2017年8月 8日 (火)

ハンバートハンバートの新譜『家族行進曲』が素晴らしい!


YouTube: ハンバート ハンバート"がんばれ兄ちゃん"(Official Music Video)

■7月の初めに発売されたハンバートハンバートの新譜『家族行進曲』を繰り返し聴いている。処置室のラジカセに入れて、エンドレスで朝から夕方までね。もう1ヶ月以上毎日ずっと聴いているけれど、まったく飽きない。

なんかね、咬めば咬むほど味が出る「スルメ」とでも言うか、習慣性、いや「中毒性」がある、ある意味危険な音楽なんだよ。その原因をずっと考えていたのだけれど、少しずつ判ってきたんだ。まず、

1)佐野遊穂さんの「声」が、優しい。

  ぼくは以前「こんなこと」を書いている。女の人だって、年をとれば「声質」は変わってゆく。これは生理的なことだから、どうしようもないんだ。『道はつづく』の頃の遊穂さんの声を、いまの遊穂さんに求めても、それは無理な話なんだよ。じつはそう諦めていたんだ。ほんと言うとね。

ところがどうだ! このCDの、7曲目「真夜中」8曲目「ひかり」9曲目「ただいま」と、3曲続く遊穂さんの歌声に、ぼくはたまげてしまったんだよ。なんて優しい声なんだ。慈愛に満ちあふれていて、すべてを許してくれているような、そっとやさしく抱きしめてくれるような声。

確かに『道はつづく』の頃の、天空まで突き抜けるような鮮烈な高音の伸びはない。でも、あの頃の彼女の声は、いま改めて聴いてみると案外つっけんどんで冷たいことに気付くんだよ。特に『おなじ話』とか聴いてみるとね。

何なんだろう? この違いは。遊穂さんが3人の男の子たちの「おかあさん」になったからなのかな?

その答が、『MUSIC MAGAZINE 7月号/2017』p72〜75 に載っている、松永良平氏によるハンバートハンバート・インタヴューで明らかになった。以下引用。

佐藤良成:今までは基本的に遊穂に自由に歌ってもらっていいと思っていました。それが変わったきっかけは、ミサワホームのCMソングで歌唱を依頼されたことなんです。普段のライヴでは、遊穂は結構パワフルに声を張っていて、それが標準になっていたんですけど、今回は先方の意向として「透明感のあるきれいな声で歌ってほしい」というのがあったんです。

それで、昔の作品を聴き返したら、「みんなが聴きたいハンバートハンバートって、そっちだった!」って気がついたんです。自分でもそのことが納得いったので、今回の歌録りではそこを意識して指示を出しました。

佐野游穂:たとえば「雨の街」だったら、「主人公は大変な状況ですごくがんばってるんだから、声もそんなに大きく張り上げる感じじゃない」という指示があったり。(中略)

---- 最後に余談として、二人の「家族」である子供たちは、このアルバムを聴いているのか質問してみた。

佐野游穂:長男は「がんばれ兄ちゃん」が自分のことだと思うみたいで、「この曲飛ばして」って不機嫌になっちゃいます(笑)。次男に「どの曲が好き?」って聞いたら「ただいま」が好きだって。

佐藤良成:ふーん、シブいね! シブいところいくんだなあ(笑)

■『家族行進曲』の9曲目に収録された「ただいま」のタイトルには、ダブル・ミーニングが隠されている。ちょうどいま「お盆」だから分かるのだけれど、「ただいま」って帰ってくるのは、亡くなった「おばあちゃん」でもあるのだよ。

それから、遊穂さんの「声の回復」に関しては、約1年前に出た『FOLK』の感想の中で僕は言及して、2016年6月10日、21日ツイートしている。過去のツイートをたどって行ったら、あったあった。これだ。

注文しておいた、ハンバートハンバートの新譜『FOLK』がようやく届いた。緑色のDVD付き初回限定版だ。DVD付きだと密林は何故か割引価格。得した気分。早速CDを聴く。1曲目「横顔しか知らない」いい曲だな。ビックリするのは遊穂さんの声。若返ってるんじゃないか? 突き抜ける高音の伸び(2016/6/10)

寝る前に、ハンバートハンバート『FOLK』のDVD「FOLK LIVE」を見始めたら良くって、寝むれなくなっちゃったよ。MCが変で可笑しい。ステージ・バックの暖簾イラストが「暮しの手帖」みたい。ミサワホームのCM曲に始まって、次は大好きな「バビロン」。「ロマンスの神様」もいいな。(2016/6/10)

『ミュージック・マガジン』最新号(7月号)を買ってきた。お目当ては、ハンバートハンバートへのインタビュー記事P74~77(小島エージ)だ。新作CD『FOLK』を聴いて、ぼくが一番驚いたのは遊穂さんの声質だ。10年前の「あの声」が、確かに復活している。蔵出し音源かと疑ってしまったよ。(2016/6/21)

続き)でも、違ったみたい。明らかに最新録音のCDだった。ただし、バックのギター伴奏とヴォーカルは別録音。しかも、遊穂さんのヴォーカルは「プロトゥールス」で遊穂さん自ら操作して録音したんだとのこと。あ、なるほどな。そういうことだったのか。納得。(2016/6/21)

続き)『FOLK』というタイトルだから、1970年代の名曲カバーも収録されている。『生活の柄』『プカプカ』そして『結婚しようよ』。「もうすぐ春が~ペンキを肩に~」は、僕ら高校生のころ「便器を肩に~」って歌ってたっけ。でも一つ残念だったのは、加川良の名が出てこないことだ。僕は大好き(2016/6/21)

続き)だって、ハンバートハンバートのことを初めて知ったのは、なんとテレビで、2006年8月にNHKBS2で放送された『フォークの達人』第5回、加川良の回で、ハンバートハンバートとコラボで「流行歌」と「夜明け」が歌われたのを見た時だ。「夜明け」という曲は、加川良作だとばかり思ったよ(2016/6/21)

■ぼくが、ハンバートハンバートの曲を初めて聴いたのが、この『夜明け』だ。彼らの数ある名曲の中で、ぼくが一番好きなのは、実を言うと、この『夜明け』なのかもしれない。

2017年7月29日 (土)

まつもと市民芸術館で『空中キャバレー』を体感。

■先週の日曜日、まつもと市民芸術館で『空中キャバレー』を観劇、じゃなくて「体験」してきた。凄かったなぁ。面白かったなぁ。まつもと大歌舞伎と交互に隔年で開催されていて、今回で4回目とのこと。ぼくらは今回初めて。

去年は、ここの小ホールで「木ノ下歌舞伎」の『勧進帳』を観たんだ。あれも衝撃的な演劇体験だったが、『空中キャバレー』には、主宰する串田和美さんの「演劇」に対する思いの丈のすべてが詰まっていて、感動してしまったんだよ。

■これは以前にも何度か書いたけれど、ぼくの演劇体験のベースは、オンシアター自由劇場の『上海バンスキング』なんだ。観たのは、取り壊された「長野市民会館」。1984年だったと思う。串田和美さんがクラリネットを吹き、笹野高史さんがトランペットを吹いた。音楽はすべて自由劇場の役者さんたちが生演奏。そのセンター・ステージで、吉田日出子さんが唄う唄う。何曲も何曲もね。

これには感動したなぁ。

しかも、終演後に劇場をあとにする我々観客を、市民会館の入り口ホールで当日の出演者全員が待ち受けていて、生演奏しながら見送ってくれたのだ。

これって、映画館では絶対に味わえない、演者と観客が「いま・ここ(劇場)」でいっしょに共有する「空気であり時間」だったのだと思った。「お芝居って、凄いな!」それが、ぼくの演劇体験の原点なのだ。


YouTube: 空中キャバレー2017 スポット


YouTube: 空中キャバレー2015年ダイジェスト映像


YouTube: 『空中キャバレー2017』(石丸幹二さんコメント)

■今回の『空中キャバレー』もまた、音楽はすべて「ナマ演奏」。しかも、音楽監督があの世界的アコーディオン奏者「coba」さんなのだ。以下は当日のツイートから。

開演の初っ端は、世界的アコーディオン奏者COBA氏が、ピアソラの「リベルタンゴ」を熱演。しかも、ぼくらから1mも離れていない場所で演奏してくれたよ。そうだなぁ見終わった全体のイメージとしては「スズキコージ」の絵本の実写版か。スリル、笑い、感動。めくるめく体感。こんなの初めて。

続き)一番感動したのは、第二部になって後ろの幕が上がった時だ。なんと!観客の僕らが実はステージ上にいて、大ホールの真っ赤な客席を見上げていた。あぁ、役者さんは毎回「この眺め」を味わっていたのか。そりゃぁ、辞められないよな。

続き)フランス語で「元気?」は、サヴァ?「サバだサバサバだ、サバサバだ。サバだサバサバだ、サバサバだ。サバだ、だーだぁー、サバだだぁー」これを、フランス映画『男と女』の曲(フランシス・レイ作曲)の節にのせて歌うと? 一匹の雌鯖に群がる幾多の雄鯖。このエチュードは以前にもあったの?

