『ヤノマミ』国分拓(NHK出版) その1
■明日の水曜日は、きのう家族みんなで話し合って「ノー・テレビ、ノー・ゲーム、ノー・インターネット・デイ」とすることに決まった。なぜ明日になったかと言うと、次男が「嵐の番組がないから水曜日がいい」と言ったからだ。でも、中日 × オリックス戦のプロ野球中継はあるぞ、大丈夫か?>次男。でも、誰も次男のことなど心配してはいない。と言うのも、耐えられないのは「おとうさん」だけだと、みんな思っているからだ。なにくそ! 耐えてみせるぞ24時間。
■という訳で、あと25分ほどでこの MacBook をシャットダウンしなければならない。再起動は25時間後。
日曜日の夜から、話題の『ヤノマミ』国分拓(NHK出版)を読んでいる。とっても面白い。いま 178ページ。読んでいて、吸い込まれていくような、不思議と怖い感覚に襲われる。読みながら何時しか知らぬ間に著者と同化してしまっているのだ。だから、ぼくの魂が遠くアマゾンの奥地に連れさらわれたまま帰ってこれなくなってしまうような不安に苛まれてしまうのだ。
ちょっと呪術的で怖ろしい本。
■未開の地に踏み込んで、野蛮な原住民と接触する話は過去にもいっぱいあった。有名なのは、コンラッド『闇の奥』だ。ワイルド・シングスとか、バーバリアンとか呼ばれるアフリカの野蛮人を、当時のヨーロッパの人たちは徹底的にバカにした。いまのアメリカ白人が黒人を差別するような感覚とは決定的に違う。
差別とか嫌悪というのは、近親憎悪とでもいうか「同じ人間である」と認めているから生まれる感情だ。ということは、ヨーロッパ人はアフリカ原住民のことを「同じ人間でる」とは認めていなかったんだな。彼らは人間ではなくて「ペット」と同じなのだと。そういう感覚なのだ。だから差別も嫌悪もない。だって、人間じゃないんだから。
コンラッド『闇の奥』に登場する、象牙密輸人のクルツも同じ感覚だったに違いない。彼は「密林の王」になることを夢見た。しかし、闇の奥で何時しか精神を蝕まれ「怖ろしい!怖ろしい!」と、うなされながら消えていった。
『ヤノマミ』も構造的には『闇の奥』と同じだ。
闇、なのだ。全くの、闇なのだ。 初めての体験だった。それは月のない夜で、どこからか、ぬるく湿った風が吹いていた。。僕は赤道直下の深い森の中にいて、一人、陽が沈んでいくのを見ていた。
ただ、決定的に違っていたことがある。
NHK取材班の国分氏らは、彼ら「ヤノマミ」から人間以下の存在「ナプ」と呼ばれ、徹底的に蔑まれバカにされ、差別され続けたのだ。これは読みながらすごく意外だった。彼らに比べれば、圧倒的な科学技術と文明と文化を持つ我々のほうが逆に「人間以下」の存在としてヤノマミから軽蔑されたことに。
著者らは、「男」としても認められなかったらしい。だからこそ逆に、ヤノマミの男たちが決して見ることができない「女だけの現場」をカメラに納めることができたのだ。
「ヤノマミ」とは、彼らの言葉で「人間」を意味する。(つづく)
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