島村利正『暁雲』と『仙酔島』のこと
■高遠の実家の本棚から、島村利正『残菊抄』(三笠書房)と『奈良登大路町』(新潮社)を抜き取って持ってきてしまったのだが、自分の本として島村利正を持っていたいと思い『奈良登大路町・妙高の秋』(講談社文芸文庫)をアマゾンに注文して入手した。ところが、この文庫には、初期・中期の傑作「仙酔島(仙酔島)」「残菊抄」「奈良登大路町」は収録されているのに、初期の重要作である「暁雲」が入ってなくてがっかりした。
この「暁雲(げううん)」は『残菊抄』(三笠書房)に収録された、昭和18年作の短篇だ。堀江敏幸『いつか王子駅で』(新潮文庫)では 40〜42ページで引用し、こう紹介している。
あいまいに複雑にしてかそやかな陰影をほどこされた男女の、あるいは親子の感情の切れ端が、すこし言い足りないくらいの表現からじわりとわき出てくる。そういう印象がすべての作品に、うっすらとした靄のように覆いかぶさっていて、たとえば一宮の糸問屋の見習いに入った篠吉が、大旦那の世話で、ひそかに好意を抱いてくれているらしい奥がかりの女中、節といっしょになり、暖簾分けのようなかたちで撚屋(よりや)として独立し、着実に力をつけてゆく日々のなか、なぜ俺のような冴えない男といっしょになってくれたのだろうと自問しつづける「暁雲」などはその好例だ。篠吉はながらく胸にくすぶっている懼れにも近い気持ちを節にぶつけてみようとするのだが、いつも最後に口をつぐんでしまう。そういう不器用で控えめな男が新しい撚糸技術の開発に成功して事業を軌道に乗せたころ、ながいあいだ帰っていなかった郷里に帰省したいと節が言う。(中略)
夫婦になってずいぶんな時間を過ごしてからはじめて抱いた幼い恋にも等しい感情が、なんとはない呼吸で屈折してゆく言葉の撚糸を通してこちらの胸を衝き、「ほのかな狼狽」を走らせずにおかない。ときどき外国の本を取り寄せて活字を追ったりする者として、いま篠吉の心中にひろがりつつある震えを捕まえてくれるような言葉にはなかなか出会えないと感息したくなる反面、いやそんなはずはない、新鮮な狼狽を現実に味わうのでなく言葉で伝えるにはどう生きたらいいのかを思いめぐらす文学は、国を問わずどこにだってあるのではないかとの想いもつのる。
■ダメダメ男である自分には、あまりに身分不相応な美人で出来た妻。どうしてこの女は俺の女房になったのだろうか?
こういう不安を、男は昔から抱くらしい。島村利正の「暁雲」を読んでぼくがまず思い浮かべたのは、昔話の「きつね女房」だ。「つる女房」や「雪女」似たような話か。あと、最近読んだ短編小説では「顔」がかなり近い。ぼくは Twitterでこう書いた。
昼休みに『八月の暑さの中で ホラー短編集』金原瑞人編訳(岩波少年文庫)より、「顔」レノックス・ロビンスンを読む。夕暮れどきや月明かりの夜に崖の上から腹這いになって湖面を覗くと、水面下に金髪で目を閉じた女性の白い顔がくっきりと見える。この短編はいいなあ。怖くはないが、しみじみ哀愁。(Twitter/ 6:24 PM Sep 6th webから)
島村利正の「暁雲」には、そうした遙か昔からの民話的・神話的夫婦関係の妙を描きつつ、妻と夫との力関係の均衡がドラスティックに変わる瞬間を見事に切り取ってみせるその手腕は、決して古風で時代遅れの作家にはできない、島村利正の普遍性、同時代性ではないかとぼくは思った。
■昭和19年に発表された傑作「仙醉島(仙酔島)」には3組の夫婦が登場する。1組目は、この小説の主人公である老婆「ウメ」と、その夫「亀太郎」。2組目は、遠く故郷を離れ行商の途上に信州高遠の街道筋で行き倒れで死んだ旅商人の岡野信吉と彼の故郷福山に残してきた妻。そうして3組目は、ウメが岡野の遺族を訪ねて孫である著者と共に福山へ行った際に、近くの瀬戸内海に浮かぶ仙醉島を観光することになり、島へ渡る渡し船の船頭とその妻だ。
その船頭夫婦のやり取りを見ていて、ウメは、苦労ばかりさせられた、どうしようもないダメダメ夫「亀太郎」のことを思い出す。そうして、「あれでいいのだ、あれでいいのだ」と、老船頭夫婦に声をかけたくなる気持ちになるのだった。このラストがいい。
つまりは、ウメは苦労ばかりが続いてきたに違いない己の人生を振り返って「これでよかったのだ、これでよかったのだ」と肯定しているのだ。島村利正の小説はどれも、人生の肯定感に満ちているような気がする。だから、読者は読み終わってから、おいらも明日からがんばって生きて行こうかなって、前向きな気持ちになれるのだ。
島村利正の魅力は、そこにあると思う。
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