ぼくのトラウマ絵本『ウラパン・オコサ』
■昨日の木曜日の昼休み。近くの竜東保育園で年中組と未満児さんの内科健診。半年経つとずいぶんと違うなぁ、子供たち。自分の診察の番が来るまできちんと整列して体育坐りしてる。もちろん隣の子との私語もなく、静かにちゃんといい子で待つことができる。凄いなぁ、こどもたち。この世に生を受けてまだ4〜5年だというのに。
■例によって、健診の後に先生に頼んで絵本を読ませてもらう。最近入手した絵本を数冊持ち込んで、こどもたちの実際の反応を試してみる貴重な機会なのだ。この日読んだ絵本は、
1)『じゃがいもポテトくん』長谷川義史(小学館)
2)『ちんころりん』こどものとも年少版 / 2011年10月号(福音館書店)
3)『ウラパン・オコサ』谷川晃一(童心社)
4)『ラーメンちゃん』長谷川義史(絵本館)
とにかくこの日は、最後に『ラーメンちゃん』を読むことだけを決めて行った。
『ラーメンちゃん』。これはいい絵本だなぁ。しみじみそう思うよ。
最後の、「こどもたち Go!」は、こどもたちといっしょになって、ぼくも先生方も、大きな声で右手を振り上げて3回、言ったよ。「こどもたち Go!」って。気持ちよかったなぁ。読み終わったあと、こどもたちが口々に「ラ、ラ、ラ、ラーメンちゃん!」て、呪文のように繰り返し繰り返し言ってた。耳から離れなくなっちゃったんだね。あはっ!
■ところでこの日の試読絵本の中で、ぼくが一番にこども達の反応を見てみたかった絵本が『ウラパン・オコサ』なのだ。
年中さんには、ちょっと無理だよなぁ。数学だもんなぁ。
でも、さっきまで「2進法の絵本」だと確信していたのだが、よーく考えてみたら2進法は(0,1)だけだから「オコサ」がない。ていうことは、この絵本は「3進法」なのか! これは4歳児には無理だよ。やっぱり。
じつはこの絵本、ぼくは大嫌いだった。個人的トラウマがあるからです。
そのことは、「2006年12月28日の日記」にも書いた。以前参加した「絵本の読み聞かせ講習会」で、ぼくは初めて『ウラパン・オコサ』を見た。その日会場に集まった100人近くの人たちは、読み聞かせ経験豊富な女性(多くはオバサンたち。ゴメンナサイ)がほとんどで、男は僕をふくめて2人だけだった。オバサンたちは「この絵本」のことを既によく知っているみたいで、講師の越高さんの音頭に合わせ声をそろえてお経のお題目のように「オコサ、オコサ、ウラパン」と絵を見ながら楽しそうに即座に答えていた。
ぼくは、何がウラパンで、何がオコサなんだかか、訳が分からなかった。みんな分かっているのに僕一人だけ何も理解できない。何がなんだかさっぱり分からなくて、一人だけ仲間外れにされたようで、何とも言えない淋しさと恐怖感を味わされたのだった。いま思い返してみても、あれは不気味な雰囲気だったよなぁ。
それ以来、『ウラパン・オコサ』が苦手になってしまったのだ。
あの、悪夢のような『ウラパン・ドコサ』。
でも、ぼくはあの「トラウマ」を乗り越えない限り、こどもたちに絵本を読むことができないと、ずっと感じてきたのだった。
■保育園で絵本を読み始めてもう、10年が過ぎた。そろそろ「あれ」に挑戦してもいいんじゃないか? そう思ったんだ。たまたま、伊那のブックオフに『ウラパン・ドコサ』の新古絵本が出ていたのだ。500円だった。ぼくは「あっ!」と驚いて一瞬後ずさったのだが、その5秒後には躊躇なく「この絵本」をレジに持って行った。だからいま、ぼくの手元にあるのです。
僕が初めて「この絵本」に出会った時には、ちんぷんかんぷんで、何が進行しているのか「その場」に参加できずに、すっごく寂しい思いをした。でも、こどもたちは違うんじゃないか。そういう希望があった。