『空中キャバレー』の画期的なことは、客席とステージの区別がないことだ。観客は役者さんたちと同じ舞台上にいて、観客の間をぬうように役者さんが動き、その役者さんが近くの観客の手を取ったかと思うと、次の瞬間にはいっしょに踊っていたりするのだ。これほど至近距離で役者さんを見た記憶は、ぼくにはない。

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(写真をクリックすると、もう少し大きくなります)

■自由劇場からの役者さん、片岡正二郎・内田伸一郎・小西康久の3人。バチカン・ブラザーズ。今回は「サボテン・ブラザーズ」を演じて、マリアッチをナマ演奏で奏でてくれた。いっしょに登場したのは、松本出身で、初回公演からずっと出演している秋本奈緒美さんだ。前回までは「西部劇」の設定で、スザンナ役で彼女は登場したのだが、今回は「宇宙の果て」の話。(以下、ツイートのつづき)

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続き)あと好きなのは「サボテン・ブラザーズ」。おならの推進力で宇宙に飛び出すってのは、『怪傑ゾロリ』じゃん。でも、ゾロリが凄いのは、おならの力で地球滅亡を救ったこと。分かる人にだけ分かればいい話。

続き)串田和美さんと大森博史さんの二人が、核戦争後の放射能汚染で誰も居なくなった地球上に立ち、ウラディミールとエストラゴンみたいな会話を交わしている時に突如登場するのは「ゴドー」ではなくて、高田聖子演じる笠置シズ子だ。おばはんパワー凄すぎるぞ。ふと北村想の『寿歌』を思い出したよ。

続き)ただ、家族連れで訪れた人たちが多かった日曜日マチネ回では、幼少の子供たちには「退屈で長すぎる」スケッチだったようにも感じた。実際、当日この場面で飽き飽きしてしまった子供たちが奇声を上げてたし、バックヤードを走り回っていたよ。

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■お芝居は、サーカスや大道芸、歌やダンスの合間にショートコントのように挟まれている。

・ブランコ乗りの少女に恋してしまった兵隊のはなし「チョコレートあげるよ!」

・鼻にとまった蝶々を3拍子で踊りながら逃がさずにいる男たちのエチュード。なんと! そしたら、鼻の頭をクワガタに挟まれた男(吉野圭吾)が登場だ。

・「千拍子のうた」ヘイ!ヘイ!ヘイ!

・第一部のラストは「怪力男オクタゴン」の歌。好きで一緒になった花売り女。結婚式のその日に、オクタゴンは彼女を抱きしめた。しかし、怪力男の哀しさ。花嫁はあまりの圧迫で死んでしまう。「人にはそれぞれ才能がある。その才能は放棄できない!」って、片岡正二郎さんが歌のサビで熱唱するのだが、聴いているその時は「そうだ、そうだ!」って凄く気分が高揚してきたんだけれど、この曲の歌詞をしみじみ聴くと、ちょっと何とも言えず辛い気分になってしまったよ。

・片岡正二郎さん等「バチカン・ブラザーズ(撥管兄弟)」の「この歌」は、じつはApple Music に登録されていて、いつでも聴くことができるのだよ。ただ、あの時歌ってくれた「ヘーデルワイス」と「サボテン海へ行く」は収録されていなかったな。

・歌では、第二部でまずは秋本奈緒美さんが「It’s Only A Paper Moon」を歌った。さすがジャズ歌手でデビューしただけのことはある歌唱力。観客で座っている小さな女の子の手を取って立たせ、彼女をクルクルと回しながら歌ってくれた。続いて吉野圭吾さんが「アムステルダム」を歌った。こちらも流石のミューカル俳優。聴かせたなぁ。

おなじく、今回のゲスト高田聖子さんは、笠置シズ子の「買い物ブギ」を熱唱したよ。

それから、あの「サバ」のコント。これは笑ったなぁ。

■今回の公演の重要パートを担うのが、フランスから来たジュロさん率いる「サーカス・チーム」だ。ジョアネスのジャグリング、ジェームス・ヨギの自転車曲芸。茉莉花さんの「上海雑伎団」真っ青の軟体動物的人体の驚異。金井ケイスケ氏の軽業とダンシング。

マットさんの「綱渡り」を観ていて、あの、ニューヨーク貿易センタービルのツイン・タワー最上階に綱を張って「綱渡り」した絵本を思い出したよ。

そうして、ジュロさんのフラフープのスリル溢れる妙技。ジュロさん、命綱付けていないんじゃない?

タルザナとアメリーの「綱芸」も凄かったけれど、やっぱりラストの空中ブランコにすべてを持って行かれた。そのブランコ乗りアメリーの演技はほんと凄かった。

ぼくが体感したイメージを、最も端的に表現してくれているのが、nono さんのツイート「スケッチ・ブック」だ。

それから、7月30日(日)の「こぐれみわぞう」さんの「千穐楽」連続ツイートが楽しい。キャストのみなさんのバックヤードでの写真が多数あり。

■今回の『空中キャバレー』ではなくて、2年前の時の感想では、「休むに似たり」さんの感想が、場内の雰囲気をよく表していて優れていると思った。

今年の感想では、「松本ジャグリングクラブ」と、「夢ならいつまでも二人きりなのに」さんが素晴らしい。

■先達て亡くなった扇田昭彦氏の観劇録『こんな舞台を観てきた』を読むと、2013年の『空中キャバレー』評が載っている(299ページ)。

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(前略)『空中キャバレー』は普通の演劇でもミュージカルでもない。サーカス、大道芸、演劇、音楽、ダンスなどを混ぜ合わせ、娯楽色豊で、だれもが楽しめるショーを目指している。それは19世紀末にフランスで生まれ、20世紀前半にヨーロッパ各地で流行した「キャバレー文化」の新しい形を探る試みでもある。

 約380人の観客は普通の劇場の入口からではなく、大道具などを運び込む搬入口から場内に案内された。上演が行われる特設会場は、ミュージシャンが演奏する小さな移動式舞台以外は何もない広場のような空間だった。

面白いのは、ここには舞台と客席の境目がないことで、観客は立ったり、床に座ったり、手をつないで踊るなど、自由に動きながら演技を見守る。

 cobaがアコーディオンで奏でるサーカス風の曲と、タップダンス(RON×II)とアコーディオンの競演で始まった舞台は、まさに心浮き立つ楽しさだった。(中略)

 アクロバット、エアリエル、ジャグリングなど、串田がパリでオーディションをして招聘したというサーカスのアーティストたちの演技も楽しめた。特にベテランのジュロが、不安定に揺れ動く高いポールの上で、フラフープを使って見せた離れ業はとてもスリリングだった。

 演出の串田和美は物語の語り手を務めると同時に、ルンペン役なども軽妙に演じて活躍し、じつに楽しげだった。

 その姿を見ながら、『空中キャバレー』は『上海バンスキング』『スカパン』『クスコ』などと並ぶ、演出家・串田和美の代表作だと思えてきた。

 初期の音楽劇『もっと泣いてよ、フラッパー』(1977年初演)や、1989年にシアターコクーンで始まった『ティンゲルタンゲル』シリーズなど、串田の演出にはもともと祝祭的な娯楽性、サーカス芸、道化的な笑いを重視する傾向が見られる。とくに『空中キャバレー』では、舞台と客席の区別をなくし、観客を演技者と同じ空間に包み込む大胆な設定に踏み込んだ。つまり、これは串田流の実験劇なのだ。

