「おもいでの夏〜 The Summer Knows」と、アート・ペッパーのこと
以下は、長野県医師会の月刊誌『長野医報 2021年8月号』に投稿した原稿です。
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今回の特集テーマを聞いてまず思い浮かべたのが、映画『おもいでの夏』(1971年アメリカ映画)でした。1942年の夏。思春期の少年が、海辺に住む戦争未亡人の年上の女性から性の手ほどきを受けるひと夏の経験を描いたほろ苦いセンチメンタルな映画で、実を言うと僕はまだこの映画をちゃんと見たことがないのです。ただ、ミシェル・ルグランが作曲したこの映画音楽は大好きなのでした。
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ミシェル・ルグランと言えば「シェルブールの雨傘」や「ロシュフォールの恋人たち」で有名なフランスの作曲家。自身もジャズピアニストとして自作曲を演奏したレコードを数多く出していて、ジャズファンとしてはビル・エヴァンスの演奏で知られる「You Must Believe In Spring」が忘れられない1曲ですが、残念ながら一昨年の冬に86歳で亡くなってしまいました。
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「おもいでの夏」は哀愁を帯びたメロディが格別印象的なバラードで、ジャズメンが好んで取り上げる楽曲です。ジャズ・ハーモニカの名手トゥーツ・シールマンスの十八番で、ミシェル・ルグランとの共演盤もあります。ビル・エヴァンスもライヴ盤『モントルー III』でアンコールに応えてこの曲を弾いています。渋いところでは、アン・バートンの歌伴ピアニストだったルイス・ヴァン・ダイクのトリオ演奏や、アート・ファーマーがフリューゲル・ホーンで切々と奏でる『The Summer Knows』がお薦め。バックのリズムセクションは、村上春樹氏お気に入りのシダー・ウォルトン・トリオが務めています。
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でも、僕が一番好きな「おもいでの夏」は、アルトサックス奏者のアート・ペッパーが 1976年9月にロサンゼルスで録音した『THE TRIP』(Contemporary)のB面2曲目に収録された演奏です。
このレコードは、1977年の春に日本でも国内盤が発売されました。この年大学に入学した僕は、加川良や友部正人のフォークからはもう卒業してジャズでも聴いてやろう、生意気にもそう思っていました。で、東京は目蒲線沿線の西小山に住む兄貴からジャズのレコードを10枚借りてきたのです。一番最初にターンテーブルに乗せたのは、ハービー・ハンコックの『処女航海』。タイトルとジャケットが格好良かったからね。でも、まったく分からなかった。聴き続けるのがただただ苦痛でした。チック・コリアの『リターン・トゥー・フォーエヴァー』でさえ、当時の僕には不快で難解でした。
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そんなある日、FMラジオから哀愁あふれる苦渋と悲哀に満ちたサックスの音が流れてきたのです。僕は瞬時に「この演奏者の気持ちが分かる!」そう感じました。ラジオのDJが油井正一氏だったかどうかは忘れてしまったけれど、アート・ペッパーという名前と「おもいでの夏」という曲名だけは心に刻みました。
その翌日、バスに乗って町まで出て商店街外れのレコード店へ。ありました。アート・ペッパー『ザ・トリップ』¥2,500。僕が生まれて初めて買ったジャズのレコードでした。
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帰って早速聴いてみました。A面分からない。レコードを裏返して続けてB面2曲目。あったあった!これこれ。梅雨の頃だったか、もう夏だったか。寮の部屋の壁には黒カビが生えていました。その年の夏は確か猛暑で、もちろん寮に冷房はありません。僕は汗だくになりながら、このレコードを毎日毎日繰り返し繰り返し聴きました。せっかく買ったのに分からないことが悔しかったし、第一もったいないでしょ。
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正直ジャズは難しいです。今どきの蕎麦屋のBGMが何故ジャズなのか分かりますか? それは、理解できないけれど耳障りではない「雑音」だからです(糸井重里氏がそう言ってました)。でも、ジャズファンがそんな蕎麦屋へ行くと大変です。「うむ?このピアノはキース・ジャレットじゃないな。ベースは誰だ?」と、BGMが気になって蕎麦を食べている気分ではなくなってしまうのですね。
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ジャズの何が難しいのでしょう? それは、素人がちょっと聴きかじっただけでは絶対に理解できない音楽だからです。細かく規定された複雑なコード進行の縛りがあるのに、演奏者はあたかも勝手気まま、自由自在にソロで即興演奏をしつつ、共演者たちが発する音とリズムに瞬時に耳で反応し、全者一丸となって醸し出すグルーブ感と高揚感が、リアルタイムでダイレクトに聴き手にも届く音楽。それがジャズです。
