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2018年11月

2018年11月19日 (月)

伊那のパパズ絵本ライヴ(その135 ?)飯島町子育て支援センター

■昨日は、まるまる1年ぶりの「パパズ」。あ、それは僕個人的な話。僕が参加しなかった「パパズ」は、1月に山梨県石和でもあった。今年はオファーも実際少なかったのだけれど、メンバー皆が忙しく、折角オファーがあっても、ほとんど断ってきたのも事実。5人のうち3人がダメなら請けられないのだ。

今日は久々に3人だけ(伊藤パパは手良小の収穫祭で欠席、宮脇さんも市役所のお仕事で欠席)そろってのライヴと相成った。

< 本日のメニュー >

1)『はじめまして』

2)『たたんぱたたんぱ』のむらさやか・文、川本幸・製作、塩田正幸・写真(こどものとも 0.1.2. 2018年9月号) →北原

3)『もりのおふとん』(こどものとも年少版 2018年12月号)西村敏夫→坂本

4)『かごからとびだした』(アリス館)

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5)『あれこれたまご』(福音館書店) →倉科

6)『おかおみせて』ほしぶどう(福音館書店) →北原

7)『パンツのはきかた』岸田今日子(福音館書店)

8)『けっこんしき』鈴木のりたけ(ブロンズ新社) →坂本

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■なんだか、水野晴郎みたいな坂本さん。妙に似合ってるなあ。

9)『山んばあさんとむじな』山姥が登場する怖い絵本。→倉科

10)『ふうせん』(アリス館)

11)『世界中のこどもたちが』(ポプラ社)

12)『おーいかばくん』(アンコール)

■ほんと久しぶりで、三線もギターもさわるのもメチャクチャ久しぶり。歌を歌うのも久しぶりで、歌詞も間違えてしまったよ。ダメだな。ごめんなさい。

2018年11月15日 (木)

『音楽家 村井邦彦の時代』(その1:作曲家デビューまで『キャンティ』の頃)

村井邦彦は、東京大空襲間近の 1945年3月5日、東京に生まれた。フランス系カトリック・小中高一貫高「暁星小学校・中学校・高校」(大学は、慶応大学法学部)の出身だ。小学校からの同級生に、歌舞伎役者の二代目中村吉右衛門がいる。

当時、都内でも有数の有名私立一貫高に通っていたということは、村井の実家は相当裕福な家であったと思われる。

■中学生の時に、ベニー・グッドマンのレコード『カーネギー・ホール・コンサート』を買って貰い、ジャズに目覚める。中学では、ブラスバンド部に入り、迷わずクラリネットを吹き始めた。

1961年(昭和36年)、村井邦彦 15歳。暁星高校1年生。浅草コマキ楽器のジャズスクールで中古を買ってもらってアルトサックスを習う中で、2歳年上の山田三郎(宮内庁御用達漆器店「日本橋・山田平安堂」の御曹司)と知り合い、「みどり色のパジリコスパゲティ」を食べに、飯倉片町にあるイタリアン・レストラン『キャンティ』へ初めて連れて行ってもらう。

山田は、『キャンティ』オーナー川添浩史の次男光郎(当時18歳)と仲が良かった。長男の川添象郎は、1960年(19歳)に父親の紹介で、ロバート・キャパが作ったカメラマン集団マグナムが来日した際のアシスタントを務めたあと渡米し、ラスベガスでシャーリー・マクレーンのステージを手伝い、ニューヨークに行ってフラメンコ・ギターを習得。その後、フランス・スペインに渡って武者修行ののち1964年になって帰国するので、村井が『キャンティ』に出入りしていた当時は、まだ川添象郎とは出会っていない。

川添浩史は、後藤象二郎の孫にあたる。土佐藩参政であった後藤は、坂本龍馬が「船中八策」を示した相手。彼はその八策を持って、山内容堂に伝え、容堂から徳川慶喜に伝えられ「大政奉還」に至る。その後藤象二郎の孫なのだ。

出自は伯爵後藤猛太郎が新橋芸者のおもんとのあいだに生ませた庶子である。三菱銀行の取締役をしていた川添家の養子(川添紫郎)として育てられた。麻布の家には浩史専用の女中さんがいたほどの裕福な家庭だったようだ。(松岡正剛の千夜一冊より)

川添は早稲田大学在学中、1930年代のパリに遊学する。(つづく)

2018年11月13日 (火)

村上"ポンタ"秀一 〜山本潤子〜赤い鳥〜村井邦彦

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

『村上"ポンタ"秀一 / Welcome to My Life』9曲目で歌うのは、元ハイ・ファイ・セット、元「赤い鳥」の山本潤子だ。曲は『月曜はブルーな日』。オリジナルは、シェールが1972年に出した「IT MIGHT AS WELL STAY MONDAY FROM NOW ON


YouTube: Cher It Might As Well Stay Monday (From Now On)


YouTube: 赤い鳥 月曜はブルーな日

この曲は、フォーク・グループ「赤い鳥」が、1973年に出したレコード『美しい星』4曲目に収録されている。この作品から正式に「赤い鳥」メンバーとなったのが、ギターの大村憲司と、ドラムス・村上"ポンタ"秀一だった。知らなかったな。ポンタさんのプロ・ミュージシャンとしてのキャリアの始まりが「赤い鳥」だったのか。