一部の知的エリートのための実験劇ではなく、子どもも楽しめる敷居の低い実験劇である。地方の公共劇場で生まれた画期的なレパートリーだ。

 舞台を観ながら同時に感じたのは、串田演出らしい強い手作り感と等身大感覚だった。同じサーカス芸でも、シルク・ド・ソレイユのような精密な完璧主義ではなく、どこかユーモラスなすきまがあるような芸がここにはある。

 心に残る光景がある。乳幼児を抱いた若い母親が数人、立ったまま、何とも楽しげにパフォーマンスに見入っていた姿である。なかには途中で泣き出す赤ん坊もいたが、それもこのにぎやかな空間ではほとんど気にならなかった。だれをも受け入れる、大きな祭りのような劇場空間が成立していたのだ。

『こんな舞台を観てきた』扇田昭彦(河出書房新社)より

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2017年7月20日 (木)

友部正人ライヴ at 『叶屋』(その2)『ロックンロール』

■当日の様子が、叶屋のサイトにアップされているぞ。

そうか、打ち上げは夜遅くまで盛り上がったのだな。帰宅後にアップしたツイートを以下に再録しておきます。

先だっての6月25日の夕方、南箕輪村の老舗酒店「叶屋」で開催された『友部正人ライヴ』についてブログに書きました(まだ途中)。ぼくは中学生のころからのファンなので、やっぱり昔の歌を聴くとイントロだけで涙が溢れてくるんだ「公園のD51」「誰もぼくの絵を描けないだろう」「一本道」、

続き)「大阪へやって来た」「どうして旅に出なかったんだ」「古い切符」「朝は詩人」「地獄のレストラン」。新しい曲も好きだよ。「隣の学校の野球部」なんて笑っちゃうし「日本に地震があったのに」もいい。今回初めて聴いた曲の中では『モスラ』がよかった。僕もほんとそう思う。

続き)ただディランがノーベル文学賞を取ったことだし、友部さんが訳した「アイ・シャル・ビー・リリースト」が聴きたかったし、加川良が亡くなったので、彼が歌詞に登場する「トーキング自転車レースブルース」も聴きたかったな。でも、アンコールの最後のリクエストに応えて歌ってくれた、

「ロックンロール」は、ホントよかった! 今回初めていっしょに行った妻も「この曲」が一番よかったと言ってた。彼の歌に「懐メロ」はない。いつどんな時も「いま歌うべき歌」ばかりなんだ。最近、70年代にヒットを飛ばしたフォーク歌手たちが10組近く集まって同窓会コンサートをやってる。

続き)あれって、何なんだろうなぁ。元「オフコース」小田さんのコンサートの映像とか見ると、客席のほとんどは50〜60代の初老の男女ばかりだ。過ぎ去りし「青春の日々」をただただ懐かしむための「装置」が小田さんなのだ。それって、小田さん、どうよ? 嫌じゃないのかな?(2017/06/26)

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(写真をクリックすると、大きくなって活字が読めるようになります)

■もちろん、小田和正さんにも若い今のファンは多い。毎年年末にTBSで放送される『クリスマスの約束』を見ていると、小田さんをリスペクトする若手ミュージシャンが多数出演している。

ただ、友部正人をリスペクトする若手ミュージシャンはその熱量が違う。

古くは、「ブルーハーツ」真島昌利、「たま」知久寿焼。

友部正人のベスト盤『ミディの時代』には、2010年5月23日に下北沢「ガーデン」で、友部さんの還暦祝いをかねて開催された『友部正人トリビュート・ライブ』の模様を収録したDVDが「おまけ」で付いているのだが、これがほんと見応えがあるのだ。

友部正人のカヴァー曲を歌う参加ミュージシャンは、友部さんの奥様のユミ(小野由美子)さんがリストアップし出演依頼したという。ただ、楽曲選びは「本人におまかせしました」とのこと。驚いたことに、この人には「この曲」を唄って欲しいよなっていう選曲を全員がまさにしていたことだ。

1「あいてるドアから失礼しますよ」ハンバートハンバート

2「なんでもない日には」峯田和伸

3「こわれてしまった一日」森山直太朗

4「夜よ、明けるな」バンバンバザール

5「待ちあわせ」YO-KING

6「一本道」知久寿焼

7「カルヴァトスのりんご」リクオ

8「遠雷」三宅伸治

9「ゴールデン。トライアングルのラブソング」原マスミ

10「誰もぼくの絵を描けないだろう」遠藤ミチロウ

当日のセット・リスト及びコンサートのレポートは、こちら(その1)(その2)に詳しい。

ベストは、知久さんの「一本道」だな。これは凄いぞ!

■ところで峯田和伸クン。彼は「ブルーハーツ」経由で友部を知ったのか? 違うのか?

どうも、実家の「峯田電器」を継いだお父さんが学生時代から友部正人が好きで、同時期に山形大学に在籍していた「遠藤ミチロウ」がプロデュースした友部正人のライブを見ていたらしい。

(まだまだ続く)

■いま、トイレでずっと読んでいるのが『恋と退屈』峯田和伸(河出文庫)だ。245ページまで読んだ。面白い! 峯田クンは「ことば」に対して真摯なんだよね。自ら発した「言霊(ことだま)」に、常に責任を持とうと努力している。もちろん、上手くいかないことの方が当然多いのだけれど、それでも「その姿勢」を崩そうとはしない。

242ページ。銀杏BOYZ 初めての「渋谷公会堂ライブ」2005年1月23日の記載に、友部正人の文字が登場する。ライブ開演前。「満員の会場に友部正人さんのCDが流れている。スタート時間から15分遅れて開演。照明が消える」

『恋と退屈』には収録されなかったが、2005年11月27日のブログに、こんなことが書かれている。

思潮社から出版されている「現代詩手帖」11月号で、友部正人さんが毎月連載している「ジュークボックスに住む詩人」に銀杏BOYZが取りあげられている。友部さんが僕らのことを2ページまるまる書いてくれている。しかも友部さん本人が手紙つきでその本を僕らに贈り届けてくれたんだ。

僕は今日、友部さんに手紙を書いてた。思っている事をそのまま言葉にできればいいのだけれど、なかなかうまく書けない。言葉を選んでしまう。どうしてなんだろう。自分を良くみせようとしてしまうからなんだろう。しばらくペンを置いて、1時間ほど考えこんだよ。結果、もうこうなったらありふれた言葉を使ってもいいから素直に自分の嬉しい気持ちを、嬉しい気持ちのまま書こうと思ったんだ。そもそもなんで友部さんに手紙を書こうとしたかって、その動機は「嬉しかったから」なんだもの。だから「ありがとう」を伝えたいんだ。

■峯田くんとロックに関しては、NHKBSドラマ『奇跡の人』と、エッセイ本『ガケ書房の頃』(夏葉社)の感想のところで書いた。ここにも友部正人が登場する。その続き、小田嶋隆氏が語るロックについて。

■NHK朝ドラ『ひよっこ』で、峯田和伸が演じる、みね子の叔父:小祝宗男が上京してきて「ビートルズ」について熱く語るシーンがあったが、あれがそのまんま「ロックンロール」だったように思う。

2017年7月11日 (火)

映画『バンコクナイツ』を観てきた。+『満月』豊田勇造


YouTube: 豊田勇造「満月」

■この間の日曜日、松本へ映画を観に行ってきた。以下は帰宅後寝る前、酔っぱらって一気に連続ツイートしたので、恥ずかしい間違いだらけだったのだが、訂正して再び載せます。

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松本シネマセレクト企画、富田克也監督作品『バンコクナイツ』を、まつもと市民芸術館へ観に行ってきた。3時間強の上映時間だったけど、今日は座蒲団持参だから尻は痛くない。それにしても見終わった頭の中が未だカオス状態で、うまく言葉に出来ない。それに、じつはタイへは一度も行ったことないんだ。(7月9日)

今まで見たことのない不思議な映画だったな。角田光代の旅エッセイを読みながら、行ったこともない東南アジアの熱帯夜を体感したような。いや違うな。牯嶺街少年たち「外省人」家族が、台湾で生きてゆくしかない閉塞感に苛まれたように、もはや日本に帰ることはできない「沈没組」の菅野の言葉にこそ「リアル」を感じた。

映画『サウダーヂ』は観てないんだ。ただ、菊地成孔氏が絶賛しているのをブログで読んでたし、ラジオで菊地さんが『バンコクナイツ』にはクラウドファンディングで、そこそこのお金を出していると言ってるのも聴いた。さらに、作家の山田正紀氏がツイッターでめちゃくちゃ褒めているのも読んだ。だからこそ見に来たんだ。