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『ビッグコミック』誌上で連載が続いているジャズ漫画『BLUE GIANT』石塚真一(小学館)を読むと、ジャズが分かった気になりますが、残念ながら漫画からは実際の音は聞こえてきません。結局、ジャズの快感を聴き手が感知できるようになるには、どうしても「ジャズを聴く」訓練が必要なのです。
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そんな訳で、僕はこのレコードを繰り返し繰り返し聴きました。今でもCDでよく聴ので、この44年間で数百回は聴いたと思います。アルトサックスが切ないフレーズを絞り出す場面、感極まったピアニストの右手が跳ねる瞬間、そしてエルヴィン・ジョーンズがシンバルを叩く絶妙のタイミング。もう全て諳んじています。こうして僕はジャズの底なし沼にはまって行ったのでした。
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ジャズの楽しみ方のコツをお教えしましょう。同じ曲を様々なミュージシャンで聴き比べてみること。それから、好きになったミュージシャン、楽器をとことん聴き込むことです。僕は、アート・ペッパーを徹底的に聴きました。
彼は 1925年9月1日アメリカ西海岸生まれのドイツ系白人ミュージシャン。幼くして両親は離婚し、音楽好きの父方祖母の元で育てられました。9歳の時にクラリネット、12歳でアルトサックスを独学で吹き始め、高校時代にロスの黒人街に入りびったてはプロのジャズメンとのジャムセッションで腕を磨いてみるみる頭角を現し、若くして名門ビッグバンド「スタン・ケントン楽団」の花形プレイヤーになります。
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しかし、ガラス細工のように脆く不安定で繊細な彼の精神は、手練れで曲者ぞろいのミュージシャンがひしめくライヴ演奏の現場では、とても太刀打ちできませんでした。極度の緊張と劣等感から逃れるために、彼は麻薬(ヘロイン)に手を染めます。
当時のジャズメンはみな当たり前にジャンキーでした。麻薬をやれば誰でも、チャーリー・パーカーみたいに天才的なアドリブフレーズを湯水のごとく吹き続けることが出来ると信じていたからです。
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実際『Journal of Neuroscience』(2021年3月29日付)に掲載された最新の研究結果によると、音楽を聴いて「気持ちイイ!」と感じる脳内部位は、やはりあの「ドーパミン報酬系」で、薬物・アルコール・ギャンブルで快感が得られる経路と結局一緒なのだそうです。つまり、ミュージシャンは皆ドラッグ依存症に陥り易い訳ですね。ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、尾崎豊、ASUKA、槇原敬之、岡村靖幸。みな同じです。
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ご多分に漏れず麻薬に溺れ爛れ切った破滅型ミュージシャンのアート・ペッパーは、人生の半分近くを刑務所と麻薬更生施設で過ごすことになります。皮肉なことに、素面に戻ってシャバに出た年にレコーディングされた演奏が彼の名演となりました。1952年、1956年、そして1976年がそれです。マイルス・デイヴィスは麻薬の悪癖を強靱な精神力で断ち切ることができましたが、アート・ペッパーはダメでした。2年もしないうちに再びジャンキーに逆戻りし刑務所へ。生涯その繰り返しでした。
中でも、1956年〜1957年は彼生涯の絶頂期になりました。白人ジャズメンのレジェンドと言えば、スタン・ゲッツかジェリー・マリガンですが、彼らが活躍したウエスト・コースト・ジャズの全盛期を、アート・ペッパーは刑務所の中で過ごし、ようやく出所した時にはそのブームはとっくに過ぎ去っていたのです。クールでスマートな格好いい白人ジャズ。
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でも彼は白人なのに黒人特有のタイム感覚とブルース・フィーリングを持ち味にして、刑務所で過ごした苦渋、心の翳りや憂い、別れた妻たちへの未練や色気をも漂わせる演奏をしました。また逆に、心の底に秘めた熱いエモーションも随所に押し出し、明るくスウィンギーに歌心溢れるメロディを次々と繰り出す陰陽兼ね備えた唯一無二のサックス・プレイヤーとして見事に復活したのです。『モダン・アート』『ミーツ・ザ・リズムセクション』『リターン・オブ・アート・ペッパー』の3作はそんな彼の代表作です。
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どん底から立ち直ったアート・ペッパーの演奏に熱狂し、応援したのは日本のジャズファンでした。
