『きつねのつき』北野勇作(つづき)3.11 後のエンタメ小説
■『きつねのつき』北野勇作(河出書房新社)は、読んでいてどうしても「あの 3.11 」に起こった地震、津波、原発事故をリアルに思い浮かべてしまう。実際この小説には「事実そのまま」といってもいい描写が随所に散見される。
でも、ほんとうは「この小説」が書かれたのは「あの日」よりも2年も前だったという。びっくりだ。
不思議だ。何なんだろう? このシンクロニシティは。
作家に限らず、表現者、芸術家といった人々は「炭鉱のカナリア」なんじゃないかって、思うことがあるな。例えば、先日読んだ『極北』マーセル・セロー著、村上春樹訳(中央公論新社)がそうだった。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』もそうだ。あと、北村想の戯曲『寿歌』。それに、ぼくは未読だが『ディアスポラ』勝谷誠彦(文藝春秋)もある。
ただ、ぼくが注目したのは、山梨県北杜市白州町在住の冒険小説作家、樋口明雄氏が震災後に出した『標高二八〇〇米』(徳間書店)だ。(つづく)
■閑話休題■
ちょっとその前に、書いておきたいことがある。
先ほど読んだ、作家・花村萬月氏のツイートだ。以下転載。
花村萬月 @bubiwohanamura ①ホテルにもどって、新幹線車中で頭の中に泛んだ絵をノートパソコンに、簡単に記しておく。象徴を掴んでしまったので、覚え書き以前の代物でも、即座に脳裏に画像が焦点を結ぶ。 こういう具合に絵が見えない人は、執筆に苦労するんだろうな。②に続く。
② 字を書いているからといって、文字や言語で思考しているとは限らないのだが、このあたりを大きく勘違いしている人が多い。誤解を恐れずに言ってしまえば、小説という散文表現は、じつは言語を用いた絵画の1ジャンルなのかもしれない。
これ読んで、なるほどなぁと思った。
作家の頭の中には、明確な映像が視覚的イメージとして確かにあるのだ。
落語と同じなんだなあ。
落語家は、聴衆に対して登場人物から風景、季節感まで、日めくりのように一枚一枚、絵をめくって行く感じで、画像としてイメージさせなければダメ! と言ったのは、先代の桂文楽で、それを聞いたのが橘家円蔵師だ。土曜日夕方FMで放送している「サントリー、ウェイティングバー・アヴァンティ」で、円蔵師がそう言っていた。
で、つらつら考えるに、いろんな落語の演目を思い浮かべてみると、それぞれ最も印象的なシーンが写真のように思い浮かぶ。例えば、「らくだ」なら、大家の家で死人を背負って屑屋が「かんかんのう」を歌う場面だし、「粗忽長屋」なら浅草浅草寺のシーンだ。「子別れ・下」だと、鰻屋の階段の下から二階を見上げる、熊五郎の別れた女房のシーンか。
こういう記憶の仕方は、なにも落語に限ったことはない。
読み終わった本の内容を思い出す時、ぼくは写真画像がまず最初に立ち上がるのだ。つまりは、小説のストーリーを「視覚イメージ」として記憶しているのだね。だから、その本の内容をほとんど忘れてしまったとしても、その小説の印象的な「あるシーン」だけは、明確な視覚イメージとして記憶に保持し続けることができるのだった。
ただ、こういった視覚的記憶は、例えば「その小説」が映画化された場合に都合が悪い。
じぶんが個人的にイメージした映像と、多くの場合出来上がった映画はものすごくかけ離れてしまっているからだ。
■何が言いたいかというと、あの 3.11 から何度も何度もくり返しくり返しテレビで流された「あの津波の映像」や「津波によって根こそぎにされた陸前高田や三陸町の町並み」を、ぼくらは見過ぎてしまっていることに大きな問題があると思うのだ。人間にとって、何と言っても視覚情報は圧倒的パーセンテージを占める。
じつは、僕は震災後一度も被災地には行っていない。
そんな人間が、当事者性もなく発言していいとは決して思わないが、でもちょっと言わせてくれ。
実際に行って見ることと、テレビ画面でくり返し津波映像を見ることはぜんぜん違う。それは誰でも判ることだ。
まず、圧倒的な臭い「におい」は、テレビの映像では再生できない。
それから、死者だ。膨大な瓦礫のそこかしこに、実は人間の「肉片」や「手足の断片」が混在していた。海外メディアの一部は、ブルーシートの覆われ、先端に赤旗が結ばれた竿竹が刺さった場所があちこちにある場面を写真に撮って報道した。
でも日本のマスコミは、ブルーシートも赤旗も、肉片も手足の断片も、修正して死者たちを画面から消し去り、「瓦礫」だけを浄化してテレビに流した。
それじゃ、ダメだろう。浄化してはだめだ。2万人にもおよぶ死者たちを、そんなふうにあつかっちゃあダメだ。(つづく)
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