 

上映後のアフタートークに登壇した共同脚本の相澤虎之助さんの話が示唆に富んでいたなぁ。一つは「楽園&桃源郷」の意味するもの。それから、元自衛隊員オザワが、パタヤビーチで元ベトナム帰還兵の老人から購入した45口径(9mm)の拳銃の使いみちに関して。あのラスト、荒井晴彦氏からは怒られたとのこと。

監督の富田克也氏が自ら演じた、PKOでカンボジアに投入された元自衛隊員オザワだが、彼が醸し出す不思議と醒めた(諦めきった)雰囲気。以前にもどっかで観た気がして家に帰るまでずっと気になっていたんだ。あ、そうだ。日活ロマンポルノの傑作、田中登『まる秘色情めす市場』の主人公、芹明香がシャッターが閉まったアーケード商店街で出会った、指名手配の殺人犯そっくりの男だ。

芹明香は、いまだに同業(娼婦)を営んでいる母親(花柳幻舟)を心底憎んでいる。そんな母親が産み落とした弟は白痴だ。飛田遊郭街を死ぬまで出て行くことが出来ない諦め。そのとき「ここより他の場所」へ彼女を連れ出してくれるかもしれなかったのが、あの指名手配の殺人犯そっくりの男だった。

バンコク「タニヤ通り」で日本人相手に体を売るヒロイン「ラック」と、飛田新地で売春する「トメ」(芹明香)は、じつは境遇がよく似ている。そういうことに思い至った。

映画『バンコクナイツ』。カメラがね、とにかくすばらしい! バンコク夜の歓楽街。国北イーサン地方の、とうとうと流れるメコン川を高所から見下ろすシーン。夕闇。いつも満月。ラオスの田舎の山。ベトナム戦争の時、アメリカ軍が空爆して出来たラオスの沢山のクレーター。ぜひとも行ってみたいと思ったよ。

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■この『バンコクナイツ』という映画は、観客を選ぶと思った。若い頃、国内外を彷徨った経験のある、かつてのバックパッカーは、圧倒的共感をもって激賞するだろう。間違いない。だから、ぼくは映画を見終わった直後に思い浮かべたのは、作家の角田光代さんであり、6つ年が離れた成田の兄貴のことだった。

兄貴は学生時代から世界各国を旅して廻っていた。ヨーロッパも東南アジアも。60を過ぎたいまだに旅を続けている。南米マチュピチュ、カンボジア、イギリス、ポルトガル。未だ行ったことのない所は、南極大陸ぐらいじゃないか。

兄貴がなぜ旅に出るのか? よく分からなかった僕は、大学3年生の夏休みに兄貴のバックパックを借りてヨーロッパ1周1ヵ月半の旅に出た。いろいろなことがあったよ。貴重な体験だったと思う。

そんなようなことを、小児科医になってから当時の助教授に偉そうに話したんだ。そしたら、助教授は言った。「君は、インドへ行ったことはあるか? 俺は行ったことがある」と。

 

恥ずかしかったなぁ。何を偉そうに「旅」を語っていたんだ、オレは。

ぼくは東南アジアを旅したことがない。そんな奴に「旅」を語る資格なんかないのだ。間違いない。

 

この映画『バンコクナイツ』を観ながら、あの時の助教授の言葉をリアルに思い出していたよ。

旅とは何か? そのことは長年の謎だった。

日本各地を旅して廻っていた学生の頃、ぼくが考えていたその定義とは、

   旅行:おみやげを買って帰る 

   旅: おみやげは買わない

つまり「旅」とは、非日常の中に「日常」をたぐり寄せる作業。だからもちろん、おみやげは必要ない。その観点からすると、映画『男はつらいよ』の主人公「寅さん」には、お土産を買って「帰って行く場所」が常にあった。

■この、結局は失敗しても常に帰る場所があるってことが、寅さんの甘えだったワケだ。でも、映画『バンコクナイツ』に登場する日本人はみな、帰る場所がない。そのことは重要だと思う。

ぼくはとっくの昔に「旅すること」を止めてしまったのだけれど、いまだに諦めきれず「ここより他の場所 = 楽園」を夢見て、異国のバンコクで蠢いている日本人たち。あぁ、哀れなのか? それとも……。

■映画『バンコクナイツ』には、何度も夜空に月が出ている。しかも、いつも「満月」なんだ。少し前に観た、急逝したマレーシアの女性監督の映画『タレンタイム』にも、満月が何度も登場した。

月は女性の象徴だ。そう思ったよ。

それから、『タレンタイム』と『バンコクナイツ』の重要な共通点が「音楽」だ。ワールド・ミュージック好きを自称するこのぼくが、聴いたこともない超ローカルな地元音楽にあふれているんだ。これ、ちょっと凄いよ! 

タイの東北部、ラオス国境に近いヒロイン「ラック」の生まれ故郷「イーサン地方」にカメラが移動すると、彼女は祈祷所のような部屋に行って、イタコのおばさんが古い物語を語り出すんだ。「モーラム」という語り芸なんだって。このオバサン、次第に語りが「謡い」みたいになって朗々と唄い出す。このシーンはゾクゾク来たな。

あと、メコン川のほとりでオザワが出会う革命詩人の幽霊。ミスター・マリックみたいな風貌で飄々としていて、なかなかに味わい深かった。

■で、映画の最後。エンドロールもそろそろ終わりかと思う頃、流れ出すのが、この豊田勇造さんが唄う『満月』って曲。タイでは誰でも知ってる名曲なんだって。沁みるよね。

■検索したら、監督の富田克也氏への「ロングインタビュー」があった。ビックリだな。最初は、映画作りに関してまったくの素人だったんだね。

 

2017年6月26日 (月)

友部正人ライヴ at 叶屋(南箕輪村)

■昨日は、南箕輪村の老舗酒屋さん『叶屋』で行われた「友部正人ライヴ」に出かけてきた。毎年、この時期に開催されていて、今回で10回目なんだそうだ。ぼくは3年前からの参加で 3回目。会場には40人以上の人たちが集まった。去年も一昨年も見かけた「常連さん」が多い。

■酒店内に作られた特設ステージに、なんと!「サングラス」をかけた友部さんが登場した。驚いたな。

ボブ・ディランにそっくりじゃないか! 鼻が二人とも「鷲鼻」だから、ほんとよく似てる。おもむろに歌い出した曲は何だったか? う〜ん、忘れてしまった。『6月の雨の夜、チルチル ミチルは』だったっけ。いや、違うな。でも、久々に聴いた「この曲」の歌詞が、グサリと僕の胸に突き刺さった。

もう会えないと思うからと

ぼくに1曲うたわせる

それほどよくはうたえなかったのに

最高最高とチルチルは言う

もし死にに行く人になら

いい思い出だけにはなりたくない

そう思いながらも手を振って 黒い車を見送った

知らないことでまんまるなのに

知ると欠けてしまうものがある

その欠けたままのぼくの姿で

雨の報道にいつまでも立っていた

6月の雨の夜、チルチル ミチルは

からの鳥かご下げて死の国へ旅立った

ゆうべのままのこのぼくが

朝日をあびてまだ起きている

■2曲目は『マオリの女』だった。去年も聴いたが、この曲はほんと沁みるなあ。名曲だ。

タヒチへ渡ったゴーギャンが、現地でめとった幼妻のことを歌っている。フランス人のゴーギャンが、骨を埋めるつもりて訪れたタヒチには、結局2年間くらいしか住まなかった。そして帰国後は2度とタヒチへは帰らなかったのだ。幼妻は島に置き去りにされた。あんなにも一生懸命愛した外国人の夫に、いとも簡単に捨てられたのだ。

■ネットで調べたら「叶屋」店主の倉田さんは 1959年7月生まれだそうだ。なんだ僕より1学年若いのか。2〜3歳年上かと思っていたよ。友部さんが初めて「叶屋」を訪れた10年前には、まだ高校生だった倉田さんの娘さん。この日は赤ちゃんを抱っこして会場で笑顔をふりまいていた。

■『6月の雨の夜、チルチル ミチルは』は、理由は分からないけれど生き続けることが出来なくなってしまった哀しい夫婦(子供2人あり)の歌だった。そう言えば『マオリの女』も夫婦の歌だ。友部さんは、冷めきった夫婦の歌をもう一曲歌った。タイトルも知らない曲だ。ぼくは今回、遠慮しいしい初めて妻をさそって珍しく彼女が「行ってもいいよ」って言ったから二人で来たのに、それはないんじゃないか(^^;;

