■礼服を着る機会が、結婚式よりも告別式のほうが格段と多くなったように思う。小学校や高校の時の同級生の葬儀にも何度か出席した。そして、自分の葬式のことが具体的に気になりだしたのだった。簡素な家族葬がいいんじゃないか、とか、墓はいらないから、どこか木の根元にでも散骨してほしいとか。
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■そんなことを考えていたから、「この映画」が妙に沁みたのかもしれない。それから、最近の映画はやたら長いのが普通だが、「この映画」は昔の2本立てプログラム・ピクチャーみたいに、きっちり90分の上映時間。そこが偉い! 以下、ツイートを再録(一部改変あり)
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たまたまWOWOWで、映画『おみおくりの作法』を見た。これは参った。もろ好みの映画だ。モノクロみたいな押さえた色調。3回でてくる立ち小便など、随所に織り込まれるとぼけたユーモア。『晩春』の笠智衆みたいにリンゴの皮をむく主人公。私立探偵が関係者を訪ねて聞き込みして廻るハードボイルド小説の味わい。(3月28日)
続き)この映画、イギリス版『おくりびと』みたいなキャッチコピーがされているが、むしろ、是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』を見たときの印象に近い。映画の原題も『STILL LIFE』だし。ああ、いい映画をみたな。
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映画『おみおくりの作法』が沁み入った一番の理由は、映画が「小津的」であったこと。本来居るべき人がいない無人の部屋のショットとか『晩春』だし、ラスト近く主人公のオフィスのショットから4カット、パッパッパと風景だけでつないでいくシーンは『東京物語』ラスト近くで挿入される、無人の尾道の町並みと同じ効果。
続き)あと、「黄色」の使い方。アキ・カウリスマキは「朱色」にこだわったけど、この監督は「朱色」を避けて、小津のカラー映画を「渋い黄色」で再現しようとしたのではないか? ソファーの色とか、電車のラインとか、漁師の銅像が着ている合羽の色とかね。(3月30日)
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ウベルト・パゾリーニ監督は、小津安二郎の死生観に影響を受けたと語ったそうだが、小津の死生観は、日中戦争が始まった昭和12年からの2年間、中国大陸での従軍体験によるところが大きい。今晩『小津安二郎周游(上)』田中眞澄(岩波現代文庫)の第8章、第9章を読む。衝撃が走る。(4月1日)
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TSUTAYAで『おみおくりの作法』を借りてきて、改めて見ている。スタークの娘は、フォークランド紛争で落下傘部隊として活躍した父親のベレー帽と同じ煉瓦色のジャージを着ている。彼女が働く犬舎の床は青色だ。そして、父親と同じく、足の折れたソファーに何冊も本を挟む。親子なんだね。
続き)映画『おみおくりの作法』の主人公は、いわば人知れず子供の頃からの発達障害を抱えたまま大人になってしまったアスペルガー症候群の中年だと思う。スクエアーで四角四面。毎日決まり切った日常を変わりなく過ごすことが重要なのだ。だから、道路を渡る時には横断歩道を信号が青になっても、まず、右を見て左を見て、それからもう一度右を見てから道路を渡ってきた。
それくらい、普段と違うことをするのには慣れていないのだ。でも、一番重要なことは、そんな彼に「一人も」友達がいないことを、彼自身は全く何とも思ってはいない。つまりは、決して淋しい人生ではなかったのだ。(4月3日)
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続き)几帳面でど真面目な公務員の主人公には、勤務が終了した後、アフター・アワーズの私的楽しみを行きつけの居酒屋(パブ)で味わう経験はなかった。彼のテーブルには、ウィスキーのストレート一杯に、チェイサーの水が2杯。ふと見上げると、喧騒な中に人々がそれぞれに連んで語り合っているのだった。
続き)ただ、その事を主人公は何とも思っていない。他者と自然にまじわわれない自分に対して、仕方のないことだと、静かに諦めているのだ。でも、22年間勤め上げた民生委員の仕事に対しては、確かな自信と誇りがある。こういう性質の彼には、まさに天職であった。(4月3日)
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■映画評はいっぱい出ているが、沢木耕太郎氏の評がいちばんしっくりくるな。それから、
「こちらの方」の解説もたいへん分かりやすい。確かに、この映画の主人公は、村上春樹『かえるくん、東京を救う』の「片桐さん」みたいだ。人知れず、誰に褒められる訳でもなく、淡々と「よいこと」を続けてきた彼の人生。すばらしいではないか。
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■この映画は、まるで脱色でもしたかのような淡いカラー映像で始まって、主人公の気持ちと同調するように、後半になって次第にカラーの色合いが濃く鮮やかになってゆく。それから、この監督は画面上での「色の配置」にもの凄く意識的だ。特に、黄色と青色、それにエンジ色。
これはやはり、小津のカラー映画『秋刀魚の味』や『彼岸花』を強く意識しているのであろう。
そして、「反復」と「微妙な差異」。これも小津だ。しかし、映画の後半になると、正面からの固定ショットは減って、斜めからやカメラが移動しながら主人公をとらえている。たぶんこの変化も、主人公の気持ちと同期しているのだろうな。
それにしても、映画人の職人気質にあふれた、映画でしか表現できない、実に端正な映画であった。
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