« 引き続き、ずっと「細野さん」を読んでいる(聴いてもいるんだ) | メイン | 細野晴臣『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その3) »

2015年7月24日 (金)

細野晴臣『分福茶釜』と『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)

■前回のつづき。読んだ本の感想を書いてなかったので、もう少し追加の話題。

しばらく前のツイッターには、こう書いた。

『地平線の相談』があまりに面白かったから、細野晴臣『分福茶釜』(平凡社)を読み始める。あ、「ご隠居さん」と「八つぁん」の、お気楽のほほん対談は、こっちが元祖だったんだ。でも判った。細野さんは、生粋の江戸っ子なんだね。父方の祖父はタイタニック号の生き残りで、母方の祖父はピアノ調律師

『分福茶釜』細野晴臣&鈴木惣一朗(平凡社)読了。細野さんて、アニミズムの人だったんだ。長新太みたいな人なのだ。しみじみ尊敬。この本もとても面白かったから、5年後に続篇を出すと予告されて、6年後に最近出た続篇『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)も読むぞ!

■というワケで、『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)を読了した。これまた面白かった。すごく。

ぼくなんかが読後感想をアップするまでもなく、この対談本のポイントを見事に押さえたサイトがあった。「本と奇妙な煙」だ。

『地平線の相談』

『分福茶釜』

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その1)

『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(その2)

でも、読者それぞれが「重要」と思うポイントは、案外ぜんぜん違っていたりして(まぁ、ぼくだけズレているのかもしれないけれど)面白いなぁと思った次第です。

以下、ぼくが注目した部分を少し拾ってみますね。

細野:そういう自覚はないんだ。苦労してきて、「ああ、いつもツイてないな」と思ってここまで来た。不運な音楽家。ホントなんだよ、これ。はっぴいえんどはたかだか2年ぐらいやって、全然売れないから、誰も聴いてくれないや、って感じで辞めたと。

ソロをつくった。誰か聴いてんだろう、そこそこ数千枚は売れるけど別に誰が聴いているかはわからない。全然話題にもならなかった。で、その後クラウンに移ってつくった二枚。あれはもっと孤独だった。いままで聴いていた人がみんな離れちゃった。怖がって。(中略)

そう。追いやられてた。とにかく苦労してきた。全然売れなかったんだよ。で、YMOで売れちゃったら、それはそれで別の苦労があった。(『分福茶釜』15ページ)

YMOをやるときは、実は、YMOをやるか、あるいは高野山に行くかで迷っていたんだよ。

---- 世を捨てるってことですか?

いや、そういうことじゃない。ぼくのアイドルはその当時、お釈迦様だったんだ。お釈迦様は29歳のときに出家したんだよ。で、36歳か37歳のときに悟りを開いた。その頃、ちょうどぼくは同じ年頃だったから、「今だったらできるな」と思ったんだ。京都のお寺に通っていたし、お坊さんとも知り合いだったから、本気で得度しようと思ったらできたかもしれない。

(『分福茶釜』25ページ)

 はっぴいえんどをやっていた頃から、日本に自分たちの居場所をみつけられないって感じはずっとあったんだよ。かといってアメリカにもみつけられない。それで「さよならアメリカ、さよならニッポン」っていう曲をバンドでつくったんだけど、それで両方いられる場所はないっていうことはわかった。

ちゃんとした国籍が持てないっていうか、「自分は日本人だ!」っていう意識は持てないし、かといってアメリカ人でもない。浮いている存在だって、そういう気持がその後ずっとだらだらと続いた。

---- 今もその感じはあります?

今もあるね。だからハワイに行ったらぴったりきた。日本とアメリカの中間だから。マーティン・デニーとか聴いてぴったりきた。それはエキゾティシズムってものと結びついて今も続いてるんだけど。

でも、最近はちょっと変わってきている。自分に江戸っ子気質ってものが出てきたんだ。(中略)ぼくは昭和22年生まれだから、まだそういうものが残っている時代だった。おばあちゃんとかが身のまわりにいたしね。そういうなかで育っているから、案外それが身に付いているんだ。(『分福茶釜』58〜59ページ)

---- (おばあちゃんは)キビシイ人でした?

