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2011年10月 7日 (金)

ありがとう! スティーヴ。

わが家の現役 Mac たちです。真ん中は初代の iPod。まだ現役。

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ただ、しばらく引退していたチタン・ボディの「PowerBook G4」を取り出してきて、Ethernet に繋いだのだが、インターネットの設定条件が変わってしまったので、ネットに繋がらず、従って「G4」だけ、アップル・トップページ画面でなくて、なぜか『ぐりとぐら』になってしまった。残念です。


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■ぼくが初めて自分のコンピュータ(Macintosh LC)を手にいれたのは、1990年のことだ。当時ぼくは、飯山日赤小児科の一人医長で、確かあれは2年目の秋だったんじゃないかな。その前年に、飯山駅前のヤマダ電機でパナソニックのワープロを購入した記憶があるから、うん、たぶんそうだ。それ以来20年以上、浮気をすることもなく、ぼくはアップルに操を捧げてきた。


・Macintosh LC → Duo230c & DuoDock → iMac → PowerBook G4
 → iMac & MacBook 


ただ、何故アップル・コンピュータを選択したのかはよく憶えていない。それまで、Macintosh SE/30 を代表とする、パーソナル・コンピュータ界のポルシェの異名をとっていたアップルが、路線変更して低価格の「Macintosh LC」を発表したのがこの年で、ようやくぼくの手にも届くモノになったんじゃないか。


当時、長野県下でアップル・コンピュータを扱っているところは少なく、ぼくは塩尻市広岡にあった、何て言ったっけ? 中村さんから購入した。ただ、安くなったとはいえ、13インチモニターと4Mメモリー増設。30Mの外付けHDに、HPのインクジェット・プリンタを付けて、60万以上払ったんじゃなかったっけ。当時は、独身貴族だったのだ。


あの時の飯山日赤には、マック伝道師で脳外科医の大嶋先生がいたので、ずいぶんといろいろ教えてもらって、ほんと助かったな。Macintosh LCを購入してすぐに、小児科学会甲信地方会があって、ぼくは「当院におけるMRSA感染症の実態」という演題をだしていたので、マックを使って初めてスライド原稿を作った。

活躍したのが「マック・ドロー」と「マック・ペイント」だ。マウスで絵を描くのは難しかったが、「消しゴム」がモニター画面上で本当に消してくれること、それから失敗しても「undo」すれば、何度でもやり直しができることが驚きの機能だった。



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■でも、ぼくがマックを触ってみて一番感動したソフトが「ハイパーカード」だ。と言っても、いまのマックでは動かないソフトだし、いったいどれくらいの人が憶えてくれているのか。


初めて『コスミック・オズモ』のスタックで遊んだ日のことは、今でも忘れない。画面のどこかをクリックですと、次々とイベントが起こる。すっごく楽しい!


こういうものを、何も専門のコンピュータ言語を知らなくとも、自分で簡単にプログラミングできるということが画期的だったのだ。


そうして15年ほど前に、ぼくが作ったハイパーカードの「スタック」が、ご覧の『富士見高原病院医局』なワケです。

井上院長。似てるでしょ。それから、次は富士見高原病院・循環器内科医長の岩村先生の似顔絵。岩村先生はね、ジャズ・ピアニストでもあるのだ。(つづく)


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