『ハリエットの道』(日本キリスト教団出版局)を読む。
■『ハリエットの道』キャロル・ボストン・ウェザーフォード文、カディール・ネルソン絵(日本キリスト教団出版局)を読む。「女モーゼ」とも呼ばれたハリエット・タブマンの生涯を、力強い迫力のタッチで描いた傑作絵本。感動した!
「ハリエット・タブマン」は、南北戦争前後のアメリカに実在した黒人女性で、日本でいうと江戸時代末期、メリーランド州の黒人奴隷だった彼女は、理不尽な仕打ちに耐えきれなくなって、ある晩、保守的な夫を残し「ご主人様」の家を脱走する。彼女は、北斗七星が指し示す「自由な北」を目指して、たった一人 145km の道のりをひたすら歩いてペンシルヴェニア州フィラデルフィアにたどり着き、とうとう自由の身になることができたのだった。
ただ、もちろん彼女一人の力では、その逃亡劇は実現不可能だった。
当時、先進的な奴隷制廃止論者の白人や自由黒人、宗教関係者を中心とした「秘密のネットワーク」が各地にあり、彼らの組織のことを、隠語で「UnderGround RailRoad」と言った。この「自由への地下鉄道」は、実際に「地下鉄」があった訳ではなくて、支援者・協力者がいる「点」を「線」で結んで、ちょうど「駅伝」のような仕組みで、北の自由の地、遠くは「カナダ」まで黒人奴隷を逃がしてやっていたのだった。
逃亡者たちは、昼は支持者の教会や農家の納屋に隠れて過ごし、夜になって北へと移動した。
YouTube: John Coltrane - Song Of The Underground Railroad
■ジョン・コルトレーンが、インパルス・レーベルで最初に出した『アフリカ/ブラス』に、当初収録されるはずだった「Song Of The Underground Railroad」は、その政治的意味合いからかレコード会社は「お蔵入り」にしてしまい、コルトレーンの死後になってようやく日の目を見た楽曲だ。力強く自信にあふれ、スピード感と勢いがある名曲だというのに。
CDのクレジットを見ると、Traditional をコルトレーンがアレンジしたとあるが、今回いろいろと YouTube で「自由への地下鉄道」関連の楽曲を調べてみたけれど「同じ曲」は見つからなかった。もしかすると、曲調からしてコルトレーンのオリジナルなのかもしれないな。
インパルスのセッション記録を見ると、『アンダーグラウンド・レイルロード』は当初、『北斗七星をたどれ』というタイトルにする予定であった。逃亡する黒人たちは、夜陰にまぎれ、北斗七星の輝きを頼りに北へ向かった。”北斗七星をたどれ”という曲名は、そのことを暗示している。
嗅覚に優れた犬を使う追ってを攪乱するため、逃亡奴隷は胡椒を撒き、小川やクリークの中をたどって匂いを分断した。捕らえられれば引き戻され、見せしめのリンチが待っている。運良く逃げおおせても、その首には懸賞金がかけられ、生かすも殺すも、これを捕らえた者の裁量に任された。
たどり着いたオハイオ川の北岸シンシナティ、リプリー、ポーツマスといった街には、逃れてきた黒人たちの受け入れ拠点があったが、1850年に強化された「逃亡奴隷法」以降は、さらに北のカナダへ逃れなくてはならなくなった。
南部に生まれ、北部フィラデルフィアを第二の故郷とするコルトレーンは、学校だけでなく、牧師であった祖父からも学んで、そうした奴隷の歴史、すなわち自分のルーツを熟知していた。
『コルトレーン/ジャズの殉教者』藤岡靖洋(岩波新書 1303)p116〜117
■ハリエット・タブマンの凄いところは、その後「自由への地下鉄道」の「車掌」となって、何度も南部へもどり、自分の命の危険を犯してまで、他の奴隷たちを北に逃がしたことだ。
「1860年までにハリエットは19回も南部へもどり、300人もの乗客の奴隷たちを自由の身にしました。ハリエットがかかわった奴隷は、ひとりの例外もなく全員が自由になったのです。」(『ハリエットの道』作者あとがきより)
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