映画『牯嶺街少年殺人事件』エドワード・ヤン監督作品をみた
■映画とは、本来、真っ暗な映画館のスクリーンに向かってたった一人、その観客はこれからの上映時間を「この映画」に捧げることを覚悟のうえスクリーンと対峙するものであった。少なくとも、ぼくが映画を見始めた頃はそうだった。
まずは闇だ。映画は闇から始まることになっている。
斉藤耕一『旅の重さ』のファースト・シーンを見よ。
■この、真っ暗な闇に、縦に白い光が差し込む瞬間が映画の始まりなのだ。ちなみに、このシーンは、ジョン・フォード監督作品『捜索者』へのオマージュとなっている。このことを教えてくれたのは、当時映画雑誌『リュミエール』編集長だった、蓮実重彦氏。
「リュミエール」とは、フランス語で「光」という意味だ。ただ、世界で初めて「映画」を発明した兄弟の名前が、偶然にも「リュミエール」であったことが全てを象徴しているのかもしれない。
■映画雑誌『リュミエール』の最終号(vol.14 / 1988年冬号)は、どうしても棄てられなくて未だに持っている。エドワード・ヤン監督のことは、同じ台湾出身の映画監督、ホウ・シャオシェンと共に、この雑誌を通じて蓮実重彦氏から教わった。
ただ当時、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画は何本か観たが(『恋恋風塵』『童年往事』『非情城市』)何故か楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の映画には触手が伸びなかった。当時は1本も観てないのだ。バカなことをしたものだ。どうして観に行かなかったのだろう?
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■『牯嶺街少年殺人事件』の紹介記事では、藤えりかさんの「この記事」がよい。
■それから、今回公開された、3時間56分のオリジナル全長版の「あらすじ」を【ネタバレ】で最後までコンパクトに分かり易く紹介しているのが「こちらのサイト」だ。映画を観た人が、よく分からなかったところを整理するのに実に良く出来ているのでオススメです。
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エドワード・ヤン監督作品の台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を初めて観た。松本シネマセレクト。圧倒的な3時間56分。これは凄いな。大傑作。思春期特有の残酷さ。切なく痛い映画だ。公開時なぜ見に行かなかったんだろう。・続き)むかし、スクリーンで見た『青春の殺人者』『十九歳の地図』『サード』などの日本映画を思い出した。主人公の家族が日本家屋に住んでいたせいか、妙に懐かしい感じもしたんだ。侯孝賢『非情城市』は公開時に見た。あれは本省人の苦悩の話だったが、今度は外省人の家族の生き辛さか。・続き)『牯嶺街少年殺人事件』の英語のタイトル名が『A Brighter Summer Day』なのが泣ける。エルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」の歌詞から取られている。懐中電灯を持ち歩く主人公は言う。「この世界は僕が照らしてみせる」と。・続き)映画の光と闇。山東 (217 グループ) 一味のビリヤード場がやたら停電する設定になっていて、だからこそ、台風が来た夜に彼らを急襲する、台南ヤクザと小公園一味に停電がミカタするのだ。敵ボスの死に際を懐中電灯で照らす主人公。ここのシーンは忘れられない。『牯嶺街少年殺人事件』・続き)あと、中国本土から逃げてきた家族、知人、恩師の奥さん皆で記念写真を撮るシーン。侯孝賢『非情城市』にも、トニー・レオン一家が写真館で家族写真を撮るシーンがあったな。それから小津安二郎『麦秋』にも、印象的な家族一同での記念撮影のシーンがあった。『牯嶺街少年殺人事件』。・続き)おっと忘れていた。主人公の父親がじつにいい。父親が学校に呼び出されたあと、自転車の父子が家路につくシーンが「3回」登場するが、この反復はズルいな。しがない公務員の父親は、外省人であるがために毛沢東中国共産党のスパイではないかと、台湾当局から執拗な尋問を受ける。