そしたら友部さん。『バレンタインデイ』という、いい感じで年をとった仲むつまじい夫婦の歌も唄ってくれた。でも、ちょっと取って付けたみたいだったな。「叶屋」夫婦に捧げる歌だったのかな。

友部さんの奥さんは「ユミさん」だ。もう、ずっと昔からそうだ。ほんと偉いな、友部さん。

■酒屋さんでのコンサートなので、開演前と「中入り」の時間帯には、無料で日本酒が振る舞われる。ただ、去年も一昨年も、一人で車を運転して行ったから、お酒は飲めなかった。でも、今回は「帰りの運転手」がいる。しかも、彼女のOKもでた! やったね。叶屋イチオシの「夜明け前」吟醸、「久保田」千寿、「緑川」を次々とお替わりして頂く。いやぁ、おいしいなぁ。(まだ続く)

2017年6月 9日 (金)

『新 荒唐無稽 音楽事典』高木壮太(平凡社)

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■読み終わって、もうずいぶんと経つのだけれど、これは傑作だなぁ。しみじみ。

以下は、読みながら連続ツイートしたもの(少し修正・改変あり)を、ここにまとめておきます。

『新 荒唐無稽音楽事典』高木壮太著(平凡社)を、トイレでずっと読んでいる。おもしろい! 事典を「あ」から順番に欠かさず項目を読むなんて、初めての経験だ。 (3月28日)

続き)今日【た】に入った。とんでもない「嘘・ホラ」に満ちてはいるが、マニアでも知らなかった「トリビア」ネタも散りばめられているので侮れないのだ。ただ、この事典の真骨頂は、読者がどんな音楽ジャンルのファンであっても、その3割弱が必ずほくそ笑む記載に溢れていることだ。

続き)例えば、【た】(p117) 項に載っている【ザ・タイガース】「京都のGSバンド。日本で一番人気があったが、解散後ボーカリストは原子爆弾で日本政府を脅かし、タンバリン担当の背の高いメンバーは甲羅を背負って天竺へ向かった」とある。決して嘘は書かれていない。全て真実である。(長谷川和彦監督作品:映画『太陽を盗んだ男』と、日テレ『西遊記』)

続き)109ページ。【ザ・スパイダース】「60年代、東京山の手の芸能人の子弟や上流階級の子弟が結成したバンド。他のバンドには買えない高価な楽器を見せびらかして、うらやましがらせていた。」とある。真実である。かまやつひろしの父親はディープ釜萢、堺正章の父親は、コメディアンの堺俊二。

『新 荒唐無稽音楽事典』と、私家版(旧版)との相違が気になる。PMS(Premenstrual Syndrome:月経前症候群)とあるのは、私家版の「生理中」を改訂したらしい。以下は「私家版」の書評だが、そのとおり! 「ニューロンの混線を誘発する、超知識とデタラメに彩られた滑稽本」濱田智

『新 荒唐無稽音楽事典』(平凡社)【ふ】まで来た。【ふ】は項目が多いな。【ぬ】と【ね】は1項目しか載ってないというのに。しかも、あの「ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン」は載ってないじゃぁないか! (4月3日)

続き)『新 荒唐無稽音楽事典』で楽しいのは「シリーズもの」だ。「日本でだけ人気があった外国ミュージシャン」シリーズ。クロード・チアリ、ザ・スリー・ディグリーズ、ピエール・バルー、ファラオ・サンダース。もっといたけど忘れた。ヒガシマルうどんスープのCMに出演したのは誰か?

続き)あと、バラク・オバマ元大統領が登場する【オクターブ】と【ファルセット】。他にもあったかもしれないが忘れた。

ジャズ・ミュージシャンでは、超絶技巧のピアニスト&ドラマーの項目がみな同じ内容だ(アート・テイタム、バド・パウエル、オスカー・ピーターソン、アート・ブレイキー、エルヴィン・ジョーンズ、トニー・ウィリアムス)。ハービー・ハンコックだけちょっと違う。

『新荒唐無稽音楽事典』(平凡社)も、とうとう【り】まできた。残りあとわずかで名残惜しいぞ。「音楽界の巨人シリーズ」。大バッハは身長が10mくらいあったらしい。それから、ニール・ヤングは身長5m、ジェームス・テイラーは2m50cmくらいあるらしい。ニルヴァーナのベーシストは身長4m。(4月8日)

あと、個人的お気に入りは「ザ・ポリス」の3人のメンバーの中で最も地味な【アンディ・サマーズ】が一番フィーチャーされていることだ。続けて【ニール・セダカ】の項目を読むと泣けるよ。

「巨人シリーズ」といえば、もと読売巨人軍ウォーレン・クロマティもやたらフィーチャーされているよ。→【ラッシュ】

「日本でだけ人気があって、とうとう日本に定住してしまった海外ミュージシャン」は、クロード・チアリの他にも、スタニスラフ・ブーニンがいた。あと、これは事典に載っていないが、ファラオ・サンダースの息子は茨城県水戸市に住んでいたらしい。

 4月11日

『新荒唐無稽音楽事典』の【ルディ・ヴァン・ゲルダー】の項。彼は「目医者」ではない。検眼技師。今でいう「視能訓練士」。まぁ、そんなこと著者は承知の上だろうが。(つげ義春『ねじ式』を参照のこと。)

■ぼくは、ロック・ヘビメタ・パンク・テクノ系が弱いから、知らないミュージシャン、バンドが多かったのだけれど、そんな項目でも読むとなんだかとっても面白いのだ。これは著者の力量と抜群のユーモアセンスによるものだ。

それにしても、あの「事典の平凡社」が、よくぞ本にしてくれました!

■あと、ツイートでは触れなかったが、【リズム・ネタ、擬音ネタ】がこれまたメチャクチャ面白い。

【クリック音】、【ギロ】、【ビリー・コブハム】、【マンボ】、【ミニマル・ミュージック】を見よ!

【ワルツ】もあった。

■それから、お終いに収録されている、【音楽史年表】と【付録1】【付録2】【付録3】にも、これまた大笑いだ。傑作!

■追補:これは著者のツイートで知ったのだが、【坂本龍一】の項。

 そこには、「『博士』の異名を持つ YMO のキーボード奏者」と記載されている。

とある読者が「これ、間違いじゃないですか?」と、指摘してきた。

著者は「なんだかなぁ」と、ガッカリしたそうだ。そこが笑いどころなのにね。水道橋じゃないんだからさ。

 


2017年5月19日 (金)

映画『牯嶺街少年殺人事件』エドワード・ヤン監督作品をみた

■映画とは、本来、真っ暗な映画館のスクリーンに向かってたった一人、その観客はこれからの上映時間を「この映画」に捧げることを覚悟のうえスクリーンと対峙するものであった。少なくとも、ぼくが映画を見始めた頃はそうだった。

まずは闇だ。映画は闇から始まることになっている。

斉藤耕一『旅の重さ』のファースト・シーンを見よ。


YouTube: 旅の重さ

■この、真っ暗な闇に、縦に白い光が差し込む瞬間が映画の始まりなのだ。ちなみに、このシーンは、ジョン・フォード監督作品『捜索者』へのオマージュとなっている。このことを教えてくれたのは、当時映画雑誌『リュミエール』編集長だった、蓮実重彦氏。


YouTube: 捜索者(プレビュー)

「リュミエール」とは、フランス語で「光」という意味だ。ただ、世界で初めて「映画」を発明した兄弟の名前が、偶然にも「リュミエール」であったことが全てを象徴しているのかもしれない。

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■映画雑誌『リュミエール』の最終号(vol.14 / 1988年冬号)は、どうしても棄てられなくて未だに持っている。エドワード・ヤン監督のことは、同じ台湾出身の映画監督、ホウ・シャオシェンと共に、この雑誌を通じて蓮実重彦氏から教わった。

ただ当時、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画は何本か観たが(『恋恋風塵』『童年往事』『非情城市』)何故か楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の映画には触手が伸びなかった。当時は1本も観てないのだ。バカなことをしたものだ。どうして観に行かなかったのだろう? 

