カーティス・メイフィールド『new world order』を聴く(その2)
昨日の続きです。 内容は、以下の記事からまとめたものです。
30 Years Ago: Curtis Mayfield Paralyzed During an Outdoor Concert
■民主党上院議員マルコヴィッツが、野外ステージに登壇した。
「みなさん!カーティス・メイフィールドをご紹介します。私は興奮してゾクゾクしてきました!」
その瞬間、会場に「大きな突風」が吹き荒れた。巨大なスピーカーがぐらつき始め、観客の列が散り散りになったが、マーコウィッツは続けた。「Ladies and gentlemen, Curtis Mayfield !」
カーティスがステージに上がったその時、時速54マイルにもなる「2度目の爆風」が頭上の巨大な金属製リグを揺り動かし、スピーカーがステージから吹き飛ばされ、照明トラスが倒れた。トラスからステージ照明が外れて上から落ちてきて、そのうちのひとつがメイフィールドの首の後ろを直撃し、彼は崩れ落ちた。この日、12歳の少女を含む少なくとも6人が負傷したという。
メイフィールドは動けなかった。腕も足も使えない状態で救急車を待った。その時、ようやく雨が激しく降り始めた。少なくとも最初は、メイフィールドがいずれ回復するかもしれないという希望があった。しかし、キングス・カウンティ・メディカル・センターの医師はその後、メイフィールドが首の第3、4、5頸椎を骨折していることを伝えた。医師たちは、メイフィールドは歩くことも、ましてギターを弾くこともできないだろうと確認した。このとき彼はまだ 48歳だった。
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■検索したら「本と奇妙な煙」というサイトに、雑誌『Cut』1994年5月 Vol.30 に載ったカーティス・メイフィールドのインタビュー記事が再録せれていた。
――あの事故が起きた夜のことで何を覚えていますか。
「あんまり話せることはないんだよ。(略)わたしは野外ステージの裏の階段を昇っていった。昇り切って、3歩か4歩歩いて、その次に気がついたときには床に転がっていた。ギターもどっかに行ってしまってて、靴も履いてない、眼鏡もない、そして体がまるっきり動かなかった。みごとに伸びてたんだよ。にっこり笑ってステージに向かっていったその次の瞬間には、まっすぐ夜空を見つめてた。雨が降り出してたなあ。
すべてめちゃくちゃになっていた。動かせるのは首だけだった。自分がどうなってるのかと見回してみると、ぬいぐるみみたいに床の上でぶざまに寝そべっているんだよ。もちろん目は開けたままでいた、目を閉じたら死ぬんじゃないかって気がしたのさ。みんなが来てわたしを運んでくれた。病院はすぐそこにあった。どこまで深刻な状態なのか自分ではわからなかった、生きるか死ぬかもね。……どこがどうしてどうなったのかまるでわからなかった」
――いまはどんなリハビリを行っているんでしょうか。
「正直に言うと何もしていないんだよ。ただ 単に、リハビリのしようがないからだがね。わたしが完全に寝たきりにならないようにと家族が手足のストレッチをさせてくれる。できるだけ体が固くならないように。でもどこも丈夫なんだよ、麻庫してるだけで。どこかのいいお医者がいつか魔法のような方法を見つけて、麻痺した部分を生き返らせてくれるかもしれない。そういうことが起こらないかぎり、おそらくわたしはこのままで死ぬんだろうね。・・
■頚椎損傷で四肢麻痺に陥っても、いま現在の最先端医療でなら神経細胞の再生医療によって再び歩けるようになることも可能になった。しかし、カーティス・メイフィールドは事故後もう二度と歩くことも、ギターを弾くための手を動かすことも叶わなかったのだ。ただ、自ら作詞作曲して歌うことだけは、まだできた。
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■それから6年後の 1996年。『new world order』は制作されたのだった。
車椅子に座った状態では声が出ないため、カーティスはスタジオで仰向けに横になって、しかもワンフレーズずつ細切れで歌を収録したという。CDで聴くかぎり、彼の魅力的なファルセット・ボイスは健在だし、しっかり声も出ていて、とてもそんなスタジオ収録場面を想像することはできない。
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■以上のような事情を知った上で、改めて「Back To Living Agein」を聴くと、ぜんぜん違って彼の歌声が心に響いてくるのではないか。
曲の後半、バックコーラスにかつての朋友アレサ・フランクリンが参加して歌声を披露する。そして、曲が終わった最後に、アレサ・フランクリンの励ましの声が収録されているのだ。
「 Go Ahead MAYFIELD ! 」
■しかし、持病の糖尿病が悪化して足の動脈がつまり、1998年には右足を切断。翌年のクリスマスの次の日(1999年12月26日)57歳の若さで帰らぬ人となった。
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カーティス・メイフィールドが作詞作曲したインプレッションズ時代の代表曲「People Get Ready」(1965) を、1985年に ロッド・スチュアートとジェフ・ベックがカヴァーしヒットしたおかげで、経済的に苦境にあったメイフィールドはずいぶん助かったそうだ。事故後の療養費用にも印税が役だったという。
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