拷問に近いな。・続き)もうさ、4時間近くお尻痛いのを我慢してスクリーンを凝視してるとさ、映画の主人公と完全に一体化しちゃうんだよ。ちょうど『昭和残侠伝』の高倉健と池部良を見ているみたいに。『牯嶺街少年殺人事件』・・映画『牯嶺街少年殺人事件』のことを、もっとよく知りたくて、季刊誌『映画芸術』最新号(2017年春/第459号)を買ってきて読んでいる。故・梅本洋一氏によるエドワード・ヤン監督インタビュー(1991年10月東京)がまずは読ませる。いくつも発見があったぞ。・続き)父親が拷問に近い尋問から解放され帰宅した後、彼の妻は公務員を辞めて民間企業に再就職を薦める。その面接の日、主人公の小四(シャオスー)は母親に映画を見に行って時間を潰すよう言われて、映画館で小翠(小馬の当時の彼女)と会うのだが、彼らが観ていた映画は、音声だけで何かは解らない。・続き)ところが! 梅本洋一氏は音声だけで映画の名前とそのシーンまで特定してみせる。凄いな。その映画とは、ジョン・ウェイン主演、ディーン・マーティン共演、ハーワード・ホークス監督作品『リオ・ブラボー』だ。エドワード・ヤン監督は、この映画を少なくとも10回は見たと言っている。・続き)ここで西部劇を主人公が観ていることが、後半中学校の誰も居ない保健室で、校医の若先生のハットをかぶって「鏡」を見ながらジョン・ウエィンになりきる主人公に繋がるし、小馬の家で、小明(シャオミン)が、まるで南海キャンディーズ「しずちゃん」みたいに『ばーん!』て発砲する場面に繋がる・続き)主演のチャン・チェンは一番最後に決まったんだそうだ。楊徳昌監督は言う。「それに、何よりも、僕が彼に引きつけられたのは彼の目です。彼の目の表現には、時にはすごく深いものがあるし、また時には、何かはっきりとは形にならない感情を伝えてくれたんです。他の少年にはない目の表現が」・続き)「あの子にあった。」小明と二人、午後の授業をサボって河川敷での軍隊演習を遠く見学している時に絡まれた、主人公と敵対する「217グループ」の下っ端を見事撃退した後の主人公が、自転車を引きながら彼女と帰路につくシーン。彼の眼は、東大寺詩仙堂に安置された「広目天」みたいだったぞ。・続き)ただ、よくわからないのはヒロインの小明(シャオミン)だ。決して美人ではない。目は小さいし離れている。ひょろりと痩せていて、胸もないし、ただ首が長いだけの14歳の少女だ。そんな小明が、次々と男を手玉に取る。もちろん本人にその意識はない。ただ生き延びる手段に過ぎなかったのだ。・続き)でも、そんな彼女のために、男たちは自らの命を捧げた。ハニーに殺された、217グループ・リーダー。小公園リーダー「ハニー」、中山堂経営者の息子「滑頭」、建国中学校の校医の若医者、建国中学校バスケット部のエース「小虎」、台湾国軍司令官の息子「小馬」、それに主人公の小四。7人の男・・続き)【ネタバレ注意!】映画館で小翠から、あの夜、滑頭が会っていたのは小明であったことを知る主人公。しかも、その小明は母親と共に親友「小馬」の家の住み込み家政婦として働くことになったことを知る。主人公にとっては「もう、なんだかなあ」の世界だ。映画撮影スタジオに、大切な懐中電灯を置いてゆくのは、もちろん意識的だ。だって、遺書みたいな文章もしたためているのだから。つまりは、主人公の総決起決意表明なワケだ。となると、彼が殺したかったのは「小馬」なのか? ぼくはそうは思わない。だとすれば『曽根崎心中』みたいになるべき? いや、それとも違う。難しいな。・続き)この世で一緒になれないならば、あの世で一緒になろうとしたのが、曽根崎心中だったワケだが、牯嶺街少年殺人事件の主人公は自ら死のうとはしなかった。そのことは、じつは重要だと思う。・『牯嶺街少年殺人事件』の主人公シャオスー(小四)とシャオミン(小明)は14歳の中学2年生だった。『タレンタイム 優しい歌』の二人は17歳の高校2年生。無垢の二人は、キスさえためらう。ところが、14歳の小明は既に幾多の男を知り尽くしている。大竹しのぶみたいに。無知な小四が実に憐れだ
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