■『牯嶺街少年殺人事件』の紹介記事では、藤えりかさんの「この記事」がよい。

■それから、今回公開された、3時間56分のオリジナル全長版の「あらすじ」を【ネタバレ】で最後までコンパクトに分かり易く紹介しているのが「こちらのサイト」だ。映画を観た人が、よく分からなかったところを整理するのに実に良く出来ているのでオススメです。

■以下は、今回初めて「この映画」を観た直後の感想ツイート(一部改変あり)

エドワード・ヤン監督作品の台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を初めて観た。松本シネマセレクト。圧倒的な3時間56分。これは凄いな。大傑作。思春期特有の残酷さ。切なく痛い映画だ。公開時なぜ見に行かなかったんだろう。
続き)むかし、スクリーンで見た『青春の殺人者』『十九歳の地図』『サード』などの日本映画を思い出した。主人公の家族が日本家屋に住んでいたせいか、妙に懐かしい感じもしたんだ。侯孝賢『非情城市』は公開時に見た。あれは本省人の苦悩の話だったが、今度は外省人の家族の生き辛さか。
続き)『牯嶺街少年殺人事件』の英語のタイトル名が『A Brighter Summer Day』なのが泣ける。エルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」の歌詞から取られている。懐中電灯を持ち歩く主人公は言う。「この世界は僕が照らしてみせる」と。
続き)映画の光と闇。山東 (217 グループ) 一味のビリヤード場がやたら停電する設定になっていて、だからこそ、台風が来た夜に彼らを急襲する、台南ヤクザと小公園一味に停電がミカタするのだ。敵ボスの死に際を懐中電灯で照らす主人公。ここのシーンは忘れられない。『牯嶺街少年殺人事件』
続き)あと、中国本土から逃げてきた家族、知人、恩師の奥さん皆で記念写真を撮るシーン。侯孝賢『非情城市』にも、トニー・レオン一家が写真館で家族写真を撮るシーンがあったな。それから小津安二郎『麦秋』にも、印象的な家族一同での記念撮影のシーンがあった。『牯嶺街少年殺人事件』。
続き)おっと忘れていた。主人公の父親がじつにいい。父親が学校に呼び出されたあと、自転車の父子が家路につくシーンが「3回」登場するが、この反復はズルいな。しがない公務員の父親は、外省人であるがために毛沢東中国共産党のスパイではないかと、台湾当局から執拗な尋問を受ける。拷問に近いな。
続き)もうさ、4時間近くお尻痛いのを我慢してスクリーンを凝視してるとさ、映画の主人公と完全に一体化しちゃうんだよ。ちょうど『昭和残侠伝』の高倉健と池部良を見ているみたいに。『牯嶺街少年殺人事件』
映画『牯嶺街少年殺人事件』のことを、もっとよく知りたくて、季刊誌『映画芸術』最新号(2017年春/第459号)を買ってきて読んでいる。故・梅本洋一氏によるエドワード・ヤン監督インタビュー(1991年10月東京)がまずは読ませる。いくつも発見があったぞ。
続き)父親が拷問に近い尋問から解放され帰宅した後、彼の妻は公務員を辞めて民間企業に再就職を薦める。その面接の日、主人公の小四(シャオスー)は母親に映画を見に行って時間を潰すよう言われて、映画館で小翠(小馬の当時の彼女)と会うのだが、彼らが観ていた映画は、音声だけで何かは解らない。
続き)ところが! 梅本洋一氏は音声だけで映画の名前とそのシーンまで特定してみせる。凄いな。その映画とは、ジョン・ウェイン主演、ディーン・マーティン共演、ハーワード・ホークス監督作品『リオ・ブラボー』だ。エドワード・ヤン監督は、この映画を少なくとも10回は見たと言っている。
続き)ここで西部劇を主人公が観ていることが、後半中学校の誰も居ない保健室で、校医の若先生のハットをかぶって「鏡」を見ながらジョン・ウエィンになりきる主人公に繋がるし、小馬の家で、小明(シャオミン)が、まるで南海キャンディーズ「しずちゃん」みたいに『ばーん!』て発砲する場面に繋がる
続き)主演のチャン・チェンは一番最後に決まったんだそうだ。楊徳昌監督は言う。「それに、何よりも、僕が彼に引きつけられたのは彼の目です。彼の目の表現には、時にはすごく深いものがあるし、また時には、何かはっきりとは形にならない感情を伝えてくれたんです。他の少年にはない目の表現が」
続き)「あの子にあった。」小明と二人、午後の授業をサボって河川敷での軍隊演習を遠く見学している時に絡まれた、主人公と敵対する「217グループ」の下っ端を見事撃退した後の主人公が、自転車を引きながら彼女と帰路につくシーン。彼の眼は、東大寺詩仙堂に安置された「広目天」みたいだったぞ。
続き)ただ、よくわからないのはヒロインの小明(シャオミン)だ。決して美人ではない。目は小さいし離れている。ひょろりと痩せていて、胸もないし、ただ首が長いだけの14歳の少女だ。そんな小明が、次々と男を手玉に取る。もちろん本人にその意識はない。ただ生き延びる手段に過ぎなかったのだ。
続き)でも、そんな彼女のために、男たちは自らの命を捧げた。ハニーに殺された、217グループ・リーダー。小公園リーダー「ハニー」、中山堂経営者の息子「滑頭」、建国中学校の校医の若医者、建国中学校バスケット部のエース「小虎」、台湾国軍司令官の息子「小馬」、それに主人公の小四。7人の男
続き)【ネタバレ注意!】映画館で小翠から、あの夜、滑頭が会っていたのは小明であったことを知る主人公。しかも、その小明は母親と共に親友「小馬」の家の住み込み家政婦として働くことになったことを知る。主人公にとっては「もう、なんだかなあ」の世界だ。映画撮影スタジオに、大切な懐中電灯を置いてゆくのは、もちろん意識的だ。だって、遺書みたいな文章もしたためているのだから。つまりは、主人公の総決起決意表明なワケだ。となると、彼が殺したかったのは「小馬」なのか? ぼくはそうは思わない。だとすれば『曽根崎心中』みたいになるべき? いや、それとも違う。難しいな。
続き)この世で一緒になれないならば、あの世で一緒になろうとしたのが、曽根崎心中だったワケだが、牯嶺街少年殺人事件の主人公は自ら死のうとはしなかった。そのことは、じつは重要だと思う。
『牯嶺街少年殺人事件』の主人公シャオスー(小四)とシャオミン(小明)は14歳の中学2年生だった。『タレンタイム 優しい歌』の二人は17歳の高校2年生。無垢の二人は、キスさえためらう。ところが、14歳の小明は既に幾多の男を知り尽くしている。大竹しのぶみたいに。無知な小四が実に憐れだ


2017年5月12日 (金)

ラジオを聴いていて、個人的関心事項がいきなりシンクロした瞬間がうれしい。『All The Joy』Moonchild


YouTube: Moonchild - 'All The Joy' (Official Video)

■GWは、4月30日(日)に守屋山(1651m)を登りに行った。初めて登ったんだ。今年は近くの里山登山をすることに決めていて、守屋山は、その第一弾というワケだ。高遠町片倉を超えて立石登山口より登攀開始。国道右側に駐車場があって、アクセスは抜群だ。巨石群を巡りながら、1時間10分で頂上に到達。疲れた。汗ビッショリ。でも、山頂からは 360度の展望が望めるのだ。これには感動したな。

写真は、守屋山山頂からの南側の眺め。左端は仙丈ヶ岳(3033m)、真ん中に北岳(3193m)、右側は間ノ岳(3189.5m)。さらに右には塩見岳(3047m)が連なる。

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■登山口まで車で乗り付ける途中に聴いてきた FMカー・ラジオから、久々に聴いたのが、土岐麻子『TOKI CHIC RADIO /トキシック・ラジオ』だ。子供が小学生だった頃は、日曜日といえば毎週朝から車で外出していたから、土岐麻子のこの番組(2009年10月放送開始。FM長野では、毎週日曜日の朝9:30〜。地方局のみの放送で、収録している東京FMでは何故か放送されていない)は以前はよく聴いていたのだ。

この日の特集は「G・W・ニコル」GW特別「いやし空間特集」だった。

で、土岐麻子さんが選曲してFMラジオで流したのが、この曲「All The Joy」Moonchild だったのだ。車で聴きながら「あっ! この曲知ってる。CDでさんざん聴いたぞ」と思ったのだが、その日は「どのCD」で聴いたのか、よく思い出せなかった。

