講演は難しい
■昨日の中日新聞5面「紙つぶて」欄(名古屋では一昨日の夕刊)で、カレーハウス CoCo壱番屋チェーン創業者の宗次徳二氏が「講演で伝えたいこと」と題して、こんなふうに書いている。
今月の講演回数は実に16回となった。8年前に経営の一線を退いてから、年間の講演回数は90回ほどと増えている。40歳の時、熱心に頼まれて始めたのだが、全部で1400回近くになるだろうか。(中略)いまだに慣れないのだが、多くの聴衆を相手に長時間話をしている自分に、ふと不思議な気分になることがある。皆さんは何を求めて会場に足を運ばれたのか。ズブの素人夫婦が始めたカレーチェーンが1200店舗を超える規模にまでなったその理由なのかな、と想像してみたりもする。
といっても、聞き手の価値観は十人十色で、ニーズを一つにまとめることはどだい無理な話だ。となれば、そこは開き直って私の体験談が少しでも皆さんの心に響いて何かに気付いてもらえたなら、と願って話し始めるしかない。
講演で、原稿は持たない。皆さんの表情を見ながら「分かりにくかったかな」と思えば同じ論旨を何度も繰り返すこともある。話しているうちにどんどん話題がそれていくこともある。でも、それは聴衆の皆さんとの生身の対話の結果だ。理路整然とした話し方よりも重要なこと。(後略)
■よく、長野県人は「講演会好き」だと言われる。みな勉強が好きなんだね。今どき、安直な新書を読んで新しい情報を得るのも最低2時間はかかるが、講演会を聴きに行けば、1時間で最新の情報通になれるから。
内田樹先生のブログを読んでいると、センセイがよくぼやくのだが、とにかく講演依頼が多いのだそうだ。しかも、内田センセイの著書を1冊も読んだことがない人が平気で電話してくるという。そういう相手には「私の本を読んでいただければ何もお話しすることはありません」と言って、お断りするそうだ。それは尤もな話だよなぁ。自分で勉強しろよ。本ぐらい読めよ。たかだか1時間、講師の話を聴いただけで頭良くなったなんて思うのは、安直過ぎるぜ。そういうことだと思う。
でも、講演を聴きに来る聴衆の皆さんはこう思っているに違いない。どうせ講師の先生はあちこちで同じ話を飽きもせず繰り返ししながら高額のギャランティを貰うのだから楽な商売だよな、と。
いや、ぼく自身もずっとそう思ってきた。世の中にはちゃんと「講演会の講師斡旋ブローカー」という業者があって、そこの資料とか見ると、例えば「超Aランクの講師」(1回の講演料が100万円以上)には、佐賀のがばいばーちゃんで売れたB&Bの島田洋七氏や、アグネス・チャンがいる。
じゃぁ、宗次徳二氏が講演料をいくら取っているかは知らない。
大切なことは、その講演料に見合った満足感を聴衆のみなさんが得ことが出来たかどうかだ。プロはその点を最重要視する。ぼくは講演を「演芸」だと思っている。聴衆を寝かすことなく、如何に満足していただくか? それが全てだ。だから宗次氏が書いているように、毎回同じ話をしているようでいて、じつはその場の聴衆の反応に合わせて毎回違った話になるのだと思う。
だから、講演は難しい。(つづく)
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