2017年2月23日 (木)

浜田真理子の新譜『Town Girl Blue』がイイぞ!

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■ちょっと心配だったのは、浜田真理子さんが昨年から事務所を離れて、真理子さん自身がマネージメントするようになったと聞いたことだ。彼女の個人レーベル「美音堂」には、優秀なマネージャーさんがいて、いつも二人三脚で全国をライヴ活動に行脚し、スタジオ・レコーディングを行ってきたはずだ。それがどうして活動を辞めてしまったのだろうか? 仲違いしてしまったのか? それとも、マネージャーさんにのっぴきならない事情(例えば、親の介護とか)が生じて、仕事を辞めざろうえなかったとか……。

いやいや、事情はまったく分からない。「ここ」の、おしまいのあたりに少しだけ書かれているが。

2017年2月15日 (水)

舞台『陥没』シアターコクーン

■2月11日(土)に、東京で大学の同窓会があったので、久々に上京した。今まで4回開催されているという、我々4回生の同窓会に今回初めて僕も出席した。大学入学から40年が過ぎた。みな、58〜60歳(加藤さん、江原さんはもっと上だが)になる。懐かしい顔が50人以上そろった。みんな変わらないなぁ。

当時、谷田部町春日3丁目にあった木造2階建てアパート(家賃12,000円)「学都里荘(かとり荘)」の201号室に僕は住んでいたのだが、あの時の同じアパートの住人が、102号室の佐久間君以外全員顔をそろえたのは驚いたし、ほんと嬉しかった。その「学都里荘」も、ずいぶん前に取り壊されて今は存在しないのだそうだ。

楽しい時間を過ごさせていただき、幹事さん、本当にありがとうございました。

■いささか飲み過ぎで、二日酔の翌日曜日。せっかくなので午前中に上野へ出て、国立科学博物館で「ラスコー展」を見る。期待が大きすぎたのか、正直イマイチだったな。

午後は渋谷へ移動して、東急文化村「シアターコクーン」でお芝居を観る。ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『陥没』だ。当初同窓会は欠席するつもりでいたのだが、今年に入って急きょ出席を決めたので、このお芝居のチケットは取っておらず、仕方なく「立ち見」での観劇となった。

中2階、舞台上手側の横に並ぶ前から2番目のドアの4席並ぶ一番前の席の後ろに立つ。

舞台上手の端にあるカウンターとテレビは見えない位置だ。しかも、15分間の休憩を入れて3時間半の上演時間。二日酔に寝不足の体調不良に加えて立ちっぱなしなワケで、かなりキビシイ観劇条件だったのだけれど、いやぁ、面白かったなあ。笑ったなあ。さすが絶好調のケラさん。優れた役者さんを集めて見事な群像喜劇を完璧に仕上げてくれたのだった。『グッドバイ』といい『キネマと恋人』といい、ケラさんて、天才なんじゃないか。

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以下は、ツイートより。一部改変。

シアターコクーンで『陥没』ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出を観てきた。立ち見で足疲れたけど面白かったなぁ。『グッドバイ』に続いての小池栄子。『キネマと恋人』直後の緒川たまき。『消失』以来の犬山イヌ子。まずは女優陣が圧倒的に素晴らしい。それから松岡茉優の初々しさ、高橋惠子の貫禄。

続き)もちろん男優陣もみな熱演だ。NHK朝ドラ『あさが来た』で知った山内圭哉、瀬戸康史。山内さんは NHKBSドラマ『奇跡の人』のイメージ。基本いい人なんだよ。瀬戸さんの弟役は『消失』みのすけ氏と同じ、知能は足りないけれど無垢でイノセントなトリックスター。彼が舞台に登場すると、劇場内の空気が変わる。凄い存在感だ。このお芝居では、彼がキーだと思った。

続き)ネタバレ注意! 小池栄子の父親役の山崎一。開幕早々に死んでしまうので驚いた。京大卒の山西惇さんは「ハンバートハンバート」好き。井上芳雄さんは、松本で観た『ひょっこりひょうたん島』よりぜんぜん良かった。そして生瀬勝久。舞台では初めて観た。凄いな。『べっぴんさん』とぜんぜん違うじゃん。