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■で、暫くして思い出したのがこのCD。『フリー・ソウル〜2010s・アーバンジャム』の、17曲目だ。去年はさんざん聴いてきたCD。「この曲」は、聴きながら「土岐麻子みたいなヴォーカルだなぁ」って思っていたんだよ。土岐さん自身もそう思ったのかなぁ。不思議なシンクロ。なんだか嬉しくなったんだ。

このCDには、ジャネット・ジャクソンをはじめ、エリカ・バドゥ、コリーヌ・ベイリー・レイなど、ネオ・ソウル界ベテラン女性歌手の新譜が収録されていることに加え、ルーマーとか KING とか要注目の新人も多数ピックアップされている。Moonchildも、そんな一つだった。

■ラジオといえば、5月4日(木)の午前中、NHKラジオ第一『すっぴん!』が渋谷で公開放送していて、金曜日レギュラーの高橋源一郎氏と、月曜日レギュラーの宮沢章夫氏が「大人の恋」をテーマに、それぞれ「オススメの一冊」を紹介し合っていて(ビブリオバトルの感じで)面白かった。

演出家である宮沢さんは、チェーホフの『三人姉妹』を、離婚を繰り返し、幾多の修羅場を経験されてきた高橋源一郎さんは、島尾敏雄『死の棘』。なんか、笑ってしまったよ。

さらに、5月5日(金)の夕方、外出先からわが家に帰って来て、たまたまラジオを付けたら、同じくNHKラジオ第一で放送していた「なぎら健壱のフォーク大集会」の終盤だけ聴くことができたんだよ。今回は「著名人リクエストアワー!」と題した有名人限定のリクエスト特集で、サイト内の「セットリスト」に載っている曲が、それぞれ有名人からのリクエストで順次流れたようだ。

ぼくが聴いたのは、その一番最後の宮沢章夫さんのリクエスト。候補曲を何曲か挙げていて、ディランII、斉藤哲夫「悩み多きものよ」、加川良はあったっけ? それから、友部正人の「あいてるドアから失礼しますよ」。

宮沢さんは「この曲」の主人公はいま「そのドア」から部屋の中へ入ってくるところなのか、それとも、たったいま部屋から出て行くところなのか? 気になって仕方がないんだって話をどこかでしたら、それを知った友部正人さんが宮沢さんに直接メールで回答してくれたんだって。

という話を、NHKアナウンサーの道谷眞平さんが読み上げた。じつは、宮沢さんに電話をつないで直接話を伺う段取りだったのだが、番組から電話をすると「留守電設定」になっていて、電話出演のことを宮沢さんはどうもすっかり忘れてしまっていたようなのだ。

このドタキャン騒ぎに、さすがのなぎら健壱さんも怒ってましたよ。当日の夜、宮沢さんはツイッターで以下のように言い分け。

宮沢章夫(笑ってもピンチ)‏ @aki_u_ench

翌週、5月8日(月)の『すっぴん!』は、あまり悪びれるでも、ひたすら恐縮するでもなく、さらっと終わってしまったようだ。

■なぎら健壱さんのラジオで、友部正人の「あいてるドアから失礼しますよ」が流れたあと、出演していたシンガーの辻香織さんが、「私、友部さんが『たま』と共演したCD『けらいのひとりもいない王様』に収録されている『この曲』が大好きで、何度も聴きました」って言っているのを聴いて「おっ!?」と思った。

じつはぼくも「このCD」を最近中古で入手して、よく聴いていたのだよ。ここでもまた、不思議なシンクロニシティ。4月26日の午後松本へ行って「ほんやらどお」で中古CDを物色していたら、店番のバイトの男子学生さんが店内BGM用に「このCD」をかけた。1曲目「夢のカリフォルニア」。

スピーカーから流れてきた友部正人の唄声に「おおっ!」と思った。2枚目のレコード『にんじん』に収録されている「この曲」が大好きなんだ。でも、このCDは初見。学生さんに「これ、売り物ですか?」って訊いたら、彼個人のCDで売り物じゃないとのこと。残念。でもどうしても欲しくなって、ネットで見つけて購入したのでした。

■ところで、この曲の主人公が部屋に入ってくるのか、それとも出て行くのか? 宮沢さんは結局、月曜日のラジオでは教えてくれなかったようだ。

2017年3月28日 (火)

『親子で向きあう発達障害』植田日奈・著(幻冬舎)

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■あれは、医者になって2年目のことだ。信州大学小児科に入局させていただき、1年間大学病院で研修した後、ぼくは厚生連北信総合病院小児科に配属された。優秀な3人の先輩小児科医のご指導のもと、貴重な症例を含め、たくさんの患者さんを受け持たせていただいた。

大学病院では未経験だった新生児の主治医にもなった。今でもよく憶えているのは、ダウン症の女の子のご両親に、生後1ヵ月して染色体検査の結果が出てから「その事実」を告げた時のことと、重症仮死で生まれて、脳室周囲白質軟化症(PVL)になってしまった赤ちゃんのご両親に、早期療育の必要性を説明した時のことだ。

その時ぼくは、いずれも同じことを口にした。

「確かにこの子は、生まれながらに大きなハンディキャップを背負ってしまいました。でも、ご両親の献身的な療育によっては、もしかするとこの子だって、将来は日本の首相になれる可能性だってあるのです。だから、どうか前向きに、この子と共に生きて行ってください!」と。

その当時、ぼくは自分の言葉に酔っていた。いま考えれば、あまりに無責任な言葉だよな。医者になって2年目、まだ何もできないくせに、何でも出来るような錯覚に陥っていた。

■再び大学に戻って、下諏訪町にある、身体障害児・心身障害児療育施設「信濃医療福祉センター」へパート出張した時のことだから、あれから更に3年後のことだ。センター小児科医長の八木先生に病院を案内してもらって、館内を廻っていた時のことだ。

母子入院をして初期療育をしている、障害がある乳児が多数いる病棟を訪れたのだが、八木先生がふと、「この子には無限の可能性がある! みたいな、過度の期待を親に持たせて『ここ』へ送り込んでくる小児科医がいるんだけれど、ハッキリ言って迷惑なんだよ。」

あ、それを言ったのは俺だ……。

ぼくは、八木先生に申し訳なくて、そのとき何も言えなかったのだった。(まだ続く)

2017年3月20日 (月)

『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン著、柴田元幸訳(新潮クレスト・ブックス)

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■もともとは「敬虔なモルモン教徒」だったのに、何故か教会から破門されてしまったアメリカ人作家、ブライアン・エヴンソン氏のことを、ぼくは今まで全く知らなかった。興味を抱いたきっかけは、書評家:池上冬樹氏による以下のツイートだ。

▼1)「週刊文春」でブライアン・エヴンソンの『ウインドアイ』(新潮社)をとりあげました。本欄でも簡単に紹介しましたが、もっと詳しく書きますと、収録作品は25篇。駄作と水準作はなくてすべて佳作以上。前作『遁走状態』も傑作短篇集でしたが、こちらはもっと完成度が高くて鋭い作品が揃っている
池上冬樹
@ikegami990
12月16日
▼2)ブライアン・エヴンソンの『ウインドアイ』(新潮社)のお薦めは、消えた妹を探すうちに兄の不安と恐怖がつのる「陰気な鏡」、縫いつけられた別の耳から聞こえる謎の声「もうひとつの耳」、殺した少年に何度も襲われる「タパデーラ」、殺人をめぐり対話者の尋問にあう「溺死親和性種」・・
池上冬樹
@ikegami990
12月16日
▼3)少年が祖母の家で体験する地獄譚「グロットー」、愛と悪意がおぞましく交錯する(ラストが怖い!)「アンスカン・ハウス」などがベスト6。そのほかにも「モルダウ事件」「赤ん坊か人形か」「不在の目」などもお薦め。ともかくブライアン・エヴンソンの『ウインドアイ』(新潮社)は必読です!