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1977年4月5日。アート・ペッパーは初来日します。しかし招聘元は麻薬禍の彼が入国審査にパスする自信がなかったので、彼のことを事前に公表宣伝することなく、カル・ジェイダー(ヴィブラフォン奏者)楽団+スペシャルゲストとだけ記載しました。でも、嗅覚鋭い日本のジャズファンは、どこからか噂を聞きつけ、東京芝の郵便貯金ホールに駆けつけたのです。
カル・ジェイダーは日本で人気がなく、当日の客席はガラガラでした。リーダーもバンド・メンバーも、ゲストの彼のことを無下に扱い、彼は自作曲の楽譜を配ってリハーサルに臨んだのに、時間がないからと8分間で終わりにされたそうです。
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アート・ペッパーの出番は、ライヴの第二部冒頭からでした。ステージ下手からアルトサックスを手に彼が登場すると、突如万雷の拍手が沸き起こりいつまでも鳴りやみません。彼が中央のマイクに近づくにつれ、それはますます大きくなり、マイクの前でそれが静まるまでの約5分間、何度もお辞儀を繰り返しながら立ちつくさなければなりませんでした。彼は自伝『ストレートライフ』の中で「生涯でこれ以上感激した瞬間はなかった。生きていてよかった」と書いています。
幸い、この時の演奏をTBSラジオが録音していて、1989年に『ART PEPPER First Live In Japan』として日の目を見ました。あの感動的な拍手がちゃんと収録されていて泣けてしまいます。
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翌1978年の3月、今度はゲストではなく自分のバンドを率いて再来日します。ところが、最悪の体調に加え、21日間で九州から北海道まで日本全国19公演をこなすタイトでハードなスケジュール。アート・ペッパーは心身ともにもうボロボロでした。でも巡業先の会場はどこも満員で聴衆の熱狂的な歓迎を受け、ただ気力だけで公演を続けた彼は、山形市で千穐楽を迎えます。
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この最終公演を収録した国内盤CDは現在廃盤ですが、デンマークの老舗 Storyville Records から2枚組で出ていて、その2枚目に「おもいでの夏」が収録されています。この日の演奏は、聴衆の熱気にメンバー全員が一丸となって応え、バンドとしても最高のパフォーマンスを聴かせてくれました。
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アート・ペッパーは1979年、1981年にも来日してすっかり親日家となりましたが、1982年6月15日、脳溢血のため急逝します。享年56。まだまだ早すぎる死でした。
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彼のベストプレイは間違いなく1950年代ですが、僕は1970年代の演奏をこよなく愛しています。麻薬でボロボロになった身体から、小手先だけのテクニックでは決して発せられない、彼の人生が全て詰まった音が確かに聞こえてくるからです。
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これはタモリが言ったことですが「ジャズ = 俺の話を聴け!」なのです。ぜひ一度アート・ペッパーの「おもいでの夏」そして「Ballad of the Sad Young Men」を聴いてみて下さい。
『長野医報』2021年8月号「特集:夏の思いで」(p10〜14)より再録。
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注)1978年の山形市でのライヴ録音は、今年の7月に「ウルトラ・ヴァイブ」から国内盤が、税込み1100円で再発されました。
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YouTube: The Summer Knows ART PEPPER
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YouTube: Radka Toneff - Ballad of the Sad Young Men (live, 1977)
アート・ペッパーの「Ballad of the Sad Young Men」が、この間まで YouTube に上がっていたのに消されてしまったので、ノルウェーのジャズ歌手「ラドカ・トネフ」のヴォーカルで。
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■あと、アート・ペッパー『ザ・トリップ』のレコードで、ぼくが一番好きな演奏は、A面2曲目に収録されている「A SONG FOR RICHARD」です。この曲では、伴奏のピアニスト、ジョージ・ケイブルスのソロがとにかく素晴らしい! まるで、1950年代に録音された幾多のジャズ名盤で必ずピアノを弾いていた、トミー・フラナガンの演奏を彷彿とさせるからです。
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