で、実際に読んでみて安心したのは、ぼくみたいに「意味不明」で、ついて行けなかった子供が 2/3ぐらいだったかな。でも、残りの 1/3 の子は驚くべきことに、ちゃんと絵本の内容を理解して「オコサ、オコサ、ウラパン」と大きな声で答えてくれたのだ。
これには驚いたなぁ。
「この絵本」。他の保育園、他の年代のこども達にも読んでみて実験してみよう。
「ラーメンちゃん」いい本ですね。撮っておいた情熱大陸を見直しました。
「じゃがいもポテトくん」は、当地にいらした時 まだ出版されていず 「エアー絵本」と言いながら 絵本を持った振りをして 読んでくれました。
長谷川摂子さんが 亡くなってしまいました。残念でなりません。
南信での講演会に「きつねにょうぼう」を持参し 原画の話をしながらサインをお願いしたことが つい昨日のように思い返されます。「ぐやーん よやーん」の 幼児の笑い声と共に。
松本では 島根県の方言で 素語りもして下さいました。
私、この頃「ことろのばんば」を持ち歩いて あちこちで読んでいるところです。
もっともっと 長谷川摂子さんの本を読みたかった。
元永さん 中川正文さんも 亡くなってしまいました。
中川正文さんは 講習会の折り「絵本を読む人は、絵本だけじゃダメ。広い知識を得る努力が大事。一般書、音楽、美術 全てに目を向けなさい」と 力を込めておっしゃいました。今西さんの「すみれ島」を 伝えていくことが ご自身の努めとも。
人は 死ぬものなんですねー。とっても 残念です。
投稿: takko | 2011年10月24日 (月) 07:07
takkoさん こんばんは。コメントありがとうございました。
長谷川摂子さんが亡くなってしまいました。ほんとうにショックです。『とんぼの目玉』を、たいへん面白く読んだのですが、『家郷のガラス絵』が出ていることに気が付かなかったので、さっそく買って読んでみることにします。『ことろのばんば』も知らなかったなあ。こんど探してみます。
ところで、いしいしんじさんの息子さん、ひとひ君っていうんですね。
投稿: しろくま | 2011年10月24日 (月) 23:18
いしいしんじさんは 読んだことがありません。ごめんなさい。
どなたかとお間違い・・・かも。
2006の日記も読みました。
同感です。
斎藤先生は「気をつけよう 暗い夜道とボランティア」とおっしゃいました。学校で先生が本を読まなくなってしまい ボランティアも必要です。子どもたちの大事な時間を貰っていることを忘れないようにしたいものです。
昨日単位制?高校の授業に参加させてもらいました。感想に「kさんは、小学校に良く来てくれたので また会えて嬉しかった」と。
どこに どんなつながりがあるのかわかりませんが、押しつけでなく 共に楽しみ合いたいものです。
昨日の最後は「ラーメンちゃん」
下読みで 泣けてしまった私ですが、もちろん 長谷川さん風に読みました。
教室を出るとき「ラ、ラ、ラ ラーメンちゃん」の明るい声が。高校性だって楽しいと 声に出したくなるのですね。
投稿: takko | 2011年10月25日 (火) 10:06
takkoさん ご返事ありがとうございました。それから、かなり無理してアジテーションを試みた昔の文章までお目にかけてしまって、たいへん恐縮です。
takkoさんの文章を拝見していて、ぼくが以前からずっとお世話になっている松本市在住の中本晶子さんからのメール、お葉書の雰囲気にすっごく似ていたので、もしかして、中本さん? と思ってしまったのでした。
たいへん失礼いたしました。
やはり、ぼくの感はぜんぜん当てにならないな。ごめんなさい。
投稿: しろくま | 2011年10月26日 (水) 23:43
中本さん 大好きです!
光栄です
投稿: takkko | 2011年10月28日 (金) 08:04