いまどきの中学2年生が享受する音楽環境とは
■夕食後、今日発売になったテニス雑誌を買いたいから TSUTAYAへ行こうと、おばあちゃんからもらった図書カードを手に小6の次男が言うので、中2の長男もいっしょに TSUTAYAへ行った。
次男は目的の雑誌を自分の図書カードで購入。ぼくは雑誌コーナーで立ち読み。長男はずっとレンタルCDコーナーにいて、暫くしてから5枚のCD(うち、シングル3枚)を手にやってきて「おとうさん、これ借りたいからよろしく」と当たり前のように言った。
「何だお前、とうさんが金払って借りるのかよ。」 確かに「Tカード」は僕のだが、借りたのは長男だ。しかも、先週末にも5枚1000円で借りてきたばかりじゃないか。なんか納得できないんだよなぁ。
帰宅するなり彼はパソコンに向かって借りてきたCDを早速コピーしている。続けて自分のウォークマンを接続して曲を転送。そんな作業を繰り返して、彼のウォークマンには既に100枚以上のCDが収録されているのだった。
■振り返ってみて、ぼくが中学2年生だった頃はどうだったか?
『僕の音盤青春期』絵と文・牧野良幸(音楽出版社)という本が出ているが、同じ昭和33年生まれで学年は一つ上の著者とは、ぼくもほとんど同じ音楽変遷を経てきたのだった。
当時はまだラジカセなんてなかったから、FM放送をカセットテープにエアチェック録音することはできなかった。ただ、AMラジオはあったから、当時の中坊は洋楽のベストテン番組に耳を傾け、今週の洋楽チャートがどうなっているのか聞き入ったものだ。気に入った曲があれば、レコード屋さんでシングル盤(ドーナツ盤とも言ったな)を買った。LPなんて、高くてそうそう買えなかった。
ぼくが最初に買ったシングル盤は、サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」と仲雅美「ポーリュシカ・ポーレ」だったな。この曲は、1971年のTBSドラマ「木下恵介アワー」人間の歌シリーズ「冬の雲」のドラマ挿入歌だった。
そうして、初めて買ったポップスのLPレコードは、CBSソニー『ギフト・パック・シリーズ』の中の「映画音楽ベストヒット集」だった。前述の『僕の音盤青春期』絵と文・牧野良幸(音楽出版社)の中には、26ページにこんな記載があって笑ってしまったよ。
あの頃、小遣いだけが頼りの中学生がLPレコードを買うのは大変だった。せいぜい一枚1,000円のクラシック廉価盤が精いっぱい。ポップスはシングルで買うのが普通だった。でも、「いつかはポップスもLPで!」と思っていた。(中略)71年暮れ。とうとう初めてのポップスのLPを買う時がきた。いつものように僕とYがレコード屋にひやかしに行ったときのこと、いちばん目立つ棚に、赤い箱がズラリと入っていた。まるで海から打ち上げられた貝殻のようにたくさん重なっている。
それはCBS・ソニーが創業3周年で発売した『ギフト・パック・シリーズ』。LP2枚が赤い箱に入ったベスト盤である。赤い箱はとても印象的で、クリスマス前のウキウキした気分にぴったりだった。『ギフト・パック・シリーズ』には、CBS・ソニーのアーティストがずらりと並んでいた。
その一番手は、やはりサイモンとガーファンクル。前にも書いたが、サイモンとガーファンクルは「ポップスを聴くなら、まずサイモンとガーファンクルを聴け!」と言われるくらい人気だったのだ。(中略)おまけにベスト盤だからさらに厳選された良い曲ばかりにちがいない。2枚組で3,000円という値段も買いやすかった。僕はサイモンとガーファンクルの『ギフト・パック・シリーズ』を買うことにした。自分へのクリスマス・プレゼントだ。
まったくおんなじだ。ぼくは買ったLPレコードを大切に胸に抱えて家に帰り、繰り返し繰り返し聞いた。気に入った曲が、例えばB面5曲目だったりすると、何度も訓練するうちに、曲の始めにぴったし針を落とせるようになったものだ。
■ぼくはこの本の著者と違って、その後は洋楽を離れて専ら国産フォークの世界へどっぷりと浸かることになる。2番目に買ったLPは、泉谷しげる『春夏秋冬』(エレック・レコード)で、3番目が加川良『親愛なるQに捧ぐ』(URCレコード)だった。来る日も来る日も、同じレコードの同じ曲を何度でも繰り返し繰り返し聴いた。加川良のレコードの場合は、やはりB面2曲目の「下宿屋」か。(つづく)
はじめまして、こんにちは。
「サイモン&ガーファンクル 赤い箱」で検索してここにたどり着きました。
「赤い箱」の参考にこのページをリンクさせていただいたのですが、
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投稿: ざぴえる | 2011年4月 5日 (火) 10:50