続き)緒川たまき。彼女は最高のコメディエンヌとして、もっともっと認識されていいんじゃないか。先だってNHKBS地域発ドラマ(山口編)を見た時にもそう思ったぞ。

■シアターコクーンの舞台『陥没』のポスター。真ん中に描かれた女性のイラストは小池栄子に間違いない。じゃあ、右上から彼女を見下ろす男性は? 井上芳雄ではないな。山崎一だろう。

では、お芝居のタイトル『陥没』の意味はなにか? それは、オリンピックを3年後に控えた1961年の東京。行け行けどんどんの高度経済成長の波に上手く乗った人たちの陰で、変に「ためらい」が邪魔をして沈んでしまっている舞台の登場人物たち。

そして、同じく東京オリンピックを3年後に控えているのに、まったく明るい未来を想像できないで、むしろディストピアが眼前に迫っている「いま」を生きる僕ら自身の「へこんだ」思いではないのか。

だからこそ、ケラさんは主人公にあえて「夢」を語らせるのではないか。僕らは彼らの夢破れた現実を生きている。その陥没感が逆に56年前の「彼らの希望」を浮き上がらせる。いい時代だったのだ。

続き)それはつまり、明日はやって来ないかも知れないという、ほとんど、どうしようもない絶望感を抱えて生きるしかない「いま」のわれわれに、もしかして、それでも「明日はあるのかもしれない」と観劇後に確信させる不思議な力が、このお芝居には確かにあると思ったんだ。

■終演後、夕暮れの家路を急ぐ観客たち(ケラさんのことなんて全く知らない、井上芳雄ファンのおばさん達に違いないぞ)の会話が聞こえてくる。「楽しかったね!」「面白かったね!」って、みなニコニコの笑顔だ。幸せなお芝居だな。まだまだ上演は続きます。当日券も立ち見券もあるみたいなので、お芝居好きの方はぜひ、劇場シアターコクーンへ足をはこんでみて下さい。

2017年2月 7日 (火)

ドクター・ジャズ(その2)

■ジャズ評論家ではなくて、現役医師でなおかつ、プロのジャズ・ミュージシャンという「二足のわらじ」を履く人もいる。

まず思い浮かぶのは、女性ジャズ・ヴォーカルのアン・サリーだ。旧姓は安佐里。卒業大学は不明だが(東京女子医大らしい)アメリカ・ニューオリンズに留学経験のある循環器内科の医師だ。

■「ジャズ 医者 二足のわらじ」で検索すると、結構引っかかる。これはツイッターで教えて頂いたのだが、綾野剛主演、星野源共演でドラマにもなった漫画『コウノドリ』の主人公、産婦人科医:鴻鳥サクラには、実在のモデルがいた! 香川医大卒で、大阪府りんくう総合医療センターで産婦人科医を務める荻田和秀先生だ。

■アメリカには、臨床医とジャズ・ミュージシャンの「二足のわらじ」はいるか? いる。

・Denny Zeitlin(デニー・ザイトリン)。プロのジャズ・ピアニストであり、精神科医。

・Eddie Henderson(エディー・ヘンダーソン)も、精神科医でジャズ・トランペッター。ぼくの大好きな『You've got to have freedom』で、華麗なトランペット・ソロを聴かせてくれている。


YouTube: Pharoah Sanders - You've Got To Have Freedom



2017年2月 5日 (日)

ドクター・ジャズ(その1)

■ジャズ好きの医者は多い。

持ち前の探究心が昂じて、玄人はだしの「ジャズ評論」を専門誌で展開した先生もいた。粟村政昭氏がまさにそうだ。粟村氏は、京都大学医学部卒。1933年生まれだから、ご存命であれば現在83歳。ただ、ネットを検索しても最近の消息は全く分からない。スクロールして行くと、2013年に亡くなったというツイートを見つけた。寂しいな。

「スイング・ジャーナル」で同じく古くからジャズレコード評を載せていたのが、牧芳雄氏だ。じつはペンネームで、本名は牧田清志。児童精神医学の専門医で、慶応大学医学部助教授だった。1974年に東海大学医学部精神科初代教授に就任。ジャズ評論では、ビッグ・バンドや女性ヴォーカルに造詣が深かった。彼のコレクション(3000枚以上のレコード収集)は現在、東海大学湘南校舎図書館に寄贈され保管されているそうだ。

