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2016年10月31日 (月)

「司馬遼太郎」という不思議

『見果てぬ日本』片山杜秀(新潮社)を、このところずっと読んでいる。集中力が続かないので未だに読み終わらない。

ただ、この本で取り上げられている3人「小松左京・司馬遼太郎・小津安二郎」には、昔から興味はあった。なかでも「司馬遼太郎」だ。小松左京は、高校生のときに『継ぐのは誰か?』『果てしなき流れの果てに』を読んで感動した。小津は、大学生になってから、バスケットでいっしょだった宮崎君に教えてもらって「銀座並木座」で『東京物語』を観たのが最初だ。

でも、司馬遼太郎は読んだことがなかった。読みたいと思ったこともなかった。

■ぼくが10代〜20歳代を過ごした時代は、ちょうど日本が高度経済成長のピークを迎え、バブル経済を皆が享楽していた頃だ。

敗戦後の大変な時代を歯を食いしばって頑張ってきた日本人。その精神的バックボーンとなってきたのが司馬遼太郎だった。実際、当時の華々しき経済界の重鎮はみな、わが愛読書として『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』を挙げていたものさ。そうそう、あの頃『3年B組金八先生』で一斉を風靡した武田鉄矢の愛読書が『竜馬がゆく』だった。

だからかな、読みたくない! あまのじゃくな僕は、そう思ったんだ。時代に迎合する国民的歴史文学作家なんてって。

■つい最近、ケン・リュウの新作を読むにあたって、司馬遼太郎『項羽と劉邦』を読む必要が出てきた。上・中・下と3巻もある。でもこれが、読んだら凄く面白かったんですよ! 司馬遼太郎。

司馬遼太郎というペンネームは、中国の歴史記述家の司馬遷に由来することは間違いあるまい。じゃぁ、宮城谷昌光みたいに、司馬遷の『史記』をネタしにして、中国4000年の歴史に埋もれた「知られざる達人」の評伝をいくらでも書けたであろうに、司馬遼太郎は『項羽と劉邦』以外に中国史を書くことはなかった。何故だ?

ふと、思ったのだけれど、成功への王道を行く主人公を男のロマン溢るる大河小説として描いたのが、世間一般的「司馬遼太郎」評だと思うのだけれど、まてよ? 彼の小説の主人公は、はたして歴史上のメジャーな人物たりえたのか?

坂本龍馬なんて、司馬遼太郎が小説にしなければ、誰も知らない土佐の高知の郷士にすぎなかったはずだ。『燃えよ剣』の新撰組副長として剣に生き、剣に死んだ男、土方歳三だって、所詮は敗者だ。『峠』の主人公、河井継之助は、戊辰戦争で「賊軍」として敗北する長岡藩の藩士だった。『翔ぶが如く』の西郷隆盛だって、明治維新の立役者とは言え、最終的には西南戦争の敗者として歴史のメジャー舞台から消えてゆく。

なんだ、みな道半ばにして挫折した人ばかりじゃぁないか! 

ただ、『坂の上の雲』の秋山兄弟は確かにロシアを打ち負かした勝者だ。(読んだこともないのに、司馬遼太郎に関して知ったようにあれこれ言うのは、顰蹙を買うだけなのだけれど、もう少し続きがあります。ゴメンナサイ。) 続く

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