■ぼくが信頼している書評家の豊崎由美さんも、信毎日曜版の書評欄で「稀有な体験をもたらす25の物語」と題して、この本を紹介している。

(前略)ブライアン・エヴァンソン作品のつかみの魅力は超ド級だ。一気に引きずりこまれる感じ。いきなりヘンテコな世界に連れ込まれた揚げ句、何が起こりつつあるのかよくわからないまま右往左往させられ、不安な気持ちを抱えたまま物語の中で宙づりにされてしまう。(中略)

それまでわたしたちが盤石と信じていた世界を、気味の悪いゼリーのように不確かな何かに変えてしまうのだ。

 なかでも、慣れ親しんでいるはずの家の、外からは見えるのに中に入ると存在しない窓に気づいてしまった幼い兄妹にふりかかる出来事を描いた表題作が、いい。今回の短編集には、家や屋敷が魔窟と化す話や、自分が事実と思っている記憶や出来事が別の貌(かお)を見せるという展開の物語が多いのだけれど、表題作にはその双方が活かされていて、じわじわと怖ろしいのだ。

■読み始めて、もうずいぶんと経ったので、巻頭の表題作『ウインドアイ』のことは正直よく憶えていない。ただ、主人公の幼い妹が(自宅外壁を覆うヒマヤラスギの板張りの一部が雨風の影響で反って捲れあがっていて、)その「すき間」に軽々と「小さな手」を差し込むことができた、その時の、何だか暖かくて、ちょっとゴワゴワしたに違いない彼女の手の感触を、ものすごくリアルに記憶している。本を読んだだけなのに、触感が残っているのだよ。

■以下は、読み終わってはリアルタイムでツイートした各短篇の感想です。

 

@shirokumakita
1月20日
猛吹雪の中、進路を見失い彷徨する少年2人に赤い鬼が追いかけて来る。と言えば、宮沢賢治『ひかりの素足』だが、僕が読んでいたのは『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン著、柴田元幸訳(新潮クレストブックス)より『二番目の少年』。こんな悪夢はゴメンだ。醒めても醒めても夢の続き。無間地獄だ
1月27日
『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン著、柴田元幸訳(新潮社クレストブックス)より、1日1篇ずつ読んでいる。昨日は『ダップルグリム』を読んだ。もともとダークなグリム童話をエヴンソン流に料理したらどうなるか? そうなるのか(笑)。
 
1月27日
続き)『ウインドアイ』。今日は『死の天使』を読む。確かアストル・ピアソラの曲に「天使の死」があったが、これは凄かったな。『どろんころんど』とコーマック・マッカーシー『ザ・ロード』と『デスノート』を足して3で割った黙示録であり、人間が生きて行くことを端的に表す哲学書でもあると思う。
昨日は『ウインドアイ』より「陰気な鏡」を読む。これは怖いな。でも大好き。『猿の手』みたいなゴシック・ホラーをエヴンソン流に料理したら…。話の途中に、古事記の「イザナギ・イザナミ・黄泉の国」の話が出てくるのだが、これって、世界中にある神話なのだろうか?

(まだまだ続く)

 

2月5日
ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』より、今日は『モルダウ事件』を読む。「ストラットン事件」だったはずが、いつしか事件名が変わっている不思議。ある組織に所属する秘密諜報部員(工作員)の調査報告書という体裁の文章なのだが、いったい誰が書いているのか?

2月8日
ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』より、今日は「スレイデン・スーツ」を読む。これはいいな。何故か諸星大二郎の漫画で読んだイメージがする。古びたゴムの旧式潜水服の「臍の緒」から中に入って行く主人公。すえた汗と血の臭い。船の外は嵐。甲板にはナイフで殺された船長が『白鯨』状態でいる
続き)「スレイデン・スーツ」の着かた。図説があった。これだ。

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2月15日
エヴンソン『ウインドアイ』より、今日は「知」を読む。面白い。推理小説かと思ったら、哲学の思考実験だった。読んでいて妙に納得されてしまったことが怖い。その次の「赤ん坊か人形か」も同じテイストだな。
2月18日
『ウインドアイ』より「トンネル」を読む。これは不気味だ。ゾワゾワくる。トンネルの中で起こった出来事を『藪の中』的に3人がそれぞれの視点で順番に語るのだが、誰が正しいのか?ではなく、自分たちに何が起こっているのか誰一人分かっておらず、でもこの後、酷いことが起こることは皆わかっている

『ウインドアイ』より「食い違い」。腹話術師「いっこく堂」の得意持ちネタ「口の動きから数秒遅れて声が聞こえてくる」アレを、テレビを見ていた彼女は実際に体験する。しかし、いっしょに横で見ている夫には、何も違和感がないという。じわじわと現実感が崩壊してゆく感じが、実にリアルで怖いぞ

 

2月24日
『ウンドアイ』より一昨日は「不在の目」を読む。潰されてしまった主人公の片目は取り除かれ、後には眼窩と視神経だけが残った。眼球と網膜を失った視神経はしかし、特別なものが見えるようになった。それは、自分と他の人たちの「背後霊」だった。

2月26日
ボン・スコットって知らなかったからApple Music で『地獄のハイウエィ』AC/DC を聴いている。ハードロックは苦手なんだ。それにしても、カーティス・メイフィールドなみの高音だな。いや実は『ウインドアイ』で「ボン・スコット 合唱団の日々」を読んだんだ。モルモン教とオーストラリア出身のロック・ミュージシャンとの意外な接点とは?

2月28日
ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』は読んでいて「その当事者にだけはなりたくないな」っていう短篇ばかりが並んでいるが、昨日読んだ『タパデーラ』は中でも特に嫌な話。野球で言えば、9回表からいきなり小説が始まって、後攻X勝ちかと思ったら、先行がゾンビ復活して恐怖の延長戦を強いられる

続き)「先行」→「先攻」。ところで「タパデーラ(Tapadera)」って何のこと? 調べてみたら、スペイン語の「Taper 覆う、ふさぐ」から来ていて(キッチンで使うタッパーですね)転じて、アメリカ中西部のカウボーイが馬に乗る時に足を保護するための厚い革製の鐙覆いのことらしい。

 

3月3日
昨日は『ウインドアイ』より「もうひとつの耳」。西洋版『耳なし芳一』的だが、でも逆に失った片耳を新たに移植される話。展開が読めず怖い。そして今日は「彼ら」を読む。こちらは『リプレイ』だな。ただし、時間が何度も戻るんじゃないんだ。そこが不気味。「彼ら」って何? システム?
3月6日
今日は『ウインドアイ』より「酸素規約」を読む。これはSFだ。地球から遠く離れた何処かの惑星に植民した主人公。しかし、このコロニーはどうも上手くいかなかったらしい。残存する酸素を皆で分け合う為には、住民が人工冬眠して消費する酸素を節約するしかないのだった。しかし、主人公は拒む。
続き)たぶんこれは著者の暗喩だ。『彼ら』と同じ「システム」に支配された人間と、それに逆らおうとした人間の悲喜劇。「壁と卵」のはなし。はたして、どちらの人間が幸福なのだろうか?

3月8日
『ウインドアイ』より「溺死親和性種」を読む。これは気に入ったな。訳分からないうちに捕まって尋問される主人公。しかも、自分の記憶にない弟から一通の手紙が来て、仕方なく行方不明の弟を探す日々。一体何が本当の記憶で何が植え付けられた偽物の記憶なのか?「本当の事を言え」対話者は尋問する。

読んでいて、ガラガラと地盤が崩れていく感じ。何が何だか分からなくなってゆく不安。あ、そうそう。『プリズナー No.6』と同じだ。毎回「No.2」から尋問される No.6。「No.1 は誰だ?」No.1 て誰?何処にいるの?なんでこんな目に会わなければならないのか?「溺死親和性種」

 

3月11日
今日は『ウインドアイ』から「グロットー」を読む。なんか「やまんば」が登場する『三枚のおふだ』みたいな民話的味わいもあるのだが、やはり絶望的に怖い。後半の展開は、キングの『シャイニング』みたい。

3月15日
『ウインドアイ』より、ラストの「アンスカン・ハウス」を読む。その前の「グロットー」といい強烈な終幕だな。古典的『猿の手』みたいな、願いを叶えてもらうためには、自身の犠牲を必要とされる話。幽霊も悪霊も背後霊もゾンビも「もののけ」も、この短篇集には多数登場するが、なんだ生きた人間が、

続き)なんだ生きている人間が、一番怖いのか。そう思った。実際、フィクションの世界よりも、籠池のおっさん、おばはんと、この夫婦に群がる人々(自民や維新の政治家、財務省官僚、国土交通省官僚、文科省官僚、マスコミ、そして菅野完氏)それぞれの思惑で蠢く魑魅魍魎たちの同行から目が離せない。

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