■それから、1990年代に突如出現した気鋭の若手ジャズ評論家がいた。加藤総夫氏だ。『ジャズ最後の日』洋泉社 (1993/06)、『ジャズ・ストレート・アヘッド』講談社 (1993/07)の2冊の著書が出ているが、現在は絶版。当時ジャズから気持ちが離れてしまっていた僕は、これらの本を読んでいない。

それでも、納戸から『名演! Jazz Saxophone』(講談社)を出してきて見たら、207ページに彼が書いた文章を発見した。『アウト・オブ・ドルフィー(笑)』加藤総夫 だ。冒頭の部分を引用する。

まずは「笑う」ことからエリック。ドルフィーを聴きはじめることにしよう。その早すぎた死の重さに沈み込むのではなく、ドルフィーを聴いて不意に笑い出してしまうという経験をその入口として共有するために、たとえばオリバー・ネルソンの代表作『ブルースの真実』あたりから聴きはじめてみることにしよう。

曲は「ヤーニン」。冒頭、ビル・エバンスとしてはちょっと珍しい「ゴージャス」(笑) な2コーラスのソロが、いやが上にも「ジャジー」(笑) な雰囲気を高めたのち、きわめてネルソン的な、現代楽理によるブルース解釈ともいうべき4管のアンサンブルが、感動的にテーマを唱い上げる。

そしてその最終小節、ロイ・ヘインズの派手なスネア・ロールがズドドドーッとクレッシェンドする。さあ、アドリブ。ソロだ。その瞬間、我々の耳に凄じい速度をもって飛び込んでくるドルフィーのアルトの音に耳を傾けることからまずはまずは始めてみよう。

 さて、このような圧倒的な体験を、あるいは感覚を、いったい我々はどう受け止めたらいいのだろうか? このあまりにも突然の、あまりにもとんでもないソロへの導入を耳にしたあとでできることといったら、ただ茫然自失としてぽかんと口をあけたまま、形にならない「笑い」を浮かべることしかないのではあるまいか。(『名演! Jazz Saxophone』p207

吉田隆一/黒羊㌠ 吉田隆一/黒羊㌠
@hi_doi
12月18日
大学生のころに読んだこの本にはむちゃくちゃ影響うけたのですが、その中でも特にこの一節は印象的でした。著者の加藤総夫さんは現在、慈恵会医科大学教授(神経科学研究部)jikei.ac.jp/academic/cours…

つい最近、バリトン・サックス奏者の吉田隆一氏の「このツイート」を読んで驚いた。知らなかったな。加藤総夫氏は、慈恵医大の神経生理学教授だったのか!

検索してみたら、加藤総夫氏は慈恵医大卒ではなくて、東大薬学部卒だった。医者ではないけれど、薬学博士でかつ医学博士。1958年生まれだから、オイラと同い年じゃないか!

(まだ続く予定)

2017年1月15日 (日)

ダウン症の書家、金澤翔子さんの個展(伊那市「はら美術」2Fギャラリー)に行ってきた。

■先週の月曜日(成人の日)に、伊那市郵便局の前にある画廊「はら美術」へ「金澤翔子さんの個展」を見に行ってきた。彼女の最近の書が数十点、展示販売されていた。もしも買えるなら、手元に欲しい! そう思って出かけたのだが、「夢」とか「愛」とか、これは!と思う作品はみな売約済みだった。残念。

金澤翔子さんの大作の実物を見たのは、一昨年の夏に京都を訪れた際、「風神雷神図屏風」の所有者であるところの「健仁寺」に行き、俵屋宗達の傑作:風神雷神図(レプリカ:本物は京都国立博物館所蔵)の左側に、対峙するように描かれた金澤翔子さんの「風神雷神」の屏風(こちらはホンモノ)だった。素晴らしかった。感動した。

以前から、テレビでお母さんと二人三脚で努力されてきた様子は見聞きしていたが、彼女の展覧会には行ったことがなかった。超大作の展示はなかったけれど、これだけ一度に見たのは初めてだけに、その書から発せられる「オーラ」みたいなものに圧倒された。なんなんだろう。この「気」みたいなパワー。凄いな!

