『長野医報』2017年10月号(あとがき)に書いたこと
月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)に掲載された、脚本家・橋田壽賀子さん(92歳)のエッセイ「私は安楽死で逝きたい」は、読者の大きな反響を呼びました。
28年前にご主人を亡くし、子供もなく、親しい友人もいない天涯孤独の身で、いまも元気で熱海の田舎に独り住まいの橋田さん。仕事はすでにやり尽くし、世界一周旅行は3回、北極点にも南極へも行った。やり残したことはもう何もない。とうに断捨離は済ませ、エンディング・ノート(死んだことも公表せず、葬式や偲ぶ会もしない)も完璧です。
ただ、病気になったり、認知症になったりして、人さまに迷惑をかけながら死んでゆくことだけは耐えられないと彼女は言います。そうなる前に、合法的に安楽死が認められているスイスへ渡航して、逝かせてもらいたいと。「生まれる自由はないのだから、せめて死ぬ自由は欲しい」そう彼女は結んでいます。
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もちろん、日本では「安楽死」は認められていません。積極的延命治療は行わないが、苦痛を和らげるために十分な緩和ケアは施す「尊厳死」も日本では法制化されておらずグレーゾーンのままです。しかし安易な制度化は、家族による「姥捨て」や自殺の推奨、さらには相模原障害者施設殺傷事件の犯人の主張「役に立たない人間は死ぬべきだ」という優生思想とも結びつく恐れもあります。
経済的にも健康面でも恵まれた橋田さんはレアケースです。認知症や持病を抱え、経済的にも貧窮した高齢者が多くを占めるようになる超高齢者社会を目前にして、これからの終末期医療はどうあるべきなのか?
力のこもった投稿が多数寄せられた今月の特集「終末期医療について思うこと」は、たいへん読み応えのあるものとなりました。ご執筆頂いた皆様ありがとうございました。
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さて私事、この7月から新しく広報委員を拝命いたしました。長年広報委員を務められた春日謙一先生、そして先輩広報委員の先生方から優しくご指導いただきながらも、任務の重責に緊張しています。どうぞよろしくお願いいたします。11月号の特集は「私の好きなことば」12月号は「在宅医療と介護の先に見えるもの」です。ふるってのご寄稿をお待ちしております。
広報委員 北原文徳
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