山本潤子は、ハイ・ファイ・セット(この命名は細野晴臣)を解散後ソロで活動を続けていたが、2014年3月29日、夫の山本俊彦が心筋梗塞で急逝。同年5月以降、無期限休業に入り現在も沈黙したままだ。

2015年9月に開催された村井邦彦の70歳(古希)を祝う『ALFA MUSIC LIVE』にも欠席した。紙ふうせんは出ていたのにね。誰よりも彼女の歌声を愛した村井は、本当に残念がっていた。

オフィシャル・ブログも、2015/01/24 から更新は止まったままだ。

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■「赤い鳥」の代表曲と言えば、『翼をください』だ。音楽の教科書に載り、老若男女をとわず誰もが知っていて、現在も世界中で愛唱されているエバーグリーン。この曲を作曲したのが、村井邦彦だ。

■前述の「ALFA MUSIC LIVE」は、同年11月7日に WOWOW で放送され、残念ながら前もって知らなかったので途中からの録画(細野さんが小坂忠を紹介するところから)になってしまったが、素晴らしいコンサートだった。恥ずかしながら、ぼくは村井邦彦が「アルファ・ミュージック」の社長であったことを知らなかったのだ。

今年の8月16日に、松本の古書店「アガタ書房」で、たまたま『[アルファの伝説] 音楽家 村井邦彦の時代』松木直也(河出書房新社)を見つけ「おっ!」と手に取り即購入した。

10月半ばになって、山本潤子の『月曜はブルーな日』を聴き、ふと「この本」のことを思い出し読み始めたのだ。読みながら、その都度ツイートしていった。以下、このブログで「まとめ」て行こうと思う。

2018年11月11日 (日)

村上ポンタ秀一 & 大貫妙子「Yesterday Yes A Day」

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

■先月の10月11日。県医師会広報委員会があった、長野からの帰りに寄った塩尻のブックオフで購入。『Welcome to My Life』500円だった。これだから「ブックオフ」巡りは止められないんだ。

村上”ポンタ”秀一「芸歴25周年」を記念して20年前に製作されたこのCDは、参加ミュージシャンがとにかく豪華だ。いまなら絶対不可能な企画CDだな。

ビックリなのが1曲目。ドラマーのCDなのに、ベーシスト「ジャコ・パストリアス」の傑作『ワード・オブ・マウス』の完コピ。しかもダイジェスト版。これが完璧でじつにカッコイイのだ!

『村上"ポンタ"秀一 / Welcome to My Life』


01. Jaco Pastorius Medley(バカボン鈴木・村田 陽一ソリッドプラス)
☆Soul Intro ~ The Chicken ~ Elegant Peaple ~ Liberty City
02. I Want You Back(NOKKO・白井良明・亀渕友香)
03. Travelling(近藤房之助・Char)
04. I've Got You Under My Skin(山下達郎)
05. 青い山脈(矢野顕子・山下洋輔)
06. Oh! Darling(井上陽水・大村憲司
・岡沢 章)
07. Jane Birkin Medley(大貫妙子・森まどか・EPO)
☆Yesterday Yes A Day ~ Les Dessous Chis ~ Ballade De Johnny-Jane ~ Di Doo Dah


YouTube: Yesterday Yes A Day  大貫妙子

08. 津軽 ~ 南部俵積み唄(二代目高橋竹山・香西かおり)
09. It Might As Well Stay Monday From Now On(山本
潤子)
10. Time Is On My Side(沢田研二・大村憲司・和田アキラ)
11. We Can Talk(忌野清志郎・ジョニー吉長・仲井戸麗市)
12. Left Alone(吉田美奈子・渡辺香津美)
13. ヨイトマケの唄(泉谷しげる)
14. Mambo No.5(高中正義・小原礼・国府弘子・MALTA・高橋ゲタ夫・中島啓江)
15. (The White Room ~ Sunshine Of Your Love) ~ Knockin' On Heaven's Door(桑田佳祐)
16. Welcome To My Rhythm(こんなオイラに誰がした) ~ 嵐を呼ぶ男(菅沼孝三・森高千里・東原力也・真矢・村石雅行・森山威男・神保彰・日野元彦・仙波清彦ほか)

どの曲も力作ぞろいで、特に4曲目の山下達郎が歌う、フランク・シナトラの十八番がお気に入りなのだが、思わぬ拾いものとでも言うか「おおっ!」と思ったのが、大貫妙子さんがカヴァーしたジェーン・バーキンの「Yesterday Yes A Day(哀しみの影)」だ。日本語で歌うその「歌詞」がすごくいい。

ところが、オリジナル曲の訳詞を探してみると、ぜんぜん違うのだ。あれっ?と思って、歌詞カードを見直すと <日本語詞:サエキけんぞう>となっている。サエキけんぞう氏の訳詞は、全然原曲に忠実ではなく全くのオリジナル歌詞だったのだ。

 「あなたは 私の中 深く深く 潜って ドアを開いた それは永遠(とわ)へ続く あのブルー」

なんて歌詞は、原曲にはどこにもない。でも、大貫妙子さんが唄うと、それでしかありえない詩になっているのだ。これには驚いた。

 

 

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