2017年1月 7日 (土)

東田直樹氏と、重度自閉症児を子に持つ親の思い

■トランプ氏が次期アメリカ大統領に決まってしまったため、当初NHK総合テレビで放送予定だった『自閉症の君が教えてくれたこと』の本放送を見逃してしまったのだが、深夜に再放送されたものを録画して見ることができた。その時のツイートから。

@shirokumakita
12月13日
『自閉症の君が教えてくれたこと』NHKスペシャル再放送を見ている。凄いな東田直樹君。さらに思索を深めている。東田直樹君を見ていると、松尾スズキ『永遠の10分遅刻』(ロッキング・オン)に収録されたNHKラジオドラマ脚本『祈りきれない夜の歌』を想う。驚異的に豊かな内的言語世界の存在。

この番組は、自閉症の作家:東田直樹くんを取り上げた「続編」で、最初の番組は『君が僕の息子について教えてくれたこと』だった。この放送を見て、ぼくは衝撃を受けた。見たところ重度の自閉症としか考えられない東田直樹くんの頭の中には、こんなにも膨大な「ことば」で溢れていたのか!

■当院にも重度の自閉症の子が5人以上通ってくれているが、申し訳ないけれど、彼らが東田直樹くんみたいな「知性」を垣間見せることはない。古典的自閉症である「カナー型」は重度の知能障害が必然と言われていて、実際に診察していて「ことば」が彼らの中でどれほどの意味があるのかと訝しく思ってしまうこともしばしばある。だって、彼らから意味のある言葉が発信させることは決してないのだから。

そのことは、ぼく以上に毎日「彼ら」と接している「親御さん」が切実に感じることだと思う。自分の息子と「ことば」を通じて意思疎通ができたら、どんなに嬉しいか……。

だからこそ、3歳前後の患児と共に養育施設へ毎日母児で通所する。で、その努力の成果は確かに出るのです。そういった親御さんを身近で見ていて、親子の愛着形成が日に日にできあがって行く様子や、親子の意思疎通が「ことば」によって飛躍的に進んでいく場面に出くわすことも確かにある。彼らは「確かに」ぼくの話す言葉を理解して反応してくれている! でも、残念ながら彼らは東田くんとは違った。彼らの自閉症が、どんなに熱心な養育によっても、治ることは決してないのだ。

東田直樹君は、同じ自閉症という診断名であるけれども、実は、かなり特殊(レア・ケース)なのだ。めちゃくちゃ特別な人なのだ。もちろん、東田くんが抱える自閉症の幾多の症状は、決して治ることなく存続しているが。

カナー型自閉症児の親御さんは、東田直樹くんをテレビで見ると、自分の息子にも言葉が溢れているに違いない! そう思ってしまうのだろうなあ。実際、アイルランドの作家さんは、重度自閉症児の自分の息子に、東田直樹くんのような「言葉」があるに違いないという「過度の期待」を抱いてしまったのではないか。

自閉症というのは結果であって、その原因は多岐にわたるし、その脳内異常はブラックボックスで、それぞれに全然違うのだけれど、アウトプットは「自閉症」という同じ結果に見えてしまう。そのあたりのことが分かっていながら、自分の息子とは明らかに違う東田直樹くんに嫉妬してしまう親御さんたちが出てきてもしかたないのかもしれない。

そういった親御さんの中には、東田君に昔から疑念を抱いていた人もいた。[そらまめ式]のお父さんがまさにそうだ。さらには、放送作家でかつ大学院で自閉症の研究をしている高橋英樹氏の、Facilitated Communication(FC)なのではないか? という「疑問」も「この続編」放送終了後にでた。なるほど、仰りたいことはよくわかりました。

ただ、それだから「東田氏のコトバはインチキだ!」って、どうして断定できるのか? 高橋英樹氏は、東田くんと直接会って話したことがあるのか? ないに違いない。

けれども、そうした周りからの伝聞で、あるいは配下からの告げ口によって、本来、当事者である自閉症児の側に立つべき専門家の児童精神科医の中に、東田直樹氏は「まゆつば」だ! と決めつけて、昨年の第57回「日本児童青年精神医学学会」で企画された教育セッション「当事者との対話:東田直樹&山登敬之」を中止するよう理事会にご注進した人物がいたらしい。

驚いたことに、このご注進にびびってしまった理事会メンバーは、誰一人も東田くんに会ったことがないにも関わらず、学会の4ヵ月前に「中止」の決定がなされたのだ。ええぇ? なんで?