やさしかった。落語が好きだったり、歌舞伎が好きだったりっていうことで影響を受けたりしている。おばあちゃんだらけだったんだよ、まわりは。おばあちゃんの妹も近所に住んでたし。みんな江戸っ子っぽくてね。

特別な教えなんかないよ、もちろん。でも仕草や言葉だよ、影響されるのは。おならなんて言わないんだよ。「転失気(てんしき)」って言うんだよ。(『分福茶釜』61ページ)

---- 漫画好きですよね。

 映画と同じくらい好きだね。本よりも好きだった。諸星大二郎とか、花輪和一とか。いいんだよ、シャーマニズムの本質が描かれてて。あとは『サザエさん』。何度も読み返す。

(『分福茶釜』159ページ)

「美しい国」って安倍晋三が言ったとき、ちょっと怯えたの。怯えてる人はいっぱいいたんだけど、ところがテレビに出てくるような人たちは何も言わないんだよね。言うべき人が何も言わなかったら、どうなんだろうと思って、ぼくはラジオで何か言わなきゃ、言葉にしなきゃいけないと思って、「憲法改正はいやだ」と言ったんだ。「戦争放棄なんて、カッコいいじゃん」て。

だって、若者はそう思うべきだから。若者のなかに憲法改正賛成なんて言う人がいるって知って、ちょっとイヤだったの。「戦争放棄」なんて紙に書いた一行だけどさ、これがあるかないかでカッコよさが違うから。

スイスってのは永世中立国っていう特異な国家だけれども、そのためには軍隊を持たなきゃいけないわけだ。でも、その上をいくのが日本の憲法。戦争放棄なんて、奇跡的なことなんだ。笑っちゃうくらい。よくそんなことが書かれたなと思うわけ。

だからこそなくなったら二度とつくれない。だって非現実的だから。だからこそ、絵空事でもなんでもいいけど、その文面は残しておかないといけない。

  (中略)

 でも、世の中まだそこまで行ってないと思うから、今のうちになんかこう声に出して行動しておかないと、と思う。ぼくは決して楽観的じゃないから、今後世の中がどうなっていくか知らないけれど、一切語ることもできなくなるって時代もあり得るわかだからね。

日本は戦争中がそうだったんだ。そのなかにも石橋湛山みたいな人もいたけど。今はまだ言えるんだから、言えるうちに言わないと、という気持ちがある。嫌われようと、嫌がられようとね。(『分福茶釜』118〜120ページ / 2008年6月10日初版発行

 ぼくは右も左もないからね。もうそんな時代じゃないしね。それを新聞に書いたらめちゃめちゃ叩かれたけど。誹謗中傷の嵐。右翼だとかも言われた。

---- 細野さんがですか?

 うん。もうそんな時代じゃないでしょ。昔からぼくはノンポリで通してきたんだけどね。結果は左寄りに見えたんだろうけど、「ぼくらは単なる音楽好きだよ」っていう思いしかなかったから、それすらも違和感があった。

ぼくには、右も左も同じに見えるんだ。実際、当時の左翼はみんな右翼になっちゃったし。ディランについて言えば、ディランは左翼じゃないし、プロテストもしてない。心情的にイヤなことをイヤだって言ってるだけなのに、誤解されていると思う。(中略)

---- ディランはかつて、ユダヤ系だったにもかかわらず、クリスチャンの洗礼を受けて批判を浴びましたよね。その後、クリスチャンであることもやめちゃいましたけど。

 信仰心をテーマにしたことは深いことだと思うよ。右とか左とか単純な割り切りではできない。主義主張っていうのは左脳的なことだけど宗教はそうじゃないから。ちなみに、ぼくはアニミズムだよ。それがいまの基本。ものごとを分けること自体がバカバカしいって思ってる。(『とまっていた時計がまたうごきはじめた』102〜103ページ / 2014年11月25日初版)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.dcnblog.jp/t/trackback/463039/33486145

細野晴臣『分福茶釜』と『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

Powered by Six Apart

最近のトラックバック