映画『プリズン・サークル』
■長野県医師会の月刊誌『長野医報8月号』が発刊されました。今月の特集は「おススメの映画」です。ぼくも寄稿しました。以下に転載させていただきます。
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ドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』
上伊那医師会 北原文徳
このコロナ禍で観ることができなかった評判のドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』坂上香監督作品(2019年/日本/136分)の自主上映会が、3月13 日に茅野市民館マルチホールであり観に行ってきました。
映画の舞台となる「島根あさひ社会復帰センター」は、2008年に新しく開設された最大収容者数2000人のれっきとした刑務所で、犯罪傾向の進んでいない、初犯で刑期8年までの男性が収容されています。
従来の高く厚いコンクリートの壁はなく、2重のフェンスで囲われるだけで外からはとても刑務所には見えません。しかし、最新鋭の監視システムを備えた超厳重保安施設には違いなく、その一番の特徴は官民協働で矯正教育や職業訓練を行い、受刑者の就労支援に取り組む「更生の場」として位置づけられていることです。
しかし本当の新しさは、TC(Therapeutic Community:回復共同体)という教育プログラムを日本で唯一導入している点にあります。円座(サークル)になって受刑者同士が「対話」を繰り返すことで、自ら犯罪の原因を探り、問題の対処法を身につけることを目指します。参加できるのは希望者の中から条件を満たした40名のみ。彼らは半年から2年程度このユニットに在籍し、寝食や作業を共にしながら週12時間のプログラムを受講します。運営するのは、アメリカで研修してきた民間の支援員で、心理・福祉の専門家たちです。
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取材撮影許可が下りるまで6年、撮影に2年、公開まで10年を要したこの映画では、4人の若い受刑者にカメラが向けられます。拓也(22歳)はオレオレ詐欺の受け子をして逮捕されました。刑期は2年4ヵ月。真人(24歳)は、オヤジ狩り(強盗致傷)窃盗で刑期は計8年。翔(29歳)は傷害致死罪で刑期はこの刑務所では最長の8年。健太郎(27歳)は強盗傷人で5年の刑期です。
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彼らには自分の気持ちを表現する「言葉」がありません。怒り、憎しみ、妬み、劣等感、寂しさ、不安、自己憐憫、被害者意識。こうした様々な感情をどう解釈すればいいのか分からないまま、自分の感情を言葉にする代わりに「暴力」がその発露となりました。また逆に、自分の感情に蓋をして特に何も感じなくなってしまった(感盲:emotional illiteracy)受刑者たち。
彼らの多くが幼少期に親から虐待され、学校では壮絶ないじめを受けていました。その逆境体験の苦痛を封じ込めるために、感情を麻痺させることで彼らは何とか生き延びてきたのです。「暴力」は学び取られた行為(learned behavior)だと言われています。人は突然暴力的になるのではない。彼らの多くは加害に至る以前に暴力の被害者であったのです。だからこそTCでは暴力を「学び落とす:unlearn」授業が必要になります。また「感情の筋肉」を鍛えるために、気持ちを感じて、言葉にして、相手にきちんと伝える訓練を繰り返します。
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新入りの健太郎は当初「鉄仮面」と仲間から呼ばれるほどの無表情、感情鈍麻でしたが、先輩の発言に耳を澄まして語り方を学び、語彙を増やし、自分の拙い言葉でも真剣にちゃんと聞いてアドバイスしてくれるサークルの仲間がいることで、彼は着実に変わって行きます。受刑者たちが安心して本音で語り合える場所(サンクチュアリ:安全基地・避難所)の形成と維持がTCでは何よりも重要となるのです。
映画の終盤に印象的なシーンがありました。健太郎が犯した事件の関係者をサークルの仲間がロールプレイする場面です。健太郎は彼自身を演じ、被害者とその妻、それに妊娠中だった彼の婚約者の役の受刑者が次々と厳しい言葉を彼に投げかけます。すると、健太郎はうつむいて身体をよじり、右手の鉛筆を強く握りしめ感極まって泣き崩れてしまいます。彼を問い詰めた被害者役の受刑者も涙をぬぐっていました。
幼少期の過酷な体験は心の奥底に封印され、自覚されず言語化されない記憶として自らを傷つけ、他者を傷つける行為につながって行きます。サンクチュアリという安全な場所があって初めてその封印は解かれ、彼らは辛い過去を思い出し語り始めるのでした。その語りに耳を傾ける仲間たちもまた、彼の話に感応することで自分の気持ちも解放されるのでしょう。
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現在4人の若者はみな刑期を終えて出所しています。日本の刑務所は再犯率が50%と言われていますが、「島根あさひ」でTCを受けた受刑者の再犯率は20%以下なのだそうです。
3人は坂上監督と連絡を取り合っていますが、健太郎だけが消息不明とのことでした。出所したTC修了生には「くまの会」というサンクチュアリの場が用意されており、元支援員やボランティアと共に定期的な会合が持たれています。
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映画上映後、1年2ヵ月前に出所した翔君と上映会実行委員長で富士見町在住の スクールソーシャルワーカー山下英三郎さんがリモートでオンライン対談した映像がネット配信されました。映画では顔にボカシが入っていた翔君は素顔を出していました。
TCを体験したことの意味を訊かれて「ちゃんと、しっかり人と話すことができるようになったことを一番実感している。自分はこのまま幸せになっていいんだろうか?とずっと問い続けている」と答え、配信画像を見ていても、相手の話を傾聴し誠意をもって適確に解答する姿がとても印象的でした。
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「会話:Conversation」と「対話:Dialogue」は異なります。会話は、すでに知り合った者同士の楽しいお喋りであり、対話は、理解できない「他者」と交わす新たな情報交換や交流のことであると平田オリザ氏は言います。また、歴史的に日本という「狭い閉じた社会」では、人々は「他者」とは出会わなかった。そこから生まれる言語は、同化を促進する「会話」であり、差異を許容する「対話」は必要とされて来なかったと指摘します。 ---『対話のレッスン』平田オリザ著(講談社学術文庫)より---
いま精神科領域では、フィンランドで始まった「オープンダイアローグ」が注目されています。この映画のキーワードも「対話」だと思います。興味を持って下さった方に是非映画を観て頂きたいのですが、実際の受刑者が登場するため、残念ながら今のところネット配信やDVD発売の予定はありません。すみませんが全国各地で続く自主上映会をチェックしてみて下さい。この3月末には、監督自身による映画の副音声解説とも言える書籍『プリズン・サークル』坂上香著(岩波書店)も出ましたので、読んでから観るというのもありだと思います。
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最後に、映画のパンフレットに載っていた著明人のコメントの中で印象的なものを2つご紹介してお終いにします。
「人の苦しみがすべて他者との関わりから生まれるものなら、それを癒すのもまた他者との関わりでしかあり得ない。他者と関わる手段は『会話』であること、暴力へのカウンターは『言葉』であることに改めて思いを巡らせました。全刑務所でTCが導入されればと思います」
ブレイディ・みかこ(ライター)
「加害性だけを自覚し、強い意志で新しい生き方を目指そうとすることは、必ずしも罪を償うことにつながらない。むしろ、蓋をしてきた痛む過去を受け入れ、受け入れられることで、はじめて加害の意味に気づく。傷ついていた、という認識は、傷つけていた、という認識に先行するのだ。償うことは、過去を清算することではなく、過去とともに生き続けることだということを、この映画は教えてくれる」
熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術研究センター教授/小児科医)
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『長野医報』2022年8月号(722号)p21〜24より転載
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