■ことの真相は、月刊誌『こころの科学』(日本評論社)最新号 2017 1月号(No.191)特別企画「"コミュ障"を超えて」の中で、当事者であるところの山登敬之先生が「"コミュ障"とは誰のことか」(p27〜p32)の中で、その口惜しい思いのたけをセキララに告発している。清々しいなぁ。

山登先生によると、東田くんと同じように Facilitated Communication(FC)を経て、その後は介助者を介さずに自身の言語表現、コミュニケーションを可能にした自閉症児が他にも何人も報告があるのだそうだ。

このタイプの自閉症(言葉の理解はあるが会話のできない「言語失行」を有する自閉症)は、40年も前に日本で名古屋大学精神科の若林慎一郎先生が「書字によるコミュニケーションが可能となった幼児自閉症の一例」として、1973年に症例報告しているという。東田くんのように「しゃべれなくても言葉はある」自閉症児は確かに存在するのだ。

この山登先生の文章は必読です! ぜひとも、たくさんの人たちに読んで欲しいな。

松尾スズキの NHKラジオドラマ『祈りきれない夜の歌』。YouTube に音声がアップされていたぞ。


YouTube: 祈りきれない 夜の 歌 NHK FMシアター




 

2017年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■最近は、ベストテンを挙げるほど本を読んでないのでお恥ずかしいのですが、気になった本を思い出して、並べてみました。

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昨年に読んだ本の「マイベストの3冊」は、

  1)『1☆9☆3☆7』辺見庸(週刊金曜日→河出書房新社)

  2)『ガケ書房の頃』山下賢二(夏葉社)

  3)『ルンタ』&『しんせかい』山下澄人(講談社、新潮社)

ですかね。山下澄人さんには、今度こそ芥川賞を取って欲しいぞ! それから『ガケ書房の頃』の書影がないのは、スミマセン伊那市立図書館で借りてきて読んだ本だからです。ごめんなさい、山下賢二さん。あと、『コドモノセカイ』岸本佐知子・編訳(河出書房新社)もよかった。やはり書影はないけれど、片山杜秀『見果てぬ日本:小松左京・司馬遼太郎・小津安二郎』(新潮社)が読みごたえあった。そういえば、近未来バーチャルSFハードボイルドミステリー『ドローンランド』(河出書房新社)も読んだな。


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・文庫&新書も挙げておきますかね。じつは『エドウィン・マルハウス』。まだ第一部までしか読んでなかった。ごめんなさい。決してブレることのない小田嶋さん。信頼してます。ただ、もう少し内田樹センセイや平川克美氏と距離を置いたほうがよいのではないかな。

小田嶋さんは、決して全共闘世代ではないワケだからさ。ぼくらと同じ「シラケ世代」でしょ。

あと、載せるのを忘れたけれど、『優生学と人間社会』(講談社現代新書)。

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■CDで一番よく聴いたのは、『Free Soul 2010s Ueban-Jam』ですかね。自分の車(CX-5)に搭載されているので、エンジンをかけると必ずかかるのだ。ドライブ中に聴くとめちゃくちゃいいぞ!

次は、ハンバートハンバートの『FOLK』かな。初めてライヴに行ったし、やっぱり好きだ。おっと、カマシ・ワシントンを載せるのをすっかり忘れてしまったぞ。あれだけよく聴いたのに。

そして、小坂忠。渋いゼ! 松任谷正隆のインタビュー本によると、マンタ氏は、忠さんのことがあまり好きではなかったみたい。ないしょだよ。

2016年12月25日 (日)

今月のこの一曲。『チーク・トゥ・チーク』

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■先達て(12月11日)に観た、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『キネマと恋人』に、いまだに囚われている。ほんと、よかったなぁ。観劇中の3時間が夢のようだった。

それにしても「贅沢なお芝居」だ。東京では、客席数が218席しかない「世田谷パブリックシアター」の「シアター・トラム」で上演され、ぼくが観た松本公演も、大劇場ではなくて収容人数300人の「実験劇場」のほうで上演された。

