藩で水を争う農民たちの闘争が描かれる。あの、先の養子だった、真田左源太とその妹も登場するらしい。
 
この本が文庫化された際には、是非とも「所払い」も収録してほしいものだ。
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