出演する役者さんが、妻夫木聡・緒川たまき・ともさかりえ・橋本惇(NHK朝ドラの名作『ちりとてちん』に出演していた、貫地谷しほりの弟役の彼じゃないか!)・三上市朗・佐藤誓・村岡希美・廣川三憲・尾方宣久+ダンサー5人という布陣の豪華メンバーであれば、東京なら「シアター・コクーン」とか三軒茶屋でも、三谷幸喜のお芝居『エノケソ一代記』と集客上でもタイマン勝負を張ることができる人気なのに、あえてケラさんは「小劇場」を選んだ。

昨年の「KERA MAP」で企画された『グッドバイ』も傑作だった。僕はまつもと市民芸術館「大ホール」で観た。ただ、チケットを取るのが遅れたために、1階最後列での観劇だった。だから、折角の小池栄子の熱演も彼女の表情がよく見えなかったのがホント残念だった。双眼鏡を持ってけばよかったな。

今回なぜ、作演出のケラさんが「小さなハコ」にこだわったのか? それは、観客全員に役者の微妙な表情を見逃さないで欲しいと思ったからに違いない。

と言うのも、今回のお芝居の元になっているのが、ケラさんが大好きだと以前から公言していた、ウディ・アレンの映画『カイロの紫のバラ』だからだ。ケラさんが大好きな「奥さま」である緒川たまきさんを主演に芝居を作るとしたら、当時ウディ・アレンの愛人であった、ミア・ファローをヒロインにして作られた傑作映画『カイロの紫のバラ』を選ぶしかあるまい。

女優:緒川たまきには、独特の雰囲気がある。彼女の舞台は、松本で『グッドバイ』の他にも、清水邦夫の『狂人なおもて往生をとぐ』を観た。ひとことで言えば「レトロ」な女優だ。竹久夢二が描く帽子を被った上品な洋風美人の感じ。そう、モボモガが帝都東京の銀座を闊歩していた1920年代末の典型的な美人。


YouTube: Cheek to Cheek - The Purple Rose of Cairo (1985)


で、ほとんど「ネタバレ」になってしまうのだけれど、映画『カイロの紫のバラ』のラスト・シーンが「これ」です。ミア・ファローの微妙な表情の変化を、おわかり頂けましたでしょうか?

ミア・ファロー役を緒川たまき主演で、まして映画ではなく「お芝居」でやるには、このラストシーンを舞台上でどう見せるかが勝負になる。だからケラさんは「小劇場」での上演にこだわったに違いない。

また、映画の翻案なので場面転換が早くて多い。これを舞台上でどう表現するのか? それから、スクリーンの中から登場人物で飛び出してきたり、映画の中の人と舞台上の役者が、あうんの呼吸で会話したり、さらには、妻夫木君が2人同時に舞台上に登場して語り合う場面も必要だ。

プロジェクション・マッピングの有効利用には長けているケラさんではあるが、技術的にもかなりの高度なワザが要求された舞台であったはずだ。そして、それらが「完璧」にこなされていたのだから驚いた。

12月11日
『キネマと恋人』まつもと市民芸術館の夜公演から帰って来て、なんだかずっと「しあわせ」な気分に浸っている。ほんとよかったなぁ。また月曜日からの1週間。がんばってやってゆく元気をもらった。ありがとう。凄いな、お芝居って。

続き)ただ、ときどき妻夫木くんが「ますだおかだ」の岡田圭右にかぶって見えてしまった。ゴメンチャイ。あと、緒川たまきさんのウクレレ上手かった。あの『私の青空』の歌のシーンには泣けた。

『キネマと恋人』の余韻に浸っている。購入したパンフを読みながら。このパンフ、もの凄く充実している。ケラさんへのロングインタビューは必読だ!

ちなみに、ミア・ファロー主演でぼくが大好きな別の映画がある。『フォロー・ミー』だ。イギリスの大監督キャロル・リードが、小予算の片手間企画で撮ったに違いないこの小品。ぼくは、TBSラジオの深夜放送「林美雄のパックイン・ミュージック」で教えてもらって、たしか、テレビの吹き替え版で見た。ジョン・バリーのテーマ・ミュージックが切なくてね、絶品なんだよ。


YouTube: アステアの歌7「cheek to cheek」

■1930年代が舞台の『カイロの紫のバラ』にも登場する、フレッド・アステア & ジンジャー・ロジャースの『トップ・ハット』(1935)。アステアが歌うのが『チーク・トゥ・チーク』だ。

Heaven. I'm in Heaven

And my heart beats so that I can hardly speak

And I seem to find the happiness I seek

When we're out together dancing cheek to cheek

作曲はアーヴィング・バーリン。『キネマと恋人』でも、当然のごとくテーマ音楽として使われ、アレンジを変えて何度も流れた。それから、劇の後半に緒川たまきがウクレレの生伴奏をして、妻夫木聡が「私の青空」を歌うシーンがあった。ここはよかったなぁ。たまきさん、ウクレレ上手い!

■お芝居の劇評は、元六号通り診療所所長の石原先生のブログ、と「しのぶの演劇レビュー」が詳しいです。


YouTube: Lady Gaga Cheek to cheek Live 2015

■「チーク・トゥ・チーク」といえば、レディー・ガガ & トニー・ベネットだ。男性ジャズ・ヴォーカル界のレジェンドであるトニー・ベネットの最新作の2曲目で披露されているのが「この曲」。

二人の共演は、実はこのCDが初めてではない。トニー・ベネットのひとつ前の作『デュエッツ Ⅱ 』の1曲目に収録されているのが、レディー・ガガとのデュエット曲「The Lady is a Tramp」。このCDも買ったけど、とにかくレディー・ガガの歌が上手いのにホント驚いた。奇抜な衣装で歌うゲテモノ歌手だと思っていたのだが、とんでもない。

なんなんだ、このスウィング感。エラ・フィッツジェラルドまっ青の、強烈なグルーブ。恐れ入りました。ところで、この曲の「トランプ」の意味って、あまりいい感じじゃぁないぞ。「その淑女は、じつはとんでもないアバズレ女」みたいな感じか。


YouTube: Tony Bennett, Lady Gaga - The Lady is a Tramp (from Duets II: The Great Performances)



 



2016年12月18日 (日)

『復路の哲学 されど、語るの足る人生』平川克美(夜間飛行)その2

■前回は、本を読んだ感想に一言も触れぬまま終わってしまった。すみません。

平川克美氏の文章を初めて読んだのは、内田樹先生との往復書簡をまとめた『東京ファイティングキッズ』だった。続いて『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)を買ったが、ビジネス書はやっぱり苦手でちゃんと読めなかった。

結局、平川氏は内田樹センセイの小学校以来の友人で、大学卒業後いっしょに起業して、渋谷道玄坂で翻訳業の会社を始めた人という認識でぼくの中では定着した。

しかし、平川氏が主宰する「ラジオカフェ」から落語の新録をダウンロードしたり、ツイッターをフォローするようになってからは「内田センセイのおともだち」ではなくて、平川氏本人に興味を持つようになった。

そして「これは!」と思ったのが、『俺に似た人』(医学書院)を読んだ時だ。母親の死後、実家で一人暮らしとなった父親の介護を、息子である平川氏が一人きりで、食事作りから始まって、洗濯掃除、入浴の介助、下の世話までこなした1年半に渡る父子の格闘の日々が淡々とつづられていた。「感想はこちら」に書いた。

■で、ようやく『復路の哲学』(夜間飛行)のはなし。この本は沁みた。いまの俺にはぐっと来た。少し前に読んだ『鬱屈精神科医、占いにすがる』春日武彦(太田出版)に通じるものがあるな。

春日武彦先生は 1951年生まれだ。人生の終盤が近づいたことにふと気付いてしまったベテラン精神科医が、俺の人生こんなんで終わっちゃうのは嫌だ!と、もがけばもがくほどオノレの無力感にさいなまれ、その挙げ句、何人もの占い師に救済を求めるという話だった。自分の人生に諦めきれず、未だに醜くあがき続けている姿をあらわに晒すことで、自虐的快感に浸っている滑稽さが救いであった。

ところが、『復路の哲学』の平川克美氏はどうだ。まるで、悟りを開いた修行僧のようだ。諦観。溺れかけて藻掻いていたのを、力を抜いて「ふと」止めたら、からだが「ほわ」っと浮いて水面に頭がひょこっと出た感じとでも言おうか。そんな感じの文章が並んでいるのだった。

表紙をめくると、本のカバー裏には、本文からこんな文章が引用されている。

     自分の行く末が

     地図のようにはっきりと

     見えてしまうという

     絶望を噛み締めたとき、

     人生の復路が始まる……

■巻頭の文章を引用する。

 「おとなは、大事なことはひとこともしゃべらないのだ」

 向田邦子は、昭和という時代の「精神」を鮮やかに切り取った小説『あ・うん』の中で、上のような述懐を主人公にひとりであるさと子に語らせていた。(中略)

 ところで、語られることのなかった大事なこととはいったい何だろうか。私は、ここで読み取るべきことはしゃべられるはずだった内容(コンテンツ)ではないだろう、と思うのだ。では、何を読み取るべきだと私は考えているのか。

 それは、「様々なことを自分の胸のうちに飲み込んでいるのが大人である」という向田邦子の人間理解こそが、今日の私たちが忘れていることを想い出させてくれるということである。(中略)

向田邦子が「おとな」の中に見ていたものとは、何かに耐えている存在だということだろう。

この、何かに耐えている状態こそが、言いよどみ、逡巡し、押し黙るという態度に接続されている。向田邦子は、それを「おとなは大事なことはひとこともしゃべらない」という言葉で表したのだと私には思える。(『復路の哲学』平川克美 p3〜7)

■この本を読んで、初めて知ったことは多い。例えば、三波晴夫の「チャンチキおけさ」。それから「機縁」「往相と還相」「遠隔対称性」という言葉。アキ・カウリスマキの映画の本当の魅力。フェリーニの『カリビアの夜』の主人公が、それでも生きてゆく切なさ。ぼくも『ギルバート・グレイプ』で大好きな、ラッセ・ハルストレムの『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』が意味するもの。それに、聖徳太子の「十七条憲法」の凄さ。

『復路の哲学 されど、語るに足る人生』平川克美(夜間飛行)を読んでいる。平川氏の本は何冊か読んでいるが、この本が一番いいんじゃないか。「おとな」になるということは、いったい何っだったのか? を深く思考する本。著者より8歳年下の僕も、人生の仕舞い方を最近しみじみ考えているのだった。0:05 - 2016年11月29日

いやはや、ぼくの人生の数歩先を行く平川先輩の言葉は、いちいちズシリとぼくの胸に突き刺さる。ただ、いまだ諦めのつかない僕は、いましばらく、溺れる水の中で藻掻いてみたいと思っているのだった。

2016年12月10日 (土)

『復路の哲学』平川克美(夜間飛行)その1

■先月、松本であった小児科学会の地方会に久々に出席した。毎年この時期は、日曜日に行うインフルエンザ・ワクチンの集中接種と日程が重なってしまうことが多く、なかなか出られないのだ。

ただ今回はラッキーにも予定がずれた。しかも学会の特別講演は、この3月で退官した、個人的にもたいへんお世話になった小児科教授の講演だ。これは行くしかあるまい。

午前の部が終了して、久々に「小松プラザ」の『メーヤウ』へ。いまはバイキングしかやってないんだね。バイトのウエイトレスがちっとも注文を取りに来ないので困っていたら、「お客さん。当店のシステムをご存じないのですね」ときた。まいったな。でも、15年ぶりくらいで食った「チキン・カレー」は、昔の辛さのままだったよ。汗たらたらで、しかもハンカチ忘れたんで、テーブルに設置されたティッシュで顔を拭くという醜態。恥ずかしかったぜ。

■元小児科教授の特別講演は感動的だった。こうして彼の業績を時系列で系統だって聴いたのは、実は初めてだったのだ。どんなに逆境に立っても決して諦めず常に攻めの姿勢で難路を開拓していったその心意気に、心底頭が下がる思いだった。そして、俺は彼の期待に全く応えることが出来なかったダメダメ人間であったことが、ただただ申し訳なく思ったのでした。

特別講演の最後は、とある詩人の言葉で締めくくられた。ドイツの詩人、サミュエル・ウルマンの「青春とは」という詩だ。

青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。

若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。

(中略)

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。

自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。

希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

元教授は、4月からの総合病院院長という新たな職場で、さらに前向きに職務に挑戦して行く決意でもって、この特別講演を終えられた。素晴らしかった。素直に頭(こうべ)を垂れた。凄いな。

■ところで、『復路の哲学』の著者平川克美氏は、ぼくのボスだった元教授と同い年だ。1950年の生まれで、1958年生まれのぼくより、8つ年上になる。(つづく)

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